カテゴリー

  • gesara nesara
  • ウクライナ紛争
  • コロナワクチン
  • サル痘
  • スポーツ
  • デジタル通貨
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • マスコミ
  • 世界大恐慌
  • 二パウイルス
  • 健康
  • 医学
  • 地球大異変
  • 地球自然科学
  • 天文学
  • 学問・資格
  • 宇宙文明
  • 宇宙自然科学
  • 宇宙開発
  • 平成の「船中八策」
  • 心と体
  • 思想・哲学_
  • 放射能
  • 放射能汚染対策
  • 文化・芸術
  • 新世界秩序
  • 新型コロナウイルス
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 歴史
  • 物理学_
  • 環境問題
  • 生物学
  • 科学技術
  • 第三次世界大戦
  • 経済・政治・国際
  • 統一教会と自民党
  • 考古学
  • 自然災害
  • 趣味
  • 食料危機
  • 鳥インフルエンザ
  • UFO・反重力

最近のトラックバック

« 日本近海での異変には注意が必要 | トップページ | 毎月60万KWずつ増える電力 »

2014年5月10日 (土)

千島学説:第17回、飢餓の諸問題①

HOME

         
  • 千島喜久男博士

    Prof.CHISHIMA

  •          
  • 革新の生命医学情報

    INNOVATION

  •          
  • 関連図書

    BOOKS

  •          
  • 長編小説

    NOVEL

  •          
  • 活動状況

    ACTIVITIES

  •          
  • お問い合わせ

    CONTACT

  •     
        
       
                        

    革新の生命医学情報 No.17


    飢餓の諸問題①

    【1】飢餓・飢饉の歴史

     (a) 飢餓の生物学・医学的研究

      生きることは食べることです。その食べ物が欠乏したため多くの人々が戦争や飢饉のために餓死した悲惨な事態が頻発したことは古今東西の歴史が示しているばかりでなく、現代でも食料不足に苦しむ国々がある事実は、生物学と医学の研究に大きなテーマを残しただけではなく、大きな社会問題でもあります。そこでまず、飢饉の歴史と飢餓が肉体や精神に及ぼす影響、そして飢餓問題への対策について考えてみましょう。なお、この編には著者、報告者の名がない部分が多くありますが、主としてキースの報告から引用していることを予めお断りしておきます。

     (b) 飢饉の歴史

      飢饉を招く重要な要因として天災、地変によるものがあります。

    ① 世界の飢饉
     キースの報告によるとエジプトで紀元前1700年に7年間続いて飢饉に見舞われたといいます。彼の記述にしたがって世界の主な飢饉を年代順に記載しました。


    西暦 306年 スコットランド(4年連続)   西暦 1588年 アイルランド(人肉喰)
    310年 イギリス(4000人餓死   1600年 ロシア(3年連続50万餓死
    450年 イタリー(人肉を喰う)   1769年 フランス(人口の5%が餓死
    600年 フランス(5年連続)   1770年 ボヘミア(17万人が死亡)
    695年 イギリス(3年連続・人肉喰)   1772年 ロシア(2年連続)
    963年 スコットランド(4年連続)   1777年 ロシア
    1042年 イギリス(7年連続)   1786年 ロシア
    1064年 エジプト(7年連続・人肉喰)   1874年 小アジア(15万人餓死)
    1069年 イギリス(9年連続・人肉喰)   1877年 エジプト、ロシア他2ケ国
    1116年 アイルランド(人肉喰)   1877年 中国(大飢饉9百万人餓死)
    1235年 イギリス(2万人餓死)   1906年 ロシア(人口22%が飢餓)
    1239年 イギリス(人肉喰)   1911年 ロシア(人口25%が飢餓)
    1257年 イギリス(2万人餓死)   1919年 ロシア(5年連続)
    1286年 イギリス(23年間食料不足)   1929年 中国(2百万人餓死)
    1321年 イギリス(最後の飢饉)        

    ② インドの飢饉


    西暦 1052年 ヒンダスタン(7年連続)   西暦 1804年 ボンベイ(3年連続)
    1396年 デッカン地方(大飢饉の1つ)   1867年 インド各地(大飢饉)
    1556年 ヒンダスタン(人肉喰)   1878年 ボンベイ他(5百万人餓死)
    1660年 アズランヂブ(大飢饉)   1900年 インド全域(最大飢饉)
    1704年 デッカン他(2百万人餓死)   1943年 インド全域(百万人餓死)

     キースは世界の飢饉352回を記述していますが、上記のものはそのうちの一部を記載しただけです。しかも352回の飢饉には日本のものは全く記述されていません。また記述されている飢饉は、1900年初頭迄ですから、その後のものを加えるともっと多くの飢饉があったはずです。

