明日の日本はこうなる、!チエルノブイリ事故が参考
ウクライナとベラルーシの人口変動、 激増する死亡と激減する出生 人口統計上の大惨事ーチエルノブイリ事故の影響、 特にセシウム137 ユーリ・バンダシェフスキーら、科学的真理のために 弾圧された人々 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーリ・バンダシェフスキー(バンダジ ェフスキー) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1986年4月のチェルノブイリ原発事故後7-8年経て、 ウクライナとベラルーシは激しい人口の自然減に見舞われた。 その要因は「出生」(生児出生)の急激な減少と「死亡」の急増だった。 「人口統計学上の大惨事」といわれるゆえんである。その人口 変動のカーブは驚くほどよく似ている。 放射線保護食品行政にあたったが事実上汚染食品制限はない も同様だった。1991年のソ連崩壊後、ウクライナとベラルーシ は独自の放射線食品保護行政を採用することができ、ウクライ ナは1997年、ベラルーシは99年に、画期的な制限値(特に毎日 大量に摂取する飲料水)を持つ放射線汚染食品制限を実施した。 は危険なことではあるが、チェルノブイリ事故から放出された 「死の灰」(放射性物質フォールアウト)をもろに受けた両国の事情は あまりにもよく似ており、「死の灰」が共通の大きな要因の一つで あることほぼ間違いない。 かり、10年近く経って「死亡」に歯止めがかかるかのようになった。 両国とも人口減少傾向に歯止めがかかった状態とは言えないが、 その減少傾向だけを見ると歯止めがかかりつつあるように見える。 「放射線汚染食品」制限をもうけたわけではない。一部の良心的 科学者と自らの健康と安全を守ろうとする多くの市民が、放射線 の低線量被曝の危険、特に食品摂取を通じての危険を明らかにし、 「核推進」に固執する政府に迫って、「放射線汚染食品」の厳しい 制限を実現させた。(その意味では核推進勢力はいまだに強力であり、これ ら制限もまだ十分とは言い難い。) でが前回の流れだった。 低線量被曝の危険についてもっとも優れた研究をし、警鐘を鳴ら し続けたのは、ユーリ・バンダシェフスキーとそのチームだった。 フスキー」は優れた記述をしている。(「バンダジェフスキー」、と濁るのが 正解のようだが、ここでは「バンダシェフスキー」と表記する) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
死の灰に覆われたゴメリ地方 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本語Wikipediaの記述を引用する。
ゴメリ地方は、チェルノブイリ事故でもっとも放射性降下物の影響 を被った地域である。下図がベラルーシの主要都位置図である。 ホメリ州はチェルノブイリ原発にもっとも近い州である。(「ホメリ」と表記 するのが正しいようであるが「ゴメリ」と表記する。)ゴメリはゴメリ(ホメリ)州の州 都であり、首都ミンスク(人口;約165万人)に次いで第二番目の都市 (人口:約49万人)である。 ロッパ国別汚染状況」の表である。IAEAの表なので、頭から信用は できないが、それでもベラルーシの汚染がもっとも深刻でかつロシア と並んで広範囲だったことがわかるだろう。
また下図は、チェルノブイリ事故から10年後の1996年時点 におけるセシウム137の汚染状況である。(英語Wikipedia“Chernobyl ”(チェルノブイリ大惨事)から引用して加工) (クリックすると大きな画像でご覧いただけます) 射性降下物によって長く、また広く深く汚染されたかわかるであろう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
核論争」を報道するスイステレビ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本語Wikipedia「ユーリ・バンダジェフスキー」の記述を続けよう。
1990年といえば、ベラルーシがソ連からの独立を宣言した年だ。 翌91年、ソ連が崩壊ベラルーシの独立は承認された。ベラルーシの 人口は対前年比0.5%以下ではあったが辛うじて増加していた。し かしすでに生児出生は、89年15万3449人、90年14万2167人、 91年13万2045人と激しく落ち込みを見せた時だ。以後ベラルーシ の出生は今に至るも11万人台を回復していない。
日本語ウィキペディアのこの部分の記述には、註が打ってあり、 その註には「スイステレビ「Nuclear Controvesy(核論争)」2004 年放送。動画6分00秒でバンダジェフスキーの場面(英語字幕)」(http://www.youtube.com/watch?v=LqHjfyT5Dmk)と記載されている 。先ほども見たようにスイスもまた、チェルノブイリ事故で放射性降下 物が大量に降りており、「原発と放射線」に対する関心も高い。原発 からの全面撤退も決定した。どうもこれは2004年放送のドキュメン タリー番組らしい。(2004年放送とするとつじつまの合わないところが出てくるが・・・) をのぞいておこう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このシーンは、WHOが2001年6月4日に、ウクライナの首都キエフ で開催した「チェルノブイリ原発事故による人体への影響に関する 国際シンポジウム」の一こまである。
