3.11の喪失(5/9)
生島ヒロシが胸の奥にしまった「あの日の慟哭」
最後まで家族を思い、何も求めずに旅立った妹よ
――フリーアナウンサー・生島ヒロシ氏のケース
「彼女は『飛行機は嫌い、温泉旅行でいい』と言うんですね(笑)。こちらでまとまったお金が少しできたときも、『母親の世話をしてくれているから、仕送りをしようか』と言うと、『いいの、いいの、お兄ちゃん。今までに十分に送ってもらったから』と答える。欲がないんだな……」
また、本棚の方をじっと見つめる。考え込むような表情に戻った。
「妹は大役を果たして、あの世に行ったのだと思う。家族の中での役割を知り、それをじっと受け入れてくれた。菩薩様みたいなものですよ……。役目を立派に終えて、『お兄ちゃん、先に向こうに行っているね』と言っているように思えます。きっとそうなんだろうね……」
妹にとってあんな死に方は、
人生のシナリオになかったと思う
喜代美さんたちが亡くなった理由を尋ねた。
「妹に限らず、あの地域で亡くなった人の多くは津波の怖さを知っているけれど、ここまで大きいとは思っていなかったのかもしれませんね。地震があった後、津波が来るまでの2人の様子が目に浮かぶ……。私は彼女の性格をよく知っているから……。まず、あの夫婦は避難所で他の人と一緒にじっとしていることができない。家が心配ですぐに戻ってきてしまったのかもしれない……」
気仙沼市内に住む知人や友人らも亡くした。地震の後、家で飼育する熱帯魚の水槽がこぼれたので、雑巾で水を拭いていて、避難が遅れた人もいるという。
「この避難のあり方や意識は、考え直さないといけないでしょう。日頃から、避難訓練はきちんとしないと、地震のとき、パニックになる」
さらに、こう付け加える。
「この地域の堤防や防潮堤は、その高さも強固な造りも、世界でトップレベル。県や市、町役場などもあらゆる津波対策を実行していた。学者や研究者なども、最大限のことをしていた。多くの人が『自分は大丈夫』と思い込む。これが怖い。妹たちにも、それに近い思いがあったのかもしれない」
以上は「DIAMOND ONLINE」より
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