ソ連が米国を日本の核攻撃から救った
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- カテゴリ:
- 原発と核兵器
1945年8月、ソ連軍の参戦によって、日本軍が米国に核兵器を使用する可能性が排除された。
1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。
日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、小型の船艇に載せて漕ぎ出し、沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。
巨大な爆発であった。直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。
「祖国」作戦の一環で米軍に対して使用される予定であった。しかし、投下され、炸裂することはなかった。いわばソ連が米国を日本の核攻撃から救ったのである。
Konkurent.Ru、Vladivostok
ロシアの声 2013 6月 13 , 12:15
http://japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/
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アマちゃんだ @tokaiama フォローする
1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。
日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、小型の船艇に載せて漕ぎ出し、沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。
巨大な爆発であった。直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。
「祖国」作戦の一環で米軍に対して使用される予定であった。しかし、投下され、炸裂することはなかった。いわばソ連が米国を日本の核攻撃から救ったのである。
Konkurent.Ru、Vladivostok
ロシアの声 2013 6月 13 , 12:15
http://japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/
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アマちゃんだ @tokaiama フォローする
実は、低濃縮ウランによる世界最初の核爆発を起こしたのは日本軍だった湯川秀樹率いる興南道理研構内でU濃縮を研究していた海軍は、敗戦を見て証拠隠滅のため中途半端な濃縮ウランを核爆発させたこれは当時、ソ連の情報収集によって記録されてる http://japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/ …
以上は「とある原発のメルトスルー」より
日本が米国より早く原爆開発実用化に成功していれば、世界は全く景色が違って見えたでしょう。しかしどちらが勝っても良い点と悪い点はあるでしょう。戦争はしないことが一番です。 以上
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