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2011年10月 6日 (木)

マヤ暦819年周期と「空白の4世紀」

マヤ暦819年周期と『空白の4世紀』

※この記事には、幾らかオカルト要素が含まれています。
あくまで、管理人個人の妄想として捉えて下さい。
(てか、かなりの妄想なんで最後まで付いて来れる人いるのかなぁ・・・と心配です^^;)


以前、当ブログでは、『マヤ暦の819年周期と日本の136.5年周期』と題しまして・・・

「日本が136.5年ごとに、政権交代期が訪れる傾向を持つ」ことや、
それが、「マヤの819年周期と関連性がある」ことを述べました。


その後、また、管理人なりに幾つか気がついた点があり、つらつら述べていこうと思います。
前回の記事を見てない人は、そちらを先に見ておくと、理解が早まります)


マヤ暦の819日周期についての前回のおさらい

まず、少しだけ、前回のおさらいをしておきます。

マヤ暦の819日周期と言うのは、下記の数により成り立っています。


  • 天の神の数=13
  • 地上の神(人間)の数=7
  • 地の神の数=9

この819日周期を365回のサイクルとしたものが、819年周期です。


そして、これら全ての神が出会う年が、13×7×9=819年周期ごとに訪れるということです。


そして、日本の136.5年周期というのは、819年周期に含まれる、小さなサイクルです。

819/2=409.5年周期  409.5/3=136.5年周期


そして、実際に、日本の歴史というのは、
この136.5年周期に見事にぴったりと当てはまります。


それれをまとめたのが下記の『日本のサイクル年表』です。
(管理人が思いつきでつくった完全オリジナル年表です^^;)


▼日本のサイクル年表(※クリックで拡大します)▼


とここまでが、前回の簡単なおさらいですが、、、
今回、きちんと図に落とし込むと、さらに3つほど気づいた点があります。


日本のサイクル年表の特徴

その3つの点というのは、下記の3点です。


①409.5年と136.5年などの二つのサイクルが交わるポイントは、
単なる136.5年の節目の時と違い、大きな社会変革が起こる可能性が高い。
(さらに819年までが重なった時は、大激変になる可能性がある)


②409.5年サイクルの中には136.5年周期×3が含まれますが、
前半の136.5年の節目は、社会変革期としては、比較的、その規模が小さい。

※そのため、511.5年,921年,1330.5年,1740年は、他の節目に比べ
大きな社会混乱が起こらず、政権維持が出来るケースが見られる


③仮説ですが、恐らく周期には、が存在すると思われる。

  • 375年~1194年までは、表の819年周期
    (東洋の時代、精神性を重んじる時代)
  • 1194年~2012年までは、裏の819年周期
    (西洋の時代、物質性を重んじる時代)

・・・というように、819年ごとに入れ替わる、
サインカーブのような波型周期になっているように思います。

だから、約800年ごとに、西洋と東洋での文明交代期が存在するのだと思います。


ここで、2012年を占う大きなポイントですが、①で述べたように、
2012年は、819年、499.5年、136.5年の3つのサイクルが重なるポイントです。

したがって、2012年前後は、かなりの社会激変を伴うことが予想されます。


そして、③で述べたように、サイクルには裏と表(もしくは陰と陽)があります。



それを考慮すると、、、
『前回のサイクル集合点である、西暦375年前後に何が起きたのか?』
を詳しく知れば、今後、2012年前後に何が起こるのかを知ることができると考えます。


空白の四世紀

しかし・・・・・・
実は、375年前後って、日本史年表を開いても、何にも出てきません。。。


下記は、4世紀頃の年表ですが、350年頃にヤマト王権の統一と書かれています。


ですが、"350年頃"と、なぜ、ココだけと曖昧に書かれているのか、気になって調べて見ると、、、どうも、実際の史実に350年と確定している訳ではなく、単に、この辺の年代なら、収まりが良さそうと言う事で、350年頃に、大和王権統一としているだけのようです。

参考:ヤマト王権の統一について


と言う事で、時代的には、邪馬台国の時代から、大和朝廷へと
政権が変わる節目が、その辺りですが、4世紀は謎が多く、
歴史マニアの中では『空白の4世紀』とも言われています。

したがって、実際に何が起こったのかを、正確に知る術が無いのです。


ですので、これを知るためには、少し寄り道して、
4世紀の前から存在する、邪馬台国について考える必要があるのです。


最初、マヤ暦から話が始まりましたが、
まさか邪馬台国に繋がるなんて、管理人も思ってもみませんでしたね^^;


魏志倭人伝に書かれた、邪馬台国への行程の謎

邪馬台国については、専門家の中でも謎が多く、管理人も知らないところが多いす。

したがって、以下の記事は、下記の飛島昭雄氏の本を参考にしながら、
管理人の考えも随所に含めつつ、話を進めて行きたいと思います。




まず、邪馬台国の、文献での唯一のヒントは、『魏志倭人伝』です。
『魏志倭人伝』の著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年-290年間)に書かれました。

ですので、『魏志倭人伝』を見れば、
375年以前の日本の様子や邪馬台国の位置を知ることができます。


で、実際の邪馬台国の位置については、『魏志倭人伝』の中には、
下記のように書かれています。(簡略化して書きます)


