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2010年7月に作成された記事

2010年7月31日 (土)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その84[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関および権限⑨)

「欧州連合の機関および権限」

既に明示的に述べたように,原則的な政策領域が問題となるが,なお確固として画定された管轄領域が問題となるのではない。これらは詳細には,欧州憲法の第三部と第四部からはじめて明らかとなる。同第三部及び第四部では,先述した一般的な政策領域に基づいて,欧州連合に事実上存在する権限が,詳細に規定されている。ある種の中間的地位が,地域政策,展開政策(Entwicklungspolitik)および研究政策と考えられる。これらの領域も共有管轄で説明される。

しかし事実上,この場合は,欧州連合の助成措置(Foldermassnahmen)のみが問題となり,内容的規律のされた管轄は問題とならない。まさに共有管轄の場合に,補充性原則が基準となる。この場合にまさに補充性原則が実証され,補充性原則について既に一般的に説明した問題がまさにこの場合に,現れる。共有管轄の類型は,例えばドイツ基本法において72条,74条,74条aにおいて規定されているような,連邦国家の法に存在する競合(立法)管轄の概念に相応する。

これによれば,州は次の場合にのみ立法権を行使しうる。すなわち,基本法72条2項のいわゆる必要性条項を充足する場合,従って,とりわけ法統一性及び経済統一性の領域で,事実上,連邦法的に規律された統一性の必要性が,そしてそれにより認められる要請が証明された場合である。もっともこのような条項に関してもかなり争いがあり,とりわけドイツにおける連邦国家的制度改革当時の議論の枠内ではそうであった。

しかしそのような必要性条項は,連邦の一次的な管轄を,連邦州の二次的管轄からよりよく階層化するために,重要である。そのような必要性条項は,欧州憲法においても意義を有するであろう。補充性原則をよりよく具体化するのに十分であろうからである。しかし残念ながら欧州憲法においてそのような規律を採用することは断念された。
欧州連合の管轄の第三のカテゴリーは,Ⅰ-16条に見られる。これによれば欧州連合は一定の領域で,援助措置,調整措置,補充措置を講じることができる。

これも,政策領域の広範な範囲で見られる。すなわち,「産業,健康保護と向上,一般的および職業的教育,少年とスポーツ,文化,民間救護活動」である。もっともこのような政策領域も,この場合,その明示的な権限法上の限界づけが欧州憲法第三部に見られる。最後に――第四として――,問題のないわけではない権限法上の授権がⅠ-17条のいわゆる柔軟性条項に存在する。同条では次のように規定されている。「この憲法の定める目標の一つを達成するために第三部に定める政策の枠内において連合の行動が必要となったときであって,この憲法が規定していないときは,閣僚理事会は,欧州委員会の提案に基づいて欧州議会の承認を得た後に,適切な措置を全会一致により採択するものとする」(1項)。

この規律は,既に従前のEGV 308条に前身を有していた。そして既にこの規定は,とりわけこのような柔軟性条項の特別な問題状況を明らかにしていた。なぜなら実際には柔軟性条項が,欧州連合の限定的な個別授権の原則によれば,本来は存在し得ないような,事実上の権限判断権限(コンペテンツ・コンペテンツ)を背後に隠蔽しているからである。
このような理由から,このような柔軟性条項は断念する方がベターであったであろう。柔軟性条項は既に過去において多くの不明確性をもたらしてきた。

既に過去の時点で,すなわち従前のEGV 308条の形態でも,私の考察からは当然批判されるべきものであり,それ故に今日においては,このような規律は断念されるべきであった。残念ながらこれは実現されていない。このような柔軟性条項が欧州連合の権限実務においてどのような展開をみるのかは,極めて慎重に,また極めて批判的に,将来において検証されるべきである。この点について,続くⅠ-17条2項も変更はない。

これによれば,「欧州委員会は,9条3項に定める補充性原則監視手続において,同条に基づく提案に対しては,構成国の国内議会の注目を喚起するものとする。」すなわち,柔軟性原則を「支え」ようとしている。確かに,国内議会がこの点について情報を提供された場合,欧州連合がこのような柔軟性措置を自らの権限強化の目的で講じる場合には,都合が良く,利用価値があろう。しかし国内議会の有効な抵抗は,情報手続についてもほとんど実現されえないように思われる。これに対してより大きな有効性から,Ⅰ-17条3項の規律に至ることが期待される。

          その85に続く                      以上

2010年7月30日 (金)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その83[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関および権限⑧)

「欧州連合の機関および権限」

連合の立法者は,このような意見表明を考慮すべきである。構成国議会の三分の一(一定の場合には四分の一)が,補充性原則に違反するとの異議申し立てをした場合には欧州委員会はその立法計画をもう一度再検討しなければならない(補充性及び比例原則に関する議定書との関係でⅠ-9条3項)。

原則としてこのような新たな手続は歓迎されるべきである。なぜなら,これにより,構成国議会がその補充性原則に根付いた管轄権を少なくとも手続的に行使しうるという形で,構成国議会に欧州連合の立法に関与する一片が開かれたからである。しかし他方で,このような手続は極めて複雑で,これにより真に実効的な補充性原則の実現が達成しうるかは,おそらく説明に窮するであろうことも認められねばならない。

構成国議会の三分の一または四分の一が共通の立場を占めねばならないという,上述した手掛かりが,処理方法を明確にすることが困難なだけであると思えるだけに,これはなおさらである。これはもちろん,各構成国議会は,構成国を,全く異なる程度(Gross)で
代表するために他ならない。そしてこれは,翻って,当然に,補充性原則全体にも影響を与える。簡潔に言い表すなら次のとおりである。

すなわち,確かに,大国によって自ら実現されうるが,これに対して小国は実現でき
ないか,もしくは欧州連合レベルと比較しうる効率性では実現し得ない多くの規律業務(Regelunganliegen)が存在する
。では如何なる基準が妥当するのか? 依然として回答されていない問題であり,従って,将来の欧州連合の権限実務とその構成国との権限法的関係を悩ましうる,――懸念されるように――悩ますであろう問題である。

従って,結局は,司法による事後的統制,すなわち欧州司法裁判所への方途によってのみ,補充性原則の実効的な貫徹が,構成国にとっては可能となる。これはもっとも,欧
州司法裁判所自体が,――過去に幾度となくいわれたように――「統合の発動機(Motor der Integration)」などとして,従って,欧州連合およびその規律請求権のために,疑念なく判断するものとしてのみ理解されるのではなく,まさに補充性原則の意味で,構成国およびその権限保有者,従って構成国の議会の利益も同様に真摯に取り上げ,司法的に効果的に保護しなければならないことも意味する。

このように,真に鍵となる役割が,漸進的な欧州統合のプロセスにおいてのみならず,とりわけ上首尾な欧州連合の憲法政策プロセスにおいても,おそらくいずれにしてもこれまで以上に,欧州司法裁判所に負わされるであろう。以上をまとめるとすれば,欧州連合とその構成国の間の実効的な権限の限界づけは,欧州憲法によってもなお完全には実現されていない点を確認しうるであろう。いずれにしても批判者はこれを懸念していた。

すなわち批判者は,依然として過度に欧州中央集権主義であることを懸念した。そして欧州連合における過度の中央集権主義は,まさに欧州連合規模の観点で,欧州統合の理念には有益でないのは確実である。欧州連合は今や25の構成国を手中に収めている。――これら構成国は全く異なる規模であり,全く異なる歴史を有し,全く異なる言語をもち,全く異なる(憲法)伝統を有する。これらすべてが一体化され,これらすべてが集約されねばならない。しかしこれは,欧州連合自体が個々の構成国のそれぞれの特殊性に
最大限考慮を払った場合にのみ,従って,その固有の権限の行使につき,極めて注意深く慎重に扱った場合にのみ,よって地方分権主義への最大限の有効な信仰がなされ,中央集権主義への過度の試みに圧倒されない場合にのみ,成功する。

それぞれの中央集権的な権限エゴイズムは,欧州連合と欧州統合の理念を損なうだけである。従って,結局,欧州連合とその構成国の真に機能的な連帯(Miteinander)を,両者の間で分配された権限のレベルで実現するために,多くの政治的思慮が必要である。体系的には,欧州憲法は異なる権限類型を区別する。これは第一に,欧州連合の専属管轄であり,第二に,欧州連合とその構成国との共有管轄,および欧州連合の補充的措置である(Ⅰ-11条以下)。

欧州憲法が欧州連合に,一定の領域について専属管轄を配分している場合,最初から欧州連合のみが活動しうる。構成国は,仮に欧州連合によって個々の場合に明示的に授権がなされたとしても,このような権限領域において規律権限を有しない(Ⅰ-11条1項)。このような専属管轄を欧州連合は,「域内市場の機能性確保のために必要な競争規律」の発令の場合と,以下のような領域で行使できる。すなわち,ユーロを導入する加盟国についての為替政策,共通商業政策,関税同盟,共通漁業政策の枠内における海洋環境保護の維持である(Ⅰ-12条1項)。このような欧州連合の専属管轄は,従前の欧州共同体の展開,およびとりわけその経済法的課題領域に基礎をおいている。

専属管轄と並んで,共有管轄の領域が存在する。このような領域においては,欧州連合もその構成国も規律権限を行使しうる。もっともその際,欧州連合の規律は優先的地位に立つ。従って構成国は,欧州連合がその側で権限が行使されない場合にのみ,規律を公布しうる(Ⅰ-11条2項)。Ⅰ-13条は,共有管轄を個々の場合に行使される政策領域を挙げている。それによれば共有管轄は,以下のような主領域である。

すなわち,域内市場,自由,安全保障,法の領域,環境海洋保護の維持を除く国内経済,漁業,流通とヨーロッパ交通ネット,エネルギー,第三部で挙げる観点に関する社会保障,経済的,社会的,領域的な団結,環境,消費者保護,公衆衛生制度の領域における共通保護事項である。これらは極めて広範に規定されており,これを全く文言に忠実に受け取ることは許されない。

       その84に続く                        以上

2010年7月29日 (木)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その82[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関および権限⑦)

「欧州連合の機関および権限」

これは,「充分でない」や「よりよい」というタームの概念的な不明確さに一方では起因し,他方では――補充性原則の本質によれば――最終的には,このような未確定な,概念的に不明確なタームを具体化または現実化する決定機関に,常に委ねられねばならないという事実に起因する。その一般的命題において,補充性原則は,次のように定める。すなわち,その時々の大きな構成単位は,ある事柄につき,小さな構成単位がその能力を有していないか,またその意思がない場合についてのみ,これにつき管轄を有しうる,と。

これは,──とりわけカトリック社会学を起源とする──一般的な国法学から展開されたように,補充性原則の一般的な定義である。このような命題は明確であり,説得力があり,その時々の大きな構成単位――従って,この場合欧州連合――は,必要な規律がその時々の小さな構成単位のレベルで――従って,この場合構成国――有効に実現し得ない場合にのみ行動しうる。

しかし,いかなる場合にその時々の小さな構成単位――従ってこの場合構成国――が効率的な課題遂行に適していないのか,またはその意思がないといえるのかを,誰が判断するのか,という問題が同時に提起される点は明白である。言い換えれば次のようになる。すなわち,必要な確認に当たる,従って,大きな構成単位――つまり,この場合欧州共同体――が,管轄を有するか否か,または当該規律自体を扱う,その時々の小さな統一体――つまり,この場合構成国――が完全にその立場にあり,それをなしうるか,を確定する判断機関が,この場合には常に必要である。

しかし,そのような最終的な判断権限を有する決定機関が必要であるならば,同時に補充性原則の内在的な弱点も明らかになる。なぜなら,大きな構成単位,つまり,この場合欧州連合のみが,通常,その最終的に判断する決定機関であることが事柄の本質であるからである。しかし,そうであるとすると,同時に,通常,広範な政治的裁量の余地が働く点が想起されるはずである。

そして,この場合,このような裁量の余地を基礎として,結局のところ欧州連合のみが,いつ,どのような場合において補充性の原則の要件が,自己に固有の有利な結果を確定するかを判断することになる。このような補充性原則の内在的な弱点は,従前のEVG 5条の規律に対する批判をもたらした。そしてそれ故に,欧州憲法の補充性の原則の新たな規律は,構成国の犠牲の下での,過度の,または一方的な欧州連合の権限請求権を阻止するために,構成要件的に厳格に構成されるべきとされた。

部分的にこれは,Ⅰ-9条3項の新たな規律に結実した。なぜなら,この規定は,構成
国の地域および地方レベルも,明示的に挙げているからであり,また,さらに一歩進んで,「構成国のレベルで十分でない」目的実現の場合に,自動的に連合レベルでの「よりよい目的実現」に有利な推定を主張しうる旨を定めている訳ではないからである。そのように,EVG 5条は「それ故(daher)」で共同体レベルでの「よりよい」目的実現を定式化していた。

これに対しⅠ - 9 条3 項は,「それ故(daher)」にかわり,「むしろ(vielmehr)」としている。これはいずれにしても上述した法的な自動的効果を幾分緩和している。しかし重要なのは次の点である。すなわち,このような極めて広範で,不明確な補充性原則の構成要件が,法的な,場合によっては政治的な統制機構を増幅させうるため,欧州連合とその構成国との間の実効的な権限の限界づけが,個々の場合になされうるか,である。

これを欧州憲法は,二つの手続方法で保障することを試みている。第一に,構成国の国内議会ならびに地方の欧州委員会のための,欧州司法裁判所での補充性原則違反を理由とする訴権である(Ⅲ-266条)。第二に,(1997年に,欧州委員会によって導入された,相応する補充性議定書を基礎とする)政治的統制手続が,いわゆる「補充性原則監視手続(Fruewarnsystem)」の形態で,次のように付加された。すなわち構成国の国内議会は,欧州委員会によって,欧州議会と同時に,その時々の立法提案について報告を受け,これにより,これらに補充性原則の観点から6週間以内に意見表明をなしうる可能性を開いた。

      その83に続く                          以上

2010年7月28日 (水)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その81[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関および権限⑥)

「欧州連合の機関および権限」

次に,欧州連合の権限について説明しよう。連合による法形式を認めた権限については,「連合の法的行為(Rechtsakte)」が基準となる(Ⅰ-32条)。これによれば欧州連合は,以下のような行為可能性(Handlungmoglichkeit)が認められる。すなわち,欧州法律,欧州枠組法律,欧州規則,欧州決定,勧告および意見である。

欧州法律は,「一般的に妥当する立法的行為(Gesetzgebungsakt)である。そのすべての部分に拘束力があり,直接構成国に妥当する。」「欧州枠組法律は,これが向けられる各構成国に,その実現すべき目的について拘束力を有するが,形態や方法の選択は,国内所轄機関に委ねられる立法的行為である。」「欧州規則は,立法的性格を有することのない,一般的適用性のある法的行為である。これは,立法的行為や憲法の一定の個別規定の実施に資するものである」。

欧州規則についても,完全な法規範を設定する規則と,枠組み的な性格のみを有する,したがって詳細については構成国によって個別に実施される規則とが区別される。基準となる事で,拘束力を有する執行的行為(Exekutivakt)として,「欧州決定」が規定されている。これは,欧州規則と同様に,原則として,閣僚理事会と欧州委員会によって発令される(Ⅰ-34条)。

これと並んで,最後に,勧告と意見がある。この二つは,拘束力のない法的行為である。連合の拘束力を有する法的行為はすべて,いわゆる「連合法」により基礎づけられる。連合法は,構成国法に優越する(Ⅰ-10条)。
欧州連合の権限法は,新たに,欧州憲法において広範に規律された。管轄制度は,今日では,明確に分配されている。その際とりわけ,構成国に残された管轄との限界も問題となる。既に講義Ⅰで論じたように,欧州連合の管轄と構成国の管轄との可能な限り明確な,説得力を有する限界づけに配慮することが,欧州憲法の基本的な課題である。

どのようにして示されうるかは,この領域では,とくに補充性原則が決定的である
一般的には,欧州連合に固有の管轄として帰属する管轄と,構成国に帰属する管轄に区別されうる。これら二つの根本的に,相互に区別されるべき権限領域の間に,間政府的な(intergovermental)管轄領域が存在する。従って,この場合,原則として欧州連合構成国の国家間の協力に委ねられる。この点に関する重要な例が,共通外交安全保障政策であり,既述のように,本質的には依然として,構成国の国内管轄に委ねられ,その枠内で欧州連合は,調整的な規律権限を行使しうるにすぎない。

欧州連合のすべての管轄の基本原則は,「限定的な個別的権限付与の原則」である。同原則によれば,「連合は,構成国が憲法において定められた目的の実現のために付与された権限の枠内で行動する。連合に憲法において付与されていないすべての権限は,構成国に留まる」(Ⅰ-9条1項および2項)。その権限の行使に際しては,欧州連合につき,「補充性原則と比例原則」が基準となる(Ⅰ-9条1項)。この場合,比例原則は,「連合の措置は,内容的にも形式的にも,憲法の目的を実現するのに必要な程度を越えてはならない」(Ⅰ-9条4項)ことを意味する。

最も重要な権限制限基準は,補充性原則にある。これは,既に長い間,欧州連合にとって指導的なものであったが,欧州連合の過度の権限実務に対する度々の批判を基礎に,従前より内容的に精錬されたものとなったとされた。このような内容的な精錬が,とりわけ「限定的な個別的権限付与」の原則の形態で必要であった。なぜなら同原則は,欧州連合は,独立して自らのために,権限自体を自ら基礎づける権利を行使することはでき
ず,欧州連合のすべての権限または権能は,ただ構成国からの委譲行為から導かれることのみを意味するからである。

構成国のみが完全に主権を有し,従って構成国のみが,自らの権限根拠に関する権利,すなわち権限判断権限(コンペテンツ= コンペテンツ)を行使することができる。Ⅰ-9条3項によれば,「連合は,その専属的管轄に服さない領域においては,考慮すべき措置の目的が,構成国の中央レベル,地域または地方レベルでは十分に実現し得ず,むしろ連合レベルにおいてその規模又は実効性故に,よりよく実現可能な限りで,その範囲においてのみ,活動する。」

この規定は,これまでの規律,すなわち欧州共同体設立条約(以下EGV と呼ぶ)5条の上に構築される。しかしながらまさにこの従前の規律は,当然のことながら,幾度となく批判にさらされ,とくにその事実上の規律の効率性には繰り返し,当然に疑念が呈せられた。なぜなら,「構成国のレベルで充分ではない」目的実現および「共同体レベルで」「その範囲または効果をより良くする」目的実現は,従前のEGV 5条におけるように,実際上,限界付けはあまり明確ではないからである。

       その82に続く                         以上

2010年7月27日 (火)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その80[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関および権限⑤)

「欧州連合の機関および権限」

Ⅰ-39条によれば,「欧州連合は,構成国の相互の政治的連帯,一般的意義についての問題の調査,構成国間の益々強まる取引の収束に依拠する,共通外交安全保障政策を追求する。」。このような利益及び目的の定義は,閣僚理事会との協力に際し,欧州首脳理事会を拘束する。構成国は,「欧州首脳理事会及び閣僚理事会において,共通行動を確定するために,それぞれの外交安全保障の一般利益問題を採択する」。

共通安全保障防衛政策は,共通外交安全保障政策の不可欠の要素であり,「連合の共通防衛政策の一致した決定を包含する」(Ⅰ-40条1項および2項)。
これらすべてはまたも極めて一般的な規定であり,とりわけ欧州連合の機関に代表された,欧州外交安全保障政策は存在しないことを明らかにする。欧州統合のこのような欠落点の克服は,確かに将来の重要課題である。

しかしまさにこの領域に存在する問題点は,見通しの利かないものである。私は例として,安全保障政策,ヨーロッパ全体の安全保障利益の真の目的,欧州共同体軍の創設を挙げるにとどめる。このような目的は今日,依然としてほとんど夢想的であるように思われる。たとえば,欧州連合の構成国軍隊の統一的共通装備の保障すら,依然として成功しないであろうことを考えてみればよい。軍隊の領域で,さしあたり多くの統合形態,協力形態が存在し,NATO の領域で現実化しているにも関わらず,「統一共通欧州軍」を依然として念頭に置くことはほとんどない。

