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2013年9月30日 (月)

モンゴロイドの歴史 ⑤ 5,500~3,000年前

実現論を塗り重ねてゆく
243129 モンゴロイドの歴史⑤ 5500~3000年前 寒冷化→新モンゴロイドの本格的な南下
 
案内人 ( 人類史 に 光を照らす ) 10/12/30 AM04 【印刷用へ
■5500年~5000年前の寒冷・乾燥化
この時期の中国は、父系氏族社会への過渡期だと言われており、黄河流域と長江流域で防御性の高い城堡が出現した。この時期には、新モンゴロイド(トルコ族、モンゴル族、ツングース族)も遊牧を営んでいたと考えられる。

○新モンゴロイドの南下
寒冷化に伴い、トルコ族、モンゴル族、ツングース族が南下し始める。それぞれ、中央アジア、黄河中下流域、中国東北部へ。

○チベット族の侵入
印欧語族の遊牧部族がタリム盆地からチベット高原に進出してきた為、チベット族が押し出されるように黄河最上流域へと進出していく。黄河最上流域に進出したチベット族は、5100年前には黄河上流域で馬家窯文化(~4700年前)を築く。長江上流域にも、チベット族によるものと思われる三星堆文化(5000年前~3000年前)が登場。

○長江流域
長江上流域には三星堆文化。長江中流域の勢力(ミャオ族?)は北方に勢力を拡大(7000年前からの大渓文化→屈家嶺文化→石家河文化)。長江下流域の良渚文化(5200年前~)には、権力の象徴である祭壇と貴族墓地が出現。

○黄河流域
黄河上流域には馬家窯文化。黄河下流域の大ブン口文化は強力で西に向かって中原へと勢力拡大。仰韶文化は凋落し、仰韶の住民は西に逃げて行った(チベット族と混血か?)。その後、さらにモンゴル族が南下し、黄河中下流域に龍山文化(4800年前~4000年前)

○中国東北部
中国東北部では、ツングース族?による紅山文化(5400年前~4300年前)が登場。玉信仰と女神信仰を合体させ、更に龍信仰を体系付けたとされる。

■5000年前~4200年前の温暖期
私有制を伴う父系氏族社会へと移行。婚姻制は一夫一婦制の族外婚で、男が私有財産を掌握・継承。黄河流域と長江流域は相次いで首長制の都市国家的な原始国家へ移行。城塞が林立し、酋邦の間には常に略奪性の高い戦争が発生した。

■4200年前の寒冷・乾燥期:夏王朝の誕生
アジア東部では4200年前ごろから、厳しい寒冷化が始まった(~3800年前)。

○印欧語族
4200年前から大陸気候が寒冷化・乾燥化し、ステップ草原地帯が拡大していく。それに伴って、印欧語族が馬立て「戦車」の力をもって、ユーラシア大陸中部~西部を席巻した。(ヒッタイトは、4000年前に製鉄技術を開発し、馬と鉄によって強大な力を誇っていた。)印欧語族が「馬と金属の文明」をもって活発化したため、チベット~モンゴルの遊牧民が押し出されるように中国大陸に流入してくる。(※製鉄技術は、3200年前のヒッタイト滅亡により一気に拡散。)
この馬と金属の文明も、テュルク族→モンゴル族→ツングース族へと伝わっていった。

○夏王朝
4200年前から中央アジアで馬立て「戦車」を発明し強勢を誇っていた印欧語族は、タリム盆地へと進出した(3800年前頃の楼蘭の遺跡から、ヨーロッパ系白色人種の特徴を示すミイラ)。タリム盆地にいたチベット族による玉突きで、黄河上流域にいたチベット族(斉家文化)が、より豊かな土地を求めて東進した。長江のチベット族(三星堆文化)と手を組み、洛陽に侵出。夏王朝を興した。夏王朝(二里頭文化)は、中国で最初の青銅器文明だと言われる。
(※夏王朝については、良渚文化を担っていた部族が長江氾濫によって黄河に逃げ込み打ち立てたとする説もある。)

■3500年前からの寒冷・乾燥化:殷王朝→周王朝
3500年前から3200年前、ユーラシア大陸内陸部で寒冷化と旱魃が進んでいく。この気候悪化のなかで、中央アジアのスキタイ=シベリア文化の遊牧民は、騎馬に必要な鎧やくつわを鉄器で作り、さらに鉄製の弓や武器をいち早く手に入れ、騎射技術を獲得した騎馬軍団を作り上げる。この騎馬技術は、テュルクやモンゴルに伝播していった。

3500年前、夏王朝に服属していた殷(商)族(モンゴル騎馬民族)が反乱を起こし、夏王朝を滅ぼして、殷王朝を打ち立てる。夏王朝のチベット族(羌族)は洛陽地域を放棄し、西へと移住した。
(※殷王朝を興した部族については、イラン系遊牧部族に侵略され逃げ延びたトルコ族とする説もある。)

更に、3100年前になると、殷に服属していた周族(トルコ族orチベット族)が羌族(チベット族)と協力して殷王朝を滅ぼし、周を建国する。
 
 

  以上は「るいネット」より

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