実現論37、第四部、場の転換(ト)本源集団の再生
民主国家は、既に社会共認に従う一個の共認体となっている。しかしそれは、共認動物が棲息する場である以上、当然のことなのであって、共認動物が形成する集団は、国家であれ企業であれ、当然全て共認統合体である。その意味で、本来的(=潜在的)には、国家は私権闘争の統合体である以前に、何よりも国民の共認体である。ただ、性闘争・自我闘争を基底パラダイムとする集団は、それを制覇した力の共認=否応のない権力の共認を基軸とするしかなく、そこではとうてい仲間同士の共認によって集団が形成されているとは感じられないので、共認体ではなく権力体として意識されることになる。実際、それは性闘争や自我を封印してきた本源集団から大きく逸脱しており、共認統合体と言うより権力統合体と呼ぶ方が適わしい。しかし、権力の共認を基軸とした統合体であるとは言え、それでも広義には、秩序収束を基盤にした共認によって統合された共認統合体なのであって、実際、国家や企業は支配共認をはじめ至る所で形成される様々な共認によって統合されているのである。 | ||||
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しかも、私権圧力が衰弱し共認圧力が強まってゆくにつれて、国家の本質はますます私権統合体から共認統合体へと変質してゆく。今後、占有権力に続いて性権力が衰弱すれば、国家は一気に共認統合体へと近づくだろう。しかし、性闘争・自我闘争を基底パラダイムとしている限り、何らかの権力の共認を基軸とするしかなく、それでは決定的な限界がある。要するに、超肥大集団とバラバラの個体という性闘争・私権闘争のパラダイムのままでは、国家は権力共認→支配共認の統合体でしか在り得ず、それでは人類は滅亡する。国家が真の共認統合体となる為には、何よりも本源集団の再生が不可欠であり、その上でそれら本源集団を原点とする共認ネットワークの構築が不可欠である。 | ||||
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国家と同様に企業も、本来的(=潜在的)には、市場で利益追求に明け暮れる存在である以前に、何よりも一個の生産体であり、更にそれ以前に一個の共認集団である。(現代でも、思想の自由、結社の自由は、民主主義の大前提として表向きは共認されている。)もっとも、絶対的な私権の強制圧力が働いていた頃は、企業は何よりも先ず利益を追求する存在で、「本来は、それ以前に一個の生産体であり、共認集団である」事を省みる余裕など殆どなかった。しかし、私権の強制圧力が衰弱し、(福祉や環境や贈収賄に対する)共認圧力が強まってゆくにつれ、企業も利益追求存在である以前に、社会の成員たる一生産体(or 集団)である事を慮らざるを得なくなってきた。もちろん、いかに私権圧力が衰弱しても権力体である限り、その成員に結社の自由などある訳もなく、「本来は、自分たちで作る自分たちの集団である」という自覚は乏しいが、しかしそのままでは活力も統合力も衰弱して企業として生き残ることが出来なくなるので、いずれは『自分たちの生きる場を自分たちで築く』共同体に転換してゆかざるを得ないだろう。しかも、それは類が実証した様に、認識を転換しさえすれば30年前でも実現できたことなのである。 | ||||
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企業を私権統合から共認統合に変えるのは決して不可能ではなく、むしろ簡単である。企業を合議制の共同体に変えれば良い。例えば、会議を中央席から同心円形に二重・三重に囲む形にし(当社では「劇場会議」と呼んでいる)、まずは取締役を中央に座らせ、外側に部課長たちが座って自由に発言させるという風に、取締役会をオープンにしてしまう。それが出来たら次は、部門ごとに部課長が中央に座り、外側に全社員が座って自由に発言するという風にして、完全にオープンな全員参加型の体制に変えてゆく。もちろん、その為には経理を含めた全情報を全社員に公開する必要がある(その為には、相当量のシステム化が必要になる)ことは言うまでもない。 | ||||
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近代社会は、民主主義を標榜してきた。だが、民主主義を口にするのなら、何よりもまず日々の仕事の場=生産体を、自分たちで動かすことのできる共同体に作り変えるのが、本当ではないのか。日々エネルギーの大半を費やして生産活動を営む、最も身近な集団を自分たちで動かすことのできない権力体のままにしておいて、はるかに遠い超肥大集団=国家(議会)に四年に一回投票するだけの、西洋式の民主主義など全くのごまかしである。人類が五〇〇万年に亙ってその中で育まれ進化してきた『自分たちで動かすことのできる生産体or 集団』は、人間にとって決して失ってはならない絶対的人権である。人々から生命の母胎とも言うべき本源集団を奪い盗り、何もできない様に去勢しておいて(現に、サラリーマンからは何の運動も生まれなかった)、支配共認に染められた民に「主権」を与えただけのまやかしの「主権」在民や、支配共認の枠内に矮小化された「人権」尊重へと国民を染脳するのは、むしろ犯罪的でさえある。 | ||||
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企業を合議制の共同体に変革しさえすれば、三年以内に『自分たちの生きる場を自分たちの手で作ってゆく』ことの大切さを、皆が体得してゆくだろう。言い換えれば、共認と集団の大切さが体得されてゆくだろう。それは、長い間権力によって封鎖されてきた、人類本来の豊かな共認充足の再生に他ならない。しかし、それだけではなお不充分である。私権=権力を破棄し、真の共認集団を形成する為には、究極のところ性闘争を封鎖することが不可欠である。性闘争・自我闘争を封鎖しない限り、それを制圧する権力の共認が必要になる(注:社会主義国の失敗の究極の原因は、そこにある。つまり、恋愛や一対婚を無自覚に肯定したままでいたが故に、必然的に権力が必要になり、また必然的に市場社会へと移行していったのである)。共認集団の共認圧力(集団規範)の内部に性闘争(共認の破壊物)を封鎖することができて初めて、共認圧力が全的な活力源となる土壌(仕組み)が出来上がり、その枠組みの中で活力=共認充足を高める必要から、必然的に自我も封印されてゆくだろう。それは、闘争と生殖を包摂した全的なる本源集団の再生に他ならない。そして、それは人類を正常な自然の摂理の中に戻し、人類を精神破壊から救い、滅亡を回避する為に不可欠な道程である。 | ||||
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もちろん、恋愛や一対婚をごく当然のものと信じ込んでいる自我女や迎合男たちの抵抗は、大きいだろう。だが、抵抗しても無駄である。そのままでは、人類は滅亡する。人類再生の可能性がそこ(性を集団の中に組み込んだ本源集団の再生)にしかない以上、人類はそこに収束してゆく。人類の敵=性権力者や迎合男たちは、ただ絶滅してゆくだけである。現に、彼ら電源の切れかかったロボットたちは、何もしようとせず、ただ廃棄処分される日をじっと待っているだけではないか。それが嫌なら、考えればいい、立ち上がればいい。共認闘争は、新たな活力源として、人類が待ち望むところである。終り 以上は「るいネット」より |
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