    ③ 中国の飢饉

     キースは中国の飢饉については詳しい記述をしていませんが、飢饉が多いことで有名なのが中国、アフリカ、インドなどです。なかでも中国は飢饉が余りにも頻繁に起きるため『飢饉の国』とさえいわれています。中国・南京大学の調査では2千年の間に1829回の飢饉があったといいます。
     殆ど毎年のように中国の何処かが飢饉に見舞われていることになります。
     中村氏の調査によりますと、中国の最も大きな飢饉は旱魃によるものが多く、また洪水やイナゴの大群による被害などがそれに次ぐ原因だとされています。西暦620年から1620年までに2034回の大飢饉がありその前、610年の大飢饉は中国全域を襲ったと伝えられています。
     仏教の影響によって東洋人は西洋人のように飢饉のときでも餓死した人の肉を喰うことはしない民族ですが、大飢饉のときには中国、インドでも人肉を食べたという記録が残っていました。
     パール・バックの有名な小説、『大地』を読んだ人や映画を見た人は、イナゴの大群が襲来すると人々が溝を掘って防御しようとしますが、とても人力では抗することが出来ず、地上の緑は瞬く間にイナゴの大群によって食い尽くされていく光景に驚いたことでしょう。この小説の主人公、王龍の父は飢えた家族が木の根、草の根を掘って食べるのを見て、『まだ、ましだ。もっと悪い時があった。わしは大人が子供を食べているのを見たことがある』といっていました。このような悲惨な飢饉の原因は何処にあるのでしょうか。
     天候の不順、害虫、洪水などが一般に原因として挙げられていますが、その他にもっと重要なことが見過ごされているのではないでしょうか。それは人民の無自覚と政治の貧困です。そしてもう一つは『世界は一つ、人間には平等の幸せを』という理念の不足があると思います。世界が一体にさえなっていれば、こうした地球上の局地的な飢饉は交通、運輸の便がなかった当時でも、ある程度は近隣諸国の援助によって救い得たのではないかと思われます。

    ④ 日本の飢饉(大久保・下村氏の調査による)

    西暦 628年 春から夏の大干魃   西暦 1396年 西国中心の大旱魃。大風・洪水
    676年 大旱魃、飢饉   1402年 陸奥大旱魃、長雨・大飢饉
    698年 大旱魃   1421年 旱魃、疫病流行、死者多数
    705年 大旱魃、凶作   1436年 諸国大旱魃
    720年 大旱魃、凶作   1460年 大飢饉、洪水・旱魃・大風
    761年 飢饉   1468年 北海道全域の大飢饉
    764年 旱魃   1505年 会津大飢饉、餓死者3千人
    819年 旱魃   1506年 関東地方の飢饉
    898年 旱魃、群盗横行の害大   1642年 諸国の大飢饉
    908年 旱魃、路傍に餓死者多数   1675年 諸国の大飢饉
    917年 旱魃、飢饉。群盗横行   1757年 関東、東北の大飢饉
    1025年 大旱魃   1784年 奥州の大飢饉、餓死者10万人
    1136年 天下の大飢饉   1788年 6年連続・天命の大飢饉
    1181年 大飢饉、餓死者多数   1810年 諸国の大飢饉
    1227年 諸国大飢饉   1817年 諸国の大飢饉
    1270年 天下の大飢饉        

     これら日本の飢饉は主として天候不順(旱魃、多雨、水害、冷害、害虫大発生等)に起因する不作によるものですが、一方では当時の社会制度の不合理や交通、運輸の不便、また相互扶助精神の不足などによって痛ましい多くの餓死者を出したことも否定できません。

    【2】飢餓による肉体組織の変化

     飢餓は広い意味でいいますと食物を完全に絶つ完全飢餓と、食物量を一定の量まで節食する半飢餓(減食)が含まれますが、ふつうは前者を意味しています。しかし、両者には厳密な区別はなく、肉体的な変化も程度の差が生じるにすぎません。
     
     (a) 体重の変化

      内臓諸器官の重量変化については余り重要性はなく省略します。全体重の変化は冬眠する動物では20~25%を消失し、特に脂肪は93%も減少するとモーゲルはいっています。また、イヌでは93日間の絶食によって体重の65%を失って死亡したというブラノバの報告があります。
      人間の餓死者については1887年、マドラスの飢饉で餓死した人は平均体重の28%を失っていたといわれ、1877年のインドの飢饉による餓死者は平均体重が男性は43キロ弱、女性は35キロ強だったとデイビーはいっていますが、元の体重は記述されていません。
      第1次世界大戦中、食料不足によって体重が減少した率は男性は女性より、老人は壮年者よりも大きく、戦前に比べて平均21%弱の体重減だったといいます。ババリア地方で1914~1917年に体重の測定をした結果、250人の男性では平均72キロから65キロに減少し、170人の女性では平均57キロから53キロに減少していました。ニコラエフによると、戦争中における子供の体重は25~40%、ときには50%も減少した例があったといいます。

