実現論36、第四部、場の転換(ヘ)秩序収束=規範・制度の共認圧力と政権闘争
もちろん、共認闘争は新たな圧力=活力の核であって、核だけで必要な圧力=活力の全てが形成できる訳ではない。支配共認の背後には商品市場←性市場が存在しており、それらを封鎖して終わない限り、自我・私権(性権・占有権)は衰弱しながらも発生し続ける。そうである限り、人々の頭の中に巣喰う自我・私権意識がそれと対立する本源意識を排除し続け、本源的な共認圧力がなかなか肉体的な活力源に成ってゆかないことになる。では、性市場・商品市場を縮小し封鎖してゆく為には、どこに楔を打ち込むのが最も有効か? | ||||
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性闘争の場としての性市場は、(その定義に従えば)モグラ以来、原初的・本能的に存在している。しかし、共認動物の性闘争→性市場は性闘争=縄張り闘争の本能のままに在るのではない。逆に性闘争本能を止揚→規制する秩序収束の共認圧力が恒常的に働いており、共認された権力と制度が、性闘争や性市場の在り方を絶対的に規定している。商品市場ももちろんそうであって、私権闘争を止揚→規制する権力と制度によって、私権闘争や商品市場の在り方は絶対的に規定されている。性市場は、(性闘争本能をそこに収束させた)性的自我に基づく否も応もない性権力の共認をはじめ、それを保障する私権制度やそれに付帯する性幻想や恋愛観念などの共認が作り出した圧力の場であり、商品市場は(縄張り闘争本能をそこに収束させた)自我に基づく否も応もない占有権力の共認をはじめ、それを保障する私有制度やそれに付帯する個人や自由や豊かさ追求の共認が作り出した圧力の場である。つまり、性市場や商品市場は、性闘争を下敷きにした自我闘争と、それを止揚した権力(性権→占有権)およびそれを保障する私権制度、およびそれらを正当化する欺瞞観念の共認によって作られたものである。 | ||||
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これら秩序収束の共認圧力(権力と制度と観念の共認圧力)に備わる力の絶対性は、例えば徴税制度が制定されている限り(払わなければ投獄されるという、暴力装置つきで)否も応もなく税を収奪されるとか、学校制度が制定された以上、否応なく学校に行かなければならないとか、身近に至る所で感じられる所であるが、その絶対的な力は、権力によっても形成されるが、実はそれ以前に共認圧力によって形成されている。たとえ真猿や人類私権時代の性闘争・私権闘争の様に出発点は性闘争・私権闘争⇒力による制圧であったとしても、その背後には、絶えざる闘争と破壊には耐えられずに安定収束する生き物全般を貫く摂理が働いており、それ故に共認動物も闘争よりも制圧を支持し、性闘争・私権闘争を制圧した力の序列を共認したのである。この序列共認は、皆が求める安定⇒秩序維持の為の共認であり、(同時に共認された序列闘争の様式に則って、順位の上昇を図ることはできても)その序列規範(≒制度)そのものを破壊することは誰にも(例えば、その私権闘争の制覇力をもってしても)出来ない。まして人類史の大部分を占める極限時代や採集時代には、この秩序収束の共認圧力によって性闘争・私権闘争は完全に封印され、秩序維持の為の集中婚規範=制度や総偶婚規範=制度をはじめ、様々な規範・制度の共認圧力が絶対的な力として働いている。 | ||||
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この絶対的な力は、絶えざる闘争と破壊を回避しようとする根源本能(適応本能や危機逃避本能)を下敷きにした安定収束⇒秩序収束⇒規範収束によって与えられており、その秩序収束力⇒規範共認圧力は、危機時には解脱収束力⇒解脱共認圧力をも凌ぐ絶対的な圧力の場を形成する。そして、この秩序収束⇒規範(制度)共認の圧力こそが、サル・人類の恒常的な存在の場を形成している。その場(圧力)の中では、たとえ性闘争や私権闘争が発生し、それ自体は力によってしか制圧できないとしても、その制覇力の序列共認が形成されて性闘争・私権闘争をくるみ込み、絶えざる闘争と破壊を回避してゆく。従って、規範(制度)共認の圧力=場こそが、権力をも包摂して終う、より包摂的な場(圧力の場)なのである。 | ||||
