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2011年11月25日 (金)

人類のカルマの清算が始まったーその③

第2章  人類のカルマの清算が始まった

 「身魂磨き」は心の悪い癖を直すことから


 まず、簡単なメンタル・ゲームにお付き合いいただきたいと思います。
 45度に傾いた大きなガラス板の上を、細かな鉄の粉が間断なく流れている光景を思い浮かべてください。そのままであれば鉄粉はガラス面を伝って下へ流れ落ちるだけですが、ガラスの裏側から強力な磁石を当てますと、流れ落ちる鉄粉が磁石に引き寄せられ、ガラスの表面に磁石と同じ形ができあがります。磁石がハート形ならハートが、ダイヤの形ならダイヤが、鉄粉の集合体としてできあがるはずです。
 今度は、固い磁石の代わりに「強力な磁気を帯びた粘土状の磁石(磁気粘土)」があると考えてください。すなわち、「粘土のように手で自由に形が変えられる磁石」ということです。そして、鉄粉はガラス板の上を流れているのでなく、霧のように空中を漂っているものとします。この場合でも、“磁気粘土”は空中の鉄粉をその表面に引き寄せて、“磁気粘土”と同じ形を作り上げるでしょう。
 では、更にイメージを膨らませて、この“磁気粘土”が透明であると考えてください。つまり、目に見えないのです。そして、その前に大きな鏡が置かれているとします。透明の“磁気粘土”は、そのままでは鏡には映りません。しかし、空中に飛散している鉄粉を引き寄せますと、その“磁気粘土”の形が鉄粉によって浮かび上がり、鏡に映ります。“磁気粘土”が犬の形をしていれば、鉄粉でできた犬の姿が、鳥であれは鳥の姿が映るはずです。しかも、粘土は“制作者”によって形を変えることができますから、鏡に映る鉄粉の像もさまざまな姿に変わります。

 ここで種明かしをしましょう。「透明の磁気粘土」は私たちの「心」をたとえたものです。それも普段は認識できない「潜在意識」ということになります。「大きな鏡」は私たちが体験しているこの「現実世界」というスクリーンなのです。私たちは目に見えている世界こそが「現実」と思っていますが、実は私たちが「現実」と思っているこの世界は、異次元(霊界)に存在する「実像」が鏡(現実世界)に映った「虚像」なのです。「現世」と書いて「うつしよ(映し世)」と読むのはそのためです。昔の人は心霊的にそのことを察知し、理解していたものと思われます。
 ちなみに「現世(うつしよ)」に対する「隠り世(かくりよ)」という言葉は、「あの世」ということで「死後の世界」と解釈されていますが、本来は霊界全般、すなわち異次元全体のことをさしている言葉です。
 さて、もう少したとえ話を続けます。私たちはいつも無意識のうちに「心(潜在意識)」という手を使って“粘土細工”をしています。制作中の像の姿は目に見えませんが、しばらくすると「現実世界」という鏡に映りますので、制作中の像がどんな物であるかを確認することができます。
 あるときは優しい観音様のような像を創っているかも知れませんし、または仁王様のような憤怒の像を創っているときもあるでしょう。「怒りの像」を創れば、空中に飛散している鉄粉(エーテル状のもの。量子力学でいう「量子」、仏教では「空」と呼んでいます)を引き寄せて、「怒りの像」を創り上げ、現実世界に映し出すのです。
 人によって、創る像には特徴が表れます。それが個性となって、その人の性格や運命、そして人生をも左右するのです。いつも「怒りの像」を創っている人、いつも「恐怖の像」を創っている人――そのような人の運命がどういうものであるかは容易に想像できると思います。逆に、いつも「周りの人を勇気づけ、楽しませる像」を創っている人、いつも「目の前の課題に果敢に挑戦する像」を創っている人――そのような人の人生も想像することができます。
 このように、どのような像を創るのが得意であるかは人によって違います。心にも癖があるからです。この「心の癖」が「カルマ」と呼ばれているものなのです。私が『2012年の黙示録』(たま出版)で力説している意味はこのことなのです。以下にその部分を抜粋してみます。

