3.11の喪失(4/9)
医師が死亡診断書(検案書)にサインをすることで、検視・検案の作業は終わる。遺族は市町村役場に出向き、この検案書と死亡届を提出する。
「お父さんだ!」「お父さんだよ」
「お父さんだよね」……。
(上)遺体安置所で、検視・検案をする場所。シートの向こうに遺体が並び、遺族が確認する。(下)遺体の検視の際に使うメモ用紙。遺体の特徴、状態などを記入する。拡大画像表示
堀川氏は遺体を見ることよりも、遺族のやりとりを聞くことが苦しかったと語る。青いビニールシートの向こうに並ぶ、数十の遺体の方から声が時折、聞こえてくる。中学生の娘がいることもあり、親子のやりとりが気になった。
「奥様と娘さんと息子さんの声がした。2人の子は、中学生くらい。津波で流されて行方がわからない父親を探していたようだった。安置所の受付にいる警官が付き添い、遺体が入ったビニールシートのジッパーを開けていく。3人が顔などを確認する。奥様の声で、『(主人とは)違います』と何度か聞こえた」
遺体安置所である廃校の体育館のそばには、公共施設がある。その一室には、遺体の特徴などを書き込んだ用紙が貼られてあった。遺族はそれらを見て、これは行方不明の家族かもしれないと思うと、受付の警官に申し出る。警官の案内の下、確認をする。
3人の親子が4体目ぐらいに見た遺体が、父親だった。堀川氏は、そのやりとりが記憶から消えない。
「女の子が、『お父さんだ!』と叫び声を上げた。『お父さんだよ』『お父さんだよ』と声が何回かした。十数回、大きな声で泣き叫んでいたように思う。次第に、その声が小さくなっていった。奥様の声だと思うが、『お父さんだよね……』とゆっくりとした声が聞こえた。3人で確認するようなやりとりになっていた。
男の子が『連れて帰ろう』と言っていた。奥様が『家は流されたから、連れて帰るところがないんだよ』と答える。男の子は『寒くて、かわいそう』と自分の上着を、父親のご遺体にかけて帰られた」
堀川氏は、そのときを振り返る。
「腕組みをして天井を見上げて、涙が流れ落ちるのを我慢するのが精一杯だった」
その後も、遺族のやりとりが耳に入る。息苦しくなると、安置所の隅のほうに行くか、外に出るようにしていた。「検案の最中は、仕事に没頭して聞こえないようにしていた。それでも、聞こえてしまうこともあった……」
以上は「DIAMOND ONLINE」より
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