「大本神諭」に見る世の終りのシナリオーその③
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神は何のために予言をさせるのか ここで、疑問に思うことがあります。それは、「艮(うしとら)の金神が、私たちにそのような未来のことを教える(予言させる)目的は何なのか」ということです。日清戦争や日露戦争で日本が勝利することを教えてくれましたが、その予言が日本政府や日本国民に影響を及ぼすことはありませんでした。予言は何の役割も果たさなかったのです。 出口王仁三郎はこのほかにも、「負け戦となる太平洋戦争は中国との泥沼戦争の延長線上に起こる」ことや「アメリカのB29による日本の本土爆撃がある」ことを、すでに大正6年ごろに予言していたと言われています。 もし日本政府が王仁三郎の予言を採り入れて、中国進出を回避していたら、あのような形でのアメリカとの戦争には巻き込まれなかったでしょう。B29による日本の市街地への爆撃はもちろん、広島・長崎への原爆投下も避けられたはずです。しかしながら、現実はそれらの悲惨な出来事は予言通りに起こりました。それはなぜでしょうか? そこでつぎのような疑問が湧いてきます。 予言の内容はすでに確定していて変えることができないものなのか――という疑問です。もしそうであれば、では何のために予言はなされるのでしょうか。読者のみなさまにも、ぜひ考えていただきたいテーマです。 そのことを念頭に置いていただいて、引き続き『出口王仁三郎の霊界からの警告』(武田崇元・著/光文社文庫)の内容にお目通しをいただきたいと思います。 ■「ドイツ皇帝が失脚し、その後あらたな大戦争が起こる」 王仁三郎が大正6(1917)年11月、創刊まもない『神霊界』に発表した「いろは歌」および「大本神歌」は、のちに『瑞能神歌(みずのしんか)』という小冊子にまとめられる。いずれも、掛けことばや縁語などの修辞をたくみに駆使した五七調の長歌であるが、内容的にはその後の日本や世界の運命をずばり指摘した驚くべき予言詩であった。 まだヨーロッパで戦火を交えていたさなかに発表された、この予言詩「いろは歌」のなかで、王仁三郎はすでに1年後のドイツ皇帝の失脚と革命、戦争のいったんの終結を予言している。 しかし、この予言詩によれば、第一次世界大戦は終結するが、それはたんにきたるべき動乱の序曲にしかすぎない。 「日清間の戦いは、演劇(しばい)に譬えて一番叟(いちばんそう)、日露戦争が二番叟、三番叟はこの度の、5年にわたりし世界戦、竜虎相打つ戊(つちのえ)の、午の年より本舞台」 まだ戦争の終結しないうちに、すでに王仁三郎は「5年にわたりし世界戦」が翌年には終結することをはっきりと予言している。 さらに、この世界戦はまだ序曲にすぎない、と告知したのである。大戦の終わる大正8(1919)年は、干支でいうと戌年であり、この年から「竜虎相打つ」と形容されるような本舞台が始まるというのであった。この予言詩は、第一次大戦から第二次大戦にいたる、世界史の大きな動きを描きだしたものであった。 第一次世界大戦が終結したとき、世界は一瞬希望に輝くかのように思われた。だが、それはかりそめの平和であり、より大きな戦いの舞台を準備するだけにすぎない――王仁三郎は、そのことをすでに大戦の終わる前年に予言していたのである。 第一次大戦では、日本は連合国側に立ったのであるが、つぎの戦争では、この第一次大戦の連合国が日本の敵になることも、彼はちゃんと予言している。 「連合の国の味方と今までは、成りて尽くせしカラ国の、悪魔邪神が九分九厘――」 ここでいうカラ国は、前後の文脈からすると、必ずしも中国を意味するとは限らない。むしろ外国全般を指していると考えられる。 しかし、王仁三郎は、もっとさきに確実に日本に襲いかかってくる悲劇を見透していたのだ。 