3.11の喪失(7/9)
そのとき、『あら、この子、化粧をするは初めてじゃないかしら……』とも聞こえてきました。夫婦は、日常会話のときのように普通に話していました。多分、気持ちの整理が少しでもついていたのだと思われます。
私はあの子が自分の娘だったら……という思いもあり、ご両親の心情を察すると、やりきれませんでした。
“生き証人”の証言から学ぶ危機管理の教訓
堀川氏の話から、私が感じ取った今後の危機管理を考えるうえで検証すべき点は、主に以下の3つである。
1.コミュニケーション・ルートを多層的、重層的に
神奈川県医師会の動きは早い。3月11日の夜から、被災地への医療支援や遺体安置所での検案などの支援体制を作り始めた。震災前から、これらの体制について会に所属する医師や、堀川氏ら事務職員との間で議論が積み重ねられていたという。さらに、岩手県、宮城県、福島県の医師会とはかねてから交流があった。
堀川氏も、初期出動が早かった一因としてこのコミュニケーション・ルートが豊富であったことを認める。
「検案に限らず、医療チームを派遣する場合もコミュニケーション・ルートはたくさんあるほうがいい。これらのルートは、日頃からの関係づくりが大切。今回は、それを改めて実感した」
神奈川県医師会の試み、つまり、コミュニケーション・ルートを設けるだけでなく、常日頃から深くしていることは、危機管理の面で参考になる。その後、今回の教訓として、医師会に参加する医師が神奈川県庁の災害対策本部に新たに加わることを検討している。これもまた、迅速な動きと言える。
2.情報通信網を確保する
神奈川県医師会は、震災の教訓として通信網を一段と整備し始めている。堀川氏は、「被災地では情報が少ないことが困った」と漏らす。大規模な停電に加え、固定電話はもちろん、携帯電話もなかなかつながらなかった。
いわゆる「災害時優先通信」は、堀川氏によると、「4~5回かけて、1回のペースで相手とつながる程度だった」という。優先電話は、電話を“優先扱い”するものであって、必ずつながることを保証するものではない。
以上は「DIAMOND ONLINE」より
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