戦争反対!「鶴は翔んで跳んでゆく」(1957)の反戦メッセージ
戦争反対!『鶴は翔んでゆく』(1957)の反戦メッセージ
第二次世界大戦に関する偉大なソ連映画
Dorota Niemitz
2014年6月19日
人類史上最も残酷な戦争、第二次世界大戦の終戦からほぼ70年後、世界はまたもや極めて大規模な軍事紛争の危機に直面している。
2012年、欧州連合(EU)は破廉恥にも、EUとその先駆者が“ヨーロッパにおいて、60年以上、平和と和解、民主主義と人権の推進に貢献してきた”という理由でノーベル平和賞を受けた。これは現実を逆立ちさせたものだ。
EUには、政権転覆や、イラクやアフガニスタン戦争を含め世界中の犯罪的な戦争を支援してきた62年の歴史がある。EUは最近同盟国アメリカと組んでウクライナで極右クーデター画策したが、それが残虐な内戦をもたらし、核大国でもあるロシアとの対立を引き起こしかねない恐れがある。
『鶴は翔んでゆく』ポスター
このそれとなく茶番めいた“平和賞”や諸大国の偽善は、事実上、何ら問題にされぬまま済んでしまった。主流マスコミ内では、戦争への衝動に反対する声はまったく聞かれない。同様に帝国主義者の戦争挑発に抗議する主要な映画は、最近一本たりとも制作されていない。真面目な映画ファンとしては、重要な手段で今現在の真実を提示するのを止めてしまった映画産業と文化全体の恐るべき危機を感じつつ、非常に物足りなく思える。
“戦争反対”と言える新しい映画が存在しない為、批評子はソ連で作られた、これまでに制作された最高の反戦映画の一つと考えている映画『鶴は翔んでゆく』(1957年)に回帰する必要性を感じた。1958年カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した唯一のソ連映画は、1960年3月に公開された際、アメリカを含めた西欧で、広範な観客に歓迎された。
『鶴は翔んでゆく』は、恋愛関係にあり、結婚を予定している二人の若者ボリス(アレクセイ・バタロフ)とヴェロニカ (タチヤーナ・サモイロワ)の物語だ。1941年、ドイツ軍がソ連に侵入し、二人の計画は延期される。品位ある私心の無い青年ボリスが、徴兵される前に、ソ連軍に志願兵として加わったのだ。彼は後に戦闘中行方不明とされる。両親を空爆で失ったヴェロニカは婚約者を忘れられないが、不正に徴兵免除を得た後、ボリス不在中に彼女を追い回したボリスのいとこ、マルクと結婚を余儀なくされる。
アレクセイ・バタロフ
(ボリス)とタチヤーナ・サモイロワ (ヴェロニカ)
ヴィクトル・ロゾフの戯曲「永遠に生きるもの」に基づく『鶴は翔んでゆく』は、自分の人生を生きる権利が戦争によって残酷にも中断され、居合わせた人々が苦しみ、トラウマをうける人々の複雑で如実な物語だ。
もしスターリンが1953年に亡くなっていなければ、『鶴は翔んでゆく』はおそらく制作されていなかっただろう。グルジア、トビリシ生まれのソ連映画監督ミハイル・カラトーゾフ (カラトズィシビリ、1903-1973)は、彼の最も有名なこの映画を、1958年、いわゆるソ連史における雪解け時代に制作した。スターリン死後、1956年の共産党第20会議会中に、共産党第一書記のニキータ・フルシチョフがスターリンを非難し、彼の犯罪の一部を暴露する有名な“秘密演説”を行った。この結果、党人事は大改造され、言論の自由の拡大を含む、ソ連社会におけるある種の変化がもたらされた。
フルシチョフの演説と“雪解け”は、財政資源が得られるようになり、検閲が緩和されたので、芸術、特に映画には大きな影響を与えた。国家が支配する映画スタジオ、ソ連最大のモスフィルムが、新作用資金を得て『鶴は翔んでゆく』が制作された。歴史映画、特に十月革命や第二次世界大戦に関する作品が奨励された。