欧州連合の最後の機関として,欧州憲法によれば,欧州裁判権を挙げることができる。これは,Ⅰ-28条によれば,欧州司法裁判所,裁判所,専門裁判所で構成される。このような欧州裁判権の使命は,「この憲法の解釈・適用に際し,裁判の尊重」を保障する点にある(Ⅰ-28条1項)。欧州司法裁判所は,各構成国,1名ずつの裁判官で構成され,法務官によって補助される。

欧州司法裁判所の重要な職責は,次の点にある。構成国,機関,法人または自然人の訴えについての,憲法第三部の裁判所構成法規定の詳細な基準に基づき行う裁判, 構成国裁判所の申立に基づき,連合法の解釈または連合機関の採択した行為の効力に関する先決決定,この憲法に規定するその他の事項に関する裁判,である(Ⅰ-28条3項)。

従って,欧州司法裁判所については,基礎となる新たな規定は存在しない。このような規定を必要としなかったのである。なぜなら欧州司法裁判所は,既に過去において極めて強固な地位をわがものとしたからである。司法の領域では,このような形態にもちこむことができたのであるが,欧州統合並びに基準となる管轄の完全な共通化は,既に長きにわたって完全に遂行されたのである。欧州司法裁判所の判例が,この点につき決定的に寄与した。

多数説から批判的に評価されうる,唯一の点は,欧州司法裁判所が,――私の講義の第三部で述べる――欧州基本権憲章の領域において,固有の基本権異議(またはドイツ法の範でいえば憲法異議)の管轄を,基本権を有する連合市民のために有していなかった点である。私はかつて欧州憲法条約について論究したことがあるが,まさにこの問題について,そのような個人権的な基本権異議の規定をおき,欧州司法裁判所の管轄システムに受容することを強く推奨した。

この憲法異議は,当然,そして決定的にドイツの伝統,すなわちドイツにおいて著しく成功をおさめた憲法異議に相応するものである。これは,各市民が自らの基本権保護のために,連邦憲法裁判所に提起するものである(基本法93条1項4号a)。しかし欧州連合内の他のヨーロッパ諸国は,ドイツ法をモデルとするこのような憲法異議を有しておらず,とりわけアングロサクソンの領域では依然としてこれは存在しない。まさにそれ故に,欧州司法裁判所にもこのような憲法異議(の道)を連合市民のために開くことは,成功をおさめていない。

          その81に続く                           以上

2010年7月26日 (月)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その79[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関および権限④)

「欧州連合の機関および権限④」

欧州委員会は独立しているが,他方で欧州議会に責任を負っている欧州議会は,欧州委員会に対し不信任決議をすることができる。不信任決議がなされると,委員会は総辞職しなければならない(Ⅰ-25条5項)。欧州議会は,欧州委員会委員長を選出し,その限りで,執行に対する完全な議会的統制が存在する(Ⅰ-26条)。

もっとも,問題であるのは,欧州連合が将来的には二人の長を有する事態である。一人は,欧州首脳理事会の議長であり,今一人は欧州委員会委員長である。これが十分に思慮された規律ではないことは明白である。この点につき,欧州連合内で一人の長に絞られたならば,すなわち欧州首脳理事会議長か,欧州委員会委員長のみが採用されたならば,かなり良かったように思われる。

最後に,Ⅰ-27条によって,欧州委員会委員長の同意を得て,欧州首脳理事会が任命する外務担当大臣が規定されている外務担当大臣は,同時に欧州委員会の副委員長である。しかし,制度的には,欧州外務担当大臣のこのような役柄(Figur)は,欧州委員会に付与された仕組みに合致しない。というのも,他の全ての欧州委員と同様にこの欧州外務担当大臣も欧州議会に責任を負うのか,という問題が長い間格闘されてきたからである。

しかし,このような妥協的な規律は必要である。なぜなら,欧州外務担当大臣によって代表された(wahrnehmend)欧州連合の外交安全保障政策は,従前から,完全には「共同体化(vergemeinschaften)」されていないからである。従前,外交安全保障政策は,広範に構成国に帰属していた。そしてこれら構成国は,欧州連合のために,外交安全政策を各国固有の利益から完全に切り離す用意がない。このように,共通外交安全保障政策の権限の複合が生じ,これは同時に,ある種の妥協的規律に現れている。

確かにⅠ-15条によれば,欧州連合の権限は,共通外交安全保障政策の領域において,「外交政策並びに連合の安全に関わるすべての問題」に及んでいる。しかし同条は誤解を生じさせる。なぜなら,外交安全保障政策は,同条にも関わらず,優先的に構成国の国家権限に留保されているからである。これは,Ⅰ-15条2項に次のような形式で明定されている。すなわち,「構成国は,連合の共通外交安全保障政策を,誠実かつ相互連帯の精神でもって積極的かつ留保なく支持し,同領域での連合の立法行為を尊重する構成国は連合の利益に反する活動または連合の実効性を損ねる可能性のある活動を控えるものとする。」,と。

これは,非常に漠然とした一般条項である。そして,現実の共同体の安全外交保障政策と,これに関する合意に漕ぎ着ける場合に比して,従前より存在する,欧州連合の実際の実質的な共通外交安全保障政策に関する意見の相違を,この一般条項が実際には隠
蔽している。このような不明確な法状況は,制度的に欧州外務担当大臣の役割(Figur)に反映し,(これは)いずれにしても,欧州首脳理事会の議長は,欧州外務担当大臣と並んで,「共通外交安全保障の問題について」連合を対外的に代表する(Ⅰ-21条2項)という事実に現れている。

従って,欧州首脳理事会議長と欧州外務担当大臣は,両者の見解が異なる場合にどのような手続をとるかを明らかにすることなく,相互に同じ権限領域を有している。全体として,この部分については,次のように要約することができる。欧州統合のプロセスは,かなりの程度前進をみた。しかしとりわけ共通外交安全保障の領域では,完全な統合はなお実現していない。

この領域は,従来の国家的利益および構成国の国家主権の留保が支配している。確かに,「共通外交安全保障政策」の像については,欧州連合は,いくつかの問題で協調をし,異なる国家的利益を調整しようと試みた。しかし,これらすべては,諮問的または推奨的な性格を有し,欧州連合は拘束力を有する決定を,この領域でなお従前同様なしえない。この点に関する詳細な個別規定は,Ⅲ-195条以下に見いだせる。

そしてこれはとりわけ,欧州連合が,その「共通外交政策」を「一般指令,欧州決定」,および「連合の見解」,「その政策遂行に際する構成国の体系的な協力」を通して展開することを意味する。

          その80に続く                        以上

2010年7月25日 (日)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その78[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関および権限③)

「欧州連合の機関および権限」

しかしいずれにしても,立法手続は,欧州議会が,選挙権を有する全連合市民によって代表され,閣僚理事会が構成国ならびに国内地域を代表する二院制によって組織され,これによって欧州連合の連邦的な基本的性格が保障される点は適切である。望むならば,欧州議会を「国民議会(Volkskammer)」と呼び,閣僚理事会を「国家会議(Staatenkammer)」と呼ぶこともできよう。

このような二院制は,欧州連合の原則的な連邦的基本構造に相応する(欧州議会の中央立法権限と,各構成国及び各地域の機関としての閣僚理事会の地方立法権限)。このような手続は,一方でドイツの連邦議会の制度に類似し,他方で連邦参議院の制度に類似する。すなわち,連邦議会は,全ドイツ国民の国民代表であるとされ,連邦参議院は上院として連邦諸州を代表する制度である(連邦参議院は,ドイツ連邦諸州の政府によって構成される)。

このような立法権限と並んで,閣僚理事会はなお次のような執行的な権限も行使できる。すなわち,欧州連合の管轄がなお完全に「共同体化」されていない権限領域,むしろいわゆる政府間交渉が依然として決定的である権限領域において意義を有する権限である。このような交渉については,欧州連合の管轄との関係で再び立ち返る。欧州議会および閣僚理事会と並んで,欧州首脳理事会が存在する。これは,構成国の国家元首,政府首長,欧州首脳理事会議長,欧州委員会委員長により構成される(Ⅰ-20条)。この欧州首脳理事会は,既に従前より存在していた。

しかし,今や,広範な,法的に確定された構造を与えられる。その権限は,「その展開に必要な刺激を連合に」与え,「その一般的政治的方向性(Zielvorstellung)と優先順位を明確化する」ものとされている(Ⅰ-20条)。立法権限は,欧州首脳理事会にはない。しかし,欧州首脳理事会は,将来も政治的にかなりの重要性を有することは確実であろう。というのも,欧州連合の全体の展開は,欧州連合に関する重要な政治的決定を行った,または少なくともこれを用意した,国家元首と政府首長によって常になされたからである。

欧州首脳理事会の議長は,欧州首脳理事会から二年半の任期で選出され,その際,「外交安全保障政策について連合を対外的にも代表」する(Ⅰ-21条)。後者は問題がないわけではない。というのも,後述するように,将来的には,欧州外務担当大臣も存在するからである。この点に,明らかな権限の衝突が浮き彫りになる。

他方で,欧州首脳会議議長が将来的に一国の公職に就いてはならないことは極めて重要である(Ⅰ-21条3項)。従来は,欧州首脳会議の議長は,国家元首又は政府首長であり,その各国の職務,従って国家元首または政府首脳に就くとともに,欧州首脳会議議長の職務に就いていた。今後は,欧州首脳会議専任議長が存在する。そしてこれが有益であることは明白であり,このような欧州首脳会議の専任議長は,国家元首や政府首長以上に,「ヨーロッパ的に思考し」,独立した専門職として扱われる立場を有する。

欧州連合の執行上の主責任は,将来的にも,欧州委員会にある。Ⅰ-25条によれば,「欧州委員会は,ヨーロッパの一般的利益を推進し,この目的に相応したイニシアチブをとる。」この意味で,欧州委員会は,「調整機能,執行機能,管理機能」を有する。「共通外交安全保障政策,その他憲法に規定された事項をのぞき,委員会は欧州連合を対外的に代表する。」(Ⅰ-25条1項)。欧州委員会は,同委員会委員長,副委員長である連合外務担当大臣,および構成国間で同権の輪番により選出された13人の欧州委員で構成される。

確かに,この規定を巡っては多くの政治的衝突が存在したが,25全ての構成国が少なくとも欧州委員会の維持を希望し,そのようにしてのみ自国の利益を,欧州委員会の内部で十分に表明しうると考えた。このような理由から,この憲法の規定によって任命された最初のヨーロッパ委員会は,いずれにせよ,その委員長と連合外務担当大臣を含めて,各
構成国構成員,したがって全体で25の構成国数で構成される(Ⅰ-25条5項),という妥協が見出された。

最初の欧州委員会の任期後初めて,委員会の構成員数は制限される。委員長及び連合外務担当大臣を含めた欧州委員会の委員数は,構成国数の三分の二に相当する数であるが,欧州首脳理事会がこの数を変更する時にはこの限りではない(1-25条6項)。

              その79に続く                        以上

2010年7月24日 (土)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その77[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関および権限②)

「欧州連合の機関および権限」

しかし結局は,全体としてのヨーロッパの民主主義のさらなる展開が問題となる。今日,統一的なヨーロッパ国民はなお存在せず,このことはヨーロッパの政党制度に反射的に現れている。欧州議会レベルでは確かに,複数の会派が結成されている(ヨーロッパ国民党,ヨーロッパ社会民主党,ヨーロッパ自由民主党,緑の党/EFA)。欧州議会レベルでのこのような会派的な連合(Zusammenschlussen)と並んで,たとえば,保守政党の領域で,社会主義政党または社会民主主義政党の領域で,比較的地域的な上部組織(Dachorganisationen)も存在する。

しかし今日,ヨーロッパレベルで活動する全政党は国民政党であり,国民政党としてヨーロッパ規模の選挙運動を行なっている。それゆえまさに,市民意識において,真のヨー
ロッパ規模の政治理解は欠如している。ヨーロッパ選挙は通常,国内政治問題の象徴であり,それ故に通常,欧州連合の各構成国において,選挙参加者は比較少数に止まる。しかし将来,これは変えなければならない。

民主主義原則は欧州連合内の市民によって現実にも内実を与えられねばならない。市民は,ヨーロッパ政治ならびにヨーロッパと真の政治的関係を獲得しなければならない。そしてこれは,確実に,ヨーロッパレベルでも真のヨーロッパ政党が形成されることを前提とする。そして,このような真のヨーロッパ政党は,固有の綱領に即した政治側面の点でも,選挙民の前に進み出るものである。これが実現されれば,しかしそれにはおそらくはなおかなりの時間を要するであろうが,ヨーロッパ統合の理念が市民に完全に根を下ろすだけでなく,確実に欧州議会のレベルでも,固有のヨーロッパ政治が展開するであろう。

欧州連合の立法はこれまで,規則と指令という道具立てのみで制定されてきた。したがって,特に執行的な法制定の制度,つまり欧州委員会と閣僚理事会によるものであった。Ⅰ-19条によれば,欧州議会が,いまや原則的に,無制限の優先的立法権限を有する。従って欧州連合の立法は,完全に議会によるものとなった。その際,いわゆる完全法(Vollgesetz)と枠組み法(Rahmengesetz)に区別される。

従って欧州議会の立法権限は,原則的に無制限に承認されているが,もっとも,欧州憲法において議会の立法イニシアチブが断念された点には注意を払う必要がある。法案提出は執行権の側,従って欧州委員会に残された。私はこれをかなり批判的に見ている。なぜなら,法案提出権は本質的に,各国の民主的立法手続において,議会の権限の核心要素とされており,これを議会化されたヨーロッパ立法の領域でも断念すべきではないからである。

立法手続は,欧州憲法により二院制で行われる。その内部で,欧州議会を下院,閣僚理事会を上院と構成している(Ⅰ-22条)。閣僚理事会は,その構成のために,各構成国から一人,閣僚レベルで指名された代表者から将来的には構成される。この代表者は唯一の代表者としての権限を付与され,その者が代表する構成国を拘束する行動をすることができ,投票権を行使しうる(Ⅰ-22条)。この点は重要な変更点である。

従来は,「単一閣僚理事会(den Ministerrat oder einen Ministerrat)」は存在せず,各国の各専門閣僚から構成された多数の閣僚理事会が存在していた。すなわち,経済担当大臣の閣僚理事会,財政担当大臣の閣僚理事会,社会担当大臣の閣僚理事会,内務担当大臣,外務担当大臣の閣僚理事会などである。これは極めて見通しの悪い制度であった。そして,このような制度においては,たとえば,環境担当大臣の閣僚理事会において,経済担当大臣の閣僚理事会とは異なる決定が下される事態が生じた。

このように全く内部分裂的(intransparent)な制度に,欧州憲法は終止符を打ち,各構成国が一人の閣僚で代表される単一の閣僚理事会のみを認めることを企図した。この閣
僚理事会において,欧州連合の全構成国は,その構成国の規模を考慮せずに,各一人の閣僚で代表されるとされた。これは,法的にも政治的にも,正当であり論理的である。なぜならまさにこれによって,欧州連合の連邦的な基本構造が,その特別の,適切な表出を見いだすからである。残念ながら欧州首脳理事会は,2004年6月17/18日の決定で,このような極めて明瞭な,合理的な規律を放棄し,「理事会は種々の編成による」(Ⅰ-23条1項)という旧規律を認めた。

      その78に続く                    以上

2010年7月23日 (金)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その76[欧州連合の問題点」(欧州連合の機関及び権限①)

今度は、ルペルト・ショルツ「欧州連合の機関および権限」について、勉強したいと思います。

ヨーロッパ憲法講義Ⅱ ルペルト・ショルツ 「欧州連合の機関および権限」

出口雅久 (共訳)本間学
本講義では欧州連合の構成,すなわち特にその機関と権限を扱う。

これらの問題は,欧州憲法の第一部において詳細に規定がなされている。この点につき,予め指摘されるべきことは,欧州連合の機関及びその権限に関するこれらの規定はまずもって現在の法状況を拠所とするが,これを他方では修正しつつも,さらに発展させる点である。
欧州連合の機関は,Ⅰ-18条以下で詳細に規定されている。これによれば,欧州連合の構成は,従来と同様,原則として以下の機関による。

すなわち,欧州議会,欧州首脳理事会,閣僚理事会,欧州委員会および欧州司法裁判所である。欧州連合のこれらの機関と並んで,欧州中央銀行(Ⅰ-29条),会計検査院(Ⅰ-30条),地域評議会および経済社会評議会(Ⅰ-31条)が存在する。現在の法状況に対する最も重要な変更点は,欧州議会について見られる

既に講義Ⅰで言及したように,従来,欧州議会は,僅少の,極めて限定的な権限を有するにすぎなかった。なかんずく欧州議会は,真の立法機関ではなかった。欧州連合の立法は,とりわけ執行的に規律されていたのであり,従って,閣僚理事会と欧州委員会の職責であった。この点につき,欧州憲法は根本的な変更,すなわち,とりわけ,欧州連合内部での民主主義原則の完全な実現をもたらす変更を企図した。換言すれば,欧州議会は,権限法上,完全な立法機関になる。そしてこの点が,極めて重要な憲法上の前進なのである。

欧州議会は,連合市民,従って欧州連合構成国の全市民によって,五年の任期ごとに,普通,自由かつ秘密選挙で直接に選出される。議員定数は,全体で750名を越えてはならない。いかなる構成国も欧州議会に96議席以上を有することはできない。もっとも後者については,96議席に制限することは,欧州連合の大国が,小国との関係で不利に扱われることに他ならないと,選挙権平等原則の観点から批判がなされるかもしれない。

しかし、他方で欧州連合は,原則的に,議会レベルでも全構成国に代表を保障しなければならない,連邦的な統合システム(Gesammtsystem)である点も認識されねばならない。選挙権平等原則を完全に実現しようとするならば,従って議員議席が有権者市民数で最終的に分配されるとするならば,これは結果として,たとえばルクセンブルクやマルタのような欧州連合の小国は,欧州議会において全く議員を有さないことを意味する。

それ故,I-19条は,各構成国が欧州議会において最低四人の議員で代表されねばな
らないことを明文で定めている
。それでも,Ⅰ-19条は,2009年以降,欧州議会の新たな構成(Neuzusamennsetzung)を決定する,すなわち,可及的に選挙権平等を考慮した変更を,この時点から実現する可能性を開いている。まさにこの点にドイツ連邦共和国は,当然のことながら特別の利害を有している。

ドイツは,8000万の人口を有する,明らかに欧州連合最大の国家なのである。それにもかかわらず,ドイツは現在および将来も欧州議会においては96議席に制限される。それ故に,私見では2009年から,民主的な選挙権平等原則の制限なき妥当のための変更がなされるべきであると考える。もっともこのことは,結果として小国が,その少ない人口数故に,欧州議会で,もはや代表されないことを意味する。

他面,いわゆる連邦構成部門ないし連邦的な基本的考慮,従って閣僚理事会を通じて,欧州連合の立法手続に,全構成国が完全に同権を有して参加することを保障する点はかわりはなく,閣僚理事会で,後述するが,全構成国は各一議席で代表されることから,これをこのような小国に要求することは可能である。

     その77に続く                      以上

2010年7月22日 (木)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その75[欧州連合の問題点」(欧州連合加盟国の現状)

セウタ、メリリャ

セウタメリリャモロッコ地中海沿岸にあるスペインの飛地であるが、ともに欧州連合の共通農業政策共通漁業政策の対象からはずされている。両者はまた関税同盟や付加価値税領域の対象にはなっていないが、欧州連合からの輸出品には関税がかけられておらず、セウタとメリリャの特定産品は通関手数料が免除されている。

