(3) 肺癌(1) 大学時代のクラブの先輩D氏(1937年生, 男性, 55kg)
会社の部下が肺癌の手術を受けたので見舞うと, 「癌が大きかったので手術を急いだ. 転移を心配している」と言った. 後述する転移癌(17)の直後だったので, 転移にも効果があるかも知れないと思い, 生の春ウコンを勧めたところ, しばらくして「春ウコンを摂って体は快調です」と言ってきた. 手術が上手く行ったのかも知れないと思ったが, 術後1年過ぎても転移もせず, しかも顔色が大変よいので春ウコンは効いていそうだと喜んでいた.
丁度その頃, 大学時代の体育会系クラブのOB会のボスから, 「お前, 癌に効きそうな物があると言っていたな. 制癌剤開発経験もあるし, いい方法があったら鴨川市の病院に入院中のDのところに行ってくれ. ターミナルケアで米国から日本に戻ってきた. 肺癌で死にそうだ」と言われた. むずかしい癌と言われている肺癌に, 部下と同じようなことが起きてくれることを期待して出かけた.
D氏は一緒にクラブ活動をした時期のない先輩で, しかも卒業後間もなく渡米し, その後はずっと米国テキサス州ヒューストン在住の方なので馴染みもなかった. どのような心境で療養されているのか, 話をどう切り出すか, に不安があった. 30年振りの対面は双方に少し見覚えがある程度であったが, D氏は癌の経過を淡々と話して下さった. 以下にその内容を簡単に記す.
【米国でトップクラスの病院であるM.D.アンダーソン癌センターで肺癌と診断され, 直ぐに手術を受けた. 手術を開始したものの, 癌の大きさと部位のむずかしさから切除は不可能と判断された. 手術は中止となり, 病巣に手を付けることなく縫合された.
少しでも延命につながるようにとの米国病院の勧めにより, ターミナルケアのため退院して日本に戻ることにした. そこで, 温暖で心穏やかに過せるところとして, 幼少の頃に夏休みを過した思い出深い千葉県・外房の安房天津にほど近いK病院に入院した. この病院の医師からの勧めは, 温熱体を癌の部分に埋め込む手術(広島大の温熱療法)だったが, メスを入れることが体にとって大きなストレスとなり, 寿命を縮めることになる, と考えたので, D氏はこれを辞退した. 肺癌は約3cmの大きさになっている. しかも, 切りにくい場所なので, 最早打つ手は無い, とのことだった.
日本に戻って以降, 癌に効くというものを色々な人からたくさん紹介されたが, よくわからない物が多いと言った. そのなかで玄米食だけを勧めに従って食べている. 】, ということだった.玄米食の効果の程をたずねると「癌の大きさに変化を与えるような効果は出ていない」とのことであった.
余命何ヶ月との具体的な説明はなかったが, 「日本に戻って昔の仲間にもたくさん会えたので」と, 覚悟が決まり達観されているのを言外に感じた. そこで, 「温熱療法以外に良い療法はないと私自身も考えていた. それに近い方法を実行しながら色々調査していた時に行き着いた春ウコンは, 驚くほどの卓効を示した」とD氏に3例の経験を詳しく話し, 当日持参した生の春ウコンの飲み方を伝えた. 「他に手立てが無いなら, 是非試してみて下さい」と言って, 継続服用を勧めた. 同時に, 癌を温めるために自分でも採っている方法として, [肌着の上から患部と思われるところに携帯用カイロを貼ること]を勧めた.
1ヶ月を過ぎたところで鴨川のD氏から電話が来た. 「2001年12月7日より勧めに従って[カイロを貼ることと生の春ウコン摂取]を始めた. 春ウコンは, 言われた通りに1日30gを3分割して服用したところ, 翌月10日前後のX線検査では, 3cmの白い円形の癌が, 缶詰のパイナップルを斜めから見たように楕円形に黒い切り込みが入り, 中央が黒く抜けた状態となってきた」という. 大した期待も無く始めた春ウコンの効果に, D氏自身も驚いたようだった. さらに, 「医師も首を傾げながら『寛解(完全治癒ではないが, 病状が快方に向かっている)と言える』と診断した」とのことだった.