カルマはなぜ生まれるのか
 ‥‥カルマとは「過去生も含め、これまでの人生において魂が作り上げてきた波動の傾向」ということになります。そして、その第一原因となっているのは私たちの「心の癖」であるということです。
 私たちは、それぞれの心の癖によって、言葉や表情、しぐさなどにもある特定のパターンをつくりあげています。悩み事があるときに眉間にしわを寄せたり、不満に思うときに口をとがらせたり、失敗したときに赤い舌をぺろりと出したり、うまくいかないときに何回もため息をついたりと、無意識に特定の同じパターンをくり返します。それは潜在意識の奥深くに記憶された波動の傾向、すなわち心の癖なのです。
 このように、表面に形として現れたものを見ると、私たちの内面に何があるのかが理解できます。すなわち、結果を見ると原因がわかるということです。同じように、私たちの人生に起こるさまざまな出来事も、ある特定のパターンをもっています。そのパターンに気づくことによって、原因となっている心の癖と、その心の癖によってつくられた波動の傾向が理解できるというわけです。
 過去の人生の中で身につけた心の癖がカルマとなって、現在の私たちの人生に影響を与えているのです。しかも、私たちがその原因に気づき、心の癖を改めるまでは、そのような体験は似たようなパターンをとってたびたびくり返されます。しかも、それは常に仕事上の失敗や人間関係のトラブルなど、私たちにとって嬉しくない不運な出来事として形を現すのです。
                          ――『2012年の黙示録』(たま出版)


 このように、私たちが過去(前世、前々世などの「過去生」も含めて)において創り上げてきた磁気粘土の姿が、鏡(=現実世界)に映っているということです。そして、私たちはいまこの瞬間も「心の手」で新しい像を創り続けているのです。これからもずっと、この「手の癖(心の癖)」が人生を左右していくことになります。
 「終末」とは、そのような人類の「手の癖(心の癖)」のなかで人の進化と逆方向にある悪い癖を修正するために、神が仕組んだ一大イベントだと理解すべきでしょう。ですから、終末の極限的な状況を迎えるまでに、その「手の癖(心の癖)」を軌道修正しておけば、つまり悪いカルマを解消しておけば、終末において天変地異に巻き込まれ、阿鼻叫喚の巷をさまよう必要はないのです。それは人類全体についても言うことができます。

 「善悪」を判断する基準は何?

 ここで念のために「善い」「悪い」の判断を何でするのかということについて説明しておきます。これは「カルマの法則」が分かれば簡単なことです。つまり、「自分が与えたものが自分に返ってくる」というのがカルマの法則ですから、「自分が受け取りたくないもの」が「悪いカルマ」ということになります。
 たとえば他者から「憎まれる」「人前で批判される」「無視される」「陰で悪口を言われる」ということは決して心地よいものではないと思います。そういうことを他人からされたくなければ、自分も他人に対してやってはいけないということがわかります。それがカルマの法則の意味なのです。「自分が蒔いた種は自分で刈り取る」「他人に与えたものが自分に返ってくる」ということで、「自分に返ってきてほしくないもの」を「悪いカルマ」と判断すればよいわけです。そのように気づきを重ねることによって、人は自らの魂を磨き、次第にレベルアップ(進化)していくのです。
 そのことが新約聖書の中でも、イエス・キリストの言葉として次のように述べられています。(以下は「ルカによる福音書」より抜粋)

 人々にしてほしいとあなたが望むことを、あなたも人々にしてあげなさい。

 人を裁かないようにしなさい。そうすれば、神もあなたがたを裁かれないでしょう。また、人を非難
(condemn)しないようにしなさい。そうすれば神もあなたがたを非難されないでしょう。許してあげなさい。そうすれば神もあなたがたを許されるでしょう。与えなさい。そうすれば神もあなたがたに与えられるでしょう。

