3.11の喪失(6/9)
生島ヒロシが胸の奥にしまった「あの日の慟哭」
最後まで家族を思い、何も求めずに旅立った妹よ
――フリーアナウンサー・生島ヒロシ氏のケース
生島さんは、子どもの頃にはチリ地震津波(1960年)を経験し、2004年には新潟県で起きた中越大震災にも遭った。そして、昨年の震災。「震災絡みの人生ですね」と言うと、苦笑いをする。防災に関する講演も全国で行なうが、「災害大国に住んでいることを自覚することを意識して欲しい」と言う。
「まさかの事態に備える心構えや準備を整えることが大切。防災士の資格を取ったとき、災害が起きた場合、初めの3日間は「自助」「共助」が必要だと学びました。自らの身を自分で守る意識を持つことが、2万人の死を無駄にしないことになる」
喜代美さんが亡くなり、自らの死について考える機会が増えてきた。仕事を通して、医師の帯津良一さん(帯津三敬病院理事長)と知り合った。話し合ううちに、「自らの死についてイメージすることや、人には死に時があるとお教えいただいた」と話す。
「最近は、自分の最後はどうなるのかと考える。震災以降、家内からは『遺言書を書いて欲しい』と言われ続けています(苦笑)」
私が「書いているのか」と聞くと、生島さんは首を少し横に振った。
「周囲には『遺言書を書くように』と勧めながら、自分は書いていない。死のイメージができないし、湧いてこない。ただ、妹にとっては、あの死は想像もしていなかっただろうし、人生のシナリオにはなかったと思いますね……」
“生き証人”の証言から学ぶ
危機管理の教訓
生島さんの話から、私が感じ取った今後の危機管理を考えるうえで検証すべき点は、主に以下の3つである。
1. 実態を押さえ、真相に迫ることが大切
生島さんは、こう答えている。
「この地域の堤防や防潮堤は、その高さも強固な造りも、世界でトップレベル。県や市、町役場などもあらゆる津波対策を実行していた。学者や研究者なども、最大限のことをしていた。多くの人が『自分は大丈夫』と思い込む。これが怖い」
以上は「DIAMOND ONLINE」より
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