     (b) 体温・呼吸・脈拍

      キースがアメリカの大学生10名について食物摂取量と体温の変化を調べたところ、食物を半減(1日量を1400~1500カロリー)すると直腸体温は少し低下し、背部、手、額などの温度も少し低くなっていました。キースが特に注目したことは、寒さに対して非常に敏感になっていたことでした。呼吸の回数には変化がなく、脈拍数は3週間の半飢餓によって1分間56から48に、時には29~30に減少しました。運動によって脈拍が増加する割合は、正常な場合と大差はなかったと報告しています。

     (c) 血液像その他

      約6ケ月間、1日の食事摂取量を1500カロリーに減量する半飢餓によって、赤血球数は1立方ミリ中450万、血色素係数は76%になり、赤血球には僅かな異常型が現れ、軽い貧血の症状を示したといいます。白血球数は1立方ミリ中9500になり正常よりやや増加していました。握力は軽度に低下し、指の運動速度も鈍ってきましたが、眼の運動速度は反対に速くなり、歩行の力や活動力は低下したといっています。

     (d) 水分とタンパク質の量

      飢餓によって全身に浮腫が生じることはよく知られています。これとは反対に飢餓の末期になると下痢のために組織の脱水症状が起きます。
      一般に飢餓の進行につれて浮腫が生じ、筋肉中の水分含有量が増してきます。ウサギでは栄養状態が正常なときには平均75.42%の水分を含みますが、飢餓によって体重が25%、36%、45%が減少した3匹では、筋肉中の水分がそれぞれ77.50%、79.24%、79.48%と次第に増加していたというメンデルの報告があります。モウグルは同様の傾向が魚類、鳥類又、他の哺乳類にも認められるといっています。

     (e) 食塩と水

      イヌで行った実験では多量の食塩を与えると水分を保留して体重が若干増加したが、塩分を減らすと軽度の体重減少が起きたというウエックの報告に、グラントもこの傾向を認めています。即ち、8人の健康な人に毎日30ミリグラムの食塩を食物に加えて与えたところ体重が5ポンド増加し、血漿量も増し血圧も上昇しました。また半飢餓の動物と人について同様の実験をした結果、水だけを少し余分に食物に加えると水分排出量が増加したが、この水分に食塩を加えて与えると、体重が急速に増加し間違いない浮腫の兆候が現れたといっています。そして2~3日後に余分だった食塩と水を止めたら体重は実験前の数値に戻りました。
      ウエッチやリーブスもタンパク質の少ない飼料を与えていたイヌについて同様の事実を認めています。このように半飢餓やタンパク質不足の状態における急激な水分の減少がどうして起きるのか、その理由が解らないとキースはいっています。
      浮腫がある人について皮膚の食塩代謝を研究したアナスタポロスは『健康な人の皮膚100ミリグラム中には115~379ミリグラムの塩分を含んでいたが、飢えのため浮腫を起こしている人の皮膚には424ミリグラム以上の塩分が含まれていた。これは全く驚くべき事実である』といい、中国のリーは『2人の年少浮腫患者に毎日12~20ミリグラムの炭酸ナトリウムを与えたところ、体重が急激に増加し3~4日後には最高に達し、その後もこのアルカリ療法を続けたら浮腫は減退した。また毎日8ミリグラムのクロームアンモニウムを5日ほど与えたところ、やはり浮腫も体重も減少した』と報告しています。

     (f) 飢餓と脂肪代謝

      体に蓄積されていた脂肪は飢餓によって次第に減少することは周知の事実ですが、この脂肪減少はエネルギー源として燃焼するために消失するのだというのが従来の栄養学で一致した考えになっています。しかし、これは正しい考えとはいえません。これまで、栄養不良により蓄積脂肪が減少、消失していく過程が組織学的、また細胞学的に正しく研究されたとはいえないようです。ただ漫然と、脂肪は溶解してカロリー源になるものだと考えられているだけで、組織学的な実証はありません。
      脂肪組織を注意深く観察すれば、絶食や栄養不良のときには、脂肪球の外面から次第に赤血球母細胞に逆分化し、ついには脂肪球全体が赤血球に戻ってしまいます。これが千島学説の第2原理・『血球と組織の可逆的分化説』で説明する現象です。
      脂肪層というものは栄養の良いときに赤血球の脂肪変成によってできたものですが、栄養が不足して消化管での造血が著しく不足したり、或いは造血が停止してしまうと、脂肪を始め体の組織中で今現在で余り重要性がない組織から赤血球に逆戻りして不足分の補充をする、体に備わった応急処置だといえるでしょう。逆分化の最優先対象は脂肪です。重い飢餓が続いた人では肝や心臓その他の器官に脂肪浸潤が見られますが、現代の既成学説ではこの原因が難解とされ解明されていません。
      この脂肪浸潤は固定組織細胞が赤血球に逆戻りする際、一度リポイド性の物質に変わり、リポプロテインとなって赤血球に変化する過程での状態なのです。組織の可逆的分化の理論を理解できたとき脂肪浸潤の謎は容易に解明できる筈です。
      アンダーソンは『人において飢餓は脂肪の消失、リンパ組織の顕著な減退、睾丸と卵巣の退行、精子形成の停止、筋肉細胞の萎縮などを現わせる。肝細胞索は細小となり、肝の重量は50%以上も減少する。脾の血色素沈着は常に見られる現象であり、副腎のリポイドは消失し、小児では骨の成長も停止する』といっています。この観察は正しい観方をしています。
      脂肪は飢餓のときには体の組織中で最も早く赤血球に変えられるものです。脂肪の消失は『赤血球への逆分化』という過程によるものであることを1日も早く理解してほしいものです。

