平家滅亡の経済学、平家滅亡の真犯人(5/6)
たとえ源頼朝のような武家政権・幕府を開かなくても、朝廷に強い影響力をもつ「経済界のドン」としての地位は保たれていたはずです。
「いや、清盛はそんな地位では満足しないだろう」と思う方もいるでしょう。
実際、『平家物語』には、「日本秋津島はわずかに66ヵ国、平家知行の国三十余ヵ国、既に半国に超えたり」と記されています。
全66ヵ国のうち半分の30ヵ国余りを支配下においたという事実に、平家の野望をひしひしと感じます。
しかし、この状況は、1179年、「治承三年のクーデター」の結果です。 (*1)
つまり清盛の最晩年、わずか1年余りの間だけでした。
このように考えると、私は疑問に思えてならないのです。
「清盛は本当に最高権力を握りたかったのか?」---と。
太政大臣を辞した後、清盛は嫡男・重盛を後継者に定め、50歳で政治の表舞台を去ります。そして、その後は悠々と、神戸で日宋貿易の陣頭指揮を取っていたのです。
ところが、後白河法皇率いる重農主義派と平家側・重商主義の対立が激化し、その最中に頼みの重盛が死去。
このため、すでに60歳を過ぎていた清盛は、再び権力闘争の渦中に飛び込まざるを得ませんでした。
それが、あの「治承三年のクーデター」だったのです。
朝廷での対立激化は、もとはといえば宋銭普及が原因。それさえなければ、清盛は最高権力を得るために闘争することもなく、神戸の海で、自由にその経済手腕を振るっていたのではないでしょうか。
(*1)「治承三年のクーデター」前は、後白河法皇や院近臣らが多数の知行国を有していて、平家一門の知行国はその家臣の知行国を含めても17ヵ国でした。
以上は「現代ビジネス」より
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