「愛国」が「二重語法」だとしたら、隠蔽される「裏の意味」は何だろう
「「愛国」が「二重語法」だとしたら、それによって隠蔽される「裏の意味」は何だろう。:山崎 雅弘氏」 憲法・軍備・安全保障
https://twitter.com/mas__yamazaki
(昨日の続き)太平洋戦争時の日本の戦争指導部の言動も「ダブルスピーク」という観点から光を当てると、見えてくるものがあるように思える。
1941年12月の対米英蘭開戦は、日本政府の対中戦争の軍事的・外交的な「失敗」の結果だが、それを糊塗するために「二重語法」で開戦の口実を作り出した。
石油産出地を確保するための戦争を「アジア解放のための戦争」であるとの「ダブルスピーク」を考案し、それを念仏のように繰り返して自己洗脳することで、戦争指導部は対中戦争処理の致命的な失敗の責任と対峙する代わりに「侵略は解放である」という架空の「リアリティ」を創出して、そこに逃避した。
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軍事侵攻で占領した英領シンガポールを「昭南島」と勝手に改名して日本領に組み入れ、同じく軍事侵攻で占領下に置いたゴム産地の英領マラヤと産油地の蘭領東インドを「永久に日本の領土とする」と政府が決定する行為は「アジア植民地の解放」ではあり得ないが、「二重語法」を使えば葛藤を回避できた。
今の日本に「愛国」という言葉や概念が氾濫する理由が「二重語法」だとしたら、それによって隠蔽される「裏の意味」は何だろう。
自国を外国に売り渡す行為の罪悪感や葛藤を打ち消すには「愛国」的言辞を繰り返して自己洗脳を重ねる必要がある。
「自虐史観の洗脳」という言葉も裏返して見ると興味深い。
> 天安門事件やチベット侵攻なども中国共産党の歴史からは随時消されている
全くおっしゃる通りです。
そして私は、この国を愛する一日本人として、日本を「それと同じような政治レベルの国」にはしたくないと思っています。
貴方はどう思われますか?
現政権になってから特に、地方紙の記者やデスク、地方議会の議員と、在京の「大手」新聞テレビの記者やデスク、国会や都議会議員との「仕事の質の違い」が目につきます。
前者は皆、組織に所属しても個人として自立した思考で物を考え、自らの職務に取り組んでいると感じます。
『歴史群像』誌次号の担当記事(ディエップ強襲上陸)を書いてから、カナダ軍やカナダの安全保障問題に興味が沸き、いろいろ調べている。
この本は、日本以上に米国との関係が深いカナダが、どんな理由でイラク戦争への加担を拒絶したかという主題。
北米大陸がまだ英仏の植民地であった頃からの米加両国の歩みと歴史的関係から書き起こし、2001年のアフガニスタン攻撃では米国と協調したカナダ政府と国民が、2003年のイラク戦争では「国連を無視した(主観的正義を根拠とする)武力行使には加担できない」として派兵を拒否した経過を詳しく検証している。
「『アメリカ』の機嫌を損ねて日米関係が悪化したら、日本は安全保障面でも経済面でもやっていけない」という脅しに、なんとなく「そうかな」と思ってしまう日本人は多いと思うが、カナダとイラク戦争の事例は、そうした恫喝が根拠の希薄な「思い込み」だと教えてくれる。
2003年のイラク戦争では、ドイツ、フランス、カナダなど多くの「アメリカの同盟国」が協力を拒否し、ポーランド軍などが武力行使に参加したが、ポーランドのクワシニエフスキ大統領は2004年3月18日にインタビューで「わが国は(大量破壊兵器に関して米英政府に)だまされた」と発言した。
何度も書いているが、日本政府はいまだ「(大量破壊兵器に関して米英政府に)だまされた」とは認めず、外務省の検証も「公開すると外国に迷惑がかかる」との理由で非公開となっている。
公開して「迷惑がかかる外国」がどこかは明白だが、「主観的正義を根拠とする武力行使」への協力を反省していない。
> 高文研 『カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか』の編集担当の真鍋と申します。ご紹介頂き、ありがとうございました。アメリカと一心同体だと思い込んでいたカナダがなぜイラク戦争に参加しなかったのか?その驚きで作った本です。今後ともよろしくお願いいたします。
書名と著者名、出版社名を端折ってしまい大変失礼しました。
吉田健正著『カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか』(高文研、2005)専門書ではなく、一般の読者に向けてわかりやすく書かれおり、日本の進路を考える上で参考になる「選択肢」を示唆した内容です。
お奨め。
> カンボジアPKO関係でカナダ軍に取材したことがありました。PKO任務中に同僚が殺されたらどうするの問いに、「反撃する」ではなく「その晩、みんなで泣きます」と答えたことが印象に残ってます。