 あなたがたが他人を量る量りで、神はあなたがたを量り返されるでしょう。


 要するに、自分が他に与えたものがそのまま自分に返ってくるということですから、自分が望まないことは他者にもしないほうがいいということです。もちろん、これは心の使い方を処方しているわけですから、対象を人間に限っているわけではありません。この地上に生きるすべての生き物に対して、あるいは私たちが無生物と思っている物に対しても、特定の感情を持って接するならば、それはそのまま同じ形で自分に返ってくるということです。返ってきたものが自分にとって好ましいものであれば、それが「善」ということになり、逆の場合は「悪」だと考えればよいわけです。
 このようにして、人類の一人ひとりが、自らの気づきによって悪いカルマの清算を済ませるならば、人類の集合意識は浄化され、地球のカタストロフィーを穏やかなものに変えることも可能でしょう。「大難を小難に変える」ということです。しかし、今日の世界を裏からコントロールしている勢力が、人類の意識が浄化とは逆の方向に向かうように操作している現状では、それは望めそうにありません。しかも、もう残された時間がほとんどないのです。
 そこで、まず気づきを得た人から順番に「透明の磁気粘土」を正しく操作することに務めながら、同時にその正しい操作方法を周りの人に伝えていくことが必要になってきます。
 これから起こる一見悲惨に見えるできごとに心を曇らせることは、磁気粘土を恐怖の姿に創り上げることになるのだ――ということを周りの人たちに伝えていくことが大切なのです。そうでないと、人類の集合意識が創り上げた「恐怖の像」が「現実世界」という鏡に映り、その姿を見て多くの人がまた新たな「恐怖の像」を創り上げるという悪循環に陥る危険性があるからです。
 いま鏡に映っている像は「過去に創り上げた磁気粘土の像」なのです。これから創る像の形を変えれば、鏡に映る像も変わってくるわけですから、恐れる必要はないのです。鏡は私たちに、その「手の癖(心の癖)」を教える働きをしているのです。
 多くの予言によれば、「新しい世界」では、透明の粘土を直接見ることができるようになると言われています。つまり、心の動きがすぐに形として現れるということです。そのとき、たとえば「憤怒の像」を創る心の癖を持つ人は、大変恐ろしい世界をつくり出すことになるでしょう。終末の後に訪れる「神の国」とは似ても似つかぬ世界のはずです。
 そのような人たちは、鏡に映った自分の姿を見てゆっくりと「手の癖(心の癖)」を修正することはできませんから、「神の国」と呼ばれる世界に住むことができないのです。その人たちが進む世界がどういう世界なのかは、予言にもあまり詳しい説明がなされていません。『日月神示』には「ノーにする(消滅させる)魂もある」という表現がありますから、あまりにも醜い心の癖を身につけてしまった魂は、文字どおり消滅させられてしまうことがあるのかも知れません。

 身魂が磨けておれば心配はいらない

 カルマの性格がどういうものかご理解いただけたでしょうか。私たちは、個人のカルマだけでなく、宗教団体などの組織的なカルマ、国として、民族として、あるいは人類全体としてのカルマも背負っています。つまり、さまざまな形で「心の癖」を身につけているのです。いま終末を迎えるにあたって、その「心の癖」の徹底的な軌道修正が迫られているということです。
 その意味をご理解いただくために、もう一度拙著『2012年の黙示録』を引用します。