“映画芸術の巨匠達は、スターリン時代にそう呼ばれていた‘個人崇拝’を克服する道を示されたのだ。レーニン主義の規範‘パルチンノスチ’(党精神)が回復し、ソ連の文化的-政治的生活を活性化し、推進する機能が増大した”とルイス・ハリス・コーエンは、1974年の著書『ソ連映画の文化-政治的伝統と発展 1917-1972』で書いている。
第二次世界大戦にまつわる、それまでのソ連映画では、作品が常に勝ち誇る、愛国的な、いつも深みがなく、雄々しい、ソ連の戦争への取り組みに関するスターリン主義的プロパガンダ・ニーズに合致しなければならなかった為、歴史的真実は歪曲されていた。『ベルリンの陥落』(1950年、ミハイル・チアウレリ監督)の様な映画では、戦争の勝利はスターリンの個人的貢献であったかのように描かれていた。『鶴は翔んでゆく』はそうした伝統を打ち破った初めての作品だった。
カラトーゾフの映画は、我々の目の前に、爆撃されたビル、割れたガラス、あわてふためく人々、泣き叫ぶ子供達、一人で暮らす孤児達、目や腕や脚を失った負傷兵の集団、作戦地帯の汚物や泥といったニュース映画風の場面を突きつける。『鶴は翔んでゆく』は、戦争の破壊的な力の悪夢の様な渦に巻き込まれた本当の犠牲者、庶民の目を通して軍事衝突を表現しているがゆえに反戦映画の傑作なのだ。
爆撃の後
厳しい現実を描き出すと同時に、ドキュメンタリー風にするため白黒で撮影された映画は観客を映像の美しさで感嘆させる。『女狙撃兵 マリュートカ』(原題は、41番目)(1956、グリゴリー・チュフライ)や、カラトーゾフの『怒りのキューバ』(原題は「私のキューバ」(1964)で有名な映画撮影技師セルゲイ・ウルセフスキー(1908-1974)は、画像が往々にして会話に取って代わるような、視覚的名作を生み出した。
無声映画から監督生活を始めたカラトーゾフは無声時代のテクニックを借用して、ウルセフスキーに、顔が非常に多くを物語る驚くべきクローズ・アップや、手持ちを多用した、素早い突然のカメラの動き、視点の素早い転換、パニックや恐怖という心の状態を表現する近距離や、トラウマを表現する、静止した中距離やロングショットを活用させた。
空に対して旋回する樺の木の画像を通して伝えられる沼地でのボリスの戦死は、ひたすらはらはらさせられるもので、まさにこうして人は倒れるのだ、人は死ぬのだと想像できるだけだ。自殺未遂のような形で、ヴェロニカが逆上して、線路に沿って走る場面では、彼女のパニック、息切れ、情緒的衰弱の眩惑や臨死の緊張を感じる。
ボリスの死
セルゲイ・エイゼンシュテインの伝統に習って、ボリスが生活と幸せに向かって、ヴェロニカの後を追いかける美しい螺旋階段は、後に爆弾で破壊された階段で対比され、そこを上がったヴェロニカは、両親が消滅してしまっているという衝撃的発見に至る。空爆後、彼等のアパートに残されていたのは、壁で大きな音をたてている時計だけで、彼女が両親を失ったこととは無関係に、生活が続くことを心が痛くなるほど思い起こさせる。
カラトーゾフの映画には、モスクワ上空をV字型の群をなして飛んで行く鶴で象徴される新たな命が再生する希望もある。
二つの帝国主義戦争に苦い教訓は忘れ去られてはならず、第二次世界大戦や人命の膨大な損失を可能にした、スターリン主義の裏切りの教訓も忘れ去られてはならない。ウクライナにおける現在の危機も、ソ連崩壊をもたらした、まさに同じスターリン主義政策の結果だ。
“我々が、一国家だけでなく、全世界のブルジョワジーを打倒し、最終的に打ち破り、収用した後のみ、ようやく戦争は不可能になる”のだから、加速しつつある軍国主義や、新たな世界大戦へ向かおうとする衝動に対し、残酷な自由企業制を廃絶する戦いに、とりかかることは焦眉の急だ。
この言葉はウラジーミル・イリイチ・レーニンのものだが、『鶴は翔んでゆく』では、ボリスの机上に、レーニンの小振りな塑像が誇らしげに置かれていた。