(昨日の続き)太平洋戦争時の日本の戦争指導部の言動も「ダブルスピーク」という観点から光を当てると、見えてくるものがあるように思える。
1941年12月の対米英蘭開戦は、日本政府の対中戦争の軍事的・外交的な「失敗」の結果だが、それを糊塗するために「二重語法」で開戦の口実を作り出した。
石油産出地を確保するための戦争を「アジア解放のための戦争」であるとの「ダブルスピーク」を考案し、それを念仏のように繰り返して自己洗脳することで、戦争指導部は対中戦争処理の致命的な失敗の責任と対峙する代わりに「侵略は解放である」という架空の「リアリティ」を創出して、そこに逃避した。
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軍事侵攻で占領した英領シンガポールを「昭南島」と勝手に改名して日本領に組み入れ、同じく軍事侵攻で占領下に置いたゴム産地の英領マラヤと産油地の蘭領東インドを「永久に日本の領土とする」と政府が決定する行為は「アジア植民地の解放」ではあり得ないが、「二重語法」を使えば葛藤を回避できた。
今の日本に「愛国」という言葉や概念が氾濫する理由が「二重語法」だとしたら、それによって隠蔽される「裏の意味」は何だろう。
自国を外国に売り渡す行為の罪悪感や葛藤を打ち消すには「愛国」的言辞を繰り返して自己洗脳を重ねる必要がある。
「自虐史観の洗脳」という言葉も裏返して見ると興味深い。
> 天安門事件やチベット侵攻なども中国共産党の歴史からは随時消されている
全くおっしゃる通りです。
そして私は、この国を愛する一日本人として、日本を「それと同じような政治レベルの国」にはしたくないと思っています。
貴方はどう思われますか?
現政権になってから特に、地方紙の記者やデスク、地方議会の議員と、在京の「大手」新聞テレビの記者やデスク、国会や都議会議員との「仕事の質の違い」が目につきます。
前者は皆、組織に所属しても個人として自立した思考で物を考え、自らの職務に取り組んでいると感じます。
『歴史群像』誌次号の担当記事(ディエップ強襲上陸)を書いてから、カナダ軍やカナダの安全保障問題に興味が沸き、いろいろ調べている。
この本は、日本以上に米国との関係が深いカナダが、どんな理由でイラク戦争への加担を拒絶したかという主題。
北米大陸がまだ英仏の植民地であった頃からの米加両国の歩みと歴史的関係から書き起こし、2001年のアフガニスタン攻撃では米国と協調したカナダ政府と国民が、2003年のイラク戦争では「国連を無視した(主観的正義を根拠とする)武力行使には加担できない」として派兵を拒否した経過を詳しく検証している。
「『アメリカ』の機嫌を損ねて日米関係が悪化したら、日本は安全保障面でも経済面でもやっていけない」という脅しに、なんとなく「そうかな」と思ってしまう日本人は多いと思うが、カナダとイラク戦争の事例は、そうした恫喝が根拠の希薄な「思い込み」だと教えてくれる。
2003年のイラク戦争では、ドイツ、フランス、カナダなど多くの「アメリカの同盟国」が協力を拒否し、ポーランド軍などが武力行使に参加したが、ポーランドのクワシニエフスキ大統領は2004年3月18日にインタビューで「わが国は(大量破壊兵器に関して米英政府に)だまされた」と発言した。
何度も書いているが、日本政府はいまだ「(大量破壊兵器に関して米英政府に)だまされた」とは認めず、外務省の検証も「公開すると外国に迷惑がかかる」との理由で非公開となっている。
公開して「迷惑がかかる外国」がどこかは明白だが、「主観的正義を根拠とする武力行使」への協力を反省していない。
> 高文研 『カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか』の編集担当の真鍋と申します。ご紹介頂き、ありがとうございました。アメリカと一心同体だと思い込んでいたカナダがなぜイラク戦争に参加しなかったのか?その驚きで作った本です。今後ともよろしくお願いいたします。
書名と著者名、出版社名を端折ってしまい大変失礼しました。
吉田健正著『カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか』(高文研、2005)専門書ではなく、一般の読者に向けてわかりやすく書かれおり、日本の進路を考える上で参考になる「選択肢」を示唆した内容です。
お奨め。
> カンボジアPKO関係でカナダ軍に取材したことがありました。PKO任務中に同僚が殺されたらどうするの問いに、「反撃する」ではなく「その晩、みんなで泣きます」と答えたことが印象に残ってます。
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