チャンネル諸島、マン島

チャンネル諸島マン島はイギリスの王室保護領で、前者はフランスの沿岸に近く、後者はアイリッシュ海の中央に浮かぶ島である。両地域とも欧州連合の商品の移動の自由の対象になっているが、人や資本の移動、開業の自由は含まれていない。チャンネル諸島は付加価値税領域に含まれていないが、マン島は対象となっている。なお両地域とも関税同盟の対象にはなっている。

チャンネル諸島、マン島の住民はイギリス市民とされており、そのため同時に欧州連合の市民ともされる。しかし、その家系について両親あるいは祖父母のいずれかがイギリス本土の出身であるか、自身が5年間本土に居住していたなど、イギリス本土との直接のゆかりがないと人やサービスの移動の自由については認められないとされている。

キプロス島のうちキプロス共和国実効統治域外

北キプロス

2004年5月1日にキプロス島のほぼ全域(英領アクロティリおよびデケリア国連管理下のグリーンライン以外)は欧州連合に加盟したが、EU法が適用されるのはキプロス共和国政府が実効統治しているキプロス島南部に限られている。北部3分の1にはEU法の効力が及んでおらず、この地域はトルコ政府のみが認証している北キプロス・トルコ共和国が支配している。しかしながら居住しているトルコ系キプロス人は欧州連合の市民とされ、少なくとも理論上は欧州議会に対する選挙権を有しているが、実際には欧州議会議員選挙が実施されることはない。

アクロティリおよびデケリア

イギリスはキプロス島内にアクロティリおよびデケリアの2か所に基地を有している。ほかのイギリスの海外領域とは異なり、両基地はローマ条約において海外領域として記載されておらず、住民にはイギリス海外領域市民権が与えられてはいるが、イギリス市民権は与えられていない。

2004年のキプロスの欧州連合加盟前は、ローマ条約第299条6項(b)によりEU法が両基地に対して適用されていなかった。この扱いについてはキプロスに対する欧州連合加盟条約によって変更され、EU法はなお原則としては適用されないとしているが、加盟条約付帯議定書の規定を実行するのに必要な範囲においてはEU法を用いるとされている。

ただ実際にはEU法のほとんどが用いられており、農業政策や関税、間接税に関してはEU法が適用されている。またイギリスは沖合いや北キプロスなどと両基地との境界線に十分な管理を行うということを定めた議定書において、両基地とキプロス共和国との境界は完全に解放し、欧州連合領域の境界線として警備は行わないことで合意している。そのためキプロス共和国がシェンゲン協定を履行すれば、事実上両基地もその対象となる。

先述したとおり両基地の住民にはイギリス市民権があたえられておらず、それはすなわち欧州連合の市民権もないということになる。しかし、イギリス軍関係者で一時的に基地内に居住している場合は別として、住民の多くはキプロス国籍を持っていることから欧州連合の市民権が与えられている。

グリーンライン

グリーンラインとは国連が南北キプロスの間に引いた緩衝地帯であり、国連平和維持軍によって監視されている。グリーンラインにはギリシャ系、トルコ系両方が混在するピラという村以外には人が住んでいない。キプロスの欧州連合加盟条約付帯議定書では欧州連合の領域について、キプロス政府が統治を行っているか否かで島内の領域を分割している。そのためグリーンラインがどちらの領域に含まれるかは明確に定められておらず、そのためEU法もグリーンラインやピラにも適用できるかははっきりしていない。

デンマーク領フェロー諸島

フェロー諸島はデンマークの自治領であるが、欧州連合の領域に含まれておらず、また居住する住民がデンマーク国籍を有していても、条約において加盟国の国民とみなされてはおらず、そのため欧州連合の市民とはされない。しかしフェロー諸島の住民が欧州連合領域内に入ると欧州連合の市民権が認められるようになり、移動の自由に関する権利を行使することができ、フェロー諸島の住民という扱いを受けなくなる。

ジブラルタル

ジブラルタルはイギリスの海外領域であるがイベリア半島の南端にある飛地であり、1973年にイギリスが欧州経済共同体に加盟してからは欧州連合の領域となっている。ローマ条約第299条4項では「外部との関係について加盟国が義務を負うヨーロッパの領域」に対して同条約を適用すると規定されており、これは実際にはジブラルタルのみに当てはまる条項である。ただしジブラルタルは欧州連合の領域に含まれてはいるものの、関税同盟や付加価値税領域には含まれておらず、また共通漁業政策の対象にもなっていない。

1982年のイギリスが欧州経済共同体に提出した宣言書により、ジブラルタルの住民はEC法の適用対象となるようにするためにイギリス国民として扱われている。ただこの規定にもかかわらず、当時ジブラルタルの住民はイギリス市民ではなくイギリス海外領域市民とされていたが、マーストリヒト条約の発効以降は欧州連合の市民権を享受しており、また完全にイギリス市民権を獲得している。

ジブラルタルの住民は欧州連合域内に居住する欧州連合の市民という地位にあるが、2004年までジブラルタルにおいて欧州議会選挙が行われていなかった。ジブラルタルにおける欧州議会選挙については、少なくとも欧州人権裁判所における紛争事案において、ジブラルタルで欧州議会選挙が行われないのは人権と基本的自由の保護のための条約(欧州人権条約)第1議定書第3条に違反するという判断がなされ、2004年の第6回欧州議会議員選挙においてジブラルタルはイギリスのサウスウエストイングランド選挙区に含まれた。

ヘルゴラント島

ヘルゴラント島はドイツの北西沖70キロメートルに浮かぶドイツ領の島であり、欧州連合の領域に含まれるが、関税同盟や付加価値税領域からは除外されている。

アトス山

アトス山アトス自治修道士共和国)はギリシャにある修道院による自治領域で、付加価値税領域に含まれていない。ギリシャの欧州連合加盟条約にはアトス山の数世紀にわたる特別な法的地位を認める規定があり、たとえばEU法では性別による差別を禁止しているが、アトス山への女性の立入を禁止していることが認められている。

サイマー運河、マリービソッキー島

フィンランドはサイマー運河マリービソッキー島ロシアから租借している。いずれもロシア法が適用されるが、海運関連法や運河従事者についてはこの例外でフィンランドの司法が管轄となる。またサイマー運河を経由してフィンランドに向かう船舶に関しても特別な規定が存在し、運河を通過するだけであればロシアの入国査証が不要となる。

サン・バルテルミー島、サン・マルタン島、クリッパートン島

フランスの海外準県であるサン・バルテルミー島サン・マルタン島と海外領土のクリッパートン島はフランスの海外領域であるが、位置づけとしては曖昧なもので、欧州連合の諸条約では直接的にも間接的にもこれらの領域について言及されていない。そのため各種条約および法令を適用できるか、あるいは適用するとしたらどの程度の範囲まで認められるかについては明確になっていない。

サン・バルテルミー島とサン・マルタン島は2007年2月22日にフランスの海外県であるグアドループ県から分離し、新しい海外準県となった。フランス国民議会では両島が海外準県となったことで外部地域から海外領域に移行しなければならないと報告されており、またフランス政府に対して条約改正を検討することを求めている。暫定的に両島において法定通貨として、グアドループ県でも使用されていたユーロを使用すること、また両島はフランス本土のみが含まれるシェンゲン協定の対象地域と、関税同盟の対象には含まれないことを明確にした。

2007年2月21日、クリッパートン島の行政はフランス領ポリネシア高等弁務官から海外領土担当相に移管された。欧州連合諸条約が適用されるか明確ではないが、クリッパートン島には人がまったく住んでいないため大きな影響はない。

かつての特別領域

クラインヴァルザータール

オーストリア領のクラインヴァルザータールはかつて特別な法的地位を有していた。クラインヴァルザータールはドイツ側からしか道が通っておらず、オーストリアからは直接入ることができない。クラインヴァルザータールはドイツと関税通貨同盟を結んでおり、またクラインヴァルザータールとドイツの間には国境検査所がなかった。1995年にオーストリアが欧州連合および欧州連合の関税同盟に加わると、クラインヴァルザータール単独での関税同盟は失効した。1997年のシェンゲン協定、2002年のユーロ導入によりクラインヴァルザータールに与えられていた特例措置は効力を失った。現在ではオーストリアのほかの地域と同等の法的地位を有している。

   その76に続く                               以上

2010年7月21日 (水)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その74[欧州連合の問題点」(欧州連合加盟国の現状)

イギリスの海外領域

イギリスには以下の12の海外領域がある。

これらはローマ条約の下における海外領域とされているが、バミューダ諸島については現地からの要求によりこの枠組みから除外されている。

イギリスの海外領域のすべての市民は、バミューダを含め2002年のイギリス海外領域法 (British Overseas Territories Act 2002) により完全なイギリス市民権を獲得している。これらの領域に住む市民も欧州連合の市民としている。ただし同法ではキプロス島内にあるイギリス軍基地アクロティリおよびデケリアを対象外としている。

南極地域とインド洋地域については疑問がもたれており、いずれも定住する住民がいない。南極条約によりイギリスは南極地域の領有権を停止しており、インド洋地域は1970年代に強制移住を実施しアメリカ軍基地の用地として提供した。

フランスの海外領域、ニューカレドニア

マヨットサンピエール島・ミクロン島フランス領ポリネシアウォリス・フツナフランス領南方・南極地域フランス領インド洋無人島群はフランスの海外共同体であるが、ニューカレドニアは特別共同体という地位にある。

マヨットとサンピエール島・ミクロン島はともにユーロ圏に含まれているが、ニューカレドニア、フランス領ポリネシア、ウォリス・フツナはユーロと相場が固定されているCFPフランを通貨としている。

これらの海外領域の住民はフランス市民権を有することから欧州連合の市民とされ、欧州議会に対する選挙権を持つ。またフランス領南方・南極地域は研究基地以外に住民はおらず、フランスは南極における領有権については南極条約の規定のために凍結されている。

グリーンランド

グリーンランドはデンマークの自治領であるが、特殊な事例を持つ。海外領域としてはかつて欧州諸共同体(のちの欧州連合)の領域だったが、1982年に欧州諸共同体からの離脱を住民投票で決めた。しかしグリーンランドの住民はデンマーク市民権を持つことから完全な欧州連合の市民権を有している。

オランダ領アンティル、アルバ

オランダ領アンティルアルバオランダの自治領域である。両者はローマ条約付帯議定書の規定によりEU法の適用を受けないが欧州連合の海外領域である。また住民はオランダ国籍を持つことから欧州連合の市民とされるが、最近までは住民のほとんどが欧州議会に対する投票権を持っていなかった。この状況について欧州司法裁判所はオランダ領アンティルやアルバ以外の欧州連合域外に住むオランダ市民がオランダの選挙法の下で欧州議会に投票することができるにもかかわらず両地域においてこれを認めないことはEU法に反するという判決を下している。

オランダ領アンティルは2008年、変化の局面を迎える。2008年12月15日、オランダ領アンティルは解体されキュラソー島シント・マールテン島は自治領に移行、他方ボネール島サバ島シント・ユースタティウス島は県に相当する地位を与えられる予定である。後者3島はほぼすべてのオランダ法の適用を受けるが、住民が選択すれば欧州連合の外部地域となることができる。

固有的な事例

外部地域や海外領域は共通した制度が適用されるように分類されていると考えられているが、実際にはすべての領域に当てはまるものではない。中には欧州連合との関係において特有の制度が設けられている領域がある。またそれぞれの国の欧州連合加盟条約に付属された議定書の規定によって統治されていることから議定書領域と呼ばれる領域もある。これらに当てはまらない領域はEU法の規定により、付加価値税領域や関税同盟の一方または両方に関する法令の適用対象外となっている。

オーランド諸島

オーランド諸島スウェーデン沖に浮かぶ、公用語スウェーデン語とするフィンランド領の群島であるが、フィンランドとともに1995年に欧州連合に加わっている。オーランド諸島は加盟の際に独自の住民投票を実施しており、フィンランド本土と同様に欧州連合入りに賛成の結果が出ている。

オーランド諸島ではほとんどのEU法が適用されるが、付加価値税領域には含まれていない。また取引高税物品税間接税に関する共通法規の適用も免除されている。また人とサービスの移動や開業の自由、オーランド諸島での不動産の購入や取得にも制限がある。

ビューシンゲン

ドイツビューシンゲンスイス領内にある飛地で、欧州連合非加盟国であるスイスと独自に関税同盟を結んでいる。ビューシンゲンにおける法定通貨はユーロであるが、実際にはスイス・フランも使用される。また欧州連合の関税同盟や付加価値税領域の対象とはなっておらず、スイスの付加価値税や消費税が適用される。

カンピョーネ・ディターリア、リヴィーニョ

カンピョーネ・ディターリア村はスイスのティチーノ州にあるルガーノ湖に面したイタリアの飛地であり、コモ県に属する。他方リヴィーニョは山に隔てられたリゾートの町で、ソンドリオ県に属する。ともに欧州連合の領域であるが、欧州連合の関税同盟や付加価値税領域には含まれておらず、リヴィーニョの免税規定はナポレオン時代にまで遡る。

      その75に続く                           以上

2010年7月20日 (火)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その73[欧州連合の問題点」(欧州連合加盟国の現状)

欧州連合加盟国の特別領域

欧州連合と特別領域     欧州連合     外部地域     海外領域

欧州連合加盟国の特別領域(おうしゅうれんごうかめいこくのとくべつりょういき)では、欧州連合加盟各国海外領域自治領など、特殊な統治の形態をとっている領域について概説する。

2007年の時点において欧州連合には27の国が加盟しているが、そのほとんどが欧州連合の政策や計画のすべてに加わり、またその行動を規定した文書に署名している。しかしEU法は必ずしもすべての加盟国のすべての領域に適用されるものではない。複数の加盟国は歴史上、地理上、政治上の理由により加盟国の一般の領域とは違って、本国政府やあるいは欧州連合と異なる関係を持つ特殊な領域を有している。それらの領域は欧州連合のすべての政策や計画に参加しているわけではない。なかには欧州連合との関係をまったく持たない領域が存在する一方で、他方では指令規則基本条約の付属議定書に従って欧州連合の計画に参加する領域も存在する。

外部地域

EU法の適用を受ける欧州連合の外部に存在する地域 (outermost regions) は7つある。なおこれらの地域についてローマ条約第299条2項では、地理的に切り離されていることや離島であること、規模が小さいこと、地勢的・気候的に異なること、経済・産業力が乏しいこと、発展の障害となる不変的かつ複合的な条件におかれていることなどによる社会構造や経済構造を考慮して、EU法の適用除外を受けることができる規定がある。

アゾレス諸島、マデイラ諸島

アゾレス諸島マデイラ諸島大西洋に浮かぶポルトガル領の島である。EU法の適用除外対象ではあるものの、両地域とも実際には免除規定を受けていない。

カナリア諸島

カナリア諸島は大西洋上のスペイン領の島である。カナリア諸島は欧州連合付加価値税領域の対象ではないが、これ以外のEU法はすべて適用される。

フランスの海外県

フランス領ギアナグアドループマルティニークレユニオンフランス海外県であり、フランス法においてこれらの海外県のほぼ全土はフランス本土と不可分であるという扱いを受けている。これらの海外県においてユーロ法定通貨となっており、また欧州連合の関税同盟には加わっているが、シェンゲン協定と付加価値税領域の対象とはなっていない。なお2007年7月25日、グアドループ海外県からサン・バルテルミー島サン・マルタン島が正式に分離し、それぞれ海外準県となった。

海外領域

特定の欧州連合加盟国と特別な関係にある海外領域 (overseas countries and territories) は20あり、その内訳はイギリス11、フランス6、オランダ2、デンマーク1である。これらの領域は欧州連合との協力関係を構築しており、一方で欧州連合の労働者の移動の自由(ローマ条約第186条)、開業の自由(同183条5項)に関する規定の対象外となっている。また欧州連合の共通対外関税(同184条1項)の規定も受けることはないが、無差別原則(同184条3項および5項)に基づき欧州連合からの輸入品については関税をかけることができる。これらの領域は欧州連合の領域には含まれないが、協力関係を維持するためには最低限のEU法の規定が適用される。

      その74に続く                           以上

2010年7月19日 (月)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その72[欧州連合の問題点」(欧州連合加盟国の現状)

「拡大

欧州連合の拡大の変遷
    欧州諸共同体(1957年 - 1993年)    欧州連合(1993年 - )

拡大は欧州連合の政治展望において重要な議題である。欧州連合は「インナー6」と呼ばれる、共同体の設立に積極的な諸国によって設立された。当初共同体に対して懐疑的だったインナー6以外のヨーロッパ諸国が加盟に方針転換したのは欧州経済共同体の設立から10年が経過したのちのことであったが、その当時は共同体のほうが拡大に懐疑的な姿勢を見せていた。フランス大統領シャルル・ド・ゴールはイギリスの加盟がアメリカのトロイアの木馬となることを恐れ、イギリスの加盟に拒否権を行使した。ド・ゴールが大統領を退任したことにより、ようやくイギリスは3度目の加盟申請が認められた。

イギリスと同時にアイルランド、デンマーク、ノルウェーが加盟を申請していた。ところがアイルランド、デンマークはイギリスとともに加盟を果たす一方で、ノルウェーは国民投票で反対され、このことは国民によって加盟が拒否された初の事例となった。その後グリーンランドが1985年に共同体から離脱するも、冷戦の終結までにさらに3か国が共同体に加盟した。1987年にはモロッコが加盟を希望し、このとき共同体の対象となる地理的な範囲が検討されたが、モロッコはヨーロッパの国ではないとして加盟が認められなかった。

1990年になると冷戦が終結し、ドイツ再統一により東ドイツの各州が共同体に組み込まれた。また従来中立的な立場であったオーストリア、フィンランド、スウェーデンが新たに発足した欧州連合に加盟した。その一方でスイスは1992年に加盟を申請したが、国民投票で欧州経済領域への参加に反対するという結果を受けて加盟のための協議が凍結され、また再度加盟を申請していたノルウェーも再び加盟の是非を問う国民投票で反対された。その後旧東側諸国や旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成していた諸国が欧州連合への加盟に動き出した。そして2004年5月1日にこれらの10の国々が欧州連合に加わり、東西のヨーロッパの統合を示す出来事となった。

2007年にはブルガリアとルーマニアが欧州連合に加盟し、その後も欧州連合は西バルカン諸国の加盟を優先的に協議している。クロアチアマケドニア旧ユーゴスラビアトルコの3か国は正式な加盟候補国として認定されている。トルコは1980年代から加盟を希望しており、長く交渉を重ねてきたが、正式な加盟協議に入ったのは2004年のことだった。

コペンハーゲン基準によると欧州連合への加盟は、安定し、自由市場と、法の支配人権を尊重する民主主義を有するあらゆるヨーロッパの国に対して開かれたものとされている。さらに加盟を希望する国はアキ・コミュノテールの受容やユーロの導入といった加盟国の義務を受け入れなければならない。

多くの国が加盟国と変わらないほどの欧州連合と密接な関係を持っている。ノルウェーは欧州連合への加盟が実現しなかったことを受けて、同じく欧州連合に加盟していないアイスランドリヒテンシュタイン、スイスと欧州連合加盟国が参加する欧州経済領域に加わった。欧州経済領域では非加盟4か国に対して欧州連合の域内市場に参入すること、また欧州連合の域内市場における4つの分野での自由を認めている。そのかわりに4か国は負担金の支払や関連する欧州連合の法令の適用を受け入れることが義務づけられている。このように法令を受け入れている状況は、4か国が直接的に立法過程に参加することができず、ブリュッセルから新しい法令がファクシミリで送られてくることから「ファックス民主主義」と揶揄されている。

ボスニア・ヘルツェゴビナは国際社会の監督を受けている。ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表は同国における和平合意の尊重の確保のために幅広い権限を持つ国際社会の代表者である。上級代表は同時に欧州連合の特別代表でもあり、実際に欧州連合がその人物を任命している。上級代表の役割、またボスニア・ヘルツェゴビナの欧州連合への加盟の希望もあって、同国は事実上、欧州連合の保護下にある。欧州連合は強制立法権や官吏罷免権を持つ特別代表を任命しており、このことはボスニア・ヘルツェゴビナに対して加盟国よりもより直接的に統治する権限を持つということを示すものである。実際、ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗の意匠は欧州連合の旗を模したものとなっている。