たとえば、王仁三郎は大正8年に取り調べに来た官憲に、 「日本は、一時、大部分を占領せらるることは確かでありますが、それが何年先であるかは言えません」と述べているのである。 ■「ドエライ悪魔が“魅”をいれるぞよ」 大正7年11月6日、大本開祖・出口ナオは83歳の生涯を終える。日清日露の戦争を予言したこの老予言者は、自分の死期をも知っていた。 すでに大正6年の暮れ、ナオは身の回りの世話係である信者の梅田安子に、 「来年は孫の直日が17歳になる‥‥直日が17のときには世をゆずるのや、と前から神さんがいうておられるでな。そう思うときなはれや」と告げていた。 また大正7年の正月には、王仁三郎も、 「教祖はんのおからだは今年中や。びっくりすなよ」と梅田に告げたという。 その年の11月6日、ナオは安らかにこの世を去る。それは、不思議なことに、ヨーロッパで実質的に戦火がやんだその日であった。 12月にはいると、ナオに代わって王仁三郎が「お筆先」を書くようになる。 『伊都能売神諭(いづのめしんゆ)』と呼ばれるその中には、不思議なことが予言されていたが、教祖の死と、加熱する予言熱に心を奪われていた幹部たちは、当初はあまり気にもとめなかった。 「3年先になりたら、よほど気をつけてくださらぬと、ドエライ悪魔が魅を入れるぞよ。辛酉(かのととり)の年は、変性女子(王仁三郎のこと。大本独特の観念で、「身魂が女性で肉体が男子」と位置づけられる)にとりては、後にも前にもないような変わりた事ができてくるから、まえに気をつけておくぞよ」 みずから発したこの不気味な予言は、王仁三郎の前途に一抹の不安を投げかけた。事実、大正10年に王仁三郎は投獄されるのである。 日本は世界のひな型である ■東京は空襲をうけ死体で埋めつくされる 昭和10年に始まった第二次大本弾圧事件は、日本が戦争状態の中で進行し、7年にわたる裁判が行なわれた。結局、昭和17年7月再審で、治安維持法については無罪、不敬罪で5年の判決が下る。 当局がねらった治安維持法による徹底的な断罪は成立しなかった。しかし、大本の全施設は破壊しつくされてしまっていた。 昭和17年8月7日、王仁三郎は保釈され、7年間の投獄生活からようやく解放される。すでに王仁三郎は71歳であった。 しかし、王仁三郎は亀岡の自宅に訪れる信者たちに鋭い予言をつぎつぎにはなった。 「大本神諭に、『未(ひつじ)と申(さる)とが腹を減らして惨たらしい酉(とり)やいが始まるぞよ』とあるが、今年(昭和18年)」は未の年で、羊は下にいて草ばかり食う動物であるから、下級の国民が苦しむ。来年は申年で、猿は木に棲むから中流の人が苦しむ。再来年は酉年で、いよいよ上流の人が困り、むごたらしい奪い合いが始まる。大峠は3年の後だ」 これらはすべて予言通りになった。 王仁三郎は信者たちに予言をもとにした数々の教示を与えている。 「東京は空襲されるから疎開するように」というと、翌19年11月から東京空襲が始まった。東京のほとんどが焦土と化し、死者は20万人を超え、隅田川などの大河川は死体で埋めつくされた。 「九州は空襲」「京都、金沢は空襲を受けない」 と予言されたように、19年6月に北九州も大被害を受けている。京都、金沢は彼のいうようにその被害をのがれた。 このころは信者ばかりでなく、大本シンパの軍人や有識者も、ひんぱんに彼のもとを訪れるようになる。昭和19年には、山本英輔海軍大将の使いで、水野満年がやってくる。困ったときの神頼みで、一部の軍人から、戦局をなんとかしてくれというような話はずいぶんあった。 「わしらをこんな目にしときよって、偉いやつが総出で謝罪にきよらんと助けたらんわい」というのが彼の返事であった。 ■「広島は戦争末期に最大の被害を受け、火の海と化す」 昭和19年、王仁三郎の口からは、まるで自動小銃のごとく予言のつぶてが吐き出された。 「火の雨が降る。焼夷弾だけではない。火の雨だ」 「新兵器の戦いや」 「東洋に」ひとつ落としても、東洋が火の海となるような大きなものを考えている」 さらに同年、広島からきた信者にはこう告げている。 