冒頭プレゼンテーションをしているのは、「原子放射線の人体に対 する影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)のN. ゲントナー (N. Gentner)という人物である。UNSCEARはIAEAや全米科学アカ デミー、イギリス放射線防護審議会と並んでICRP派の牙城である。 WHOはもちろんIAEAに従属している。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アレクセイ・ヤーブロコフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲントナーは、(チェルノブイリ)事故とがんや白血病との増加には 明白な科学的証拠は見いだせない、と云う内容の話をしている。 このゲントナーの話を、白いあごひげを蓄えた顎を突き出すように して憮然とした表情で聞いているのは、ロシアの科学者アレクセイ ・ヤーブロコフ(Alexey V. Yablokov)だ。ヤーブロコフは欧州放射 線リスク委員会(ECRR)の2010年勧告の編集委員にも名前を 連ねている。 ショッキングだ」というヤーブロコフが画面に登場する。
「何故?」という質問にヤーブロコフは、
スイステレビのインタビューに答える形で、ヤーブロコフはさら に続ける。
ここで突然画面が切り替わり、どこかスラブ風の農家のおばあ さんが登場する。スイステレビのインタビュアがこのおばあさんに 「放射能は問題ではありませんか?」と水を向ける。
インタビュアは、「放射能は健康にいいという人もいますがね。」 と聞いて寡黙なおばあさんから話を引き出そうとする。
「子どもたちについてはどうですか?」とインタビュア。それには 直接おばあさんは答えず、
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
IAEAのイデオロギー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここでまた画面は切り替わって、先ほどの科学者会議の場面。 今度はヤーブロコフのプレゼンの番らしい。マイクをもつ ヤーブロコフ。
ブリックス博士というのは当時IAEAの事務局長だったスエーデン のハンス・ブリックスのことである。チェルノブイリ事故後の86年 8月、IAEA非公開会議で、ソ連側の事故処理責任者ヴァレリー・ レガソフ(後に自殺)は、当時放射線医学の根拠とされていた唯一 のサンプル調査であった広島原爆での結果から、4万人が癌で 死亡するという推計を発表した。しかし、広島での原爆から試算 した理論上の数字に過ぎないとして会議では4000人と結論さ れた。この時の会議を主導したのがブリックスである。 のでそれ自体が過小評価である。その過小評価に基づいて レガソフとソ連政府は4万人と推定したのだが、当時核推進派 完全に主導権を握っていたIAEA(いまでもそうだが)は、それをさら に1/10に値切った。IAEAは意図的に2重の過小評価をおこ なったわけだ。
と日本語Wikipedia「チェルノブイリ原発事故の影響」は記述 している。 (なおここの記述はIAEAが2005年に発表した「Chernobyl’s Legacy: Health, Environmental and Socio-Economic Impacts and Recommend ations to the Governments of Belarus,the Russian Federation and kraine」という報告書に基づいて いる)
ここでスイステレビのナレーションが入る。 ある環境学者のアレクセイ・ヤーブロコフは、世界の原子力 産業からの核廃棄物を喜んで受け入れようとするプーチン 政権に強く反対しました。」 テレビのナレーターは「ヤーブロコフ」と発音しており、またECRR2010 勧告の編集委員のリストにも「アレクセイ・ヤーブロコフ」と表記している。 私もそれに従う。) さてヤーブロコフのプレゼンを続けよう。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
会議に出席できなかったバンダシ ェフスキー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
再びヤーブロコフ。 データがあります。』とIAEAの発表した公式数字をOHPで提 示する仕草。
日本語ウィキ「ユーリ・バンダジェフスキー」は次のように 記述している。
ヤーブロコフ。
そしてバンダシェフスキーの研究をスクリーンに表示しながら、
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「子どもたちは死につつある」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここで突然画面が変わる。画面中央に一人の男のシルエットが 浮かんで、その男の独白が画面にかぶる。
画面に、チェルノブイリ事故で汚染された地域の研究を9年間 続けた後、バンダシェフスキー教授は低レベルで汚染された食物 が生命器官を破壊することを突き止めた、という意味合いのナレ ーションがかぶる。そこでテロップとともにこのシルエットの人物 がユーリ・バンダシェフスキーその人であることがわかる。彼は 「病理学者」と紹介されている。 ると突然死することがある、子どもでも例外ではない、この結果 を発表した後、政府から激しい非難を浴び、投獄された、という 内容に続く。バンダシェフスキーの奥さんは次のように説明する。 奥さんのガリーナも小児科医である。
ここでバンダジェフスキーがたまらなくなったように口を挟む。
「原因を探索すること?」とスイステレビのインタビュア。