著者は、この映画を鑑賞する方々が、映画とその反戦メッセージを、映画最初の公開当時同様、今も力強く有意義なものとして受けとめられることを願うものだ。『鶴は翔んでゆく』で描かれているような戦争の陰惨な場面が再び見られることが無いよう願おうではないか。ボリスの友人ステファンが、最後の場面、駅で群衆に向かって演説する言葉を引用して終わりとしよう。
“時間は過ぎてゆく
町や村は再建されるだろう
我々の傷も治るだろう
しかし戦争に対する烈しい憎しみは決して消えるまい。
愛する人々とは、もう会えない人々の悲しみを、我々は共有している
将来恋人達が決して戦争で離別させられないようあらゆる手だてをつくすつもりだ
母親達が決して子供達の命を心配せずに済む様
父親達が決して涙をこらえずに済む様
我々は勝利したが、二度と破壊するようなことはしない
そうではなく、新しい生活を築き上げるのだ!”
本評論は、最近2014年5月5日に、80歳で亡くなった偉大なロシア人女優タチヤーナ・サモイロワへの手向けでもある。
記事原文のurl:http://www.wsws.org/en/articles/2014/06/19/cran-j19.html
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大本営広報部、第一面、集団侵略戦争権のあやうさを扱っているのに感心して、中を見ると、宗主国ジャパン・ハンドラー様の未来についてのご託宣。精神が分裂してしまうではないか。
wswsの映画評、どうしようもない宗主国の戦争推進洗脳映画を批判する記事が多い。本気で読めない。今回は、ごくまれな例で、大絶賛。個人的に、好きな映画の一つなので異義はない。レーザーディスクで見たのか、どこか映画館で見たのか記憶はない。
ロシア歌謡に『鶴』という歌がある。鮫島有美子のロシア歌謡CDのものをよく聞いている。この映画同様、聞きながら涙が流れるような歌。話がどこかつながっているので、いつか、てっきりこの映画の主題歌と思うようになってしまった。しかし、再度見直しても、また歌の説明を読んでも、映画と歌は全く別の作品。
涙もろいので、この映画、映画館でみる自信はない。 まして、これが現実になっては。
こうしたジャンルで好きな作品ということでは、「誓いの休暇」と著名な監督タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」、いずれも全く甲乙付けがたい。映画がともかく素晴らしいのは事実だが、反戦メッセージの強さが重いからだろうと思う。
政府幹部?原作の戦闘機パイロット活躍の?戦争推進映画DVDはどこでも買えるだろうが、こういう名画不思議なほど入手は困難。
戦争関連映画の人気と、内容レベルの高さ、ほとんど反比例するということだろう。帝国主義側の侵略戦争参戦で兵士に犠牲がでても、ひたすら悲いと涙を流すわけにはゆくまい。理不尽な侵略にやむなくたちむかう姿を見ればこそ共感するのだ。
属国では、理不尽な侵略から守るのではなく、理不尽にも侵略する側で悲惨なめを味わう兵士、家族、愛人を、これから無数に作り出すたくらみが着々進行している。
時間は過ぎてゆく
町や村は破壊されるだろう
我々は傷も負うだろう
しかし戦争に対する烈しい愛好は決して消えるまい。
愛する人々とは、もう会えない人々の悲しみを、我々は共有しない
将来恋人達が決して戦争で離別させられないような、いかなる手だてもつくさない
母親達に必ず子供達の命を心配させるようにする
父親達に必ず涙をこらえるようにする
我々は敗北したが、再度進んで破壊に引きずりだされる
そう、新しい破壊生活を始めるのだ!”
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