3月末になると癌の症状が完全に治まったので, 医師は治癒したと診断して退院を許可し, D氏は米国に戻った. 治癒はむずかしいと言われていた肺癌にも春ウコンは卓効を示した. 先輩が退院できたことに安堵すると同時に, 肺癌で
図1 末期肺癌の回復経過の模式図
も末期肝臓癌(T大病院)(参照:1.1.2(13))と同じように, 医師が「治癒,退院可」との診断結果を出すことができるような病巣の状況になったことに感激した. 末期肝臓癌, 直腸癌らしきもの, 胃・食道癌全摘後の末期の転移癌に続く4例目に, ただ驚くばかりであったが, 固形癌をはじめとして各種の癌を抑えることの可能 性が開けていくように思えてきた.
D氏には, 「癌は治るものではないと考えている. 治癒と言われても春ウコンを継続して飲み, 癌を抑え続けなければいけない」と伝えていたのだが, 医師の「治癒により退院してよい」との診断に, 「治った!」と思って米国に戻り, 春ウコンを飲み続けてくれなかった.
2002年8月に肺癌を再び悪化させて体調を崩したD氏は, 日本に再帰国して「癌が悪くなった」と電話をしてきた. 再発確認までの期間は150日程であった. 3月に言ったことを繰り返し, 春ウコン摂取を再開し, 何年かは継続摂取するように勧めた. そこで, D氏が日本にストックして置いた生の春ウコン(冷凍品)の摂取を再開したところ, わずか30日で癌が治まり体調が再び良くなった. 再摂取後の癌の回復速度は極めて速かった.
癌が消失して治癒した, と診断されても, 消失直後に春ウコンの摂取をやめてしまうと癌は再び悪くなる. しかし, 春ウコン摂取を再開すると癌は再び消失することが確認できた. D氏の春ウコン摂取条件で, 医師が[治癒した]と診断する状況まで症状を抑えることはできたが, 短期間の摂取では病原を完全には取り除けていないことも確認することになった. 短期間の春ウコン摂取では, 摂取次第で, [癌の悪化⇔回復]を繰り返す可逆性がある, ということがわかった. 長期間摂取で癌の病状と病原がどうなるのかは, 継続摂取した後の結果を解析してみないと判断できないと考えた.
この頃になると, 粉末製品でも生の春ウコンでも大きな差は無さそうだ, という感触を自分の体を通してわかり始めていた. D氏が再び米国へ戻る時には生の春ウコンが尽きてしまい, 入手不能な時期だったので, 粉末製品を持ち帰るように勧めた.
その後は何も連絡がないので, 粉末製品で癌を無事に抑えているだろうと思っていたところ, 2003年8月中旬に日本に再帰国し, 「新しいメカニズムで効く肺癌専用制癌剤[イレッサ]の臨床試験が始まる. これでで完治させたい. どのように思うか」と電話をしてきた. 「体調は良く, 医師から肺について特別な指摘を受けていない」と言うので, 春ウコン粉末製品の効力を再確認できた. D氏の質問に対しては, 「今までの経験では, 制癌剤に卓効があるとは思えない. 新薬のイレッサについては全く知識がないので判断はできない. しかし, 癌が治まっていて健康上に問題がないのだから, 新薬の臨床成績がまとまるまで待った方が良いと思う. 臨床結果が出るまでは現在の健康法を続ける方が得策と考える」というような内容の話を, 例を挙げながら時間をかけて話をした.
それは, この電話のあった2ヶ月前に, 肺癌(2)のE氏が快方に向かいつつあったところを, 制癌剤シスプラチンと放射線を組み合わせた治療を始めて約3週間目に急逝し, とても無念な思いをしたばかりだったことも要因の一つであった. 初めて聞く名前の制癌剤イレッサが, [新しいメカニズムで考えられた新薬]と聞いても, 可否を判断できなかった. また, [卓効のある制癌剤の話を聞いたことがなかったのは, 生命現象の根幹と癌とが余りにも近いので, 両者を峻別することが制癌剤では難しいためではないか], と考えていた.