     (g) 組織細胞の崩壊産物

      飢餓によって体重や容積が減少するのは個々の細胞の萎縮と崩壊によるわけですが、このとき元の細胞内にあった物質はどうなるかという疑問が残ります。この点について、これまでの研究では殆ど解明できずお手上げの状態になっています。
      飢餓のときには赤血球が組織中で崩壊したり、赤血球貪喰細胞に喰われたりして細胞内の物質も消失すると主張する学者もいますが、これは間違っているとしかいえません。正常体や飢餓の初期では赤血球から固定組織へ分化していますが、飢餓の程度が進みますと固定組織細胞から赤血球へ逆戻りを始めます。逆戻りの過程でも一見すると赤血球が破壊されているように見えますが、それは赤血球になる前の中間過程像なのです。もっとも、筋肉その他の細胞で完全に老化したものは、赤血球へ逆戻りする力を失っており、そのままゼラチン状物質に退行するものも少なくないでしょうが、その量からしたら例外といえるものです。

     (h) 伝染病への感染性

      栄養不良になると種々の病気や伝染性疾患に罹りやすくなると医学関係者の殆どが信じているようです。その理由として、
    ① 病原体の増殖に真に都合がいい組織の状態になっている。
    ② 栄養不良によって免疫力が衰退し、病原菌を殺す抗体形成が弱まる。
    ③ 病原菌を補食する作用やその他の防御作用が衰退する。
    ④ 病原菌を殺滅したり化学的に中和したりする自衛力が低下する。
     などを挙げています。しかし、これらの考えは全く一面的であり、その分、半面の真理しか含んでいないようです。何故かといいますと、多くの病気が過食又は栄養過剰によるものが多いからです。
      いわゆる生活程度が高いとされる欧米文明国や都会人が病気になったとき、一時的な飢餓である減食或いは一両日又は数日の絶食によって大抵の病気が治癒はともかくとして軽快するという事実があります。飢餓が伝染病やその他の疾患に対する抵抗力を弱めるという考えは判断の誤りからきているようです。戦争中、塹壕生活を強いられていた兵士に伝染病の流行がありました。その原因を飢餓ということに結論づけたようですが、果たしてそうだったでしょうか。こんな生活環境が極端に悪化したなかで攻撃される恐怖、住居や衣服の極端なまでの不清潔さがあっては、精神的にも肉体的にも重大な負担が生じる筈です。食料不足などよりも大きい発病要因になることでしょう。
      第二次大戦中、栄養不足で痩せ細っていた日本人も、生活さえ合理的に保つことさえ出来れば、病気になる人間が著しく減少した事実が病気というものは栄養の状態よりも生活状態によるものであることを明確に示していると思います。
      殆どの腫瘍や栄養過剰による疾患は僅かな日数の断食や減食、また水分摂取の制限などによって著しく症状を軽快方向へ向けることができます。ただ、摂取する食物に適量の塩分とミネラル類を加えるよう心掛けることも大切です。

     (i) 各種機能の調整

      飢餓によって各種器官の機能、特に内分泌器官の働きが低下して、関連する系統の調整がスムーズに行われなくなることは広く知られています。第二次大戦中、フランスでは飢えた人々の内分泌作用の異常、特に性機能の低下が注目されました。時には適応する変化に反するような事実も見られました。これは飢えた人たちが或る時期になると作用が衰退する筈の甲状腺作用が逆に作用の増進を示して性欲や性的活動の興奮状態も示しましたが、その原因は未解明のままになっています。
      これは生物学的に考えるとき、痩せた土地の植物はよく実を結ぶ傾向があるのに対し、余りにも肥沃な土地の植物は実を結び難いという種属保存の理論に合致するようです。
      上記対象者では一般に生殖腺は僅かしか退行の状態が見られなかったのに、極東から連行されてきた捕虜のなかには女性の乳房のように発育した乳房をもつ兵士が見られました。この現象はどうにも説明できないことだとキースはいっています。これも多分、飢餓による性腺異常というより、戦争、そして捕虜になったという強烈なストレスによって、性腺が異常な作用を示したものと考えるのが最も自然ではないでしょうか。

