今、何故、NHK大河ドラマ「龍馬伝」なのか!その三(日米和親条約)
条約調印後は、伊豆国下田(現静岡県下田市)の了仙寺へ交渉の場を移し、1854年5月25日に和親条約の細目を定めた下田条約(全13箇条)を締結した。なお、ペリー艦隊は同年6月1日に下田を去り、帰路琉球へ立ち寄り、琉球王国とも通商条約を締結している(琉米修好条約)。
条約の内容は以下の通り
日米和親条約の主な項目
(1)アメリカに物資を補給(薪水給与)するために下田、函館を開港(条約港の設定)すること。(第2条)
(2)漂流民の救助、引渡し。(第3条)
(3)アメリカ人居留地を下田に設定する。(第5条)
(4)片務的最恵国待遇(第9条)
詳細項目サイトhttp://www.geocities.jp/sybrma/173nichibeiwashinjouyaku.html
下田条約の主要項目
「1)アメリカ人の移動可能範囲は下田より7里、函館より5里四方に限り、武家・町家に 立ち入る事を禁ず。
(2)アメリカ人に対する暫定的な休息所として了仙寺・玉泉寺に置き、米人墓所は玉泉寺に置く。
(3)アメリカ人が鳥獣を狩猟する事を禁ず。
アメリカ側の目的
アメリカはその時代には鯨油を貴重な燃料として使用していたが、そのために太平洋に鯨を取りに行くと大量の燃料が必要になるので、それを日本で補給して燃料代を浮かせようとした事が目的であったといわれている。
また、別の目的は食料と水の補給確保である。特に、穀類は別としても、冷蔵庫もなく、しっかりした保存食もない時代において、脚気や壊血病の防止、また乗組員の満足できる味と量の食事のためには生野菜や肉類の補給は必要であった。また、清をはじめとする東アジアとの貿易のための補給港としても重宝とされた。
条約の日本語批准書原本は、幕末の江戸城火災により消失した。オランダ語によって書かれた批准書原本の内アメリカ合衆国が持ち帰ったものについては、アメリカ国立公文書記録管理局で保管されており現存する。2004年(平成16年)には、日米交流150周年を記念して、アメリカから日本へ条約批准書のレプリカが贈られた。
この続きはその四に 以上
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