また, D氏は「大変, 元気だ」と言うので, イレッサの臨床試験を受けても十分に耐えられそうな健康状況に思えた. それでも制癌剤治験に参加しない方が得策と考えたので, 「様子見をした方が良いのでは」と言いながら, 先方からの質問に対して, こちらの見解をはっきり伝えた. D氏は既に1年8ヶ月延命し, 春ウコンの効力を実感していた. しかし, こちらは, イレッサとの比較検討をしたこともなく, また, 医療行為を当然できない立場だったので, D氏に春ウコンの継続を強く勧めることはしたものの, それ以上強く言えなかった. 浅い経験からではあるが, 精一杯の努力をして, 電話はここで終った.
しかし, 私のアドバイスより医師の勧めに従うのは当然のことである. 後で聞くと, 直ぐにイレッサによる臨床試験に応じたという. イレッサの治験前は, 元気にしているとのことだったので, 多少の制癌剤は乗り切ってくれるのではないかと思っていた. ところが10月中旬になり, [D氏を偲ぶ会, 11月某日, 某ホテル]の案内が届き, 呆然とした事を今でもよく覚えている.
偲ぶ会に伺い, 病院でいつも付き添っていた甥の方に話を聞くと, イレッサを始めて約40日後の9月28日に急逝されたということであった. そして, 会場で甥の方から「本当に, 春ウコンだけで癌が抑えられるのか」と聞かれたので, 「現時点では例も少なく, まだ良くはわからない. 私ほか2人は春ウコンだけで救われている」としか言うことができなかった.
もちろん, イレッサによって肺癌から救われる人はたくさんいるだろう. D氏は春ウコンでターミナルケア段階の肺癌を抑え切り, 1年半以上も元気にしながら仕事をしていた. それだけに, 新薬治験に飛びつく必要はなかったと悔やまれた. 治験結果と投薬ノウハウを見てから判断しても良かったのではないかと思える, 無念なケースとなった.
イレッサについて, 副作用の間質性肺炎などで多数の死亡患者が出たという新聞記事を読んだのは, それから1年以上経ってからのことだった. 結局, 米国では厳しい使用制限が付き, 欧州では製造元が承認を取り下げ, 最初に承認した日本だけが残った. 筆者が質問された時点では, 治験を担当した医師でも答えは用意できなかったかも知れない.
D氏の件は極めて残念な結果となってしまった. 米国の著名な癌センターと日本で極めて評価の高い病院が, 共に手立てがないと判断したターミナルケア中の末期肺癌患者を, 春ウコンは, 医師が[完治した]として退院許可を出すまでに回復させた. このことは, 春ウコンによる方法が大きな可能性を予感させるケースとなった. 春ウコンで抑えることができる癌種の可能性が, 治癒はむずかしいと言われている肺癌にも拡がり, 春ウコンの勧め易さが一層出てきた. 同時に, 制癌剤の怖さを思い知ることともなった.
無念な知らせを受けてみると, 相談に乗るだけでなく, 書いた物を作る必要性を感じた. 癌をはじめとする幾つかの成人病が治まっていくのをみると, 成人になって一斉に出てくる成人病の病原には何か共通する一群のものがあると推測され, これをウイルスと, 一応, 仮定した. そこで, これらを説明するためのペーパーとして[老化~免疫~遺伝子~ウイルスと健康]の図9(参照:2.3(3))を作った. 本書の[試論]の第一版とも言うべきものであるが, この図9を使いながら持論を説明し, 健康談義をしながら春ウコンを試したい人に勧めることにした. 部分的には今回の試論と異なる点は多少あるが, 考え方と基本的な捉え方は変わっていない.
(4) 肺癌(2) スポーツクラブの仲間E氏(1938年生, 男性, 55kg)
E氏は, 風邪が治らないので検査を受けたところ, 2002年12月下旬に肺癌が発見された. 1月中旬には第1回目の制癌剤(シスプラチンなど)による治療を受け, 何クールかの制癌剤治療が行なわれた. しかし, 医師からは「体が若く, 癌の進行は大変速い」と言われ, 3月中旬には酸素マスクを必要とするほどまで病状は悪化し, 自宅療養を勧められて家に戻った. スポーツクラブの仲間からE氏の病状が知らされた. 病院で受ける治療はもはやないと聞きいたので, 家族と本人の希望により3月下旬より生の春ウコンを摂取することにした. 1日30gを3分割して飲み始めたところ, 4月末日には酸素マスクが不要となるほどまでに病状が回復した. 1年前に前述の肺癌(1)のD氏に起こったことが再現し, 同様のスピードで, 肺癌の症状が改善しているように感じられた.
