今、何故、NHK大河ドラマ「龍馬伝」なのか!その十七(その後の御誓文)
自由民権運動が高まる中、御誓文は立憲政治の実現を公約したものとして一般に受け止められるようになった。特に第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」は、当初は民選議会を意図したものではなかったが、後に民選議会を開設すべき根拠とされた。
例えば、明治13年(1880年)4月に植木枝盛が起草し片岡健吉・河野広中らが提出した「国会を開設するの允可を上願する書」が著名である。明治憲法制定により帝国議会が開設されるまでの間、自由民権派は御誓文の実現を求めて政府に対する批判を繰り返した。
「戦後の御誓文」 戦後、昭和21年(1946年)1月1日の昭和天皇の人間宣言で、御誓文の条文が引用されている。昭和天皇は幣原喜重郎首相がGHQに主導されて作成した草案を初めて見た際に、「これで結構だが、これまでも皇室が決して独裁的なものでなかったことを示すために、明治天皇の五箇条の御誓文を加えることはできないだろうか」と述べ、急遽GHQの許可を得て加えられることに成った。
天皇は後に、「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二 の問題でした。(中略)民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法が出来たんで、民主主義というものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。」 昭和52年(1977年)8月23日記者会見
と語っている。
昭和21年(1946年)6月25日、衆議院本会議における日本国憲法案の審議の初め、当時の吉田茂首相は御誓文に言及して、
「日本の憲法は御承知のごとく五箇条の御誓文から出発したものと云っても良いのでありますが、いわゆる五箇条の御誓文なるものは、日本の歴史、日本の国情をただ文字に現しただけの話でありまして、御誓文の精神、それが日本国の国体であります。日本国そのものであったのであります。この御誓文を見ましても、日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものであり、あえて君権政治とか、あるいは圧制政治の国体でなかったことは明瞭であります」
と答弁した。このように敗戦後の初期には支配層は五箇条の御誓文は民主主義の原理であると主張した。
正式な表題は、法令全書によると、「御誓文」である。明治天皇自身がこれを呼ぶときは単に「誓文」という(例えば明治8年(1875年)の立憲政体の詔書)。よく使われる「五箇条の御誓文」などの呼称は、後の時代の通称である。 その十八に続く 以上
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