「戦争は日本の負けだ。広島は最後に一番ひどい目に遭う。それで戦争は終わりだ。帰ったらすぐ奥地へ疎開せよ」 「広島は戦争終末期に最大の被害を受け、火の海と化す。‥‥そのあと水で洗われるんや。きれいにしてもらえるのや」 実際、広島は8月の被爆後、9月には2回にわたる大水害に襲われている。 この原爆に関してはすでに18年の段階で、「広島と長崎はだめだ」と、非常にストレートな言い方もしている。当時は、軍部でもほんの一握りの首脳部のみが「アメリカが新兵器を開発している」ことを漠然と知っていただけで、よもや「東洋が火の海となるような」爆弾であるとは考えてもいなかった。 ■「日本の敗戦後は、米ソの二大陣営が対立する」 広島が人類史上初の核の洗礼をあびた2日後、ソ連はぬきうちとも言える対日参戦を行なった。これに関してもすでに昭和18年に、満州の部隊へ配置される信者子弟たちに対し、 「日本は負ける。ソ連が出て1週間もしたら大連まで赤旗が立つ」 さらに長野の信者たちに対しても、 「20年8月15日に留意せよ」 と予言し、翌19年の1月には、東満総省長になっていた大本信者の三谷清のもとへ、 「いま日本は必死になって南のほうばかり見て戦っているが、不意に後ろから白猿に両目を掻き回される」 という、王仁三郎の伝言が伝えられた。 これに関連して、王仁三郎は信者たちに「『霊界物語』の57巻をよく読んでおけ」と教示した。そこには、白猿に象徴されるソ連が突然背後から、日本を象徴する玉国別(たまくにわけ)に襲いかかることや、ニコラスという名でマッカーサー元帥の登場まで予言されていた。 また同じ年の昭和19年に、 「昭和20年葉月(8月)なかば、世界平和の緒につく」 と立て続けに終戦の予言を出している。 歴史が王仁三郎の予言どおりに動いてきたのは、周知の通りである。 しかし、終戦と同時に、王仁三郎はあまり予言めいたことを口にしなくなる。そして彼は、一種の芸術家のような平穏な暮らしにはいり、とくに、書道、絵画、楽焼きにふけるようになる。 それでは王仁三郎の予言はもうつきてしまったのか、というとそうではない。 これから起こるであろう私たちの未来についての予言は、全81巻にもおよぶ『霊界物語』にまだまだ秘められたままなのだ。 ■〈歴史〉と王仁三郎が示す6年間の神秘的符号 私たちは、王仁三郎あるいは〈大本〉と〈歴史〉の間に見られる不思議な暗合について触れておく必要があるようだ。 王仁三郎が徹底的な弾圧を受けたのは、昭和10(1935)年の12月8日である。この日、警官隊は綾部、亀岡、そして王仁三郎のいた宍道(しんじ)湖畔の松江別院を急襲したのだが、連合艦隊の特別攻撃機が真珠湾を急襲したのは、ちょうどこの日から6年後の12月8日であった。 しかも、日時だけでなく、宍道湖(しんじこ)→真珠湾(しんじゅわん)という地名まで符合している。 もちろん、このような例がこれひとつだけなら、偶然としてすますことができるかもしれない。しかし、次のような不思議な暗合が次々と重なってくると、これはなんらかの“意味のある偶然”としか考えられなくなってくる。 昭和11(1936)年4月18日、綾部、亀岡の聖地はその所有権を取り上げられ、全国の大本関係の施設が次々と破壊される。ちょうど6年後の昭和17年4月18日、アメリカの爆撃隊による最初の本土空襲が行なわれ、やがて全国の主要施設が空襲によってくまなく破壊されるようになる。 また、昭和20(1945)年9月8日、王仁三郎は大審院において無罪を言い渡される。ちょうど6年後の昭和26年9月8日、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、第二次世界大戦は法的にも終結するのである。 さらに、「昭和神聖会」の旗揚げは、昭和9(1934)年7月22日である。