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2011年10月21日 (金)

デイグニタス、貴方がもう治らない病気の末期になったときの決断は?

2011年8月14日日曜日

ディグニタス。あなたがもう治らない病気の末期になったときの決断は?

日本ではどんな難病・不治の病・全身麻痺・植物人間になっても、その人の命を奪うのは禁止されている。患者が望んでも医者は自殺を手助けすることはない。

しかし、それは患者の尊厳から見るとどうなのかという問題もある。意識もないままずるずると生きたくない、むしろ尊厳を持って死にたい、と思う人たちも当然いる。

尊厳死を見守る団体ディグニタス

いろいろな哲学があるので、どれが間違っているとも正しいとも言えない。人の生死の最終的な自分で決めたいと思っても、意識なく生かされるかもしれない。

延命治療をしないで下さいとは言っても、医者は患者を助けるために延命治療をせざるを得ないこともある。

「最期の迎え方は自分で決める権利がある」のは、私にとっては当然のことであり、自分が死ぬと分かったときは恐らく私は医者には行かないだろう。

私が行方不明になってインドで不審死のニュースがひとつあれば、それは私のものかもしれない。(私は死に場所を決めた。24時間以内に灰にしてくれて墓もない理想の国

私は病院に張りつけになってまで生き残りたいとは思わない。最期まで努力はするが、それが避けられなくなったのであれば、私は自分で最期の決着(ケリ)をつける。

しかし、それが間に合わなくて自分で自殺すらもできないほど重篤になってしまったときは、スイスで死ぬのもいいのかもしれない。

スイスは自殺幇助が合法で、スイス人の多くは私と同じく「最期の迎え方は自分で決める権利がある」と考えている。

回復を見込めない末期癌、難病の末期。そういった人たちの尊厳死を見守る特殊な団体もある。ディグニタス(Dignitas)という団体だ。

もう回復の見込みもなく自分も周りの人たちも苦しむだけなのに、医者が執拗に延命治療を行うので死ぬにも死ねない。ほとんどの国はそうだ。患者が死なない限りは金が入るという商業的な理由もある。

しかし、延命治療をしないで死なせてくれるのがスイスのディグニタスである。

これは「自殺を積極的に手伝う」ものであり、しかも外国人を死なせるものでもあるので、さすがにスイスでも賛否両論があるようだ。しかし、スイス国民は国民投票で死ぬ権利は自分にあると真っ向から訴えた。

最愛の人に看取られながら死ぬ

ディグニタスでは何重ものチェックとカウンセリングが行われ、静かで安らかな部屋で親しい人たちと最期の時間を作ってもらい、自発的に薬を飲んで静かに死んでいける。

最近では首から下が完全に麻痺してしまった息子の死の決意を見た母親がディグニタスで息子の尊厳ある死を看取ったという。

その息子はスポーツが好きな快活な青年だったが、水泳の事故で全身不随になり、死を求めていた。

死は看取ってもらえ、そして妨げられることはなく、法に則って安全に進行させてくれる。

もし、母親が自国で息子を尊厳死させていると母親は犯罪者になっていた。ディグニタスは処理に全力を尽くし、スイス警察も母親を罪に問わない。

多発性骨髄腫(血液の癌)で治る見込みのない病に侵されたジョン・エリオット氏もまた妻に看取られながら静かに死んでいったというのが記事になっていた。

「君の手をぎゅっと握りしめていたいんだ。許しておくれ」
「大丈夫よ」

そのような会話を交わして、彼は静かに尊厳を持って、最愛の妻に看取られながら死んで行ったという。(関連記事
もう助からない。だから、自分の死は自分でケリをつける。それは人間に残された最後の神々しい決断である。

末期的な病気を持った人が最期を迎えようとする時、安らかで静かな環境で、しかも自分の意思でそれを決めることができるのであれば、それはとても幸せなことではないかと私は思う。

人生のスタイルの問題

私は日本にもこのような尊厳死が可能になるように法改正をして、ディグニタスを参考にした「尊厳死を見守る団体」を作るべきだと思う。

日本人は覚悟を決めれば自ら切腹して責任を果たす崇高な民族だったはずだ。神風特攻隊のように死を賭して国を守る気概を持った民族だったはずだ。私たちはそのような民族の末裔である。

「最期の迎え方は自分で決める権利がある」という哲学は、スイス人よりも、むしろ日本人のほうがよく馴染むように私は個人的に思っている。

もう駄目だと分かったとき、病院のベッドの上でチューブにつながれてだらだらと生きていたいと日本人は本当に思っているのだろうか。

それよりも、スイス人のように「最期の迎え方は自分で決める権利がある」と思わないだろうか。

もちろん死についてはいろんな哲学があって然るべきだ。絶対に何があっても、たとえ植物人間になっても死ぬことは許せない、という哲学があってもいい。

その哲学が許されるのであれば、最後まで手を尽くして駄目な場合、すなわち不治で末期の場合、「自分の死は自分で決める」という哲学が許されてもいい。

安易な死を増長する、というような批判や人道的ではないという考え方もある。それでも、人は多様な哲学に生きているのだから、尊厳死を受け入れる土壌があってもいい。

これは命の軽視ではない。人生のスタイルの問題だ。
http://www.smh.com.au/multimedia/world/final-journey-20100212-nwb9.html



〓 この話題について、参考になる書籍・メディア
「尊厳死」に尊厳はあるか
安楽死と尊厳死  医療の中の生と死
私たちの終わり方―\延命治療と尊厳死のはざまで
リビング・ウィルと尊厳死
命は誰のものか
自分らしい終末「尊厳死」
その死に方は、迷惑です
尊厳死を考える
尊厳死か生か
安楽死・尊厳死・末期医療
許されるのか?安楽死―\安楽死・尊厳死・慈悲殺
山中静夫氏の尊厳死
私が決める尊厳死
以上は「DARKNESS OF ASIA 」より
現実には、自殺も沢山あり、場合により他人にも大変迷惑を掛けてしまうこともあります。尊厳死もたしかに必要悪かもしれません。他人に迷惑を掛けずにこの世から静かに消えてゆくのもひとつの方法かもしれません。悪用せず、前向きに検討すべき事柄だと思われます。                        以上

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