3.11の喪失(3/9)
生島ヒロシが胸の奥にしまった「あの日の慟哭」
最後まで家族を思い、何も求めずに旅立った妹よ
――フリーアナウンサー・生島ヒロシ氏のケース
今、その生島さんが1メートル前にいて、本棚の方をじっと見つめつつ、1つずつ言葉を噛みしめるように話す。それは重くて、ため息が出てくるようなものだった。
「この事務所にいた姪っ子は、母(喜代美さん)が行方不明ということで、ずいぶんと落ち込んでいた。あのときは自分がしっかりしなきゃいけない、と言い聞かせました。本当に心から……」
この「本当に心から」という言葉をひときわ大きく話した。力を込めて当時のことを思い起こしているようだった。
「あの頃、知人などから聞いたんです。『無念な思いで死んだ人の魂は、すぐ近くにいる。きっと、兄である生島さんのそばに妹さんはいる』と。そこで、私は思いました。泣いていたら、喜代美がますます悲しむ、しっかり生きないといけない、と。姪っ子もこのオフィスにいましたからね……」
その頃から、被災地に向けた募金活動を街頭で始めた。3月下旬、同じ事務所(生島企画室)に所属するタレントの優木まおみさんらと、街頭に立つ姿が報じられた。その前を通る人に激励されて、生島さんが涙ぐむ写真が掲載された。
「妹が見つかっていないこともあるし、気仙沼は私の故郷でもありますからね……。自分の不安を取り払う意味でも、とにかく、何かをしたかった」
今も支援活動を続けているが、親を亡くした子どものことが特に心配なのだという。
葬儀の場に入った「遺体発見」の報
きっとみんなに会いたかったんだろう
その後、5月に喜代美さんと思われる遺体が見つかったが、DNA鑑定に時間がかかった。9月4日に、宮城県警から「喜代美さんのものであることが確認された」と一報が入った。
ちょうどその日は塩釜市(宮城県)で、妹夫婦の葬儀をした日でもあった。生島さんや弟たち、そして多くの親類が、時間の差はありながらも集まった。偶然にも、そこに遺体発見の一報が入ったのである。生島さんは、「あんなことはまずあり得ない」と強調して話す。
以上は「DIAMOND ONLINE」より
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