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2011年12月27日 (火)

マスメデイアの問題点ーその⑦江戸・幕末・明治元年時には

江戸時代には、瓦版(かわらばん)という新聞のような

一枚刷り(木版)の雑誌のようなものがありました。おもに

天変地異や大火、心中など時事性の高いものや政治以外

の社会ニュースを伝えていましたが、明治に入ってからは

、新聞にとって代わり衰退していきました。

近藤勇の

晒し首の

瓦版。

幕末の開国以来、居留外国人の間では英字新聞が発行

されていましたが、日本語の新聞はまだありませんでした。

というのも、幕府が出版物を厳重に規制し、新聞の編集・

発行の知識と印刷技術がまだなかったからです。

戊辰戦争で、国内が混乱してくると全国で、「今、何が

起きているのか」とニュースを求める声が高まると、

英字新聞の発行に携わっていた人達や旧幕臣が、

日本語の新聞を発行しはじめ、全国各地で新聞社が

立ち上げられました。 

もっとも早く発行された「中外新聞」(明治元年創刊)は、

部数を急速に伸ばし(1500部)、その成功が後に続く

新聞の発行を促したことから “ 日本近代新聞の祖 ”

とみなされています。

当時の新聞発行者たちは、旧幕臣など幕府を支持

する者が多かったため、記事の内容も薩長中心の

藩閥政治を批判するものもありました。これは、

新政府の怒りを買い、逮捕・投獄される者まで出ました。

以降は政府の許可なしに新聞の発行は、一切禁止

となり、生まれたばかりの新聞は、即壊滅、いったん

社会から消えたのです。

翌明治2年に新政府は、「新聞紙印行条例」を発布し、

検閲を受けることを条件に許可を得た新聞の発行を

認めましたが、いずれも政府の顔色を窺うものにな

ってしまったのです。この後、明治3年に創刊された

「横浜毎日新聞」は、現代と同じ活版技術で印刷

された、日本初の日刊新聞です。

以上は「THINKER」より

第一号 (明治元年)         


『横浜毎日新聞』(明治3年)

『中外新聞』

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