加盟国の代表

欧州連合
欧州連合の旗
欧州連合の政治

各加盟国は欧州連合の諸機関に対して代表を出している。正式な加盟国になるとそれぞれの政府は欧州連合理事会欧州理事会に議席が与えられる。全会一致による決定がなされない場合においては、人口が小さい加盟国よりも人口が大きい加盟国に票数がより多く与えられる多数決方式が適用される(ただしこのときの各国の票の配分は人口に比例しておらず、人口の小さい加盟国が相対的に人口の大きい国よりも多くの票数が与えられている)。

これと同様に各国はそれぞれの人口に基づいて欧州議会の議席数が割り当てられている。ただし欧州議会議員は1979年以降、普通選挙で選出されており(1979年以前は各国議会が選出していた)、政府には任命権が与えられていない。他方で各国政府は委員長の意向に従って欧州委員会に委員を、ほかの加盟国に合わせる形で欧州司法裁判所に判事を、欧州会計監査院に委員をそれぞれ1名ずつ出している。

かつては規模の大きい加盟国からは欧州委員会委員を2名出していた。ところが委員会の組織が肥大化したため、この大国に与えられていた特権は廃止され、各加盟国は平等に委員を出すことになった。しかしながら欧州司法裁判所の法務官が大国から出されるという制度は続けられている。なお、欧州中央銀行の政策理事会は各加盟国の中央銀行総裁で構成されている。

従来より規模の大きい加盟国は交渉にさいして大きな影響力を行使してきたが、規模の小さい加盟国は公平な仲介者としての機能を果たし、またそれらの加盟国の市民は大国との間での競合を回避するような敏感な首脳を選出してきた。

加盟国の主権

基本条約では、すべての加盟国はそれぞれ主権を有し、その価値は等しいとうたっている。しかし欧州連合は欧州共同体の分野において超国家的な制度に基づいており、各加盟国は連合の諸機関に代表を送って、その主権を一体的なものとして連合の諸機関に委ねている。これらの機関はヨーロッパ規模での立法やその執行についての権限が与えられている。

加盟国が連合の法令を遵守しなかった場合には、当該加盟国には制裁金が科されたり、あるいは連合の資金が引き揚げられることになる。さらに極端な事例では、当該加盟国の票決権や加盟国としての資格を停止する規定も存在する。欧州共同体分野以外(外交政策、警察、司法分野)では、主権の移管の程度は低く、これらの分野の問題では政府間の合意や協力によって対応される。

ところがそもそも主権というのはそれぞれの国家に由来するものであり、加盟国は望めば欧州連合を脱退するということもあり得る。そのためある法令がある加盟国にそぐわないものであるとされた場合、当該加盟国は法令の適用を回避するために欧州連合から脱退することがあり得る。

しかしながら加盟していることによる利益がその法令による不利な影響を上回ることもあって、これまでに欧州連合から脱退するという事例は起こっていない。さらに現実政治において、関係の向上やほかの問題における自らの立場を強化するために、利権政治的圧力といった要素により加盟国はある分野において利益につながらないものでも受け入れざるを得なくなる。

関連項目

2010年7月18日 (日)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その71[欧州連合の問題点」(欧州連合加盟国の現状)

今度は、 欧州連合の問題点に付いて研究していきたいと思います。

「欧州連合加盟国」

欧州連合加盟国(おうしゅうれんごうかめいこく)とは、1951年署名のパリ条約によって設立された欧州石炭鉄鋼共同体に事実上の起源を持つ、欧州連合(EU)に加盟している27の主権国民国家

原加盟国数は6で、その後6度の拡大が繰り返された。その拡大の中でも2004年5月1日のものは10か国が加盟する最大のものであった。欧州連合は20の共和国、6つの王国、1つの大公国で構成されている。

ブルガリアルーマニアは2007年1月1日に加盟しており、最も新しい加盟国である。このほかにも多くの国が欧州連合への加盟協議を続けている。加盟の過程はヨーロッパの統合と表現されることもある。

しかしながらこの「ヨーロッパの統合」という表現はヨーロッパ規模の諸機関に権限を段階的に集中させている欧州連合加盟国のそれぞれの国家としての協力の強化という意味としても用いられている。欧州連合に加盟することが認められるまでに、加盟を希望する国家はコペンハーゲン基準と呼ばれる経済的・政治的条件を満たさなければならない。

この条件のもとでは、加盟候補国は宗教権力によらない、民主的な体制を持つ政府、またそのような政府に対応する自主性や統治機関、そして法の支配の尊重を備えていなければならない欧州連合条約の規定では、連合の拡大は欧州議会の同意と既存の加盟各国の合意が必要とされている。

<加盟国>
国旗国章国名
↓
正式国名加盟日
↓
人口[t 1]
↓
面積 (km2)
↓
首都
↓
特別領域
オーストリアの旗
Austria Bundesadler.svg
オーストリア オーストリア共和国 1995年1月1日 &0000000008331930.0000008,331,930 &0000000000083871.00000083,871 ウィーン -
ベルギーの旗
Greater Coat of Arms of Belgium.png
ベルギー ベルギー王国 1958年1月1日 &0000000010666866.00000010,666,866 &0000000000030528.00000030,528 ブリュッセル -
ブルガリアの旗
Coat of arms of Bulgaria.svg
ブルガリア ブルガリア共和国 2007年1月1日 &0000000007640238.0000007,640,238 &0000000000110910.000000110,910 ソフィア -
キプロスの旗
Cyprus Coat of Arms.svg
キプロス キプロス共和国 2004年5月1日 &0000000000789258.000000789,258[t 2] &0000000000009251.0000009,251[t 2] ニコシア
チェコの旗
Coat of arms of the Czech Republic.svg
チェコ チェコ共和国 2004年5月1日 &0000000010381130.00000010,381,130 &0000000000078866.00000078,866 プラハ -
デンマークの旗
COA of Denmark.svg
デンマーク デンマーク王国 1973年1月1日 &0000000005475791.0000005,475,791 &0000000000043094.00000043,094 コペンハーゲン
エストニアの旗
Coat of arms of Estonia.svg
エストニア エストニア共和国 2004年5月1日 &0000000001340935.0000001,340,935 &0000000000045226.00000045,226 タリン -
フィンランドの旗
Coat of arms of Finland.svg
フィンランド フィンランド共和国 1995年1月1日 &0000000005300484.0000005,300,484 &0000000000338145.000000338,145 ヘルシンキ
フランスの旗
Armoiries république française.svg
フランス フランス共和国 1958年1月1日 &0000000063753140.00000063,753,140[t 4] &0000000000674843.000000674,843 パリ
ドイツの旗
Coat of Arms of Germany.svg
ドイツ ドイツ連邦共和国 1958年1月1日[t 6] &0000000082217837.00000082,217,837 &0000000000357050.000000357,050 ベルリン -
ギリシャの旗
Coat of arms of Greece.svg
ギリシャ ギリシャ共和国 1981年1月1日 &0000000011213785.00000011,213,785 &0000000000131990.000000131,990 アテネ -
ハンガリーの旗
Coat of Arms of Hungary.svg
ハンガリー ハンガリー共和国 2004年5月1日 &0000000010045401.00000010,045,401 &0000000000093030.00000093,030 ブダペスト -
アイルランドの旗
Coat of arms of Ireland.svg
アイルランド アイルランド[t 7] 1973年1月1日 &0000000004401335.0000004,401,335 &0000000000070273.00000070,273 ダブリン -
イタリアの旗
Italy-Emblem.svg
イタリア イタリア共和国 1958年1月1日 &0000000059619290.00000059,619,290 &0000000000301318.000000301,318 ローマ -
ラトビアの旗
Coat of Arms of Latvia.svg
ラトビア ラトビア共和国 2004年5月1日 &0000000002270894.0000002,270,894 &0000000000064589.00000064,589 リガ -
リトアニアの旗
Coat of Arms of Lithuania.svg
リトアニア リトアニア共和国 2004年5月1日 &0000000003366357.0000003,366,357 &0000000000065303.00000065,303 ビリニュス -
ルクセンブルクの旗
Coat of Arms of Luxembourg.svg
ルクセンブルク ルクセンブルク大公国 1958年1月1日 &0000000000483799.000000483,799 &0000000000002586.0000002,586 ルクセンブルク -
マルタの旗
Coat of arms of Malta.svg
マルタ マルタ共和国 2004年5月1日 &0000000000410290.000000410,290 &0000000000000316.000000316 バレッタ -
オランダの旗
NL - COA.png
オランダ オランダ王国 1958年1月1日 &0000000016405399.00000016,405,399 &0000000000041526.00000041,526 アムステルダム
ポーランドの旗
Herb Polski.svg
ポーランド ポーランド共和国 2004年5月1日 &0000000038115641.00000038,115,641 &0000000000312683.000000312,683 ワルシャワ -
ポルトガルの旗
Coat of arms of Portugal.svg
ポルトガル ポルトガル共和国 1986年1月1日 &0000000010617575.00000010,617,575 &0000000000092391.00000092,391 リスボン -
ルーマニアの旗
Coat of arms of Romania.svg
ルーマニア ルーマニア 2007年1月1日 &0000000021528627.00000021,528,627 &0000000000238391.000000238,391 ブカレスト -
スロバキアの旗
Coat of Arms of Slovakia.svg
スロバキア スロバキア共和国 2004年5月1日 &0000000005400998.0000005,400,998 &0000000000049037.00000049,037 ブラチスラバ -
スロベニアの旗
Coat of Arms of Slovenia.svg
スロベニア スロベニア共和国 2004年5月1日 &0000000002025866.0000002,025,866 &0000000000020273.00000020,273 リュブリャナ -
スペインの旗
Escudo de España.svg
スペイン スペイン王国 1986年1月1日 &0000000045283259.00000045,283,259 &0000000000506030.000000506,030 マドリード -
スウェーデンの旗
Coat of Arms of Sweden.svg
スウェーデン スウェーデン王国 1995年1月1日 &0000000009182927.0000009,182,927 &0000000000449964.000000449,964 ストックホルム -
イギリスの旗
UK Royal Coat of Arms.svg
イギリス グレート・ブリテンおよび
北アイルランド連合王国
1973年1月1日 &0000000061185981.00000061,185,981[t 8] &0000000000244820.000000244,820 ロンドン
欧州連合の旗
European stars.svg
欧州連合27か国 欧州連合合計 - &0000000497455033.000000497,455,033 &0000000004456304.0000004,456,304 -

表註

^ Eurostatによる。2008年1月1日時点。

  1. ^ a b 数値には北キプロス・トルコ共和国が支配する地域の面積 (3,355 km2) を含めているが、人口(264,172人:2006年)は含まれていない。キプロス政府は欧州連合の市民権が付与されているトルコ系住民を含めた合計人口を867,600人としている。この数値には1974年の侵攻でトルコから移住してきた住民が含まれていない。
  2. ^ グリーンランドは1985年に欧州連合(当時は欧州諸共同体)を離脱している。
  3. ^ フランスの人口の数値には4つの海外県(グアドループマルティニークフランス領ギアナレユニオン)が含まれ、これらの県は欧州連合の領域とされている。その一方で海外準県・海外領土の数値は含まれておらず、これらは欧州連合の領域にも含まれていない。いわゆるフランス・メトロポリテーヌの人口は61,875,822人である。
  4. ^ a b 2008年1月に発行された[1]の8ページでは、「フランス領ポリネシア、ニューカレドニア、ウォリス・フツナ、フランス領南方・南極地域、マヨット、サン・バルテルミー島、サン・マルタン島、サンピエール島・ミクロン島(フランス)、アルバ、オランダ領アンティル(オランダ)、フェロー諸島、グリーンランド(デンマーク)、ガーンジー島、ジャージー島、マン島、主権基地領域アクロティリおよびデケリア、バミューダ諸島、タークス・カイコス諸島、アンギラ、イギリス領ヴァージン諸島、ケイマン諸島、モントセラト、ピトケアン諸島、セントヘレナ、イギリス領インド洋地域、サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島(イギリス)は欧州共同体の領域ではない」と記述されている。
  5. ^ 1990年10月3日、旧ドイツ民主共和国を構成していた州がドイツ連邦共和国に編入されたことによって欧州連合(当時は欧州諸共同体)の領域が拡大した。
  6. ^ 憲法上の正式名称は「アイルランド」であり、「アイルランド共和国」ではない。
  7. ^ うちジブラルタルの人口は28,875(2008年1月)。王室保護領と13の海外領土は欧州連合の領域に含まれていないため人口の数値にも含まれていない。

      その72に続く               以上     

2010年7月17日 (土)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その70[欧州連合・共通通貨ユーロ」(紙幣)

「紙幣」

印刷工程

7種のそれぞれの額面の紙幣には、印刷情報が特定できるような6文字の小さな印刷コードが記載されている。

この印刷コードは、先頭はアルファベット、続いて3桁の数字、アルファベット1文字、1桁の数字で構成されている(例:G013B6)。

先頭の文字は印刷所を示している。たとえば "G" はオランダのヨハン・エンシェーデのコードである。続く3桁の数字は紙幣の印刷版の版数を示している。例の "013" はその印刷所で作成された13番目の印刷版で印刷したということを示す。5桁目にあるアルファベットと6桁目の数字はそれぞれ印刷版の縦と横の位置を示しており、"B6" は縦の2段目、横の6列目を表している。

紙幣は複数のものがつながったシートの形で印刷されるが、印刷所によってシートの大きさが異なっている。これは額面が高くなるにつれて紙幣が大きくなるためで、同じ大きさのシートであれば作成される紙幣の枚数は少なくなる。たとえばドイツの2つの印刷所では1枚のシートで5ユーロ紙幣を60枚(縦10段、横6列)印刷するが、10ユーロ紙幣であれば54枚(縦9段、横6列)、20ユーロ紙幣であれば45枚(縦9段、横5列)が印刷される。

印刷所コードは国別コードと一致させる必要はなく、ある国が発券した紙幣が別の国で印刷されるということがある。紙幣を印刷する工場には国有のもののほかに民間のものがあり、それらの工場はユーロ以前にはそれぞれの旧通貨を印刷していた。紙幣を発券する国にはそれぞれ1か所ずつ、国有の(あるいは国有だった)印刷所があるが、ドイツについては、旧東ドイツ旧西ドイツのそれぞれの印刷所があり、これらは両方ともが現在はユーロ紙幣を印刷している。またフランスも民間のフランソワ=シャルル・オーベルテュールとフランス銀行印刷所の2か所がある。現在はユーロを印刷していないものの、イギリスも民間のトデ・ラ・ルーイングランド銀行印刷所の2か所がある。

印刷所コード
コード印刷所所在地所在国発券中央銀行
(A) (イングランド銀行印刷所) ラウトン (イギリス) --
(B) 未使用
(C) トゥンバ・ブルク トゥンバ (スウェーデン) --
D セテック ヴァンター フィンランド L(フィンランド)
E フランソワ=シャルル・オーベルテュール シャンテピー フランス H(スロベニア)、L(フィンランド)、P(オランダ)、U(フランス)
F オーストリア紙幣保安印刷社 ウィーン オーストリア N(オーストリア)、P(オランダ)、S(イタリア)、T(アイルランド)、Y(ギリシャ)
G ヨハン・エンシェーデ ハールレム オランダ L(フィンランド)、N(オーストリア)、P(オランダ)、V(スペイン)、Y(ギリシャ)
H デ・ラ・ルー ゲーツヘッド イギリス L(フィンランド)、M(ポルトガル)、P(オランダ)、T(アイルランド)
(I) 未使用
J イタリア国立印刷造幣局 ローマ イタリア S(イタリア)
K アイルランド中央銀行 ダブリン アイルランド T(アイルランド)
L フランス銀行 シャマリエール フランス U(フランス)
M 王立スペイン造幣印刷局 マドリード スペイン V(スペイン)
N ギリシャ銀行 アテネ ギリシャ Y(ギリシャ)
(O) 未使用
P ギーゼッケ アンド デブリエント ミュンヘンライプツィヒ ドイツ L(フィンランド)、M(ポルトガル)、P(オランダ)、U(フランス)、V(スペイン)、X(ドイツ)、Y(ギリシャ)
(Q) 未使用
R 連邦印刷局 ベルリン ドイツ P(オランダ)、X(ドイツ)、Y(ギリシャ)
(S) デンマーク国立銀行 コペンハーゲン (デンマーク) --
T ベルギー国立銀行 ブリュッセル ベルギー U(フランス)、V(スペイン)、Z(ベルギー)
U ヴァローラ - ポルトガル銀行 カレガード ポルトガル M(ポルトガル)
  • A, C, S のコードはユーロ紙幣未発行の印刷所に割り当てるために未使用となっている。
  • 上記一覧で、ある印刷所が特定の1つの国に対して紙幣を印刷していると表記されている場合は、そこで印刷される金種は1種類であるか、あるいは7種類すべてのいずれかであるということを示している。各国の中央銀行の中にはさまざまな額面の紙幣を複数の印刷所から調達するところもあり、また単一の金種の紙幣を複数の印刷所から調達しているところもある。
  • 前者の例として、ギリシャが5か所の印刷所から調達しており、後者の例にはオランダが2009年3月までに5ユーロ紙幣を5か所の印刷所から調達している。紙幣を発券している各中央銀行は公認されている印刷所から自由に紙幣を調達することができ、またその枚数もさまざまなものとなっている。2008年6月の時点で、ユーロ紙幣の印刷所・署名・発券国・額面の組み合わせは133通りとなっており、今後もこの組み合わせは増えていくことになる。

デザインの変更

ユーロ紙幣には欧州中央銀行総裁の署名が印刷されている。2003年11月以降に印刷された紙幣にはジャン=クロード・トリシェの署名が入っており、それ以前の紙幣にはウィム・ドイセンベルクのものが印刷されている。

2002年以降のユーロ紙幣は欧州連合加盟国が27にまで増えたということがデザインに反映されていない。たとえば、紙幣に描かれている地図は東側が切れているためキプロスが含まれていなかったり、また縮尺のためにマルタが描かれていなかったりしている。欧州中央銀行では7年から8年ごとに紙幣を再設計することになっており、従来のものに替わる新しいデザインの準備が進められている。

新紙幣には新しい製造技術と偽造防止技術が採用されることになっているが、デザインについては従来と同じもの、同じ色調が用いられることになっている。それでも新しい版の紙幣は見た目にも変化が明らかなものとなる予定である。

また欧州中央銀行の略称表記も従来のものに、キリル文字(ЕЦБ)、ハンガリー語 (EKB)、マルタ語 (BĊE)、ポーランド語 (EBC) によるものが加えられる。

さらに「ユーロ」の表記についてもキリル文字のЕВРOのみが加えられる。ユーロ圏各国では「ユーロ」の表記についてさまざまなものがありえるが、欧州中央銀行の方針ではラテン文字を使う国についてはすべて euro で統一することとしている。

新しい版の紙幣は2011年1月に発券されることになっている。欧州中央銀行は、従来の版の紙幣は失効させることにしている。

1ユーロと2ユーロの紙幣

イタリア、ギリシャ、オーストリアとスロベニアでは低額のユーロ紙幣の導入が求められてきた。欧州中央銀行は「1ユーロ紙幣1枚あたりの印刷費用は1ユーロ硬貨1枚あたりの鋳造費用よりも高く、また耐久性が低い」としている。また2004年11月18日には、きわめて低い額面の紙幣はユーロ圏全体での需要が少ないとも判断した。

ところが2005年10月25日、欧州議会において半数以上の議員が欧州委員会と欧州中央銀行に対して1ユーロ紙幣と2ユーロ紙幣の導入の明確な必要性を認識するよう求める動議を採択している。ただしこの動議の採択があっても欧州中央銀行は欧州議会や欧州中央銀行に対してただちに回答する義務をおってはいない。

