Snuff 消滅
Snuff
2011年には126の法案が可決されたのですが、そのうち国政議員が策定した議員立法は20%にも達することがなく、官僚機構が起草した内閣立法が80%以上を占め、あらためて被選挙権のない高学歴エリートが国家運営を掌握する構図を呈しています。
何度でも繰り返しますが、かろうじて議員らが10数%の枠内に策定権限を有しているとしても、それすらも日本経団連の「政党評価表」に記された要求項目が優先され、ノルマの達成度に応じ億円規模の献金を合法的に授与されるシステムです。つまり政治行為の動機性は種々のインセンティブ(成果報酬)に裏づけられているのであり、この国の議会制度において民意が反映される余地はありません。
政権が変遷したところで、意思決定は多国籍資本の下部構造である官僚機構と経済団体に委ねられているのであり、700余名の議員が構成する国会とは形式的な認証機関に過ぎないわけです。むしろ国家システムの矛盾や、社会資本配分の不平等や、財政規律の腐敗など、国民が抱える一切のフラストレーションと憎悪のはけ口として国政議員が矢面に立ち、既得権益を担保に怒号と罵声を浴びつつ、ずさんに支配構造を隠蔽するというのがこの国の概観でしょう。すでに国家とは私的妄想であり、統治が存在するのみであり、政治という概念は成立しません。
現政権が続行しても市場原理主義は亢進されるのだし、旧与党が復権しても官僚統制は絶対なのだし、新興勢力が勃興してもフリードマン理論が実践されるのだし、つまり我々はいずれのオプションを選択しても医療、教育、福祉、厚生が解体されるという事態に追い込まれているわけです。我々の絶望とは急進するグローバリズムと官僚統制による二重の強圧へ対抗するオルタナティブ(代替思想)を模索することができず、むしろこの国の趨勢が生存権すら脅かされるという現実すら認識できないことなのでしょう。
大震災と原発事故による未曾有のパニックのなかで増税が強行され、輸入障壁が撤廃され、言論統制が実践されようとしているのですが、この図式はイラクへの大規模攻撃直後に米軍が民間シンクタンクとともに乗り込み、一切の国内法を改正し、自由貿易の推進、社会保障費削減、外資規制撤廃などの強行によって公共資源を略奪した行為と完全にシンメトリー(対称調和)を成しています。つまり大陸を隔て定型的な対外戦略が同期しているわけです。
カタストロフィに乗じて外国人が跋扈し、略奪が横行しながらも、統治機構はむしろ平伏し、我々は政治の空無化によって抗う手段もなく、ただ呆然と暴力による社会改変を座視しているに過ぎません。歴史原則に倣うならば、自己決定権のない民族集団の行くつく先は、没落と分断と消滅なのであり、個々の生命は侵略者がシミュレートする単純な関数式の値にまで落とし込まれています。
何度でも繰り返しますが、かろうじて議員らが10数%の枠内に策定権限を有しているとしても、それすらも日本経団連の「政党評価表」に記された要求項目が優先され、ノルマの達成度に応じ億円規模の献金を合法的に授与されるシステムです。つまり政治行為の動機性は種々のインセンティブ(成果報酬)に裏づけられているのであり、この国の議会制度において民意が反映される余地はありません。
政権が変遷したところで、意思決定は多国籍資本の下部構造である官僚機構と経済団体に委ねられているのであり、700余名の議員が構成する国会とは形式的な認証機関に過ぎないわけです。むしろ国家システムの矛盾や、社会資本配分の不平等や、財政規律の腐敗など、国民が抱える一切のフラストレーションと憎悪のはけ口として国政議員が矢面に立ち、既得権益を担保に怒号と罵声を浴びつつ、ずさんに支配構造を隠蔽するというのがこの国の概観でしょう。すでに国家とは私的妄想であり、統治が存在するのみであり、政治という概念は成立しません。
現政権が続行しても市場原理主義は亢進されるのだし、旧与党が復権しても官僚統制は絶対なのだし、新興勢力が勃興してもフリードマン理論が実践されるのだし、つまり我々はいずれのオプションを選択しても医療、教育、福祉、厚生が解体されるという事態に追い込まれているわけです。我々の絶望とは急進するグローバリズムと官僚統制による二重の強圧へ対抗するオルタナティブ(代替思想)を模索することができず、むしろこの国の趨勢が生存権すら脅かされるという現実すら認識できないことなのでしょう。
大震災と原発事故による未曾有のパニックのなかで増税が強行され、輸入障壁が撤廃され、言論統制が実践されようとしているのですが、この図式はイラクへの大規模攻撃直後に米軍が民間シンクタンクとともに乗り込み、一切の国内法を改正し、自由貿易の推進、社会保障費削減、外資規制撤廃などの強行によって公共資源を略奪した行為と完全にシンメトリー(対称調和)を成しています。つまり大陸を隔て定型的な対外戦略が同期しているわけです。
カタストロフィに乗じて外国人が跋扈し、略奪が横行しながらも、統治機構はむしろ平伏し、我々は政治の空無化によって抗う手段もなく、ただ呆然と暴力による社会改変を座視しているに過ぎません。歴史原則に倣うならば、自己決定権のない民族集団の行くつく先は、没落と分断と消滅なのであり、個々の生命は侵略者がシミュレートする単純な関数式の値にまで落とし込まれています。
« 平家滅亡の経済学、平家滅亡の真犯人(6/6) | トップページ | 原発事故と国が生んだフクイチ症候群 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- ナチスと戦わなかったEU諸国とナチスと戦ったロシア、それぞれの戦勝記念日(櫻井ジャーナル)(2025.05.10)
コメント