第6章、カルマの清算はどうすればできるのかー⑥
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以下は「2012年のカルマの法則」より 人を裁いてはいけませんここでもう一度、「新約聖書は、イエスという超能力者が2000年前のユダヤの人たちに終末の生き方を教えた言行録」であるということを確認しておきたいと思います。 聖書は、決して「キリスト教徒の持ち物」ではありません。イエスはキリスト教という宗教団体を作ろうとしたわけではなく、ただ弟子たちに「私の言ったことを多くの人に伝え広めなさい」と指示しただけです。なぜ伝える必要があるかといえば、それは「終末において天の父による人類の審判が行なわれるときに、選ばれる側(羊にたとえられる)に置いてもらえるように」ということです。 イエスは、終末の土壇場で人は羊と山羊を分けるように選別されると述べています。そして、「選ばれるためにはどうすればよいのですか」という弟子たちの質問に対して、いろんな譬えを使いながら、大切な戒め commandment について教えているのです。 次の一文もその戒めを述べた内容ですが、質問の中にある「永遠の命を得る」ということが「選ばれて神の国に入る」という意味に使われています。 ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った。「先生、永遠の生命を得るには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。イエスは言われた。 「‥‥もし、(永遠の)命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。 彼は言った。「どのいましめですか」。イエスは言われた。 「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな、父と母を敬え』そして 『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』です」。(マタイによる福音書) 「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな、父と母を敬え」という戒めについては、今日の日本社会においてもっとも声高に叫ばれないといけない内容と言えそうです。イエスの生きていた時代もそのような乱れた世の中だったのかもしれませんが、それにしましても、まるで今日の世の中を見通していたかのような内容であることに驚きを覚えます。今日では子の親殺し、親の子殺しのニュースさえ珍しくなくなってきました。 イエスが終末に大切になる戒めの中に「父と母を敬え」という内容を含めたのはなぜでしょうか。その点は後ほど別項で説明してまいります。 さて、本日の表題にしている「人を裁いてはいけません」という内容は、マタイによる福音書では、イエスの言葉として次のように表現されています。 人を裁いてはいけません。自分が裁かれないためです。あなたがたが他の人を裁くその裁き方で、自分も裁かれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるでしょう。 なぜ兄弟の目にある埃(ほこり)を見ながら、自分の目にある埃を認めないのですか。自分の目には丸太があるのに、どうして兄弟に向かって、「あなたの目から埃を取らせてください」と言えるでしょうか。まず自分の目から丸太を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目から埃を取り去ることができるでしょう。(マタイによる福音書) まず、「人を裁く judge」とは具体的にどういうことでしょうか。それを別な言葉で言うならば「自分の基準で人の言動の善悪を判断し、それによって好悪の感情を抱く」ということでしょう。「善(と思う行為)を喜び、悪(と思う行為)を嫌悪する」ということになります。 その結果、その人は「自分が量ったのと同じ秤(はかり)で量り返される」と述べられています。その「同じ秤」とは、「喜ぶ気持ち」には「喜ぶ気持ち」が返り、「嫌悪する気持ち」には「嫌悪する気持ち」が返ってくるというカルマの法則を述べているのです。 では、人を裁かないためにはどうすればよいのでしょうか。人の言動の善悪によって、感情を左右されないということです。そのことを、イエスは「あなたの敵をも愛しなさい」「右の頬を打たれたら、左の頬をも出しなさい」という極端な譬えを使って表現していました。 だから、十字架にかけられた自分を口汚く罵ったり、投石したりする群衆に対しても、イエスは神への祈りの中で、「あの人たちを許してあげてください。自分たちが何をしているかわからない(気の毒な)人たちなのです」と述べ、決して怒ったり憎んだりしていないのです。 上の文章は、続けて「兄弟の目にある埃 speck を取ろうと思う前に、自分の目についている丸太 log を取り除きなさい」と諭しています。「他人の中に見える欠点が気になるのは、それは自分の中に同じ欠点があるからだ」と言われますが、まさにそのことを述べているのです。しかも、他人の目についているのは小さな埃であるのに対して、自分の目についているのは丸太のように大きなものだと述べています。つまり、他人の欠点は小さなものでも気になるが、自分の欠点は非常に大きいものであっても気がつかないものだということを例えているのです。 他人の欠点を見て嫌悪したり憎悪したりして心を曇らせると、自分は終末の大峠においてその数十倍も、数百倍も嫌悪され、憎悪されるということを教えてくれています。 結論として、「人を裁く」という意味は、「他人の言動に対して悪い感情を持つ」ということであると理解しておきたいと思います。「人を呪わば穴二つ」という諺と同じく、カルマの法則そのものを述べていることがわかります。さらにシンプルな表現として、新約聖書の中の次の言葉も記憶にとどめておきたいものです。 あなたがたも、もし心から兄弟を許さないならば、わたしの天の父もまた、あなたがたに対してそのようになさるでしょう。(マタイによる福音書) |
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