今、何故、NHK大河ドラマ「龍馬伝」なのか!その十三(戊辰戦争へ)
一方的に御所警備の任を解かれ、追い払われた会津・桑名藩兵や在京の幕臣たちが二条城に集まり激高しました。彼らは口々に「薩摩を討つべし」と騒ぎましたが、徳川慶喜は激発しようとする会津や桑名の兵をなだめすかし、大坂城に退(ひ)き下がりました。
この時慶喜の下には幕兵5千余、会津3千余、桑名1千5百余、合わせて約1万の兵がいました。大坂湾には榎本武楊が率いる軍艦開陽もあり、志気も高く、兵力も充分にあったのに慶喜は武力討薩に出ず、大坂に退き下がったのでした。
薩摩の大久保利通は、慶喜が抵抗もせず、あまりにあっさりと大坂に退いたので驚きました。大久保は戦いに敗けることまで計画に入れていて、その時は天皇をつれて広島あたりまで逃げるつもりだったそうです。
「総裁・議定・参与の三職」
総裁 有栖川宮熾仁親王 議定 参与
(ありすがわのみや・たるひとしんのう)
皇族・公卿・諸侯から10名 公卿・諸藩代表者20名
中山忠能 大原重徳
正親町三条実愛 岩倉具視
中御門経之 万里小路博房
仁和寺宮入道純仁親王 長谷信篤
山階宮晃親王 橋本実梁
徳川慶勝(尾張大納言) 尾張藩(3人)
松平慶永(越前宰相) 越前藩(中根雪江ら3人)
浅野茂勲(安芸少将) 芸州藩(辻将曹ら3人)
山内豊信(土佐前少将) 土佐藩(後藤象二郎ら3人)
島津忠義(薩摩少将) 薩摩藩(西郷、大久保ら3人)
決定を受けて慶喜は大坂城へ退去したが、山内容堂・松平春嶽・徳川慶勝の仲介により辞官納地は次第に骨抜きとなってしまう。そのため、西郷らは相良総三ら浪士を集めて江戸に騒擾を起こし、幕府側を挑発した。江戸市中の治安を担当した庄内藩や勘定奉行小栗忠順らは激昂し、薩摩藩江戸藩邸を焼き討ちした。なおこの頃、政情不安や物価の高騰による生活苦などから「世直し一揆」や打ちこわしが頻発し、また社会現象として「ええじゃないか」なる奇妙な流行が広範囲で見られた。
江戸での薩摩藩邸焼き討ちの報が大坂城へ伝わると、城内の旧幕兵も興奮し、ついに翌慶応4年(1868年)の正月「討薩表」を掲げ、京へ進軍を開始した。1月3日鳥羽街道・伏見街道において薩摩軍との戦闘が開始された(鳥羽伏見の戦い)。官軍を意味する錦の御旗が薩長軍に翻り、幕府軍が賊軍となるにおよび、淀藩や安濃津藩などの寝返りが相次ぎ、5日には幕府軍の敗北が決定的となる。
徳川慶喜は全軍を鼓舞した直後、軍艦開陽丸にて江戸へ脱走した。旧幕軍は瓦解した。以後、翌年まで行われた一連の内戦を、1868年の干支である戊辰に因んで「戊辰戦争」という。なお戊辰戦争中の1868年10月23日(旧暦9月8日)には、元号が慶応から明治に変更された。
その十四に続く 以上
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