         その71に続く                         以上

2010年7月16日 (金)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その69[欧州連合・共通通貨ユーロ」(紙幣)

「紙幣」

偽造

2002年の流通開始からユーロ紙幣・硬貨の偽造は急速に増加している。

2003年には551,287枚の偽造紙幣が、26,191枚の偽造硬貨が回収されている。2004年、フランスの警察は2か所の工場から10ユーロと20ユーロのおよそ180万ユーロに相当する偽造紙幣を押収しており、この工場で製造された偽造紙幣145,000枚が市中に出回っているものと見られている。

2008年7月、欧州中央銀行は偽ユーロ紙幣の枚数は増え続けており、2008年上半期に押収された偽造紙幣の枚数は前期比で15%以上も増加したと発表した。このうち50ユーロと20ユーロの偽造紙幣が多くを占めており、また精度の高い200ユーロや500ユーロの偽造紙幣も作られているとも述べている。

記番号

硬貨とは異なり、ユーロ紙幣はその紙幣を発券した国が独自にデザインを定めているものではない。そのかわり、紙幣の記番号の先頭の文字で発券された国がわかるようになっている。

記番号の先頭の文字はその紙幣を発券した国を示すものである。その後に続く13桁の数字は上述のチェックサムとなっており、各桁の数を足していき、その和が2桁以上であれば再度各桁の数の和を求め、1桁になったその数によっても発券した国がわかるようになっている。チェックサムの規則のため記番号は連続したものとなっておらず、9ずつ増加したものとなっている。

記番号の先頭に使われる文字でも、W, K, J は、現在ユーロを導入していない欧州連合加盟国が将来使用するために残されている。また R はユーロを導入していても発券を行なっていない国に割り当てられている。

記番号の先頭の文字は Z から順に、それぞれの国の公用語で表記した国名のアルファベット順で決められている。

国別コード
金種国名チェックサム(1)
日本語各国の公用語
Z ベルギー België/Belgique/Belgien 9
Y ギリシャ Ελλάδα [Ellada] 1
X ドイツ Deutschland 2
(W) デンマーク Danmark (3)
V スペイン Espana 4
U フランス France 5
T アイルランド Éire/Ireland 6
S イタリア Italia 7
(R) ルクセンブルク Luxembourg/Luxemburg/Lëtzebuerg (8)
(Q) 不使用
P オランダ Nederland 1
(O) 不使用
N オーストリア Österreich 3
M ポルトガル Portugal 4
L フィンランド Suomi/Finland 5
Z スウェーデン Sverige (6)
J イギリス United Kingdom (7)
(I) 不使用
H スロベニア Slovenija 9
G キプロス Κύπρος [Kypros]/Kıbrıs 1
F マルタ Malta 2
E スロバキア Slovensko 3

(1)アルファベット以外の11桁の記番号のチェックサム

  • 上記一覧でデンマークとギリシャの記番号の先頭の文字が入れ替わっているのは、ギリシア文字にはΥがあるが、W に相当する文字がないためである。
  • アイルランドの第1公用語はアイルランド語であるが、上記一覧ではアイルランド語表記の Éire ではなく、英語表記の Ireland にしたがっている。なおアイルランド語は2007年1月1日に欧州連合の公用語となっている。
  • フィンランドの公用語はフィンランド語スウェーデン語の2つがあり、いずれも欧州連合の公用語となっているが、同国内では前者が多く使われていることもあって上記一覧では、スウェーデン語の Finland ではなくフィンランド語の Suomi に従ったものとなっている。
  • ベルギーには3つの公用語があり、いずれも欧州連合の公用語となっている。またルクセンブルクにも公用語が3つあるが、そのうち2つが欧州連合の公用語となっている。ただいずれの言語の表記でも、国名の最初の文字はおなじであるため一覧の順番に影響を与えることがない。

ルクセンブルクはユーロ紙幣の印刷を行なったことがなく、記番号の先頭の文字が R となっているユーロ紙幣は流通していない。

ユーロ圏が拡大した2007年1月からはスロベニアにも記番号の先頭の文字が割り当てられたが、導入された当初、スロベニアはほかの国で印刷されたユーロ紙幣が流通された。そのためスロベニアではなくフランスで2008年4月以前に印刷された、記番号の先頭の文字が H のユーロ紙幣が流通している。

キプロスとマルタは2009年にはじめてユーロ紙幣(20ユーロ)を印刷した。

記番号の先頭の文字はユーロ紙幣の流通開始の時点におけるすべての欧州連合加盟国に割り振られており、上記のような順番で "J" までが決められたが、それ以降に欧州連合に加盟した国に割り振られる文字は、ユーロを導入した順番に指定されていくことになる。同時に2か国以上がユーロを導入したときには、上述の順番で文字が指定される。

つまり、その国の名称を公用語で表記したさいに、その先頭のアルファベットの順番で記番号の先頭の文字を決めることになる。2007年にユーロを導入したスロベニアには "J" のひとつ前のアルファベットである "H" が割り当てられた。2008年にユーロを導入したキプロスとマルタについては、国名の公用語表記の先頭が K であるキプロスが "G" を、M であるマルタが "F" を割り当てられた。さらに、2009年にユーロを導入したスロバキアには "E" が指定されている。

2002年に発券されたユーロ紙幣にはウィム・ドイセンベルクの署名が入っており、この紙幣は全7金種がフィンランド銀行ポルトガル銀行、オーストリア国立銀行、オランダ銀行、イタリア銀行アイルランド中央銀行フランス銀行スペイン銀行ドイツ連邦銀行ギリシャ銀行ベルギー国立銀行の各中央銀行によって発券された。ただしポルトガル銀行は200ユーロ紙幣と500ユーロ紙幣を、アイルランド中央銀行は200ユーロ紙幣をそれぞれ発券しなかった。このためドイセンベルクの署名が印刷されたユーロ紙幣の発券国と金種の組み合わせは74通り存在することになる。

2002年のユーロ紙幣の流通が開始されたあと、ユーロ圏各国の中央銀行は一部の金種のみを発券していくようになった。たとえば50ユーロ紙幣の発券はユーロ圏のすべての中央銀行のうち、4行のみが担っている。このような分散して発券する体制によって、各中央銀行は発券に先立って別の国で発券された金種と交換しなければならず、またときには複数の印刷所から自らが発券した紙幣を調達することもある。

これはつまり、一部の発券国・署名の組み合わせのユーロ紙幣がほかの組み合わせと比べて希少になっているとのである。とくにドイセンベルクの署名が印刷されたフィンランド発券の200ユーロ紙幣、ポルトガル発券の100ユーロ紙幣、アイルランド発券の100ユーロ紙幣と500ユーロ紙幣、ギリシャ発券の200ユーロ紙幣と500ユーロ紙幣は数が少ない。また2003年以降に発券されたジャン=クロード・トリシェの署名が印刷されたユーロ紙幣は必ずしもすべての金種がすべてのユーロ圏の国で見かけることができるものではない。

2007年末の時点で、トリシェの署名が印刷されたユーロ紙幣の発券国と金種の組み合わせは77通りがありえるはずだが、実際には30通りしか確認されていなかった。また2008年にはスロベニア銀行が発券した、記番号の先頭の文字が "H" となっている紙幣が流通されるようになり、発券国・金種の組み合わせは増えていくことになる。

          その70に続く                      以上

2010年7月15日 (木)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その68[欧州連合・共通通貨ユーロ」(紙幣)

「紙幣」

安全対策

欧州中央銀行はユーロ紙幣の安全対策のなかでも基本的なものの一部を明らかにしており、一般の人が見た目でユーロ紙幣の真贋を判断できるようにしている。その一方で安全性の観点から、安全対策の全般は極秘となっている。

公式に明らかにされているもの、また一般の人が独自に見つけたものを数えると、ユーロ紙幣には少なくとも13の安全対策が施されている。

ホログラム

5, 10, 20ユーロ紙幣には表面右側にホログラムの入った帯状の金属箔が貼り付けられている。この金属箔には紙幣の額面が浮かび上がるようになっている。

他方で50ユーロ以上の額面の紙幣には帯状のものではなく、四角形のようなシールが貼り付けられている。

光学的変化インク

定額紙幣には右隅に、50ユーロ以上の額面の紙幣には裏面に光学的変化インクが使われている。角度を変えて見ると紫から緑に変色するようになっている。

チェックサム

紙幣には1枚ずつに記番号が記されている。この記番号の末尾の数字は1から9で表される検査数字であり、記番号は次の規則を満たすものとなっている。先頭の文字をアルファベットの順番の数字(L は12、M は13…、Z は26)に置き換え、すべての数字の和を9で割ったときの余りが8となるようにされている。なおある数を9で割ったときの余りを容易に確認するには、その数の各桁の数の和を求め、その和が2桁以上であれば和が1桁になるまで各桁の数を足す計算を繰り返し、和が1桁になればその数が求める余りとなる。

例として紙幣の記番号が Z10708476264 であれば、まずは Z を26と考えたうえで残りの番号の数を足していけばよい。つまり、26 + 1 + 0 + 7 + 0 + 8 + 4 + 7 + 6 + 2 + 6 + 4 = 71、 7 + 1 = 8 となり、規則を満たすものとなっている。

記番号の先頭の文字を別の法則で置き換えると異なる余りが得られることになる。例えば先頭の文字を ASCII の10進数の数値とすれば、記番号の数の和を9で割ると余りは0となる。

別の例として紙幣の記番号が Z10708476264 であれば、ASCII コードで Z に割り当てられている10進数は90であるから、記番号は 9010708476264 に置き換えられる。この番号の各桁の数の和は 9 + 0 + 1 + 0 + 7 + 0 + 8 + 4 + 7 + 6 + 2 + 6 + 4 = 54 で、5 + 4 = 9 となるため、この記番号は9で割り切れ、余りは0となる。

ユーリオン

ユーロ紙幣には「ユーリオン」と呼ばれる、紙幣の複製防止のために用いられる模様が入れられている。古いコピー機のなかにはユーリオンが含まれている画像のコピーを受け付けないように設定されている。

透かし

通常の透かし

書く金種にはそれぞれで透かしが入れられている。この透かしは紙幣を光にかざすと浮かび上がるようになっている。

電子透かし

ユーリオンのように、デジマーク社の電子透かしが紙幣に埋め込まれている。Adobe PhotoshopCorel Paint Shop Pro などの画像編集ソフトウェアは紙幣の加工を受け付けないようになっている。

赤外線・紫外線透かし

紙幣に赤外線を照射すると、金種によって異なるが、黒っぽくなる部分がある。また紫外線光を照射するとよりはっきりとユーリオン模様が見え、蛍光糸が浮かび上がる。

レジストレーション

表面左上隅の紙幣額面と裏面右上隅の紙幣額面は、光を透かして紙幣を見ると、額面が完全に表示されるようになるレジストレーションが施されている。真券は表裏でずれることなく額面が表示されるようになっているが、偽紙幣など正確に印刷されていないものは数字がずれて表示される。

隆起印刷

ユーロ紙幣にはほかの部分と違う質感を持つ部分がある。"BCE ECB EZB" と印刷されている部分は隆起しているように感じられる。

バーコード

ユーロ紙幣を光に向けてかざすと、透かしの右のあたりに金属のような複数の線が見える。この線の数と幅で紙幣の金種がわかるようになっている。この部分はマンチェスター符号としてスキャンされる。

金種バーコードマンチェスター
€5 0110 10 100
€10 0101 10 110
€20 1010 1010 0000
€50 0110 1010 1000
€100 0101 1010 1100
€200 0101 0110 1110
€500 0101 0101 1111

(裏面から見て、濃いバーを1、薄いバーを0とする)

セキュリティ・スレッド

紙幣を光源の反対側に置くと、中央部分の黒く磁気を帯びた筋が見える。この筋には紙幣の額面と "EURO" の文字が記されている。

磁気インク

紙幣の一部には磁気インクで印刷された箇所がある。たとえば20ユーロ紙幣に描かれている教会の1番右側の窓とその上方にある大きな 0 の文字は磁気を帯びている。

マイクロ印刷

表面下方にある線、例えば10ユーロ紙幣のΕΥΡΩの右側にあるものは非常に小さい文字で EURO ΕΥΡΩと印刷されている。

マット加工

縦の帯状の部分に45度の角度で光を当てるとユーロ記号と額面が浮かび上がるようになっている。この加工は5, 10, 20ユーロのみに施されている。

         その69に続く                  以上    

       

2010年7月14日 (水)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その67[欧州連合・共通通貨ユーロ」(紙幣)

ユーロ紙幣

ユーロ紙幣

ユーロ紙幣(ユーロしへい)とは、ユーロ圏などで使用されている通貨ユーロ紙幣。ユーロ紙幣は2002年から流通され、発券は欧州中央銀行が担っており、各紙幣には欧州中央銀行総裁の署名が印刷されている。ユーロ紙幣には5ユーロから500ユーロまでがあり、発券はユーロ圏の各国で行なわれているが、ユーロ硬貨と違ってデザインはユーロ圏で統一されている。

金種

欧州中央銀行総裁ジャン=クロード・トリシェの署名
ユーロ紙幣に印刷されている

ユーロ紙幣には7つの金種があり、それぞれ異なる色と大きさになっている。各金種のデザインは時代ごとのヨーロッパの建築物という共通の主題を持っている。紙幣表面は窓や門が描かれているのに対して、裏面は橋が描かれている。紙幣に描かれた建築物はそれぞれの美術様式の特徴を表現しているが、これらは実在する建築物ではない。

すべての紙幣に共通して印刷されているのは、欧州旗、5種類の欧州中央銀行の略称(BCE, ECB, EZB, ΕΚΤ, EKP)、裏面のヨーロッパの地図、ユーロのラテン文字表記 (EURO) とギリシア文字表記(ΕΥΡΩ)、現任の欧州中央銀行総裁の署名である。また欧州旗に描かれている12個の星の円環も描かれている。

ユーロ紙幣のデザインは1996年2月12日から開始された欧州通貨機関の理事会による選考で集められた44の図案から選ばれたものである。選ばれた図案はオーストリア国立銀行ロベルト・カリーナが作成したもので、1996年12月3日に採用が決定された。

特徴

ユーロ紙幣に使われている紙は純綿繊維で、独特の手触りを持つほか、耐久性に優れている。

画像額面大きさ (mm)基調色デザイン記番号の位置
表面裏面建築様式時代
EUR 5 obverse (2002 issue).jpg EUR 5 reverse (2002 issue).jpg€5120 × 62 グレー 古典 5世紀以前 図画の左端
EUR 10 obverse (2002 issue).jpg EUR 10 reverse (2002 issue).jpg€10127 × 67 ロマネスク 11-12世紀 星の円環の8時の位置
EUR 20 obverse (2002 issue).jpg EUR 20 reverse (2002 issue).jpg€20133 × 72 ゴシック 13-14世紀 星の円環の9時の位置
EUR 50 obverse (2002 issue).jpg EUR 50 reverse (2002 issue).jpg€50140 × 77 オレンジ ルネサンス 15-16世紀 図画の右端
EUR 100 obverse (2002 issue).jpg EUR 100 reverse (2002 issue).jpg€100147 × 82 バロック & ロココ 17-18世紀 星の円環の9時の右
EUR 200 obverse (2002 issue).jpg EUR 200 reverse (2002 issue).jpg€200153 × 82 アール・ヌーヴォー 19-20世紀 星の円環の7時の下
EUR 500 obverse (2002 issue).jpg EUR 500 reverse (2002 issue).jpg€500160 × 82 現代 20-21世紀 星の円環の9時の位置

紙幣に描かれている地図にはユーロを導入している加盟国の海外領土アゾレス諸島フランス領ギアナグアドループマデイラ諸島マルティニークレユニオンカナリア諸島)が描かれている。その一方でキプロスマルタは2004年にユーロを導入しているにもかかわらず、紙幣の地図に描かれていない。これは地図に描かれるには、実際の面積が少なくとも 400km² は必要であり、マルタはそれよりも小さい (316km²) ために描けないのである。

上記の紙幣画像のうち、200ユーロ紙幣表面に記載されている署名はウィム・ドイセンベルクのものであるが、それ以外の紙幣に記載されている署名はジャン=クロード・トリシェのものである。

デザイン

ユーロ紙幣に描かれているすべての建造物は欧州連合域内の名所旧跡を連想させるように描かれており、ヨーロッパ中にある無数の歴史的な橋や門に普遍的な要素を合成した、各時代の建築様式を表現した架空のものである。たとえば5ユーロ紙幣は古典古代を表現したもので、10ユーロ紙幣はロマネスク、20ユーロ紙幣はゴシック、50ユーロ紙幣はルネサンス、100ユーロ紙幣はバロックロココ、200ユーロ紙幣はアール・ヌーヴォー、500ユーロ紙幣は近代の様式を表現している。

ところがオランダ銀行による調査では、5ユーロ紙幣の主題がわかったのは 2%、50ユーロ紙幣にいたっては 1% しかわからなかったという結果が出されている。ユーロ紙幣には特定の建築物の特徴を描いてはならないということになっていたが、ロベルト・カリーナによる原案では、ヴェネツィアリアルト橋パリヌイイ橋といった実際の橋を描いたものとなっていたため、のちに一般的な建築様式の特徴に改められた。ところが決定稿では試作のデザインにきわめて似たものとなったため、完全に一般的な表現とはいえないものとなっている。

視覚障害者に対する工夫

ユーロ紙幣には視覚障害者団体と協力して取り入れた工夫がある。これらは紙幣そのものは見えるが印刷内容が読み取れないような視覚障害者や全盲者のためのものである。

ユーロ紙幣は額面とともにその寸法も大きくなっており、視覚障害者や全盲者が金種を判別できるようになっている。また紙幣の基調色も金種の順番で暖色と寒色が交互になっており、色を判別できる人に対して近い2つの額面を混同させにくくしている。さらに額面部分の印刷には凹版印刷が施されており、指先の触覚だけで金種を判別できるようにしている。

5, 10, 20ユーロの低額紙幣には表面右側にホログラムの入った帯状の金属箔が、高額紙幣にはホログラムの入った四角の金属箔が付けられている。200ユーロ紙幣と500ユーロ紙幣の縁には触知できる模様があり、200ユーロ紙幣には下部中央から右の角にかけて縦の線が、500ユーロ紙幣には右端に斜めの線が走っている。

ユーロに移行する以前の通貨の紙幣にも視覚障害者のための工夫がなされていたが、ユーロの導入にあたっては視覚障害者の団体に意見を求めている。

     その68に続く                           以上

2010年7月13日 (火)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その66[欧州連合・共通通貨ユーロ」(硬貨・紙幣)

「硬貨・紙幣」

2009年6月末の時点で7847億ユーロを超える金額に相当する紙幣・硬貨が流通している。

硬貨

通常の硬貨

CO1EURO 50 bearbeitet.jpg
1999-2006
1euro 2007.jpg
2007-
1ユーロの表面

硬貨として発行されているのは1, 2, 5, 10, 20, 50セントと1, 2ユーロである。硬貨の表面はすべての発行国で共通したものとなっているが、裏面は発行国ごとに異なるモチーフが刻まれている。裏面のデザインが異なっていても、硬貨としての効力に違いが生じるものではなく、同様に使うことができる。

2004年に欧州連合が拡大したことを受けて、2007年に表面のデザインが刷新された。ドイツで鋳造された硬貨の裏面には、鋳造所を示すミントマークが刻印されている。またギリシャのセント硬貨には CENT ではなくΛΕΠΤΟ / ΛΕΠΤΑで額面が表示されている。また表面には L を2つ重ねた印があり、これは各硬貨共通の表面のデザインを担当したベルギーのリュク・ライクスを示すものである。

1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨には白銅黄銅の合金が用いられている。そのため通常の状況では電圧降下が起こり、ニッケルイオンが放出する。

