今、何故、NHK大河ドラマ「龍馬伝」なのか!その十(大政奉還)
徳川家茂の死後、将軍後見職の徳川慶喜は徳川宗家を相続したが、幕府の自分に対する忠誠を疑ったため、征夷大将軍職への就任を拒んでいた。5か月後の1866年(慶応2)12月5日ついに将軍宣下を受ける。しかし、同月天然痘に罹っていた孝明天皇が突然崩御。睦仁親王(後の明治天皇)が践祚した。
翌1867年(慶応3)薩摩藩の西郷・大久保利通らは政局の主導権を握るため雄藩連合を模索し、島津久光・松平春嶽・伊達宗徳・山内容堂(前土佐藩主)の上京を促して、兵庫開港および長州処分問題について徳川慶喜と協議させたが、慶喜の政治力が上回り、団結を欠いた四侯会議は無力化した。
5月には摂政二条斉敬以下多くの公卿を集めた徹夜の朝議により長年の懸案であった兵庫開港の勅許も得るなど、慶喜による主導権が確立されつつあった。こうした状況下、薩摩・長州はもはや武力による倒幕しか事態を打開できないと悟り、土佐藩・藝州藩の取り込みを図る。土佐藩では後藤象二郎が坂本龍馬の影響もあり、武力打倒路線を回避するために大政奉還を提議し、薩摩藩もこれに同意したため、6月22日には薩土盟約が締結される。
これは徳川慶喜に自発的に政権返上することを建白し、拒否された場合には武力による圧迫に切り替える策であった。しかし兵力の発動を渋る山内容堂に反対され、また薩摩藩も慶喜の拒否を大義名分として結局武力発動しかないと判断していたため、両藩の思惑のずれから9月7日盟約は解消。
結局土佐藩は10月3日単独で山内容堂が老中に大政奉還の建白書を提出した。いっぽう、薩摩藩の大久保・西郷らは、長州藩・藝州藩との間に武力を背景にした政変計画を策定。さらに洛北に隠棲中だった岩倉具視と工作し、中山忠能(明治天皇の祖父)・中御門経之・正親町三条実愛らによって、慶応3年10月14日(1867年11月9日)に討幕の蜜勅が出されるにいたる。
ところが、徳川慶喜は山内容堂の進言を受け入れ、同じ10月14日には、天皇に大政奉還を奏請しており(在京各藩士には前日に二条城で宣言していた)、討幕派は大義名分を失った。大政奉還により、江戸幕府による政権は名目上終了した。
「大政奉還の上奏文」 臣慶喜謹て皇国時運の沿革を考候に、昔し王綱紐を解き相家権を執り、保平の乱政権武門に移りてより、祖宗に至り更に寵眷を蒙り、二百余年子孫相受、臣其職奉ずと雖も、政刑当を失ふこと少なからず。今日の形勢に至り候も、畢竟薄徳の致す処、慙愧に堪へず候。況や当今、外国の交際日に盛なるにより、愈朝権一途に出申さず候ては、綱紀立ち難く候間、従来の旧習を改め、政権を朝廷に帰し奉り、広く天下の公議を尽し、聖断を仰ぎ、同心協力、共に皇国を保護仕候得ば、必ず海外万国と並立つべく候。臣慶喜国家に尽す所、是に過ぎずと存じ奉り候。去り乍ら猶見込の儀も之有り候得ば、申聞くべき旨、諸侯え相達置候。之に依って此段謹て奏聞仕候。以上 慶喜
その十一に続く 以上
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