3.11の喪失(2/9)
堀川氏は天井の一点を見つめたまま、しばらく黙る。視点は動かない。そして、「あとは、今晩、メールに書いてお送りします。ここでは泣けない」と言い、話題を変えた。
同医師会は、県内の医師8400人ほどが参加する団体である。堀川氏は事務などを担う職員で、現在は救急医療や自然災害時などに医療支援をする部署の責任者を務める。
昨年3月11日に発生した大震災の直後、同医師会の「遺体検案チーム」の一員として、被災地である岩手県に向かった。堀川氏と役員を務める医師2人(専門は外科と整形外科)、事務担当の30代の男性職員という、計4人のチームだった。
13日、岩手県医師会から日本医師会を通して「神奈川県医師会から、検案チームを派遣して欲しい」と要請を受けた。8人の医師が名乗り出たが、まずは役員の医師が行くことになった。堀川氏はもう1人の職員と車の運転、現地での様々な連絡、さらに検案のサポートなどをすることで、医師2人を支えた。
盛岡市の岩手県医師会館で打ち合わせをした後、向かったのは釜石市内の遺体安置所だった。市内には3つの安置所があった。堀川氏のチームの検視・検案は、そのうちの1つ、市立小佐野中学校(廃校)で行なわれた。
遺体安置所では、まず警察が遺体の検査をする。堀川氏は、そのときを振り返る。
「海上で発見されたご遺体は、波ではぎ取られたのか、服を着ていないものが多い。泥もついていない。陸上で見つかったものの多くは、泥や砂がたくさんついていた。口の周りは砂だらけになっているご遺体が目立った」
警官が5人ほどでチームを組んで、水で泥などを洗い流す。岩手県警の警官はもちろん、他の地域から応援に来た警官もいた。その安置所には、岐阜県警のチームがいた。
200人の遺体を前にすると、何もできない
遺族のやりとりを聞くことが苦しかった
警官が遺体から衣服を取り、全裸にする。全身、顔のアップ、背中、手術や大きな傷の跡などの撮影をする。その上で身元確認。この際、ほくろ、手術痕などの身体的特徴や、身に着けていた運転免許証、健康保険証などを手がかりにする。これらが「検視」と呼ばれるものである。ここまでの時間は1遺体につき、約30分。
以上は「DIAMOND ONLINE」より
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