今、何故、NHK大河ドラマ「龍馬伝」なのか!その十四(明治維新)
「明治維新」は、江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制への転換とそれに伴う一連の改革をいう。その範囲は、中央管制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・教育・外交・宗教政策など多岐に及び、日本をアジアで最初の西洋的国家体制を有する近代国家へと変貌させた。福沢諭吉は著書で「王政維新」と命名している。
明治維新の原点は欧米諸国による植民地政策に対する抵抗運動(攘夷運動)に起源を持つ。アヘン戦争以後、東アジアで欧米による帝国主義の波が強まる中で、それまでの江戸の天下泰平の世の中(鎖国体制下の社会)を維持し、欧米の植民地となることを回避するという尊幕攘夷思想が高まった。
しかし薩英戦争や下関戦争において欧米との力の差に直面したことにより、単純な攘夷論に対する批判が生じ、国内統一・体制改革(近代化)を優先して、外国との交易によって富国強兵を図り、欧米に対抗できる力を付けるべきだとする「大攘夷」論が台頭し、これまで強硬に攘夷論を主張してきた長州藩・薩摩藩も事実上開国論へと転向していくことになった。
開港後は、改革に保守的な態度をとる幕府への不満や国学の発展によって強化されつつあった日本は神国であるというナショナリズムの発想の高まり、倒幕、尊皇攘夷論となって諸藩の志士や公卿によって支持され、国内の改革が叫ばれることとなる。
明治維新の開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる明治元年9月8日(1868年10月23日)となる。しかし一般的にはその前年にあたる慶応3年(1867年)の大政奉還、王政復古以降の改革を指すことが多い。終了時期についても、廃藩置県の断行(明治4年、1872年)、西南戦争の終結(明治10年、1877年)、内閣制度の発足(明治18年、1885年)、立憲体制の確立(明治22年、1889年)までとするなど諸説ある。
この期間の政府(一般的には慶応3年12月9日「1868年1月3日」の王政復古以降に成立した政権)を特に明治政府、新政府、維新政府などと呼称することが多い。主に旧薩摩藩・長州藩および一部の公卿による専制政治として実行されたため「藩閥政府」と揶揄されることもあるが、中級官僚以上でも旧親藩・旧幕臣などから採用された者も少なくなく、一概に一部雄藩のみが主導したともいえない。当時の人々からは主に大政奉還と廃藩置県を指して御一新と呼ばれていた。
短期間にほぼ独力で近代国家を整備し、西欧列強に比肩する国家を築き上げたことは諸外国からは奇跡と見られ、特にアジア諸国にとって近代革命の模範となった。この革新の象徴となり、アジア初の本格的立憲君主となった明治天皇について、諸外国では日本以上に高く評価されることもある。 その十五に続く 以上
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