シドローフ、ペトローフはこのインタビューに同席している彼の 子供たちだろう。「私たちの子どもたちは死につつあるのです」 というバンダシェフスキーの言葉は、「フクシマ」という現実を前 に、私にはとても切実に響く。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「長期複合放射線核種症候群」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バンダシェフスキーの逮捕、投獄に世界の良心的な科学者 や市民は憤激した。そして国際世論を動かした。その結果ベ ラルーシのルカシェンコ政権(世界的な核推進勢力の支援を受けた。 今ではアメリカのオバマ政権も形ばかりのルカシェンコ政権批判をするよう になったが、それは形ばかりだ。それが証拠にルカシェンコ独裁政権は今も 続いている)は、バンダシェフスキーを2005年8月5日に釈放 せざるを得なかった。ただし5ヶ月の自宅軟禁という条件つき だった。 中に行われたものだと思う。 プレゼンのシーンに戻る。
次に演壇に立つのはロシアの科学者・放射線生物学者、 ヤルモネンコ(S. Yarmonenko)教授である。彼はこういう。
ここで彼の演説は会場からの鋭い女性のヤジに中断される。 そのヤジは「・・・・。誰がその演説に金を払っているの!」といっ ている。「ン?」と一瞬絶句するロシアの科学者。
結局このロシアの科学者は予定された演者ではなく、これだ けをいうための飛び入りだったようだ。(なおも続く女性のヤジ)
不機嫌そうなヤルモネンコの映像が映る。ナレーションは ヤルモネンコが、チェルノブイリ事故の後、さほど危険はない として住民の避難を止めた人物、35ミリレム(350ミリシーベルト) まではこどもを含めて放射線の影響はないとした人物として紹 介している。さしずめ、ロシアの山下教授、神谷教授といった ところだろう。(ヤルモネンコは両教授より大物かな) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルカシェンコ政権と日本政府 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このスイステレビのドキュメントはこうした論争を紹介するのだが、 明らかにヨーロッパではICRP学派に対する激しい批判と反撃 が起こっている。かつては考えられないことだったが、反ICRP 派の学説は徐々に欧州一部政府の放射線防護行政の中に 取り込まれはじめてすらいる ベラルーシの放射線汚染食品防護行政などはその端的な 例であろう。 の記述に戻ろう。
このルカシェンコ政権の対応は、なおも汚染されたフクシ マに人々を縛り付け、除染を行って避難市民を呼び戻そ うとする日本政府の対応とダブって見える。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コリン・コバヤシのメールとネステ レンコ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在、フランスに在住している反原発・反被曝市民運動家の コリン・コバヤシは、このバンダシェフスキーを日本に呼んで、 彼の研究成果を広く日本の市民に知らせようとしている。コバ ヤシの電子メールを引用する。<()内青字は私の註。>
コリン・コバヤシのメール文中のワシーリ・ネステレンコもバン ダシェフスキー同様、ベラルーシで反被曝に向けて闘った核物 理学者で、ベラルーシ核エネルギー研究所の所長を務めた人 である。2008年に亡くなった。日本語ウィキペディア「ワシリ ー・ネステレンコ」から引用する。
このネステレンコと前述のヤーブロコフが共同で2007年 に発表した報告書が『チェルノブイリ――大惨事が人びとと 環境におよぼした影響』である。「ヤーブロコフ・ネステレン コ報告」と呼ばれている。この報告は86年のチェルノブイリ 事故発生から2004年までで、事故のために死亡した人は 約100万人と推定している。(Webサイト「チェルノブイリ被害実態 レポート翻訳プロジェクト」に詳しい) ?それを次回に詳しく見てみることにする。 以上は「善川チャーリ」ブログより 日本の福島原発事故のその影響は、後日に結果が出る ものと思われますが、このチエルノブイリ事故が大変参 考になります。今では、それ以上の汚染となっているの で日本の被害は相当なものとなるのは明白であります。 それこそ日本民族の崩壊となりそうな趨勢です。当時の 菅内閣の責任は重大すぎて、A級戦犯に相当します。 何故、今もってそのまま責任追及しないのか全く理解 出来ません。当時の権力者全員グルの犯罪なのかも 知れません。 以上 |
« 「ベーシックインカム」という新兵器(4/7) | トップページ | 警察権力による無言の言論弾圧? »
「放射能汚染対策」カテゴリの記事
- 福島第一原発から汚染水を放出してから海水中のトリチウム濃度が上昇との報告(櫻井ジャーナル)(2024.09.08)
- 東京から岡山へ移住した一開業医の危機感 (三田茂・三田医院院長) (2024.08.29)
- 子に体調異変じわり 原発50キロ 福島・郡山は今 大量の鼻血、下痢、倦怠感… 「放射線と関係不明」 東京新聞(2024.08.23)
- (特別企画)思い出せ! 安倍首相は福島原発事故の主犯だった!(前) 安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた (リテラ)(2024.08.03)
- 原子力市民委員会座長に聞く「汚染水海洋放出」の危険度 処理水に基準を超えるストロンチウム90などが見つかり、ALPSの使用前検査は未了 (日刊ゲンダイ)(2024.07.22)
コメント