3.11の喪失・魔法の津波対策(2/9)
2万人の死者で済んだことはむしろ恵まれていた?
防災学者が危ぶむ「魔法の津波対策」が語られる世相
――藤間功司・防衛大学校教授のケース
「県や市町村の防災対策が、住民の意識や避難行動にどこまで浸透していたのかと言えば、確かに検討の余地はある。だが、津波の防災体制という観点で考えると、世界トップレベルであったことは間違いがない。政府や行政として、対策として考えられうることは一通りしていた」
そして、付け加えた。
「ただし、それぞれの対策が完璧であったかと言えば、そうではないと思う。各々に課題はあったのだろうが、震災発生の時点ででき得る策は全て講じていた。それだけに、残念だった」
津波の発生が10年後だったら、
この程度の死者では済まなかった
震災当日、藤間氏は防衛大学校の研究室にいた。その日は大学に泊まり、テレビで流れる津波などの映像を観ながら、やはり「もっとできることはなかったか」と考え込んだという。震災前から、三陸地域には頻繁に足を運び、自治体職員や住民らを相手にヒアリングをしてきた。講演やシンポジウムでは、防災のあり方を説いてきた。
堤防や防潮堤については、このような説明も加えた。
「堤防の中には1960年前後に完成したものがあり、これらは震災発生時に50年ほどの月日が経っていた。10数年後に今回と同じ規模の地震や津波が発生していたら、堤防の老朽化が進み、一層脆くなっているであろうため、被害は一段と大きくなった可能性がある。死者などは、現在より増えたかもしれない」
人口の高齢化や震災当日の状況についても触れた。
「今後、高齢化は進み、防災という点では今より脆弱な社会になっている。十数年後に発生していたら、被害はもっと大きくなっただろう。あの日(昨年3月11日)の三陸地域は寒く、気温は低かったが、地震が発生した時刻は昼(午後2時46分)であり、夜中よりは避難がしやすかったのではないだろうか」
そして、こう振り返る。
「津波の災害史の中で、昨年の震災が起きた状況は、捉え方によっては恵まれていたと言える。そう考えると、死者・行方不明者が2万人近くに上ったことは忌まわしいことであるが、今の日本の防災力を表しているのだと思う」
以上は「DIAMOND ONLINE]より
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