平家滅亡の経済学、父・忠盛はいかにして巨万の富を得たのか(3/7)
その効果もあってか、忠盛は当時一番“稼げる”役職であった「国司(こくし)」に任命されます。国司は地方各国の長官職ですが、当時は一定額の税金を朝廷に納めれば、あとは朝廷の制限を受けることなく自分の領国から収入を得て蓄えることができたのです。
それも、忠盛は越前・備前・美作(みまさか)・尾張・播磨といった裕福な土地の国司を、次々と歴任することに成功します。
そうです。忠盛は貿易で得た希少品を献上することで、豊かな国の国司になり、巨万の富を築いたのです。
【平忠盛の成功戦略】
貿易 → 希少品を入手 → 鳥羽法皇へ献上 → 豊かな国の国司に → 大富豪
権力の源泉というのは、2つしかありません。
それは、金と人事権です。
忠盛は、直接的に金を得るのではなく、人事権を持つ人物を取り込むことで、最終的により大きな金を得ることに成功したのです。
いつの時代も、賢い人の行動には「遠見明察」なところがありますね。
福井県から平家の飛躍が始まる
なお、忠盛の若い頃の赴任国である越前国(福井県)については、豊かな国で栄えていたというイメージはあまりないかもしれません。
しかし当時、宋船や高麗船は博多ではなく、北陸の越前国・敦賀に着くこともありました。対馬海流の流れに乗ればすぐに行くことができる越前国は、貿易の国でもあったのです。
朝廷は、博多よりも京都に近い敦賀に外国船が来ることを嫌がっていましたが、京都は日本の最大消費地でもあったので、商人側としては魅力がある港でした。
忠盛が越前守になるのは1120年。
長男・清盛が生まれたのは、その2年前、1118年です。もしかすると、清盛も幼い頃ちょうど国際貿易港・敦賀にいたのかもしれません。
この越前国での経験が、のちに忠盛・清盛親子が日宋貿易に力を入れるきっかけになった、と言われています。
以上は「現代ビジネス」より
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