①帯方郡から倭国に至るには水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、
7000余里で倭国の北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到着する。

②始めて海を1000余里渡ると対海国に至る。

③また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る。

④また海を1000余里渡ると末廬国に至る。

⑤東南へ500里陸行すると伊都国に到着する。

⑥東南に100里進むと奴国に至る。

⑦東へ100里行くと不弥国に至る。

⑧南へ水行20日で投馬国に至る。

⑨南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。


要するに、帯方郡(朝鮮半島北西部)を起点に、①~⑨の行程を経て、邪馬台国に着きます。


このうち、ほとんどの歴史学者の考えとしては、①~⑦までの行程はほぼ一致してます。

⑦の不弥国は、北九州の一帯の何処か(福岡県宗像郡が有力)で間違いない
・・・というのが、学者の中で、ほぼ一致した統一見解になっています。


しかし、⑧以降が全く謎なのです。。。

『魏志倭人伝』を文面通り受け取ると、、、、


  • ⑧南へ水行20日で投馬国に至る。
  • ⑨南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。

ですので、北九州から南へ南へと下っていくルートになります。


しかも、「水行」というのは「船」での移動のことです。
どうやって、福岡県宗像郡(九州の北部)から、南へ船へ下れば良いのでしょうか?

それに、船は、一日何キロメートル進むのかさえも分かりません。


しかし、この「水行」の行程として、飛島昭雄氏の本によると、
唐の書物『唐六典』では、およそ、水行一日は25kmであると指摘しています。

とするならば、⑧と⑨で合わせて、水行30日ですから、
25km×30日=750kmと理解する事が出来ます。


しかし、ここで非常に大きな難問にぶつかってしまいます。

福岡県宗像郡(九州の北部)から、南へ750kmというのは、
鹿児島のはるか南方の沖縄近隣の海の上ということになってしまいます。



要するに、『魏志倭人伝』の通りに考えれば、
邪馬台国は、沖縄の海の上あたりに存在するという事になるのです。



邪馬台国の畿内説と九州説

これは、明らかにおかしい!!
そこで、多くの歴史学者はこう考えたのです。


本当は、『魏志倭人伝』の「南への水行」の記述は誤りで、
「東への水行」が正しいのではないか?と。

・・・こう考えると、邪馬台国は、ちょうど畿内にあることになります。
これが、邪馬台国畿内説です。


しかし、これに異を唱える人も居ます。

そもそもの、水行の一日の進行速度がもっと遅いのではないか?と。
もしくは、その水行という部分の記述で誤りがあるのではないか?と。

こう考えると、邪馬台国は、ちょうど肥後の国のあたりにあることになります。
それが、いわゆる、邪馬台国九州説です。


と言う事で、この議論は、現在も結論が出ていないのです。。。


しかし、前述の飛島昭雄氏は、この邪馬台国論争において、
誰しも思いつかなかった"画期的な新説"を唱えています。

それは、、、

「魏志倭人伝で書かれている全ての事は正しい!
逆に、地図の方が、現在とは異なっているのではないか?」という説です。

要するに、この邪馬台国の時代の地形と、現在の日本の地形とでは全く異なっている!という説です。


一見、そんな事ありえないと思うかもしれませんが、実は決してバカにはできない説です。
ちなみに、陸と言うのは動きます。

古くは、『出雲国風土記』での、八束水臣津野神の国曳き神話もありますし、
『古事記』、『日本書紀』においては、イザナギ神・イザナミ神の国産み神話もあります。

特に、国産み神話では、淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州・・・と、
次々と陸地を生み出していった様子が描かれています。


こうした話は、必ず、何か元になった題材があるはずです。

そして、実際、その当時に、何かそういった地殻活動の活発化が
あったとみて間違いないでしょう。。。


何気ない地名に見られる、妙な違和感

邪馬台国の話に話を戻しますと、、、

この説で行くと、恐らく、日本と言うのは、3~4世紀あたりを境に、
今の日本列島の形状とは、全く別の形になっている可能性があります。

しかし、「そんな証拠が何処あるのか?」と疑問に思う方もいるでしょう。
しかし、飛島昭雄氏によると、例えば、その証拠は地名に端的に現れていると言います。


例えば、沖縄には、西銘岳尾西岳という山がありますね。
でも、西銘岳・尾西岳は、西にあるわけではなく、沖縄の北端にあります。


鹿児島県の種子島にある西之表市(にしのおもてし)は、
鹿児島県の南にあり、種子島の北端に位置するのですが、なぜか地名に西がついています。


佐賀県・長崎県には、「東松浦郡・西松浦郡・南松浦郡・北松浦郡」がありますが、
それぞれの位置取りとして、東松浦郡が一番北に位置していたりと、なんだかおかしいです。



それぞれを見ていくと、、、
西の地名が北になっているというところが多いようです。

つまり、約90度、地名にズレが生じているという事になります。


なんで、こんな変なことになっているのか??