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人類において、秩序収束⇒規範・制度の共認圧力は、それほどに絶対的である。当然、規範や制度が人々の意識≒価値観を規定する力も、ほぼ絶対的である。従って、私婚制や私有制をはじめ、私権法制がそっくりそのまま残っている限り、性闘争・私権闘争は発生し続け、従って性市場・商品市場は蔓延り続ける。そうである限り、認識転換は極めて困難となる。現に我々(『類』)が経験している様に、たとえ理論を共認し認識転換したとしても、現実生活の全てが個人を主体とし、個人に性権や占有権や参政権を与える法制度の下にある限り、法制に規定されて肉体的次元から自我や私権意識が発現し続ける。従って、新たな共認がなかなか現実の力とならず、従って肉体的な活力源に成ってゆかない。とりわけ性=婚姻を私的な選択に委ねる規範・制度の下に在る限り、集団破壊の性的自我や私権収束が至る所で顕現し、そうである限り、本源的な共認圧力=活力源が現実化しない。 | ||||
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要するに、人類の新たな活力源=同類圧力の場を形成する為には、認識の共認という意味での狭義の共認圧力だけでは不充分なのであって、その認識の共認が秩序収束力に基づく本源的な規範・制度の共認圧力に変換されて初めて、絶対的な(当然、現実的・肉体的な)活力源=同類圧力の場が実現する。従って、まずは参政権を手始めに、最終的には占有権や性権(選択権)に至るまで、それらの主体を個人から集団に移行させ、私権法制を全面解体して本源法制を確立してゆくことが不可欠となる。逆に言えば、既に生命力を失った自我・私権が未だに生成され続け、形骸化した性市場・商品市場が未だに生き長らえているのは、秩序収束力に基づく(しかし現状、それに替わるものがない)私権法制の共認圧力という人工呼吸装置によってであり(実際、それに替わるものがないのにそれを破壊すれば、秩序が崩壊=滅亡する)、私権法制に替わる本源法制の共認圧力が働き始めれば、自我・私権や性市場・商品市場など一気に吹き飛び、雲散霧消して終うに違いない。 | ||||
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さて、もともと本源集団を破壊した性闘争→掠奪闘争を止揚したのは、私権統合国家であり、それ以降、性闘争→私権闘争を統合し、私権(性権→占有権)の共認を核とする様々な法制度を作ってきた国家(国会)こそ、性を私的選択に任せる性闘争のパラダイムを含め、性闘争・私権闘争の全てを包摂し、その在り様を規定している全ての要である。従って、自我・私権を廃棄し、性市場・商品市場を縮小→封鎖する為に不可欠かつ最も有効な場は、私権統合国家そのものである。つまり、本源的な共認圧力=新たな活力を現実化する為に我々が楔を打ち込むべき場は、国家である。 | ||||
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実際、国家は性闘争・私権闘争の在り様(私的な性関係や性権・占有権や一対婚や自由な性)を絶対的に規定しており、それらが生み出した性市場→商品市場をも規定している全ての要=社会的な秩序収束の要である。従って、秩序収束の頂点に立つ国家権力さえ掌握すれば、その絶対的な秩序収束力=規範・制度の共認圧力によって、自我・私権や性市場・商品市場などどうにでもなる。従って、新たな共認圧力を現実の力=肉体的な活力源として固めてゆく為には、政権の奪取が不可欠である。今や、民主国家(国会)は社会共認に従う存在であり、また、本来国会は共認社会を統合する共認ネットワークの頂点に位置すべき機関である。だから、共認社会の実現を目指す運動が国家権力を掌握することに、(その権力を破棄することさえ出来れば)大きな矛盾はない。もちろん、殺し合いを阻止する為には、事実に立脚した可能性のある理論とそれに基づく正しい施策が不可欠であり、その為にも政権の交替が必要なことは言うまでもない。従って我々の提起する共認闘争は、必然的に新政権の樹立を目指す政権闘争となる。おそらく、共認闘争を担う共認ネットワークを母胎にして、新政権を目指す新政党が結成されることになるだろう。 以上は「るいネット」より |
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