    【3】減食(半飢餓)による一般的な体の状態

     減食、いわゆる半飢餓の状態にある人は、一般に内分泌系障害に類似した症状を示します。脈拍数の減少、血圧の降下、貧血状態、痩身、物質代謝機能の低下(甲状腺機能低下と共通)などといった症状です。この兆候はシモンズ氏症(脳下垂体の内分泌異常による悪液質に起因する脱毛、脱歯、閉経、内臓萎縮などが起きるとされている)にも似ています。またアジソン氏病にも似ていて皮膚に色素沈着が生じることがあります。キースの報告によると半飢餓状態では男性は性欲衰退、女性は月経の停止が起き、半飢餓の終期に見られる浮腫は内分泌器官の障害と関連し、各種器官と同様に内分泌器官も栄養不足によって退行萎縮するといいます。
     内分泌器官の変化についてジャクソンは『白ネズミが慢性飢餓によって体重が33%減少したのに対して、副腎は約9%減少し、副腎皮質は充血し中層の細胞はその容積の20%を減少した。髄質は比較的変化し難いが、長い期間栄養不良の状態にしておくと色素の出現と細胞の退行が起きる』といっています。報告にあるこの現象はどれも、〈組織細胞から赤血球への逆分化〉という千島学説・第2原理によるものでしょう。この過程においては必ずメラニン色素が合成されることからも明らかなことだといえます。
     慢性の飢餓でも副腎の萎縮は起きないと主張するグループと、急性飢餓の場合は副腎が逆に肥大すると主張する研究グループがありますが、副腎という器官は神経系が緻密に分布している所ですから物質的、神経的刺激を受けることでこのような矛盾した結果が出たものと考えられます。

    【4】飢餓による筋肉、心臓及び血液の変化

     飢餓による各種器官や組織の重量、構造、細胞の変化について、今までに多くの研究がなされてきましたが、ここでは主として筋肉、心臓と血液の一般的変化についてキースの見解、千島喜久男とその研究グループ(松井・村田・万部・鵜飼)の観察結果を併せて紹介しましょう。

     (a) 筋肉


      飢餓によって筋肉が萎縮することはいうまでもありませんが、前述したようにジャクソンによると白ネズミでは体重が33%減少した際に筋肉は31%減少し、慢性的な栄養不良では体重が36%の減少に対し筋肉は41%も減少していたといっています。キャメロンも同じ材料を使って筋肉と体重との並行的な減少があることを認めており、カエルやネズミでは性による差異もあるが、ヒトについては明らかではないと報告しています。
      メーヤーたちは飢餓によって筋肉線維自体が崩壊するほか、筋肉中に細胞核が多数出現し、横紋が消失するといっています。
      千島喜久男らのグループはイヌ、ウサギ、ネコ、マウス、ニワトリ、カエル、イモリなどについて絶食により筋肉組織内に血球母細胞状の核をもった細胞が出現することを確認しています。これは栄養不足という状態によって筋肉組織から赤血球へ逆戻りしている証拠といえます。また老化した筋肉線維は赤血球への逆分化能力を失っていて、その場で退行し別のヒヤリン様物質に変成する現象も観察しています。このような傾向をステインはワルシャワでの餓死者で認めています。
      一般の筋肉組織と比較して心筋の萎縮程度は軽いといわれていますが、千島喜久男らのグループがカエルやイモリについて観察したところでは、心室の壁は著しく薄くなっていて、多数の血球母細胞核が出現していた他、筋線維がゼラチン状物質へ退行変成していること、また消化管(胃・腸)壁にも核が多数出現し、筋線維の退行と赤血球母細胞への逆分化過程を確認しています。
      飢餓状態にあるとき筋肉中に多数の核が現れることは広く認められていますが、これは栄養不良のために不足している赤血球の補充のために、筋肉組織から赤血球へ逆戻りしている過程なのです。
      しかし、このことに誰も気づいていないことは誠に遺憾というほかありません。