それは、やはり、「空白の4世紀」の前後に起きた、
大規模な地殻変動と捉えれば、理解しやすいのではないかと思います。


ちなみに、ブログを読まれた方に、ご指摘頂いたところ、
沖縄の方言では北のことを"ニシ"と方言で言うそうです。

言語の面でも、北がニシになっている妙な違和感がここにも存在します。


邪馬台国の位置は、何処なのか?

さて、もう一度、『魏志倭人伝』に話を戻して、邪馬台国の位置取りを、考えます。


実は、先ほどの、邪馬台国のルートとは別として、
『魏志倭人伝』には、こうも書いています。

「計其道理、当在会稽東治之東」

つまり、「中国の会稽の東治(とうや)の東に、邪馬台国がある」と書いてあるのです。


会稽の東治とは、中国の福建省福州あたりを意味しますので、
ちょうど、東治の東というのは、台湾あたりに、邪馬台国があるという事です。



これは、かなりの重要な記述なんですが、
普通の邪馬台国、畿内説や九州説を唱える歴史研究家は、この部分を無視しています。


また、『魏志倭人伝』には、こうも書いています。

「倭地温暖、冬夏食生菜」(倭の地は温暖で、冬も夏も、生の野菜を食べている)
「所有無与澹耳・朱崖同」(倭国の産物は、澹耳や朱崖の地と同じである)
※朱崖というのは、中国の海南島です。


と、このように、『魏志倭人伝』では、邪馬台国の気候や産物に関しても、
思いっきり、南方系の特徴があることが明記されています。

したがって、気候や産物が同じであることから、中国の福建省と同緯度で、
その東の海上に、邪馬台国があったと考える方が、最も自然な訳です。


中間まとめ:古地図に見られる邪馬台国の位置

あまり、一気にたくさん書き過ぎると、集中力も追いつかなくなるので、、、
ここで、一つの中間の結論を出しておきます^^;


実は、知る人ぞ知る古地図として、
混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)という地図があります。

下記を見て頂ければ分かると思いますが、今の日本は何処にあるでしょうか?


※ただし、混一疆理歴代国都之図は李氏朝鮮時代(1400年代)の地図で、
これはさらに古い古地図を元にして写した写地図ではないかと言われています


朝鮮半島の南の海上にあり、中国の会稽の東に、きっちり収まっていますよね?

しかも、日本がほぼ90度の角度で、傾いているのが分かります。
(つまり、先ほど述べた地名のズレも、これを正しいと見れば、全て説明がつきます)


他にも、「大明混一図」も、同じですね。

さらに、混一疆理歴代国都之図の作成の元になっているといわれる、
東南海夷図」でも何故か、海の真ん中に「日本」と書かれてます。


つまり、魏志倭人伝の文献の記述や、古地図を考慮すると、
375年以前までは、この地図の日本の位置が正しかった!
・・・と推測する事が出来るのです。

そして、日本の形状も、今より90度ほど傾いていた可能性が高いのです。


空白の4世紀という時代に、地殻の大変動が起こり、日本の大移動が始まった。
そして、大規模な地殻変動を経て、今の位置に日本が収まった・・・

こう説明すると、『魏志倭人伝の謎』も『古地図の謎』も、
なぜ、『空白の4世紀と言われているのか?』さえも、きっちり説明きます。

まさに、空前絶後の地殻変動のために、日本の歴史は、空白の4世紀になっている訳です。


さて、こういう視点を考えると、今後、マヤのサイクルの集合ポイントである、
2012年前後で、日本がどうなるかが見えてくるのではないでしょうか?

古い日本列島が今の位置に至った経緯さえ分かれば、、、
2012年以降、地殻変動がどうなるかという推測・予測もできるというものです。

ですが、これについては、話が長くなるので、また後日^^;

ちなみに、邪馬台国が最終的に、畿内なのか九州なのか?という
最終的な結論を、詳しく知りたい方は下記をご覧下さい。




次回以降、(また気が向いたら)今度は、4世紀の地殻変動の概要と、
今後の2012年の地殻変動予測を述べようかと思ってます。


追記:
少し、邪馬台国から話は逸れますが、4世紀の地殻変動について関連記事を書きました。
続き:「ゲルマン民族の大移動の理由と2012年の関連性


<余談>

ちなみに、下記の地殻変動情報を見ると、水平方向・垂直方向の両方で、
東日本大震災以降、かなり地殻変動が激しくなっているのが分かります。

http://mekira.gsi.go.jp/project/f3/ja/index.html

もしかすると、今後、大きな地殻変動が始まる可能性もありますので、ご警戒下さい。

以上は「管理人の勝手なコラム」より

過去の歴史を振り返ると、確かにある期間で世の中は転換しつつ変化してきています。今後もその通りに動くかどうかは後世の歴史家に委ねられますが、現時点で見るならば、確かに来年2012年は自然現象面でも人間社会面においても大激変の年になりそうな雲行きであります。少し大袈裟に言えば、人類滅亡も起こりうるぐらいの大激変の時代に突入しつつあります。この現象は突然やってきたわけではありませんで、その兆しは今から100年以上前の1904年に既に始まっているのです。それが今やっと目に見えるまでにその変化が大きくなってきたものです。                 以上

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