タイの10バーツ硬貨と2ユーロ硬貨は大きさと重量がほぼ同じであり、またそれぞれが2種類の金属の合金でできているため、ユーロ圏の硬貨識別能力が不十分な自動販売機は10バーツ硬貨を2ユーロ硬貨として認識することがある。10バーツ硬貨のほかにもトルコの1リラ硬貨、ケニアの5シリング硬貨、イタリアで使われていた500リラ硬貨についても同様の事象が起こりえる。

2ユーロ記念硬貨

ドイツ初の2ユーロ記念硬貨(2006年鋳造)

2004年以降、2ユーロ額面の記念硬貨が発行され、市中に流通している。この記念硬貨は裏面に描かれる主題が発行国ごとに異なるものであり、ユーロを使用する国で有効に使うことができる。

最初に発行された2ユーロ記念硬貨はアテネで開かれた2004年夏季オリンピック大会を記念したもので、ギリシャが作成した。2005年にはオーストリア国家条約署名・発行50周年を記念した硬貨を作成、2006年にはドイツがはじめて記念硬貨を作成し、主題にはホルステン門が描かれた。その後ドイツでは2007年にシュヴェリン城、2008年に聖ミヒャエル教会が描かれた記念硬貨が発行されている。

これらの記念硬貨は大量に発行・流通されている。ドイツでは16年間は、通常版であるアドラーを描いた2ユーロ硬貨を発行せず、連邦州のモチーフを描いた2ユーロ硬貨を1年ごとに代えながら発行する予定になっている。ただ2008年には流通を目的として、通常版の2ユーロ硬貨が大量に鋳造されている。

2007年3月25日、ローマ条約署名50周年を記念して、当時のユーロ圏13か国は共通の図画とそれぞれの国の公用語およびラテン語での文章を刻んだ記念硬貨を発行した。また2009年1月1日には、経済通貨統合10周年を記念した2ユーロ硬貨が発行された。

上記以外の特別記念硬貨

上述の記念硬貨以外にもユーロ圏諸国では、2ユーロ以外の額面の特別記念硬貨を発行しており、なかには100ユーロ以上の額面のものや記念金貨として発行されたものもある。オーストリアではユーロ額面として最高額の硬貨が鋳造されており、"Big Phil" と呼ばれるウィーン金貨には100,000ユーロの額面が付けられている。このような特別硬貨はユーロが使用されているすべての国では通用せず、それぞれ発行国のみで有効であり、またおもに収集家向けにやりとりされている。

2008年にスロベニア欧州連合理事会議長国であったさいには3ユーロ硬貨が発行された。

サイト検索「ユーロ硬貨」=http://aromazzi.hp.infoseek.co.jp/euro.html

                                 =http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/01kikaku_jiman.htm

         その67に続く                        以上                   

2010年7月12日 (月)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その65[欧州連合・共通通貨ユーロ」(名称・シンボル・コード)

補助単位

ユーロの補助単位「セント (cent)」である。ただしギリシャでは λεπτό、フィンランドでは sentti が用いられる。セント硬貨には "EURO" と "CENT" の両方が刻まれており、このことはユーロ硬貨の外見の特徴についての欧州委員会の文書においても掲載されている。ただこの文書では、"EURO" の文字は "CENT" よりも小さく刻まれるものとするということが記載されている。

欧州連合の発行物に関する内規では、加盟国ごとで異なる表記を排除してはならないと定められている。これはユーロ導入前に補助単位として cent と同義の語を使用していた国に対する容認策であり、たとえばフランスやベルギーの centimes やポルトガルの centavo などがある。

口語ではほかの補助単位のセントと区別するために、ユーロ・セントという表現が用いられることがある。たとえばUSドルやユーロに移行される以前の通貨の補助単位と区別するさいに用いられている。

複数形

欧州連合は eurocent について、その複数形は変化させずに使うこととしている。しかしながらスペイン語とポルトガル語では複数形を euroscents としている。フィンランド語では度量単位と同様に部分格が用いられ、euroasebttiä となる。またドイツ語や英語では数詞が先行しない場合、通常の複数形の作り方にならって EurosCents とする。複数形が用いられるのは紙幣や硬貨の枚数について言及するときであって、金額について言及するときには単数形が用いられる。

短縮形

ユーロによる金額表示を行うさいには、数に続いて通貨コードである "EUR" を加える。補助単位のセントには正式な記号や短縮形が定められていない。そのためユーロ圏では、セントの部分は "20 cent" や "0.20 €" などと表示する。ただし、正式なものではないが、短縮された形 (Ct, Ct., ct, C, c) などが用いられることもある。USセントを示す記号 ¢ は、ユーロ・セントを示すものとして使われることはあまりない。

ユーロ記号

ユーロ記号

ユーロ記号は1997年に単一通貨を示す記号として、欧州委員会によって作成された。当初は通貨に独自の記号があるものは少ないため、欧州理事会でもユーロ記号についてはあまり議論されていなかった。1996年になるとユーロのロゴの募集が開始され、そのなかから図案が選考された。また1997年7月にはロゴに加えて通貨記号も定めることになった。

ユーロ記号は欧州経済共同体で主席グラフィックデザイナーを務めていたアルトゥール・アイセンメンガーが1974年に作成した図案が元になっている。その図案は大きく丸みを帯びた E の文字の中央に2本の横線が入ったもの( C の文字に等号を組み合わせたようなもの)であった。またそれはギリシア文字ε古典古代のヨーロッパを連想させるものでもある。2本の横線は、ユーロとヨーロッパ経済圏の安定を示している。ユーロの前身である欧州通貨単位の記号は短縮形の ECU を図式化して使用されていたが、ユーロ記号は ECU と同様に作成されたものではない。このユーロ記号の Unicode での符号位置は U+20AC である。

ところが、国際汎ヨーロッパ連合では1972年に発表した1, 2, 5, 10, 20, 50, 100ユーロの7つの図案にはユーロ記号が、正式に定められた記号とはわずかに異なるものの、大きい "C" の文字に等号をあわせた構成で描かれていた。この図案が発表された1972年は、国際汎ヨーロッパ連合の50周年、欧州石炭鉄鋼共同体の設立20周年にあたる年で、また同年には欧州諸共同体の北方拡大についての条約が調印されている。

この図案に描かれた紙幣・硬貨の周縁には、"CONFŒDERATIO EUROPÆA" という文章が記載されていた。さらに肖像の人物として、カール1世カール5世ナポレオン・ボナパルトリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギージャン・モネウィンストン・チャーチルコンラート・アデナウアーが描かれていた。さらにヨーロッパを取り巻く状況としてこの1972年は、仏独協力条約の署名10周年でもあった。

欧州連合ではユーロ記号の画像使用に留保を設定しているが、促進を目的とする使用は認めている。

ISOによる通貨コード

ユーロの省略表示は "EUR" と定められているISO 4217 では以下のようなコード指定の方法を講じているが、ユーロに対しては以下とは異なるコード指定の方法を講じている。

  • 通常、通貨同盟の通貨に与えられるコードの最初の文字には "X" が割り当てられる。したがって通例にならうと、ユーロに対しては "XEU" が指定されるはずであった。実際に XEU は、1979年から1998年にかけて欧州通貨単位のコードに指定されていた。
  • 最初の文字に "X" が指定されない場合には、通貨コードの冒頭2文字は ISO 3166-1国名コードが指定される。しかし欧州連合は主権国家でないため、通貨コードの冒頭2文字には欧州連合を示す省略表示 "EU" が指定された。
  • 通常、通貨コードの最後の文字は通貨の最初の文字が指定される。そのためユーロに対しては上述の "EU" に "euro" の最初の文字である "E" をあわせて "EUE" とするはずであった。                                      その66に続く                        以上                                                                                                                

2010年7月11日 (日)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その64[欧州連合・共通通貨ユーロ」(ユーロ相場・名称・シンボル・コード)

USドル・ユーロ相場の位置づけ

ユーロの対USドル、日本円、UKポンド相場の推移                     USD                     JPY                     GBP

強いユーロはヨーロッパ経済に光も陰ももたらした。光とは、強いユーロによっていまだにUSドルで取引されることの多い原材料の価格を安く買い入れることができたことである。陰とは、強いユーロによってユーロ圏の輸出品が相手先で高くなり、ユーロ圏の経済成長がある程度阻害されたことである。しかしながらユーロ圏の規模もあって、為替相場とその変動幅によるリスクはそれぞれが異なる通貨を使用していたころよりもはるかに低減した。とくに2007年の初旬には、世界経済の成長が緩やかだったにもかかわらず、ヨーロッパ経済が平均を上回る成長率を達成した。

2002年までのユーロ相場の下落は、当時ユーロ紙幣や硬貨が存在しなかったということがその原因のひとつに挙げられ、そのために当初ユーロは、ファンダメンタルが適切なものであった場合に比べて低く評価されていたのである。ヨーロッパの共同市場における経済の問題のためにユーロ相場の下落傾向は強まり、またこの流れのために域外の投資家がヨーロッパへの投資に魅力を感じないということにもつながっていった。

ユーロ紙幣・硬貨の流通が開始されるとまもなく、過小評価されていたユーロ相場は上昇に転じた。2005年以降のヨーロッパ経済、とくに輸出の持ち直しはユーロ相場のさらなる上昇をもたらした。このほかにも中長期なユーロ相場の上昇をもたらしたと考えられる原因があり、とくに以下の3つが挙げられる。

  • アメリカの慢性的な財政・経常赤字とそれらに伴う累積債務の増大
  • 中国インド日本ロシアなどのおもな諸国の外貨準備の将来的な変動
  • 石油輸出国による、USドルに加えてユーロを決済通貨としたい意向

将来においてユーロ未導入の欧州連合加盟国が加わる予定となっており、またこれらの国々においてもユーロが現行通貨に替わって法定通貨となることから、拡大を続ける欧州通貨同盟が心理的に有望視されているということもユーロが軽んじられない要因となっている。さらにこのことはユーロの強大化に少なからず寄与しており、またユーロの国際的評価や経済的重要性を上昇させている。

「名称・シンボル・コード」

名称

euro という名称は1995年12月15-16日にマドリードで開かれた欧州理事会の会合において採択され、その後規則において正式に定められた。この単一通貨が導入される国のすべての言語でも "euro" という表記が用いられている。ただしドイツ語では語頭が大文字で書かれ (Euro)、またギリシア文字の表記も別に定められている(ευρώ)。

他方で単一通貨の名称の綴りは同じであっても、言語によって以下のように発音が異なっている。

2006年初頭に一部の東ヨーロッパの国から、自らが使っている言語の文法上の規則に "euro" という綴りがそぐわないとして、単一通貨の別の表記法を認めるよう求めた。たとえばロシア語でヨーロッパを指すキリル文字での表記はЕвропа、発音は [jɪˈvropə] となる。ところが数週間後には、この議論は成果もなく収まっていった。それでも一部では異なる表記法が用いられており、それらにはスロベニア語の "evro"、リトアニア語の "euras" などがある。この議論は言語上の問題が起こる可能性のある国においてユーロが導入されると再燃する可能性がある。

単一通貨の正式名称は関連する欧州連合の法令に定めがあり、また欧州中央銀行が定期的に作成する収斂報告書においても以下のような文章を確認することができる。

In Anbetracht der ausschließlichen Zuständigkeit der Gemeinschaft für die Festlegung des Namens der einheitlichen Währung sind jegliche Abweichungen von dieser Bestimmung mit dem EG-Vertrag unvereinbar und daher zu beseitigen.
(日本語仮訳)単一通貨の名称の決定に関する共同体の権限を考慮すると、規則に対するいかなる違背も欧州共同体設立条約に相いれないものであり、したがって排除されるべきものである。

Europäische Zentralbank, Konvergenzbericht Mai 2007

アングリシズム批判の立場からは、"euro" および "cent" という表現を使うことに対して、英語特有の表現の受け入れを推し進めるものだという意見が出されることがある。しかしこの意見に対しては、"euro" という単語はギリシア語のΕὐρώπηの略語に由来するものであり、また "cent" もラテン語の centesimus(「100」または「100番目の」)に由来するものであるが、ヨーロッパのロマンス諸語で通貨の補助単位(例: céntimo, centime, centavo, centesimo)として使われてきた語であることから、必ずしも英語を受け入れるものではないという。とくにイギリスの領土ではこれらの語が通貨の単位として用いられていない。

          その65に続く                     以上

2010年7月10日 (土)

上州は赤城の嶺りんご「木村農園・ホームページ」を開設しました。

  先日久しぶりに実家のある前橋市に帰省しました。

 目的は、実家で経営している観光りんごブルーベリー農園のホームページを届けるためです。本件は今年の正月の頃に話題になり今年こそ木村農園のホームページを作ることが目標でした。

 この程そのホームページが完成したので届けることにしたものです。何しろ素人の小生がヨチヨチしながら作った最初のホームページですのでまだまだですが、ご参考までに是非一度ご覧下さい。

 尚、中身に付いては本物ですので、お中元・お歳暮等のご贈答やご家庭での健康食として、是非、一度試食の程をお勧めいたします。

   「木村農園・ホームページ」=http://kimuraringo2010.jimdo.comこちらを「クリック」して下さい。

                     00000000_2010702kimura_038

2010年7月2日現在のりんご園の風景です。有袋されたばかりのりんご「陽光」です。直径4~5cmの大きさになっております。

今のところ順調に生育しています。

昨日7月9日より、最初に収穫される「さんさ」は8月中旬には出荷予想となり、予約受付開始となりました。まだ、FAXによる注文ですが、宜しくお願い申し上げます。  以上

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その63[欧州連合・共通通貨ユーロ」(ユーロ相場)

「ユーロ相場」

旧通貨からユーロへの移行

対1ユーロでの旧通貨の交換比率
ベルギー・フラン 40.3399
ドイツ・マルク 1.95583
フィンランド・マルッカ 5.94573
フランス・フラン 6.55957
ギリシャ・ドラクマ 340.750
アイルランド・ポンド 0.787564
イタリア・リラ 1936.27
ルクセンブルク・フラン 40.3399
マルタ・リラ 0.429300
オランダ・ギルダー 2.20371
オーストリア・シリング 13.7603
ポルトガル・エスクード 200.482
スロベニア・トラール 239.640
スロバキア・コルナ 30.1260
スペイン・ペセタ 166.386
キプロス・ポンド 0.585274

欧州為替相場メカニズム適用国においてユーロを導入するさいには、欧州連合加盟国の財務相による経済・金融理事会において最終交換比率を決定することになる。この交換比率は、端数処理による誤差が最小限となるような有効桁数が6桁の数となるように決められる。

1998年12月31日に欧州連合加盟国の財務相は、ユーロを最初に導入する11か国の通貨とユーロとの最終交換比率を決定した。このときの交換比率は欧州通貨単位に基づいて設定されたものである。

以後にユーロを導入した国(2001年のギリシャ、2007年のスロベニア、2008年のキプロスとマルタ、2009年のスロバキア)の旧通貨とユーロとの最終交換比率は、欧州為替相場メカニズムのセントラル・レートを基準として定められた。

ユーロが決済通貨として導入されると、導入国の旧通貨とほかの通貨との両替は「トライアンギュレーション」方式でのみ行なわれることとなった。つまり旧通貨とほかの通貨との両替にあたっては、いったんユーロに換算してから行なわれなければならなくなったのである。

また端数処理はユーロおよび対象通貨の小数第3位で行なうことが認められていた。トライアンギュレーションは直接換算で発生するおそれがある端数処理の誤差を防ぐため、欧州委員会はこの方式による両替の実施を義務づけたのである。

旧通貨単位での金額表示をユーロに切り替えるにあたって、切り替えのための計算の最後の時点においてのみ、端数を支払が可能な額に丸めることが認められた。端数処理を計算の最後の時点としたのは、計算にあたって個々の要素や計算途中で出された結果を端数処理をするとまったく異なる結果が出るおそれがあったためである。異なる結果が出てしまえば、新通貨の導入によって契約の継続性に影響を及ぼさないとする原則に反することになる。

対USドル相場の推移

対USドル基準相場の年間最高値と年間最安値
(1EUR = )[36]
月日最安値月日最高値
1999 12月3日 1.0015 1月5日 1.1790
2000 10月26日 0.8252 1月6日 1.0388
2001 7月6日 0.8384 1月5日 0.9545
2002 1月28日 0.8578 12月31日 1.0487
2003 1月8日 1.0377 12月31日 1.2630
2004 5月14日 1.1802 12月28日 1.3633
2005 11月15日 1.1667 1月3日 1.3507
2006 1月2日 1.1826 12月5日 1.3331
2007 1月12日 1.2893 11月27日 1.4874
2008 10月27日 1.2460 7月15日 1.5590
2009 3月5日 1.2555 12月3日 1.5120

1999年1月4日、フランクフルト証券取引所においてはじめてユーロとUSドルの為替取引が開始され、このとき 1EUR =1.1789USD の値がついた。ユーロ相場は対USドルで値を下げていき、取引開始から2年後には最安値をつけた。2000年1月27日にはユーロは対USドルで 1EUR = 1USD のパリティを下回り、同年10月26日に史上最安値の 1EUR = 0.8252USD となったのである

2002年4月から2004年12月にかけてユーロは多少値を戻していく。2002年7月15日には 1EUR = 1USD のパリティを上回り、2004年12月28日には当時の史上最高値となる 1EUR = 1.3633USD をつけた。一部のアナリストは 1EUR = 1.4 - 1.6USD にまで達すると見込んでいたが 、その予想ははずれ、連邦準備制度の政策金利引き上げを受けてユーロは2005年に入って値を下げていき、同年11月15日には年間最安値の 1EUR = 1.1667USD をつけた。

ところが連邦準備制度の金利引き上げ策は2006年のアメリカ経済の後退を受けて継続されなかった。2007年後半に表面化したサブプライムローン危機のために、連邦準備制度は政策金利の引き下げを決め、これを受けてユーロは相対的に値を上げた。

その結果、2008年7月15日に欧州中央銀行の基準相場は史上最高値の 1EUR = 1.5990USD をつけ、また市場では基準相場を上回る 1EUR = 1.6038USD で取引された。この値は1995年4月19日につけた1USドルが1.3455ドイツマルク、単純に1ユーロに換算すると 1EUR = 1.45361 USD という相場を超えたものとなった。

USドルの下落によって、ユーロ圏の域内総生産をUSドルに換算するとアメリカ合衆国の国内総生産を上回った。

サイト検索「サブプライムローン危機」=http://www.jrcl.net/web/frame071029c.html

「世界金融危機(2007年・・・)」=http://ja.wikipedia.org/で検索して下さい。

     その64に続く               以上

2010年7月 9日 (金)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その62[欧州連合・共通通貨ユーロ」(ユーロ導入による経済への効果)

国際通貨制度におけるユーロ

世界の外貨準備における主要通貨の比率の推移
通貨19951996199719981999200020012002200320042005200620072008
アメリカ合衆国の旗 USD59.0 % 62.1 % 65.2 % 69.3 % 70.9 % 70.5 % 70.7 % 66.5 % 65.8 % 65.9 % 66.4 % 65.5 % 64.1 % 64.0 %
欧州連合の旗 EUR- - - - 17.9 % 18.8 % 19.8 % 24.2 % 25.3 % 24.9 % 24.3 % 25.1 % 26.3 % 26.5 %
ドイツの旗 DEM15.8 % 14.7 % 14.5 % 13.8 % - - - - - - - - - -
イギリスの旗 GBP2.1 % 2.7 % 2.6 % 2.7 % 2.9 % 2.8 % 2.7 % 2.9 % 2.6 % 3.3 % 3.6 % 4.4 % 4.7 % 4.1 %
日本の旗 JPY6.8 % 6.7 % 5.8 % 6.2 % 6.4 % 6.3 % 5.2 % 4.5 % 4.1 % 3.9 % 3.7 % 3.1 % 2.9 % 3.3 %
フランスの旗 FRF2.4 % 1.8 % 1.4 % 1.6 % - - - - - - - - - -
スイスの旗 CHF0.3 % 0.2 % 0.4 % 0.3 % 0.2 % 0.3 % 0.3 % 0.4 % 0.2 % 0.2 % 0.1 % 0.2 % 0.2 % 0.1 %
そのほか13.6 % 11.7 % 10.2 % 6.1 % 1.6 % 1.4 % 1.2 % 1.4 % 1.9 % 1.8 % 1.9 % 1.8 % 1.8 % 2.0 %
出典

