実現論34、第四部、場の転換(ニ)場と主体のズレ(圧力と活力源のズレ)
全ての生物は、場の圧力を活力源としている(そもそも外圧に最適反応する様に、本能そのものが作られている)。だから、自然圧力=本能活力源である。人類の場合は、主要な存在の場が共認圧力の場に移行しており、その共認圧力を主要な活力源にしている。だから、共認圧力=共認活力源である。ところが現代の支配共認は、自我に基づく思い込み収束(唯一絶対信仰)による極度な固定観念の共認なので、殆ど変化しない。従って、固定観念の共認が作り出す圧力も、急激には変化しない。ところが、この支配共認の中身は性闘争・私権闘争の本能につながっているので、意識下での場の変化に即応して活力が先行して変化してゆく。従って、変動期になると場(圧力)と主体(活力)の間に大きなズレが生じる。 |
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人類は、既に動物的な生存圧力を超えた同類圧力=共認圧力を活力源とするしかない状態にあり、現に動物的な生存圧力→私権圧力の衰弱という場の変化に反応して潜在意識(本能回路や共認回路)は本源収束を強め、自然充足や共認充足を主活力源にしようとしている(妨害物がなければ、とっくにしている)。ところが、顕在意識は支配共認一色に染脳されており、その支配共認は己に対立する本源意識を排斥し、意識下に封じ込め続ける。しかも、その支配共認は性闘争→私権闘争を基にして形成されているので意識下の本能回路に連なっており、その意識下の部分は、場の変化に反応してどんどん衰弱してゆく。要するに、支配共認が全ての桎梏(手かせ足かせ)となっており、その旧い共認圧力は一方では新たな共認形成を抑圧・封鎖しながら、他方その旧い共認圧力が作り出す筈の活力は、衰弱する一方である(従ってその共認圧力も、急激ではないが、相当に低下している)。従って、複雑なことに、新たな場と旧い主体のズレ(潜在意識と顕在意識の断層)、および旧い場と旧い主体のズレ(旧い共認圧力と旧い私権活力の断層)が相互に絡み合っており、この場と主体の間の二重のズレが、現代人に得体の知れない大きなストレスを負荷し、疲労を蓄積させてゆく。 | ||||
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まず第一に、既に私権追求(更には性の自由追求)の活力は衰弱する一方なのに、共認圧力は私権(性権・占有権)第一のままなので、さっぱりリアリティーがなく、ヤル気の起こらない私権課題に(それでも囲い込まれてそれを共認している以上、ましてそれが社会的共認圧力として働いている以上)否応なく立ち向かわなければならない。この状態は、人々に深刻な空焚き疲労・燃え尽き疲労を強いる。これは納得ずくの筈の囲い込み共認による強制的・全身的体罰であり、人類に対する拷問に近い心身損壊の残虐行為である。(もちろん、この角度から、子供や男たちの「人権擁護」が省みられたことは一度もない)。 | ||||
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更に第二に、既に本心(意識下の本能回路や共認回路)は、本源的な自然収束や共認(期待・応望)収束に向かっているのに、その大部分が囲い込みの支配共認に蓋されて意識上への出口を塞がれ、抑圧され続ける。この状態は、人々から可能性収束の芽を摘み取り、人々に無為感や無力感を植え付け、人々を深刻な無気力状態に追い詰めてゆく。これも、人類に対する拷問に等しい残虐行為である。 | ||||
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当然、この得体の知れない巨大なストレスは、癒し欠乏(=現代の不全感)を強めさせる。かくして男たちは(粗大ゴミ扱いされながら、それでもなお)家庭収束(※実態は個室収束である)を強め、遊興の場であるネオン街さえ寂れてゆく。前述した若い男女の安心収束も、若者の仲間収束も、この癒し収束が根になっている。大人だけではない。今や子供まで、何をするにも「疲れた」「どっこらしょ」を連発し、疲れ果てながら日々をやり過ごしているという有り様である。これが、囲い込みによって作られた「私の彼氏」「私の子供」の実態である。だが、事態はストレスを解消すれば済む様な、甘いものではない。場(=環境)に適応できなくなった生物は、絶滅するしかない。これは、外圧=環境と生き物を貫く大原則であって、人類ももちろん例外ではない。 | ||||
040406 | ||||
人類の障害物は唯一つ、支配共認の固定回路だけである。人類は、既に同類圧力を主要な活力源とするしかない状態にあり、人々は、身(の基底部=本能回路と共認回路)を既に同類圧力=共認圧力の場に置いている。ただ、顕在意識だけが固定観念に収束する様に囲い込まれ、その欺瞞観念に囚われて相変わらずこの世は生存第一・私権第一で、そこ(生存圧力=私権圧力の場)で生きるしかないのだと、思い込まされているに過ぎない。だが、既に見てきた様に、生存第一→私権(性の自由と占有権)第一→市場第一→権利第一の支配共認では活力が衰弱するばかりであり、それどころかこのままでは間違いなく人類は滅亡する。今や、支配共認は人類を全面閉塞状態に閉じ込める牢獄でしかない。しかも、無期ではなく、もうすぐ人類を窒息死させるガス室となる。何度も指摘してきたが、特に致命的なのは、この支配共認に囚われている限り、誰も何も考えようとしないことである。だから、この支配共認の下では何も新しい認識が生まれず、従って、人類の新たな活力源となるべき共認闘争圧力(新たな同類闘争圧力の中枢となるべき圧力)が全く生じてこない。既に古い生存圧力は(囲い込み共認によって)衰弱し、新たな同類圧力=共認圧力は(囲い込み共認に封鎖されて)生じないとしたら、この囲い込み共認を爆破して終わない限り、人類は何をやる気力もないまま、ただ衰弱死を待つだけである。 以上は「るいネット」より |
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