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2013年9月25日 (水)

縄文・弥生の歴史の常識の嘘 11、・・倭国解明6・・古代東国の繁栄と正史

日本人の起源(縄文・弥生・大和)
278103 倭国解明6~古代東国の繁栄と正史~
 
彗星 ( 中年 ) 13/07/02 AM01 【印刷用へ
『古代天皇家と日本正史(著:中丸薫)』の「第6章 ついに倭国の謎を解明する時が来た!」よりご紹介します。
「日本海には大きな島があった」と著者はいう。東国は高句麗文化にかなり影響されているようで、国際的にも、影響を受けていたと思われます。その勢力と西国の勢力の拮抗が、国内の最大の圧力であったと思われます。
-------------------------------5より
■古代東国、繁栄の実態は何を物語るか
 正史では、古代東北については蝦夷の反乱と討伐に関する記述しかなく、この地方の文化は無視されている。そのため、東北や北海道が日本古代史で果たした役割についても、まだ十分に知られでいない。

 1700~1300年前の古墳時代、阿武隈川流域には、特色ある古代文化が栄えていた。福島県の泉崎(いずみさき)横穴墓(おうけつぼ)には、内部に騎馬人物や男女の群像の彩色壁画が描かれている。

 また、東北地方の住民が、西日本とは異種の国家意識を国際感覚があったことをうかがわせる碑もある宮城県多賀城市(たがじょうし)にある多賀城の一角にある多賀城碑がそれで、762年に建立されたことを記すこの碑には、「去都一千五百里・・・・去靺鞨国三千里」と刻まれている。興味深いのは、奈良去都)と靺鞨国の間という多賀城の位置の示し方である。靺鞨国とは、中国東北部にあったツングース系諸族の国のことだ。

 福島市の郊外にある「腰浜廃寺(こしのはまはいじ)」(伝承は不明)からは、他県には見られない独特の花文(かもん)の鎧瓦(あぶみかわら)が出土している。この花文鐙瓦は9世紀中頃の製作で、高句麗の瓦の系統にある。高句麗事態は668年に滅亡したが、その文様は渤海に受け継がれ、列島にもたらされた。

 平安時代の初期においても、高句麗文化の影響は無視できない。平安時代前期には、統一新羅末期、高麗初期の瓦の文様の影響が、佐渡の国分寺の瓦に見られることはよく知られている。

 平安時代後期にも、中国の高級綿物が博多ルートとは別に、東北経由で入っていた。これが「蝦夷錦(えぞにしき)」である。

■日本海には大きな島があった
『日本書紀』には、6世紀の欽明(きんめい)天皇の時代に粛慎人(みしはせのひと)(靺鞨(まつかつ)のツングース族)が「佐渡嶋北(さどのしまのきた)」に住み着いたとある。この地名は現在の佐渡島ではなく、佐渡の北に別の島があったと考えた方が正確であろう。
『日本書紀』と『古事記』には、最初に生まれた「大八洲(おおやしま)」の島々が列挙されているが、内容がまちまちで、現在の日本国土に合致しない島もある。

 たとえば距離的に離れた「億岐肺洲(おきのしま)と「佐度洲(さどのしま)」が双子とされているのだが、前者が隠岐諸島(おきしょとう)にあるとは限らず、共に日本海の中央にあった島の可能性がある。

 加えて「越洲(こしのしま)」が北陸道と解釈されているのも、大いに疑問である。古代人とて、能登半島が「大八洲」を構成するような島ではないことは知っていたはずである。

『書紀』『斉明記(さいめいき)』には、「幣賂弁、渡嶋之別也(へろべは、わたりしのしまのわかれなり)」(幣賂弁は渡嶋の一部)とあり、粛慎(みしはせ)が「幣賂弁島(へろべのしま)」に居住し、渡嶋を占領して柵を築いたが、結局、激しい戦闘になり、大海人(おおあまひと)の忠臣・阿倍臣(あべのおみ)の軍勢からも戦死者が出たと記されている。この意味するところは、7世紀の斉明朝の時代、「幣賂弁島」は「波嶋」と諸島を構成し、多くの粛慎が家族ぐるみで生活できるような土地があったということであろう。

 15~16世紀の古地図には、佐渡島の北西の沖合に佐渡島と同じくらいの大きな島がある。これが「渡嶋(わたりのしま)」であり、「幣賂弁島(へろべのしま)」とは別の島である。いずれにせよ「渡嶋」などの島々は、大陸との海路上にあって重要な役割を果たしていたことは間違いない。この2つの島は、近世の地殻変動によって海面下に沈没し、大和堆(やまとたい)としてその痕跡を残すこととなった。この地殻活動は現在も続き、新潟県周辺の海岸は激しく浸食される一方、東京湾周辺や千葉県などでは隆起し続けている。

 なお「渡嶋」が北海道だという説もあるが、それは誤りである。間宮(まみや)海峡は簡単に渡ることができ、樺太と北海道の距離も大きくないため、近世に至るまで、北海道は漠然と沿海州の延長と考えられていたからだ。
-------------------------------終了
 

 以上は「るいネット」より

 

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