1995-2008: 国際通貨基金 Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves(英語)
1999-2005: 欧州中央銀行 The Accumulation of Foreign Reserves, Occasional Paper Series, Nr. 43(英語)

主要通貨に対してユーロ相場が安定した動きを見せていることとアメリカが長期にわたって財政政策の懸案事項を抱えていることから、経済専門家の中には世界における準備・基軸通貨としてのUSドルの地位をしだいに脅かし、最終的には凌駕するのではないかという見方を持つものがいる。

もしユーロがUSドルに代わる地位を得ることとなれば、かつて第二次世界大戦後に、それまで世界の基軸通貨だったポンド・スターリングと取って代わったUSドルの時代が終焉するということになる。そのことは世界の準備通貨の割合においてユーロが着実に増えているということに示されている。

ほとんどの経済専門家は開発途上国新興工業国が外貨準備の再検討や原油取引のユーロ建てへの移行について繰り返し表明していることを、具体的な意図があるのではなくアメリカに対して政治的な圧力をかけようとしていると考えている。

しかし、ユーロ圏外の国の外貨準備におけるユーロの占める割合が過大になれば、それは外貨準備において従来の過小評価を改めただけと考えられ、多くの国の通商・経済関係においては依然としてユーロは低く評価されている。

ユーロの現金発行残高は2006年にUSドルを抜いて、世界で最も多くなった。この年の10月に世界に流通しているユーロ紙幣の額面の合計は5920億ユーロとなり、USドル紙幣の5790億USドルを上回った。ただしこの背景には、アメリカ国内では決済手段としてクレジットカードが多く使用されているということがあり、そのため1人あたりの現金の所持額が少なくなる。ユーロは将来的に現金として最大の規模を持つ通貨となると見込まれている。

      その63に続く                            以上

2010年7月 8日 (木)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その61[欧州連合・共通通貨ユーロ」(ユーロ導入による経済への効果)

商品市場

上述してきた影響のほかに、国際商品市場の値動き、とくに経済において重要なものに原油価格が挙げられる。ほとんどの原油の取引にはUSドルが用いられ、1970年代以降、石油輸出国機構諸国はドル建てだけで取引してきた。ところがユーロの登場により原油輸出国側では外貨準備の分散の観点から一部の受け取りをUSドルからユーロに移行する国が増え、そのため輸入国側でもユーロ建てでの取引に移行せざるを得ないということが議論された。

各国中央銀行と民間資本によるドルによる外貨保有は、アメリカ国債の重要な引き受け先であり、輸出国側がユーロ建てを導入すれば、ながらく原油取引によって安定してきたUSドルとドル経済にきわめて不利な影響をもたらすことになる。2000年、サッダーム・フセイン統治下のイラクは原油取引をユーロ建てのみとしたが、のちにアメリカによる占領でドル建てに戻されている。

またイランや、ユーロ建てへの移行を強く唱えているウゴ・チャベス政権下のベネズエラはサッダームによるユーロ建て移行に対する支持を表明している。2008年2月17日、イランはキーシュ島に、USドル建ての取引を行なわない石油取引所を開設したが、イランの原油輸出量はUSドルの「原油取引通貨」としての地位を脅かすほどのものではなかった。

インフレーション

実際の物価上昇と消費者の感覚

ユーロの導入によって多くの消費者は商品やサービスの価格がインフレーション率以上に高くなったと感じている。この物価があがったという消費者の感覚は、特定の地域で原価が上がったために個々の価格が上げられたことによるものであり、これらの価格上昇がとくに印象に残ったのである。一部では事前に、ユーロ導入後の価格の表示で端数の調整を実施するために、価格を緩やかに上昇させていたところもあった。

そのためドイツでは、ティタニック誌が作り出し、その後多くの新聞でも使われるようになった "Teuro" という言葉(「高価な」という意味のドイツ語 teuerEuroをあわせた造語)が広まり、Teuro は2002年の言葉 (Wort des Jahres 2002) に選ばれた。しかしながら政府の統計ではこの年に大きなインフレーションは起こっていない。

たとえばオーストリア統計局によると、オーストリアの1998年12月31日での対1986年比での消費者物価指数 (VPI 86) は133.7であり、1987年から1998年の12年間の平均インフレーション率は2.45%であった。これに対して対1996年比での消費者物価指数 (VPI 96) は、1998年12月31日に102.2だったものが、2003年12月31日には112.0となっており、ユーロ導入後の平均インフレーション率は1.84%に下がっている。

またドイツの対2000年比での消費者物価指数を見ると、1991年に81.9だったものが1998年には98.0となった一方で、ユーロ導入後の2003年には104.5となっている。つまり、ユーロ移行以前の平均インフレーション率が2.60%だったのに対して、移行後は1.29%と下がっている。

矛盾の解析

上記のような、統計上はインフレーション率が低下していることと、ユーロ導入によって消費者が実際のインフレーション率以上に物価が上昇していると感じたこととの矛盾についてはさまざまな解析がなされている。たとえば、たしかに食品など日常購入する商品の価格上昇率は全体のインフレーション率を上回っていたのだが、マーケットバスケット方式で調査された対象に含まれている電化製品などの価格上昇率は全体のインフレーション率より下回っていた。

つまり後者の商品は日常的に購入するものではないため、消費者は統計以上に物価が上昇したと感じたのではないかということが指摘された。また旧通貨からユーロに頭の中で換算したときに、四捨五入するなどして発生した誤差(たとえば対ドイツマルクで 1:1.95583 とするところを 1:2、対オーストリア・シリングで 1:13.7603 とするところを 1:14 などとした)が影響したという見方もあり、とくにスペイン・ペセタ(四捨五入で 1:166)の例がある。そして旧通貨を使っていた時間が長いほどユーロでの価格表示と旧通貨での表示を比べるために、物価が上昇したのではないかということが強く感じられたのではないかとも指摘されている。

ユーロと各国の経済政策

通貨が共通化されたことにより、導入国では国内の経済政策の大部分を独自に実施するということがなくなった。このため単一通貨を批判する立場からは経済や政治における摩擦が増大する危険をもたらすのではないかと指摘し、他方で単一通貨を支持する立場からは導入国間での収斂基準の達成に基づく金融政策の統合は合理的であるとしている。

            その62に続く                          以上

2010年7月 7日 (水)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その60[欧州連合・共通通貨ユーロ」(ユーロ導入による経済への効果)

「ユーロ導入による経済への効果

好影響

ユーロの導入によって従来は共同体内部に存在していた為替相場リスクや、そのリスクヘッジのために企業が負担するコストが低減することとなり、ユーロ圏内での通商や経済協力が増大するということが期待される。そして通商は経済成長をもたらす大きな要因のひとつであることから、ユーロ圏入りはその国民にとって利益につながると考えられており、実際に2007年までにユーロ圏内での貿易は 5-15% 増加してきた。

つまりユーロによってヨーロッパの企業は巨大な経済圏で活動するという利益を享受することとなった。またユーロは商品、サービス、資本、労働力の自由な移動という、ヨーロッパ共同市場に欠けていた単一通貨となって、市場統合を完成させた。

さらにユーロによって、ユーロ圏諸国における商品およびサービスの価格格差が解消され、つまり裁定取引によって既存の価格格差は相殺される。このことによって企業間の競争が活発化し、またインフレーション率の低下とあわせて消費者に利益をもたらすこととなる。

一般に、欧州中央銀行はインフレとの戦いという主たる使命を成し遂げてきた。事実、欧州中央銀行が設定している 2% というインフレーション・ターゲットはおおむね達成されているか、あるいは長期にわたる過度の超過は防がれてきた。インフレーション率が低いということはユーロ圏諸国の市民にとって経済安定性の基礎となっている。

ユーロに対する投機は、ほかの小規模の通貨と比べると困難なものとなっている。1990年代の通貨に対する投機はポンド危機など、欧州通貨制度に深刻な歪みをもたらし、さらにアジア通貨危機の発生原因のひとつとなった。通貨に対する投機は国の外貨準備を吐き出させ、また国民経済に深刻な損害をもたらしかねないものとなる。

またユーロは、とくに旅行者にとって利益をもたらしている。ユーロ圏内においては両替やその手数料が不要になるうえ、通貨単位が異なることによる商品価格の比較が容易になる。

ユーロ圏内では複数の通貨を有する経済圏よりも自由な資本の移動が起きている。

さらにユーロの登場によって世界におけるヨーロッパの経済的重要性が再認識されている。金融に関するヨーロッパの動向はより大きな影響を持ち、またユーロ圏諸国の発言力も強くなっている。グローバル化した世界においてユーロという単一通貨はアメリカやアジア諸国に対するヨーロッパの国際競争力を高める役割を持っているのである。

ユーロは経済心理面においてヨーロッパ諸国間の協力関係を表すものであり、またヨーロッパのシンボルとして統合の概念を具現化するものである。また政治面でもユーロは欧州連合の強化をもたらしている。

悪影響

経済学者の中には、ユーロ圏のような巨大で特殊な経済圏にとっては単一の通貨を持つことについての危険性を懸念する意見がある。とくに景気循環非同期的であることによって適切な金融政策が困難であるということが挙げられている。

実際にユーロが導入されて間もないころに、国ごとで経済情勢が異なっているにもかかわらず、単一の金融政策を実施することは困難なものであるということが明らかとなった。たとえば、経済成長率が 5% を超えていたアイルランドと、ほぼ 0% のスペインやポルトガルとを調和させるといったことが挙げられる。

このとき、従来の手法では政策金利の引き上げや通貨供給量の引き締めといった政策でアイルランドの経済情勢に臨まなければならなかった一方で、スペインやポルトガルに対しては金融緩和策が必要だった。しかしながら単一の金融政策ではこのような域内での格差を十分に反映できないのである。

マクロ経済学上の大きな問題として、単一通貨に参加することによる為替相場の固定がある。これがもたらす問題として域内地域格差問題がある。為替レートが域内固定されることにより、人件費の安い南欧に工場建設などの長期投資が発生する一方で、独仏ベネルクスなどでは安価な商品サービスの提供が行われるようになった反面、失業率の高止まりと新たな雇用の創出という難題を抱えている。南欧諸国にしても、 ERMに参加していない欧州諸国とりわけイギリスやポーランド、チェコなどとの競争にさらされている。

政治的な点においても、欧州中央銀行や欧州委員会がユーロ導入国の赤字国債発行を阻止できるかということは疑わしいと考えられている。マーストリヒト条約では安定成長協定に反した場合の罰金制度が規定されているが、2003年にフランスが棚上げにさせたことなどもありその実効性は疑わしい。

単独または複数の国が財政政策上の義務を逃れ国債増発に動いた場合、通常は国債価格の下落(金利の上昇)やインフレの進行、あるいは自国通貨の下落(通貨安)による輸入物価の高騰という形でむくいを受けるのであるが、ユーロ一本値のばあい、インフレ率や為替への影響は域内全体に拡散されるため残りのユーロ圏諸国に間接的な影響(損害)を及ぼしかねない。

国債発行の単年度GDPの3%制限は財政政策を行ううえでの大きな足かせであり、なおかつ金融調整は欧州中央銀行の一本値である。政府支出と金利調整機能は自国の総需要管理の強力な誘導手段であり、この2つを放棄することは自国の雇用を域内市場の趨勢にまかせ、政府が国民に対する責任を果たす直接的な手段が大きく制約されることを意味する。

イギリスの再加盟反対派が掲げる主な理由は「英国経済はユーロ経済と非常に異なっており、ユーロ圏の画一的な経済政策は英国経済にリスクをもたらす」「英国の自主性が失われる」「英国のマクロ経済政策は、ユーロ圏のそれより有効である」「ユーロ圏とくにドイツに構造的問題がある」とする。英国政府は再加盟問題を検討するうえで5項目の経済テストをおこない、結局「英国の金融部門に良好な影響をあたえる」以外の項目は満たさないとの結論を得た。

    その61に続く                                 以上

      

2010年7月 6日 (火)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その59[欧州連合・共通通貨ユーロ」(ユーロとペッグしている国)

適用除外を受けている欧州連合加盟国

欧州連合に加盟しているデンマークとイギリス基本条約においてユーロ導入義務を課せられない「適用除外」を受けている。

デンマークは欧州為替相場メカニズムの適用国であるが、2000年9月28日の国民投票において適用除外の権限行使を決め、ユーロを導入していない。このときの国民投票では 53.1% がユーロ導入に反対した。しかしその後デンマーク政府は、2011年にも国民投票の再実施を検討している。

イギリスでは2006年に当時首相であったトニー・ブレアの発言により、ユーロ導入の是非については国民投票を実施することになっている。ところが2005年にフランスとオランダでの国民投票の結果、欧州憲法条約の批准が反対されたことにより、イギリスでは欧州憲法条約の批准の是非を問う国民投票が無期限に延期された。

またブレアの後任であるゴードン・ブラウンはユーロに対して懐疑的な立場を持つとされ、さらにブラウンはブレア政権で通貨政策を担う財務相を務めていたときにはユーロ導入について両者が対立していたこともあって、ブラウン政権下ではユーロ導入の議論が進まないと見られている。

上記以外でユーロと為替相場を固定している国・地域

ユーロまたはUSドルと相場を固定している国・地域     ユーロ圏     ユーロを使用している欧州連合非加盟国・地域     ユーロとペッグしている国・地域     対ユーロの為替相場の変動幅を制限している国・地域     アメリカ合衆国(USドル発行国)     USドルを使用している国・地域     USドルとペッグしている国・地域     対USドルの為替相場の変動幅を制限している国・地域
欧州為替相場メカニズムを適用されていないが対ユーロとの為替相場が固定されている通貨
国・地域通貨レート
(1 EUR =)
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ コンヴェルティビルナ・マルカ 1.95583 BAM
ブルガリアの旗 ブルガリア レフ 1.95583 BGN
中部アフリカ経済通貨共同体
西部アフリカ経済通貨同盟
CFAフラン 655.957 XAF / XOF
ニューカレドニア
ウォリス・フツナ
フランス領ポリネシア
CFPフラン 119.2529826 XPF
カーボベルデの旗 カーボベルデ カーボベルデ・エスクード 110.2651 CVE
コモロの旗 コモロ コモロ・フラン 491.96775 KMF

ユーロに移行された旧通貨と相場を固定していた通貨は、ユーロが導入された後はユーロと相場を固定している。とくにフランスの植民地だった赤道ギニアベナンブルキナファソコートジボワールガボンギニアビサウカメルーンコンゴ共和国マリニジェールセネガルトーゴチャド中央アフリカの14の西部・中部アフリカ諸国で使用されている CFAフランはユーロと相場が固定されている。CFAフランについてはフランス財務省が固定相場を保証している。

CFAフランと同様に、フランスの海外領土であるフランス領ポリネシアニューカレドニアウォリス・フツナで使用されている CFPフラン、かつてのフランスの植民地であるコモロコモロ・フラン、ポルトガルの植民地だったカーポベルデカーボベルデ・エスクードも対ユーロの為替相場が固定されている。

ボスニア・ヘルツェゴビナは1998年から独自の通貨を持つようになり、この通貨はドイツマルクと固定されていたため、対ユーロでも為替相場が固定されている。

サイト検索「中部アフリカ経済通貨共同体」=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/pdfs/02_2_1.pdf#search

        その60に続く                      以上

     

2010年7月 5日 (月)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その58[欧州連合・共通通貨ユーロ」(ユーロとペッグしている国)

欧州為替相場メカニズム適用国

1979年、欧州為替相場メカニズムの核となる欧州通貨制度が創設された。本来はすべての加盟国が欧州為替相場メカニズムに組み込まれなければならないが、実際にはベルギー、デンマーク、西ドイツ、フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダのみに適用された。欧州為替相場メカニズムのおもな目的は物価の安定を確保するために為替相場とその変動を調整することであり、また欧州為替相場メカニズムはユーロ圏入りの前段階における必要条件となっている。1999年のユーロの創設により従来の欧州為替相場メカニズムは廃止されたが、ユーロに移行していない欧州連合加盟国を対象とした新たな欧州為替相場メカニズムが設定された。

2009年以降、4つの欧州連合加盟国が自国の通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込ませている。欧州為替相場メカニズムではユーロとそれぞれの現行通貨との相場変動幅を基準値(セントラル・レート)の±15%としている。またデンマークは欧州連合との取り決めにより、ほかの通貨よりも変動幅が狭い、±2.25%としている。

欧州為替相場メカニズム適用国
通貨ISO 4217基準値
対1ユーロ
適用日ユーロ移行
予定日
デンマークの旗 デンマーク クローネ DKK 7.46038 1999年1月1日 未定
エストニアの旗 エストニア クローン EEK 15.6466 2004年6月27日 未定
ラトビアの旗 ラトビア ラッツ LVL 0.702804 2005年4月29日 未定
リトアニアの旗 リトアニア リタス LTL 3.45280 2004年6月27日 未定

欧州為替相場メカニズムが適用されているエストニア、ラトビア、リトアニアは状況が整えば、ほかの国と比べて早い段階でユーロを導入することができる。しかしこれらのバルト諸国は好景気でインフレーション率も高い水準にあったが、2007年以降の金融危機により急激に財政状況が悪化し、このためにユーロの導入は困難なものとなった。

当初リトアニアは2007年にユーロを導入するはずであった。2006年3月16日、リトアニア財務相ジグマンタス・バルチーティスは欧州委員会から正式に警告を受けていたにもかかわらず、ユーロ導入に関する必要書類を提出した。この書類などをもとにして審査した結果、欧州委員会はリトアニアのインフレーション率が基準よりも 0.06% 高いとして、リトアニアのユーロ導入を延期するよう欧州理事会に勧告し、2006年6月15-16日にブリュッセルで行なわれた欧州理事会の会合でもリトアニアのユーロ導入は見送られた。

当時のリトアニアのインフレーション率は既存のユーロ圏諸国と比べてもユーロを導入するには十分に低いものであったが、しかしながら欧州連合条約ではユーロ未導入の加盟国に対して基準を厳格に守るように定めている。一部の欧州連合の高官からはリトアニアがユーロを導入しても問題がないという意見があったが、欧州委員会と欧州中央銀行はユーロの信頼性を損なわないためにもこの意見を認めなかった。2007年にユーロを導入していれば、リトアニアはスロベニアとともに中東欧諸国で最初のユーロ移行国となるはずであった。

エストニアは2011年1月1日よりユーロに移行する見通しとなっている。

欧州為替相場メカニズム未適用の欧州連合加盟国

デンマークとイギリスを除くすべての欧州連合加盟国はユーロの導入が義務付けられているが、いまだ6か国が欧州為替相場メカニズムの適用を受けていない。このため6か国は少なくとも収斂基準の1つを満たしていないということになる。