それからちょうど6年後の同じ日、第二次近衛内閣が発足する。この近衛内閣は、昭和神聖会が旗揚げしたのと同じ九段の軍人会館で大政翼賛会の結成大会を行なった。 このように、大本弾圧と日本の敗戦への足取りが、不思議にパラレルな関係になっていることをどのように解釈すればいいのだろう。 ■日本で起こることは、まず〈大本〉に起こる 〈大本〉では早くから「型の思想」ともいうべきことが強調されていた。それは「大本は世界の鏡」という「お筆先」にもしきりに出てくる言葉からもわかる。 この「型」には、受動的な意味と能動的な意味がある。受動的というのは、世界あるいは日本で起こることは、まず大本に「型」として起こるということであり、能動的な意味としては、大本で「型」を演じれば、それが日本あるいは世界に反映していく、ということなのである。 そして、実際にそういう「型」と「実地」の照応が、王仁三郎と日本の歴史、つまり弾圧と敗戦という形で、現実に生起したのである。このような現象は、その主役である「王仁三郎」や「日本」という存在が、時空間の全体構造のなかで、なにか特殊な存在、特別の役割をもった存在であったとしなければ、どうしても説明がつなかいのである。 ■霊界と現界の照応原理 物質界の根源をどこまでもたどっていくと、まったく物質的な性質のかけらもない世界に到達する。これによって推察できることは、霊界は、現界と対立して二元論的に存在するものではなく、現界と重なり合うような形で、いわば「合わせ鏡」のような感じで存在している、ということが導き出せる。 王仁三郎は、このような現界と霊界の関係を次のように述べている。 「現実世界はすべて神霊世界の移写であり、また縮図である。霊界の真像を映したのが現界すなわち自然界である。ゆえに現界を称してウツシ世というのである」(『霊界物語』)しかし、照応構造といっても、ここでいう霊界のパノラマと現界とは、まったく照応した同一の風景なのだろうか。ひとりの媒介者が霊界のビジョンをキャッチしたとき、それは現界の時間・空間とどのような関係で照応しているのかという問題が残る。 王仁三郎自身は、この点について次のように述べている。 「神界と幽界とは時間空間を超越して、すこしも時間の観念はない。それゆえ霊界において目撃したことが、2・3日後に現界に現れることもあれば、10年後に現れることもあり、数百年後に現れることもある。(中略)霊界より見れば、時空、明暗、上下、大小、広狭すべて区別なく、みな一様並列的に霊眼に映じてくる」(『霊界物語』) つまり、霊界はいわば「超時空連続体」のような概念でしか認識することができない世界なのである。このような照応構造が、一定の霊的磁場を通じてコンバート(転換)され、集中的に現界に作用した場合、「型」という現象として確認できる整合性をもった共振構造が起こるのではないかと推測できる。 通常の霊的能力では、このような特殊な霊的磁場を形成することなど不可能である。しかし、王仁三郎の、生涯をかけた霊界(神界)と現界の交感力には、もはや低次な霊的体験を超えた、神と人間との核心的な関係性が凝縮されるようになっていた。 ■霊的意志が神経に逆流すると発狂してしまう 高次な霊的意志、神示を現界に伝達するには、あらかじめ媒体となるのにふさわしい霊格=血脈、霊統と、霊界からのシグナルをキャッチする鋭敏な受信装置=霊能、魂体の所有者が必要となってくる。これは「天であらため、地であらためた血統」「天におひとり、地におひとりかわらぬ身魂の性来のやまと魂のたねが一粒かくしてありた」と、ナオの「お筆先」でも告知されている。 しかも、霊界から発せられる意志は、それが高次なものであればあるほど、強烈で錯綜したシグナルとして発信される。 一般の霊媒的性質だけもった人々の場合、かりにその霊媒が狐狸や人霊のような低いレベルの「霊界」ではなく、高次元の霊界=神界の一端と回路が開けたとしても、そこから発せられる強烈なシグナルの受信を、自分でコントロールすることがまずできない。