     (b) 心臓

      現在の生理学や栄養学では『心臓は飢餓に対して強い抵抗性をもち、体は絶食によっていくら痩せても心臓は生きるために大切な働きをもつものだから、ほとんどその重量や大きさは減少しないものだ』とされています。しかし千島喜久男の研究グループは各種動物による飢餓実験を行った結果、心臓壁が著しく薄くなっているのを見て、従来の定説というものは訂正が必要だと考えていました。
      ところがキースも千島と同様の見解をもっていたのです。飢餓に対して心臓は強い抵抗力をもっており、その重量は殆ど減少することがないという定説は日本だけのものではなく、世界共通の誤った説であったことを千島はキースの報告で知りました。
      バークェは『結論としていうなら飢餓は心臓に対してなんら影響を与えるものではない』といい、レンドは『心臓や神経系は飢餓になっても僅かしか影響を受けない。何故ならこれらは他の組織の分解産物を利用して栄養をとるからである』とか、『心臓、脳、横隔膜や呼吸筋などのように生命維持のために大切な器官・組織は飢餓になると極めて僅かしか熱量を消費しない』といったエバンスの説などが世界の教科書に誤りと気づかず掲載されてきたのは多分、事実を確認することなく権威者の発表に逆らわず同調する意見を述べたものと思われます。
      日本でも木村哲二氏が『心臓には認めるべき変化はない』と報告していますが、実際には昔から飢餓状態になると心臓の重量が減少することは、多くの学者が報告しており、最近ではキャメロンが『23匹の成体白ネズミが飢餓によって体重が平均約27%減少したのに対し、心臓重量は約20%減少していた』と報告しています。またキースはミネソタ大学で12~14週間を半飢餓においたヒト32人について透視レントゲンで調べた結果、心臓容積が縮小しているのを確認し、心筋の萎縮によって冠状動脈が著しく捻れていることも認めています。
      千島喜久男の研究グループは各種飢餓動物の心筋には非常に多数のリンパ球様の核が現れ、これらが赤血球に逆分化する途中過程を観察しています。また筋線維が細くなって間隔が広くなった部分では、線維がバラバラになり、古い線維は赤血球へ逆戻りすることができず退化、崩壊してゼラチン状の物質に変わることも観察しています。
      心筋は従来の説とは逆に、飢餓になると全体が著しく萎縮し心臓壁も薄くなるのが真の姿です。

     (c) 心臓の働きと徐脈

      栄養不良になるとヒトは徐脈または心拍緩徐が起きます。脈拍は1分間に60以下となり静止時でも運動時でも同じような緩徐になります。これは栄養不足により体の物質代謝が低下し、心筋も退行するため血流が緩やかになり、体が消耗するエネルギーを極力少なくするための適応現象とみるのが妥当だと思います。
      キースはミネソタ大学での半飢餓実験で、体重が15%減少すると徐脈が現れ、その後脈拍数は徐々に増加しますが、半飢餓の後に十分な栄養を与えると、実験前の正常脈拍数を超えていわゆる心拍急速症に陥ることもあるといっています。

     (d) 血管の変化

      飢餓による血管の変化についての研究は、これまで余り多くはされていませんが、ジャクソンやキースによって概略は説明されています。それによると『飢餓による血管の変化は飢餓浮腫と関連しているが、①組織学的には飢餓組織の毛細血管には余り著明な変化は認められない。②飢餓浮腫中のタンパク質は非常に少ないという事実から、タンパク質は血管壁を透過しないと考える他ない』といっているだけで、はっきりとした考えは述べていません。
      エリンガーは血管に血管炎の兆候はないが静脈内に血栓が往々にして認められるといっています。これは事実と一致しています。この現象は血流が緩やかになるためだろうと考えている人もありますが、これは飢餓のために固定組織から赤血球に逆戻りする際、毛細血管内に血栓に似た組織の溶解物(未分化赤血球)を見ているのでしょう。レミーは餓死者において大部分の血管外膜に浮腫が見られるといっています。千島喜久男の研究グループによる飢餓実験では各種固定組織、器官には新しい多数の毛細血管が出現し、元の組織との境界がはっきりしないことを確認しています。この新しい毛細血管群は、固定組織から逆戻りした赤血球を運び出すためのものなのです。