欧州為替相場メカニズム未適用の欧州連合加盟国
通貨ISO 4217
ブルガリアの旗 ブルガリア レフ BGN
ポーランドの旗 ポーランド ズウォティ PLN
ルーマニアの旗 ルーマニア レウ RON
スウェーデンの旗 スウェーデン クローナ SEK
チェコの旗 チェコ コルナ CZK
ハンガリーの旗 ハンガリー フォリント HUF
イギリスの旗 イギリス ポンド GBR
  • ブルガリアは急激なインフレーションが進み、欧州為替相場メカニズムの適用が拒否されたことがある。現行通貨のレフは1999年にドイツマルクと 1:1 で固定しており、そのため1ユーロとも1.95583レフで固定されている。2009年8月、政権交代によって就任したばかりの財務相シメオン・ジャンコフはブルガリアのユーロ導入について、2013年ごろになるという考え方を示している。
  • ポーランドでは政界や社会におけるユーロ導入への支持が低く、欧州為替相場メカニズムに参加する見込みが少なかった。ところが2007年に政権が交代するとユーロ導入に前向きとなり、首相に就任したドナルド・トゥスクは所信表明で可及的速やかにユーロを導入すると述べた。またクリニツァで開かれた経済フォーラムでトゥスクは2011年をユーロ導入の目標時期とした。ところが2009年8月に財務次官ルドヴィク・コテツキは、ポーランドのユーロ導入は2014年まではないということを明らかにした。その理由として、2009年のポーランドの経済成長率見込みは 0.5% となるものの、2008年の金融危機がポーランドにも大きな影響を及ぼしたとしている。
  • ルーマニアは2007年に欧州連合に加盟して以来、ユーロ導入を検討してきた。ブルガリアと同様に、ルーマニアも高いインフレーション率がユーロ導入の障害となっている。ルーマニア国立銀行はユーロ導入の目標時期を2012年から2014年としている。
  • スウェーデンは2003年9月14日に実施された国民投票でユーロ導入が反対されている。スウェーデンは欧州連合に加盟するさいの条約において収斂基準の達成が義務付けられているが、欧州為替相場メカニズムへの不参加によってユーロ導入が不可能となっている。2013年までは再度の国民投票が実施されないことになっているが、中道右派による連立政権内では再度の国民投票を早期に実施するという意見が高まっている。さらに2008年秋の金融危機を受けてユーロ導入の議論は高まっており、スウェーデン政府は2013年という期日は守るとしているものの、財務相アンデルス・ボルグはユーロ導入について支持を表明している。また有権者のあいだでもユーロ導入への支持が高まっている。2009年4月に実施された世論調査では、わずかながらも初めてユーロ導入に賛成する意見が反対を上回った。
  • チェコは当初、2010年のユーロ導入を目指していた。しかしチェコでは社会基盤の整備のための出費よりも財政赤字のほうが大きいという見込みとなったことでこの導入目標は断念することとなり、政府は2012年か2013年の導入を目指すこととなった。その後さらに、ユーロ導入の期日が遅れるということへの経済的影響から、チェコ国立銀行総裁のズデニェク・トゥーマはインタビューにおいて、2019年のユーロ導入が適切であると発言した。ところがコルネの対ユーロ相場の変動幅が大きく、また近隣4か国が2012年までにユーロを導入する見込みが大きいため、チェコもまたこれらの国やポーランドと同時期の2012年1月1日にユーロを導入すると見られている。チェコでは2009年中にユーロ導入までのロードマップを作成し、チェコ政府も2009年11月1日を導入の方針を定める期限としている
  • ハンガリーは2010年にユーロに移行したいとしていた。ところが慢性的な財政不足からこの目標は断念された。ハンガリーでは対国内総生産比で毎年 10% の赤字となっており、すべての欧州連合加盟国の中でももっとも高い数値となっている。このためハンガリーのユーロ導入は2013年から2016年ごろと見込まれている。

     その59に続く                   以上

2010年7月 4日 (日)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その57[欧州連合・共通通貨ユーロ」(導入国・地域)

ユーロ圏以外の国

一部の国では従来からの通貨同盟などによって、相手国がユーロを導入したことで自らもユーロを法定通貨とした国がある。それらには以下のような通貨同盟がある。

モナコ、サンマリノとバチカン独自のユーロ硬貨を発行することについて欧州連合と合意しているが、アンドラについては同様の合意がなされていない。そもそもアンドラは独自の通貨を持っておらず、そのためユーロが事実上の法定通貨となっており、アンドラは独自に硬貨を発行しなくとも問題がない。アンドラ政府は2004年10月から欧州共同体と協議を行なったが、政治的要請、とりわけ金融機関の守秘性の緩和を実行する用意がなく、協議は数か月後に終了した。このほかにも企業税制を導入して非課税制度を撤廃することが受け入れられないということも正式な通貨同盟の合意に至らなかった理由となった。

独立にむけて、モンテネグロは一方的にドイツマルクを通貨として導入した。またコソボでは紛争後に国際連合コソボ暫定行政ミッションが通貨としてドイツマルクを導入した。そのドイツマルクが廃止されてからは、両国においてユーロが法定通貨となった。ただし両国は欧州連合とのあいだでユーロ導入の正式な合意をしておらず、また欧州連合も両国とのあいだで合意を模索する様子もなく、そのため欧州中央銀行による金融政策の対象とならず、さらに独自のユーロ硬貨の発行も認められていなユーロ導入が義務付けられている欧州連合加盟国

ユーロを通貨として導入していないすべての欧州連合加盟国は欧州連合条約により、収斂基準を満たして単一通貨を導入することが義務付けられている。ユーロ導入にあたって求められる収斂基準の4つの要素の1つとして、2年間は現行通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込まなければならない。ただしイギリスとデンマークについては適用除外規定が定められており、現行通貨を維持するということが認められている。い。つまり両国は通貨発行益を得ることができないのである。

補完通貨としてのユーロ

ユーロ圏外においても多くのヨーロッパの国で、ユーロでの支払が可能である。ただしその多くの場合は販売者が独自に決めた交換比率が用いられ、また釣銭は現地通貨で支払われることもある。

ユーロとペッグしている国」

いくつかの国ではユーロと通貨をペッグしている国がある。そのような国々は3つのグループに分けることができる。まず、ユーロとのあいだで欧州為替相場メカニズムによる為替バンド制をとっていて、ユーロを法定通貨として導入していない欧州連合加盟国がある。つぎに、歴史的に為替が固定されていたかつてのフランスの植民地がある。最後に、一方的にユーロとペッグしている国がある。

ユーロ導入が義務付けられている欧州連合加盟国

ユーロを通貨として導入していないすべての欧州連合加盟国は欧州連合条約により、収斂基準を満たして単一通貨を導入することが義務付けられている。ユーロ導入にあたって求められる収斂基準の4つの要素の1つとして、2年間は現行通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込まなければならない。ただしイギリスとデンマークについては適用除外規定が定められており、現行通貨を維持するということが認められている。

サイト検索「国際連合コソボ暫定ミッション」=http://www.dismas.jp/dic/KFOR

        その58に続く                           以上

2010年7月 3日 (土)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その56[欧州連合・共通通貨ユーロ」(欧州中央銀行)

「欧州中央銀行」

通貨ユーロにかかわる政策はフランクフルト・アム・マインにある欧州中央銀行が担っている。欧州中央銀行は1998年6月1日に設立された機関であるが、実際の業務が開始されたのは通貨統合の実施によって各国の中央銀行の業務を引き継いだ1999年1月1日のことであった。欧州中央銀行は欧州連合の機能に関する条約第127条によって物価安定の確保に努め、また加盟国の経済政策を支えるという使命を持っている。このほかにも金融政策の決定と実施、加盟国の公的外貨準備の管理、外国為替市場への介入、市場への資金供給、円滑な決済の促進を担っている。

欧州中央銀行の独立性を維持するために、欧州中央銀行および各国の中央銀行は加盟国政府の指示を受け入れることが禁止されている。欧州中央銀行に法的独立性が与えられているのは、欧州中央銀行が紙幣発行を一手に担う、つまり欧州中央銀行はユーロのマネーサプライに影響力を持っており、財政の不足額を補うためにマネーサプライを増やすということを避けるためである。欧州中央銀行の独立性が確保されなければユーロに対する信頼が失われ、通貨が不安定になる。

欧州中央銀行は各国の中央銀行とともに欧州中央銀行制度をつくっている。欧州中央銀行の政策決定は、欧州中央銀行の役員会とユーロ圏各国の中央銀行総裁で構成される政策理事会が担う。欧州中央銀行の役員会は総裁、副総裁、理事4人で構成され、いずれも任期は8年でユーロ圏各国が選任し、再任は認められていない。

導入国・地域」

2009年1月1日にスロバキアが導入したことで、ユーロを法定通貨としているのは欧州連合加盟全27か国中16か国となっており、これらの国々はユーロ圏と呼ばれている。また欧州連合の経済通貨統合に参加していない6か国でもユーロを法定通貨として導入している。ユーロを法定通貨としている国のほかに、為替相場制度でユーロと連動させている国も多くある。そのような国には、欧州為替相場メカニズムに組み込まれている4つの欧州連合加盟国やCFAフランを使用している14か国がある。さらに36か国と、フランス領ポリネシアニューカレドニアウォリス・フツナの3つの地域でもユーロ、あるいはユーロと連動する通貨を使用している。

フランスの海外領土であるグアドループフランス領ギアナフランス領南方・南極地域マルティニークマヨットレユニオンサン・バルテルミー島サン・マルタン島サンピエール島・ミクロン島でも同様にユーロを法定通貨としている。

またキプロスがユーロ圏入りしたことによって、イギリスの主権基地領域であるアクロティリおよびデケリアでもユーロが法定通貨として導入された。北キプロス・トルコ共和国では事実上、トルコリラが法定通貨として使用されているが、ユーロも広く流通している。

ユーロ圏

↓導入年
決済通貨↓
導入年
現金↓
導入形態硬貨発行
アンドラの旗 アンドラ 1999年 2002年 FRFESP の移行に伴う なし
オーストリアの旗 オーストリア 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
ベルギーの旗 ベルギー 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
キプロスの旗 キプロス 2008年 2008年 経済通貨統合による あり
ドイツの旗 ドイツ 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
フィンランドの旗 フィンランド 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
フランスの旗 フランス 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
ギリシャの旗 ギリシャ 2001年 2002年 経済通貨統合による あり
アイルランドの旗 アイルランド 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
イタリアの旗 イタリア 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
コソボの旗 コソボ 2002年 DEM の移行に伴う なし
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
マルタの旗 マルタ 2008年 2008年 経済通貨統合による あり
モナコの旗 モナコ 1999年 2002年 FRF の移行に伴う あり
モンテネグロの旗 モンテネグロ 2002年 DEM の移行に伴う なし
オランダの旗 オランダ 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
ポルトガルの旗 ポルトガル 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
サンマリノの旗 サンマリノ 1999年 2002年 ITL の移行に伴う あり
スロバキアの旗 スロバキア 2009年 2009年 経済通貨統合による あり
スロベニアの旗 スロベニア 2007年 2007年 経済通貨統合による あり
スペインの旗 スペイン 1999年 2002年 経済通貨統合による あり
バチカンの旗 バチカン 1999年 2002年 ITL の移行に伴う あり

1998年5月3日に開かれた欧州理事会の会合において、各国首脳は1999年1月1日に収斂基準を満たした11か国で経済通貨統合を第3段階へ移行することを決定した。

2000年6月19日、欧州理事会は「ギリシャは高い水準で持続的な収斂性を有しており、ユーロの導入に必要な状況になった」という理解に達した。その後の経済・金融理事会において、2001年1月1日にギリシャでユーロを導入することが承認された。

スロベニアは2006年3月8日に、2004年の第5次拡大のさいに欧州連合へ加盟した国としては初めて、2007年1月1日のユーロ導入を正式に求めた。2006年5月16日、欧州委員会はスロベニアのユーロ圏入りを提案し、翌月7月11日には経済・金融理事会において、スロベニアの2007年1月1日のユーロ導入を全会一致で承認した。このとき、1 EUR = 239.640 SITという交換比率が定められた。

2007年7月10日に欧州連合加盟国の財務相は、キプロスとマルタのユーロ圏入りを承認した。これによりユーロを導入した欧州連合加盟国の数は15となり、さらに2009年1月1日にはスロバキアがユーロ導入を果たしたことでその数は16となった。

サイト検索「収斂基準」=http://www31.ocn.ne.jp/~yasodasoken/criteria.html

   その57に続く     以上

      

2010年7月 2日 (金)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その55[欧州連合・共通通貨ユーロ」(ユーロ構想の実現)

収斂基準と安定・成長協定

1992年に署名された欧州連合条約では、加盟国は経済通貨統合の第3段階への移行、つまりユーロの導入にあたっては「収斂基準」を満たさなければならないとした。またテオドール・ヴァイゲルが主導した結果、1996年ダブリンでの欧州理事会においてユーロ導入にあたっての2つの基準が定められた。さらに安定・成長協定ではユーロ導入国に対して、通常の経済情勢においては財政の均衡を維持することを義務づけており、他方で景気が悪化している情勢においては、経済の安定化のために単年度国内総生産 (GDP) の 3% を上限として国債の発行を認めている。累積債務残高については60%を上限としている。

2004年11月、ギリシャがユーロ導入の決定がなされた時点で収斂基準を満たしていなかったということが判明した。ギリシャは実際の財政赤字を偽って欧州委員会に報告書を提出していたのである。しかし収斂基準に違反していたとしても、条約・協定では基準違反を想定していないために、既存のユーロ導入国の責任が問われるということがない。

またドイツやフランスなどを含む一部の国が安定・成長協定で定める基準に抵触するということが起こっている。

決済通貨ユーロの導入

1998年12月31日、当時のユーロ参加予定国のそれぞれの通貨とユーロとの為替レートが固定され、1999年1月1日、ユーロがそれらの国において法定上の決済通貨となった。このときユーロは欧州通貨単位に対して 1:1 で置き換えられた。翌1月2日ミラノパリフランクフルトの各証券取引所は通貨単位をユーロとして取引を開始した。このほかにユーロの導入によって、外国為替相場の表示法が変更された。ドイツではユーロ導入以前まで、1 US$ = xxx DM というかたちで表示されていたが、1999年1月1日からはドイツを含めてユーロを導入した国において、1 EUR = xxx US$ という表示法に変えられた。また同日から、振込みや口座自動引き落としについてもユーロが用いられるようになった。銀行口座ではユーロあるいは従来の通貨単位での表示が認められていたが、そのほかの有価証券はユーロで表記されたものでしか取り扱われなくなった。

ユーロへの完全移行

ドイツのスターターキット

ドイツでは2001年9月からいわゆる「フロントローディング方式」の枠組みでユーロが民間銀行に配付された。また銀行ではドイツマルクを回収してユーロを供給することで切り替え作業を進めていった。2001年12月17日からはドイツ国内の銀行において各種のユーロ硬貨が入ったスターターキットの販売が開始された。このスターターキットには合計10.23ユーロ(20.0081409マルク相当)の20枚の硬貨が入っていたが、販売価格は20マルクであり、切り捨てられた小数点以下の部分は国庫が負担した。オーストリアのスターターキットでは合計14.54ユーロの33枚のユーロ硬貨が200シリングで販売された。通常の現金、とくに紙幣の流通は2002年1月1日から開始された。

ドイツではドイツ連邦銀行の各支店でドイツマルクをユーロに交換することができる。また特例的に一部の商店では代金支払のさいにマルクで受け取っている。

このようにユーロへの交換は簡易かつ費用負担がかからないにもかかわらず、2005年5月の時点で37億2000万ユーロ相当のマルク硬貨(2000年12月の発行量のおよそ46%)が流通していた。また紙幣についても39億40000万ユーロが交換されないままでいた。この推定はドイツ連邦銀行によるものであるが、ほとんどの硬貨や紙幣は紛失または破損したものと見られている

国別のユーロ導入状況     ユーロ導入済みの欧州連合加盟国     欧州為替相場メカニズム導入済みの欧州連合加盟国     欧州為替相場メカニズム未導入済の欧州連合加盟国     ユーロを導入している欧州連合非加盟国

ユーロを導入した国ではそれぞれで、2002年の2月あるいは6月までを移行期間として代金の支払にユーロか旧通貨の使用が認められ、移行期間後は旧通貨の法的効力は消滅した。ただしほとんどの旧通貨は各国の中央銀行でユーロと交換することができる。

ユーロ導入国では旧通貨の取り扱いについてそれぞれの国で異なっている。ドイツではドイツマルクの紙幣および硬貨を、無期限・無手数料でユーロに交換することができる。ドイツ以外でもオーストリア、スペインアイルランドにおいても同様で、それぞれの国の旧通貨とユーロとを交換することができる。ベルギールクセンブルクスロベニアではそれぞれの旧通貨の紙幣のみ、無期限でユーロとの交換ができる。これら以外の国ではそれぞれの旧通貨とユーロとの交換には期限が定められている。

ポルトガル・エスクード硬貨、フランス・フラン硬貨、ベルギーおよびルクセンブルク・フラン硬貨、オランダ・ギルダー硬貨、ギリシャ・ドラクマ硬貨は交換不能となっている。

            その56に続く                     以上

2010年7月 1日 (木)

「平成の船中八策」を実現する市民の会、その54[欧州連合・共通通貨ユーロ」(歴史)

「歴史

 「政治的な計画としてのユーロ」

ユーロ紙幣

ヨーロッパに単一通貨が求められた理由は欧州連合の歴史と世界経済の流れに見ることができる。すなわち、1968年関税同盟の結成による実体経済の統合と、ブレトン・ウッズ体制の崩壊による為替相場の不安定化がもたらす通商政策への障害である。

1970年、欧州通貨統合について初めて具体的な考えが示される。ルクセンブルク首相のピエール・ヴェルネとヨーロッパの経済通貨統合の研究者が作成したいわゆる「ヴェルネ計画」では、単一通貨の導入に触れられていた。このヴェルネらの構想では1980年までに経済通貨統合を達成することがうたわれていたが、ブレトン・ウッズ体制の崩壊のために挫折を余儀なくされた。

それでも1972年には欧州為替相場同盟(トンネルの中のヘビ)を、1979年には欧州通貨制度を創設した。欧州通貨制度は各国の通貨の相場が大きく変動することを防ぐものとなった。またあわせて欧州通貨単位が導入され、のちのユーロの基礎となった。欧州通貨単位の紙幣が発行されることはなかったが、硬貨については欧州通貨単位を具現的に見せるという目的で特別に鋳造された。欧州共同体の加盟国のなかには欧州通貨単位の額面で債券を発行しており、証券取引所でも欧州通貨単位で取引がなされたりした。1988年、当時の欧州委員会委員長であるジャック・ドロールのもとで経済通貨統合を検討する委員会はいわゆる「ドロール報告書」を作成し、そのなかで経済通貨統合にむけて3つの段階を示した。

「ユーロ構想の実現」

 導入にむけて

ユーロ記号のモニュメント

1990年7月1日、通貨統合の第1段階に入り、欧州経済共同体の加盟国のあいだで資本の自由な移動が可能となった。1994年1月1日になると第2段階に移行し、欧州中央銀行の前身である欧州通貨機関が設立され、加盟国の財政状況を検査するようになった。1995年12月16日マドリードで開かれた欧州理事会の会合において新通貨の名称を「ユーロ」とすることが決められた。

 名称の決定

上述の欧州理事会で新通貨の名称が決定されるまで、多くの案が議論された。有力な案に「ヨーロッパ・フラン」があったが、フランのスペイン語表記である Francoフランシスコ・フランコを連想させるために却下された。このほかにもヨーロッパ・クローネやヨーロッパ・ギルダーといった案が出されていた。既存の通貨の名称を使うことで通貨としての連続性を示し、また新通貨に対する市民の信頼を固めようとしたのである。

さらに、一部の加盟国には従来の通貨の名称を残したいという希望があった一方で、決済通貨として使用されていた ECU(エキュもしくはエキュー) の名称がふさわしいと考える国もあった。しかしこれらの名称案はそれぞれに対して反対する国があり、とくにイギリスは多くの名称案に反対して、いずれも採用されなかった。名称が定まらないなか、ドイツの連邦財務相テオドール・ヴァイゲル「ユーロ」という名称案を提示した。

通貨単位としてユーロという名称が刻まれた硬貨は、確認できるかぎりでは1965年に初めて鋳造されている。また1971年にはオランダで、ユーロと刻まれた硬貨の見本が製造されている。この見本ではユーロの先頭の文字が C に波線が引かれたものとなっていた。またその周囲にはラテン語EUROPA FILIORUM NOSTRORUM DOMUS(日本語試訳:ヨーロッパはわれらの子たちの家である)と刻まれていた。

サイト検索「欧州為替相場同盟」=http://kccn.konan-u.ac.jp/keizai/europe/07/02.html

          その55に続く                    以上

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