つまり、正確に解読できないため、支離滅裂なことを口走ったり、あやまった予言を発してしまう結果となるのである。 だから、もともと高次の霊界との交感性は、ある選別された特定の人間によってしか確保されえないし、かりにそういう器でも、コンバート機構を自分のなかにつくれないと、霊界が神経に逆流して、発狂したりするのである。 このコントロールということは、ナオの初発の「お筆先」以前にも確認することができる。霊界からの啓示が、ナオの腹の底から強い力となって発生をうながすため、抑制しようとしても大声となり、隣近所から狂人と誤解された。その後、ナオ自身の肉体の内部と、霊界との交感によって、自動書記へとスイッチされたのである。 しかし、ナオと王仁三郎にはまた決定的な違いがあった。それはナオが「お筆先」という表現手段を通じて、霊界からの一方的な伝達を経て、それらの意味をあとから解読していったのに対して、王仁三郎はあらゆる身体的器官を通じて、霊界との交感回路を拡大していったことである。 こうして彼は壮大な霊的バイアス器官として進化していったのである。そして、ある段階で、このバイアス器官は彼自身も意識しないうちに、霊界のある領域と現界を結節する強力な磁場となって機能するようになっていったのではないだろうか。 ―― 『出口王仁三郎の霊界からの警告』(武田崇元・著/光文社文庫) このあと、「日本列島は世界地図の縮図である」という内容が続きます。王仁三郎が「大本神歌」のなかで、「日出る国の日の本は、全く世界のひな型ぞ、わが九州はアフリカに、北海道は北米に、台湾島は南米に、四国の島は豪州に、わが本州は広くして欧亜大陸そのままの、地形をとどむるも千早ぶる、神代の古き昔より、深き神誓の在(いま)すなり」と述べていることが紹介されています。 しかも富士山はヒマラヤに、琵琶湖はカスピ海にといったように、山や河や湖などの地勢まで、あたかも合わせ鏡のような相似形をしていることも、確かに不思議な照応関係といえます。 王仁三郎の著した『霊界物語』には、「日本の国土は国祖・国常立尊(くにとこたちのみこと)のご神体そのものであり、来たるべき霊界の復権のための磁場として立て分けられた」と述べられています。 このことから、「日本で起きたことは、やがて世界で起こる」という関係が導き出され、「大本→日本→世界」という照応関係が成り立つのです。 さて、大本は官憲によって徹底的に破壊され、それとの照応関係で、日本はアメリカ(を裏で支配する超国家権力)の手によって徹底的に破壊されました。国土も文化も歴史も、さらに教育から食生活にいたるまで、いまやかつての「古きよき日本」の姿は一網打尽にされた気がいたします。 そして、日本と照応する形で、いま世界が破壊されつつあると見ることができます。大本の第二次弾圧では、すべての施設が破壊されつくしたとされていますが、それと同じことが起こるとすれば何が起こるのでしょうか。王仁三郎はそのことを見通した上で、あえて「ひな型」づくりのための行動をしたと見られています。 その幅広い人脈関係から、第二次弾圧の可能性があることをたびたび警告されながら、まるで挑発するかのような行動を続け、ついに徹底的な弾圧を受けることになるのです。 しかも、最終的に裁判で無罪になったにもかかわらずも、その被害に対する賠償請求を全く行なわなかったことから見ても、弾圧を受けることは計算づくであったことがわかります。それは、「霊界で起こっていることを現界に誘導するための筋道を造った」ことになるのではないかと思っています。つまり、現界でひな型現象をあえて起こさせることによって、一連の終末の出来事がスムーズに起こるようにした、ということです。 以上は「2012年のカルマの法則」より |
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