     (e) 血液像の変化

      飢えによって体重が減少したり、皮膚の色が蒼白或いはどす黒くなるのは、すべて血液の量や質の変化と密接に関連していることは確かなことです。
    ① 赤血球の変化……飢餓による赤血球の形態的変化について、古くはカーティスが40日間絶食させた人を調べて巨大赤血球、小型赤血球、鋸歯状赤血球や曲がった赤血球が現れていたと報告したという記録が残っています。また一方では14日間絶食させた人でも赤血球の形や染色性に変化がなかったという報告もあります。アッシュも人や動物の急性飢餓で赤血球には変化がないといい、変化するという従来の研究者たちの報告は標本製作の際の不手際によるものだと主張しています。
      エンバーガーも断食指導家が27日間絶食した場合にも赤血球の容積には何の差異もなかったといっています。千島の研究グループによる飢餓実験でも赤血球の形態的変化は観察していません。
    ② 赤血球数の変化……飢餓による赤血球数の変化については、これまで種々異なった見解が発表されています。マレッツは1人の少年が異物の飲み込みによる食道閉塞によって餓死した例について餓死1週間前には赤血球数が1立方ミリ中260万に減少したといい、ブローデルはこれと同じような条件下で赤血球数は490万に増加したと逆の報告をしています。またアッシュは45日間絶食をした人では赤血球数もヘモグロビン量も減少していたと報じ、エンバーガーも27日の飢餓に耐えた人の赤血球数は490万から380万に減少しヘモグロビン量も90%から87%に減少したといっています。赤血球数が110万も減少しているのに、ヘモグロビン量は3%しか減少していないというのは少々理解し難いところですが、絶食者の血色はいいと記述されていることから、ヘモグロビンの量は事実余り減ってはいなかったのでしょう。
      アッシュは自らの研究や他の研究者の報告を総合的に検討して『赤血球数やヘモグロビンの量は長期の飢餓に強く抵抗し僅かしか減少しなかった』と結論し、キースは『この僅かな減少は飢餓による血液中の水分減少によってカバーされたのだろう』といっています。飢餓によって脂肪組織、筋肉その他の組織が赤血球へ逆戻りするために体重は減少しますが、血液の組成はギリギリの所まで正常な状態を保持しようとする体の機能の現れであることは事実のようです。
      しかし、アッシュやエンバーガー、またキースたちの見解はどれも血液全量を考慮に入れることなく、ただ単位容積中の赤血球数やヘモグロビン量を測定したものですから上記のような統一できない様々な結果が生じたものと思われます。造血器官は骨髄などではなく小腸の絨毛であるとする千島学説第5原理・腸造血説からみると、飢餓は赤血球造血の絶対量減少を生じさせ、それは当然にヘモグロビンの絶対量減少も招きます。その絶対量を考慮せず単位容積だけの測定では真の現象を捉える観察はできません。
      アイルランドの大飢饉についてのドノバンの報告、インドの飢饉についてのポーター、イクロードなどの報告では、ひどい飢餓に陥った人たちは顔面蒼白、高度の貧血症状を示し、全血液量の減少は体重の減少よりも大きかったことが伝えられています。この状態は第一次世界大戦、第二次世界大戦中の捕虜にも共通していました。長期に亘る飢餓によって終期には強い貧血に陥ることが種々の記録に残されています。
    ③ 白血球数の変化……アッシュが1人の飢餓者について注意深く観察をした結果によると、観察3日目には白血球数が12400,4日目には8400となり16日間そのままの数値に留まり、その後に正常値の6000に回復したといい、この白血球数の変化は主として多核白血球に基づくもので、リンパ球には変化がなかったといっています。エンバーガーも27日間の飢餓者について白血球数は僅かに減少したが、なかでも多核白血球は飢餓の進行につれて次第に減少し観察19日目には正常値の80%になり21日目には60%に減少したと報告しています。
      白血球数と飢餓との関係はアッシュがしたように時間的な経過を追って観察するのが理想的です。飢餓が始まった後一定期間、白血球数が増加するのは、固定組織から赤血球へ逆戻りするとき、まず必ず白血球の形を経ることと、もう一つは推測ですが飢餓によるストレスがこの過程に影響を与えるのではないかということも考慮する必要があることです。
    ④ 血液の全量……飢餓に陥ると血液の総量が減少するという推定は当然に必要なことです。特に水分を摂らないときはそれが著明に現れる筈です。キースがミネソタ大学での半飢餓実験で、学生を22週間に亘って食物を半減したところ、血漿の全量は約9%弱減少しましたが、体重1キロ当たりについては却って20%弱も増加していることがわかりました。血液総量についても同様の結果が見られました。体重と比較すれば血液の重量百分率は増加しても絶対量は減少することは疑えません。

    【5】飢餓と性及び生殖巣

     (a) 性的成熟と組織像の変化

      初潮が飢餓によって遅れることについては多数の報告が残されています。飢餓によって乳房や生殖器官の退行萎縮が起きることは当然といえるでしょう。テフコフは飢えた20~30才代の女性の卵巣濾胞は退化して殆ど認められなかったといい、ニコレフも飢餓状態の子宮は萎縮しているといい、ジャクソンは男性でも睾丸が萎縮していたと報告しています。しかしニコレフはウクライナで餓死した1~16才の男子の睾丸を調べたところ、正常のものと殆ど差がなかったといい、睾丸は飢えによって影響を受けることが比較的小さいといっています。この考えは正しいものと思えますが、長期間の飢餓では著しい変化が生じ、睾丸の間質組織や間葉細胞が増加するというコルデスの意見もありますが、これは赤血球に逆戻りする過程は間質組織が増加しているような様相を示すためにそう考えたのでしょう。
      ウクライナの大飢饉のときにも、成人の餓死者では睾丸の細精管が殆ど消失し、精子形成も止まり残留精子は退行し、副睾丸には精細胞の痕跡を示す塊を見たといいます。千島喜久男の研究観察では各種動物の飢餓状態では生殖巣、殊に卵巣濾胞や卵黄球が赤血球に逆分化する著明な像を確認しています。とりわけ両棲類では卵黄球→メラニン→間葉細胞→血球母細胞→赤血球という移行像をはっきり確認しています。

    写真上
    42日間絶食させたカエルの卵巣の一部。3個の卵細胞の外壁には卵黄から逆分化によってできた血球母細胞がある。
    150倍撮影。
    写真中
    上の卵巣の一部を強拡大したもの。卵子中の卵黄球(下方)から次第に上方の赤血球母細胞(b)に逆分化していく様相がよく示されている。
    800倍撮影。
    写真下
    35日間絶食させたカエルの睾丸。
    睾丸の精子形成は絶食によって、むしろ活発になり図の中央(a)は間質だが赤血球母細胞や間葉細胞を経て赤血球へ逆戻りする。
    ときには血管内に精子様細胞が見られることがある。絶食が長引けば睾丸は細胞数を減らし萎縮するが、この程度の絶食ではまだ正常である。
    600倍撮影。
    いずれの写真も千島喜久男撮影。

