3.11の喪失(1/9)
生島ヒロシが胸の奥にしまった「あの日の慟哭」
最後まで家族を思い、何も求めずに旅立った妹よ
――フリーアナウンサー・生島ヒロシ氏のケース
昨年3月の震災直後から、妹が行方不明となったことが新聞やテレビで報じられたのが、フリーアナウンサーの生島ヒロシさん。震災発生当時、生島さんが感じた「喪失感」は、他人には計り知れないものだったに違いない。あれから1年を迎えようとする今、心境はどう変化したのか。生島さんは、忙しい仕事の合間を縫って、インタビューに詳しく答えてくれた。
母が夢枕に立って、火の海が――。
妹の不思議な夢は「正夢」となった
ベテランのアナウンサーであり、遺族でもある生島ヒロシさん(61)を前に気が引けるものがあったが、亡くなった実の妹の喜代美さん(57、姓は亀井)のことを尋ねた。生島さんはオフィスの応接室にあるソファーに座り、向い合う私の左肩の方にある本棚をじっと見つめながら、思い起こすような口調で語る。
「3月11日の2日前、妹は、自分が見た夢のことを姪っ子(喜代美さんの娘)に話したようです。『2月2日に亡くなった母(生島さんたちの母親・享年85)が夢枕に立っていた。うちの家と隣の家との間は、“火の海”になっていた』と。このことを、妹が津波に襲われ、行方不明になった後に、姪っ子から聞かされた。その夢は、正夢になったのですね……」
宮城県気仙沼市に住む喜代美さんは、昨年3月の震災発生以降、夫と共に行方がわからなくなった。夫妻は3月11日に、母の四十九日の法要で上京する予定だったという。地震発生直後の午後3時頃、喜代美さんから生島さんの妻に電話が入った。「地震があったから、東京へは行けない」。その後、連絡は途絶えた。
気仙沼市は津波が押し寄せた後、大規模な火災が発生し、まさに“正夢”となった。生島さんは、低い声でゆっくりと話を続ける。その姿は、テレビやラジオ番組の司会をリズムよく進める、あの姿ではなかった。
「人はあの世に引っ張られると、見えるものがあるのかな、と考えました。スピリチュアルな考えに影響を受けているわけではないけれど……」
以上は「DIAMOND ONLINE」より
今回の「3.11テロ」で無くなった方々の関係者は日本全国に居られることと思います。今回の事件がテロであろうと、無かろうと、親しい方々が無くなったことには違いは有りません。今回の被害者は地震による被害よりも津波による被害が圧倒的に多く不自然な被害であります。そのために、通常の地震による津波と考えて対応していることが良く判ります。今後の災害に備えるには、先ず、78万年振りの大自然の大変動期に今、突入しつつあることを先ず念頭に置く必要が有ります。従って、過去の地球上に起きた最大限の災害を想定する必要がある事、例えば、太平洋に過去にあったといわれるムウー大陸が一瞬の内に海底に沈んだことも、想定する必要がある時期に今あるということであります。このような大自然の脅威の他に、この災害を利用した人間による偽装災害にも注意が必要なのです。こんなことは今の人類では始めての事で、このような状況下で生き抜くにはそれへの覚悟が必要であります。生半可な生き方では到底無理なことなのです。今は毎日が命がけの日々なのです。これを理解しないと、事の真相が見えて来ません。以上
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