■人類は清算できないほどのカルマを抱えてしまっている
 
まず、私たちの潜在意識の中には、この終末までに清算しておかなければならないカルマが大なり小なり蓄積されています。それは私たちの運命や肉体に、不運な出来事や病気・怪我などの形で影響を与えることがわかっています。また、1回の人生で清算できないような大きなカルマは、生まれ変わった次の人生へと持ち越されることになります。
 そして、先祖や国、民族、人類全体のカルマは、関係する魂が背負わされることになっているのです。カルマは必ず誰かが清算しないと消えないからです。個人のカルマは個人の病気や怪我、その他の不運な出来事として形を現します。同じように、先祖代々のカルマや国のカルマは、それぞれその子孫や国民の不幸な出来事として形を現すのです。
 私たちに気づきがない場合は、形を現したカルマを見て恐れたり、憎んだり、呪ったりします。そのことによって、また新しいカルマの原因をつくってしまいます。このようにカルマがますますふくらんできて、もはや人類全体のカルマを人類自身の手で清算することができない状態になっているのです。人類の集合的無意識からあふれ出したカルマが地球意識を汚染し、物質地球そのものの破壊という形でカルマの清算が始まっています。これが終末現象ということです。
 人が病気や怪我、他人との争いなどの形でカルマを発散させるように、地球は環境汚染や異常気象、自然発火による森林火災、洪水や地震、戦争やテロ、内乱などによってそのカルマの発散を続けています。そのような現象を体験することによって、人類は恐怖心に駆られ、自らの不幸な運命を呪うという形で新しいカルマの原因を作り続けていますので、このまま行けば、やはり地球は一大天変地異を迎える以外にカルマの清算ができないのかも知れません。どこかでこの悪循環を断ち切らなければいけないのですが‥‥。
                            ―― 『2012年の黙示録』(たま出版)


 ここで少し整理をしておきましょう。
 私たちの心が創り上げる「磁気粘土像」が、「現実世界」という鏡に映っているということでした。私たちは鏡に映った像を見て、喜んだり、悲しんだり、恨みに思ったり、恐れたりします。そのことによって生まれる心の状態が、また新しい像の制作に影響を及ぼしていくのです。そこには一定の心の癖が生まれていきます。その心の癖が「カルマ」と呼ばれているものです。ですから、カルマは「私たちがどのような心の癖を持っているかを教える働きである」と言うことができます。
 鏡に映った像を見て一喜一憂する必要はありません。その像を見て、自らの心の癖を理解し、もしその内容に問題があると思えば、それを改める努力をしていくことが大切なのです。それをやりさえすれれば、終末のカタストロフィー(破局)は全く恐れる必要はないのです。それは人類がカルマを清算し、新しい世界へと巣立っていくために神さま(創造神)が準備された「卒業試験」だからです。

 最後に、これから起こる現象を考える上での大切なポイントを申し述べておきます。
 いま、時間のスピードが速くなっていることが実感できると思います。それが終末現象とどういう関係になっているのかということです。私たちが「心の手」で創り上げる磁気粘土像が、従来よりも速いスピードで「現実世界」という鏡に映ってくるようになっているということです。地震などの自然災害の発生する頻度が高くなっているのもそのことを表しています。
 そのような自然災害やテロなどの形で現れた磁気粘土像を見て恐怖心を起こす人が多ければ、人類の集合意識を映す鏡はますますおぞましい像を映し続けることでしょう。そのことでまた多くの人が恐怖にかられる、という悪循環が加速されることになります。
 人々の恐怖心をエネルギー源にしていると言われる異次元の悪魔的存在は、人類が恐怖心に駆られるように巧妙に働きかけているのです。その悪魔的存在に操作されているのが今日の世界を陰から支配している「陰の超国家権力」だということができます。

 では、私たちは現在の地球上で繰り広げられつつある、一見悲観的な鏡の像を見てどのような心の姿勢を持つべきなのでしょうか。そのことが端的に表現された文章を改めてご紹介しますので、ぜひ肝に銘じていただきたいと思います。ここでもう一度『日月神示』の以下の一文にご注目ください。

 ミタマ(身魂)磨けておれば、心配なくなるぞ。心配は、磨けておらぬ証拠ぞ。
 ミタマ磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ。


 ここでは、「終末のことが心配になる人は、まだ身魂が磨けていない証拠だ」という厳しい表現がされています。確かに、終末現象を恐れる気持ちがある人は、まだ「磁気粘土」と「鏡」の関係が理解できていない人と言えるでしょう。また、頭で理解していても、その鏡に映る像を見て心の使い方を修正する努力をしない人は、やはり恐怖の終末現象を体験させられることになります。
 「ミタマ磨きとは、善いと感じたこと直ちに行なうことぞ」――この言葉を肝に銘じて日々精進を重ね、「終末の大峠」を嬉々として乗り越えていきたいものです。
以上は「2012年のカルマの法則」より

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