     (b) 飢餓による性別の死亡率

      男性と女性でどちらが飢餓という状態に耐える力が強いかは興味深い問題です。インドのベンガル地方で起きた1943年の大飢饉では、女性よりも男性のほうが早く餓死していました。当時の公的機関の調査ではその理由として、①男性は食物の量を多く必要とする。②男性は飢饉が始まってから一層長い間にわたって労働に従事しなければならない。③女性は比較的早期に救助される。
     といったようなことが理由だとしています。また調査で15才以下では男女の餓死率には差が認められないが15才以上になると、男性が女性の2倍以上もの餓死者を出しています。この原因として調査機関はインドでは飢饉になると男性が集団で食料を探しに妻子を残していくが、その途中に路傍で行き倒れになる者が多いからだと報じています。一般的に人間でも動物でも女性は男性よりも脂肪の蓄積が多いために、飢餓に耐える力が強いとされていることは事実です。ところが地方によっては逆に女性のほうが死亡する率が高い所もあるといいます。ちょっと不可解といえる話ですが、餓死者の率の差は主に社会的機構や救援物資の輸送などに影響されるものですから、性別と餓死者との関連をいちがいに論じることは適当ではなさそうです。

     (c) 飢餓と性的活動

      第一次大戦中のことですが飢餓によって浮腫を起こした人々には女性では月経停止、男性ではインポテンツの増加が見られたとランバーやナックが報告しています。もっとも戦争中における兵士のインポテンツは飢餓のためではなく精神的障害に起因しているものだとシーゲルやステッケルは推測しているようです。第二次大戦中にも女性の月経停止や不順は広く確認されており、成熟期の女性の70%にこれらの兆候が現れたとアノンはいっていますが、月経停止には精神的要素だけではなく、飢餓も要因の一つになっているというレイトンの報告もあります。このレイトンの考えは正しいものといえます。飢餓が性的活動を抑圧することはエバンスの動物実験で知られていますが、戦争という恐怖と不安にさいなまれるような場合は、精神的な抑圧から月経停止やインポテンツといった状態は当然に起きうることです。

     (d) 飢餓と妊娠

      飢餓によって妊娠と出産率が低下することは当然のことですが、1877年に起きたマドラスの大飢饉のときには、10万人を収容した救護所で1年間に生まれた子供は僅か39人でした。
      しかし生物学的には痩せた土地の植物に対して或る程度の環境悪化(雨量の減少、温度の低下など)が生じたときに却って繁殖力が強まったり、肥えた土地より痩せた土地の植物のほうが繁殖力が強いという傾向があります。これは種属保存という自然法則の一つの現れといえます。
      しかし、飢餓や環境悪化の程度がさらに進めば、動物の場合は卵巣や睾丸の組織が赤血球に逆戻りするため組織全体が萎縮し退化して生殖力が消失することは確かです。ただ睾丸や副睾丸は飢餓状態でも精子の形成はかなり長期間に亘って活発に行われていることも事実です。これもやはり、種属保存という自然の法則によるものでしょう。

     (e) 飢餓による卵巣と睾丸の変化

      飢餓によって卵巣は著しい変化を起こします。まず卵子の外側から内側に向かって赤血球への逆分化が進みますが、その過程は次のようになります。
      卵黄中にメラニン色素が出現→赤血球母細胞の核原基を形成→赤血球母細胞→赤血球という過程です。卵子から逆分化した赤血球は新しく形成された血管によって運び去られ卵巣は次第に萎縮していきます。睾丸は飢餓の始めは却って精子形成が旺盛になります。睾丸の間質は血管や赤血球に逆分化し、往々にして血管内に精子形成の初期に似た像を見ることがあります。睾丸も飢餓の状態が進行すると遂には活動を止めて萎縮していきます。

    <<< 目次に戻る   >>> 次

                     
        
                 

    « 日本近海での異変には注意が必要 | トップページ | 毎月60万KWずつ増える電力 »

    健康」カテゴリの記事

    コメント

    コメントを書く

    コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

    (ウェブ上には掲載しません)

    トラックバック


    この記事へのトラックバック一覧です: 千島学説:第17回、飢餓の諸問題①:

    « 日本近海での異変には注意が必要 | トップページ | 毎月60万KWずつ増える電力 »

    2023年3月
          1 2 3 4
    5 6 7 8 9 10 11
    12 13 14 15 16 17 18
    19 20 21 22 23 24 25
    26 27 28 29 30 31  

    -天気予報コム-

    ウェブページ

    無料ブログはココログ