5月初旬に病院で診察を受ける手筈ができていると聞いたので, 事前にE氏と家族に会い, 「酸素マスクが外せるくらいになったので, 肺癌は大分良くなっているはずだ. 医師から制癌剤投与をもう一度したいと言われるかも知れないが, 制癌剤は副作用が強いし, E氏に効果がなかったはずなので, 体調が回復するまで待って貰いたい, と言った方がよい」と助言した.
5月の連休過ぎにE氏は検査を受けに病院へ出かけた. 元気になりはじめていたE氏を見た医師から即刻入院と治療を勧められ, 5月中旬から制癌剤投与を2クールと放射線治療を受けたことを後で知った. 制癌剤治療を始めてからわずか20日後の6月初旬に急逝し, 再び家に戻ることはなかった. 制癌剤治療に入らずに, 効果が出ていた春ウコンをもう少し続けていたら, もっと体調は回復していたのではないかと, 大変惜しまれるケースであった.
4ヶ月後には, 肺癌(1)のケースでも全く同じようなことが起こった. 患者は, 病状が良くなった時に「春ウコンが効きました」と医師には言いにくいのかもしれない. また, 患者本人が春ウコンは効果があるものだという確信を持てていないこともあるように思った. また, [制癌剤],[抗がん剤]という癌を抑えてくれそうな魅力的な名前の薬に, 癌患者は惹かれて当然と思った.
制癌剤治療が効かなかったから自宅に戻した人に, 再び同じ制癌剤治療をしても効くことはない筈である. しかし, 患者が良くなってくると治療した範囲で良くなったと医師が考えるのは当然のことであり, 再度, 制癌剤治療に入ってしまうようである. 乳癌に罹った女性医師(筆者Aの友人の妹)が制癌剤治療を受けない方が延命につながるとの判断から, 制癌剤を拒否したまま亡くなったと聞いた. この件は, 制癌剤の効果に対して疑問を持っている医師がいるということ, 延命のためには制癌剤を使用しない方が良い場合があること, などを示唆しているように思う.
D氏の病気の期間中にE氏の肺癌は発病し, シスプラチン治療を受けて亡くなってしまった. D氏が肺癌から回復した経過をそのまま活用して, E氏はかなり回復した. D氏が元気だったので, E氏にはそのまま春ウコンを続けるように勧める努力はしたが, シスプラチン治療に入り亡くなってしまった. アッと言う間のことだった. E氏の悲劇的な結果をD氏に伝える努力をしたが, イレッサ治療を選択したD氏も不幸な結末を迎えた. イレッサが一般的に知られている時期ではなったので, [肺癌専用に作られた新しいメカニズムの制癌剤]と言われると, D氏には希望の星に見えたのであろう.
肺癌から春ウコンで回復したD氏と回復傾向にあったE氏を, 半年の間に制癌剤治療により失った. 制癌剤の種類は異なるイレッサとシスプラチンであったが, 同じような経過で急逝されたことは極めて残念なことであった. 制癌剤治療にはかなりの基礎体力が必要のようであり, [癌を抑えているような人の体力では元気そうに見えても勝つことはむずかしいのか], と思った. 同時に, [健常者でも制癌剤にはなかなか勝てないのかも知れない], とも考えた.
(5) 肺癌(3) 公務員F氏(1945年生, 男性, 65kg)
F氏は, 元実業団で鳴らした水泳選手で, 前年までは400m個人メドレーなどの過酷な中長距離レースを颯爽と泳いでいた. それが激変し, 2003年5月に行われた全日本の大会では, 50mの短距離レースですら泳ぐのがやっとの状況となっていた.
前年より遥かに遅い記録で50mをやっと泳ぎ着くという状況に驚き, その訳を訊ねると, 「肺癌で泳ぐのもつらい状態だが, 皆さんに会いたくて試合に来た」と, 皆にお別れに来たようなことを言う. これまでの経験の中から自分自身の事情とターミナルケアから退院できた肺癌(1)を中心に, 何人かに勧めた春ウコンの効果をプールサイドで手短に話し, 翌日に粉末製品を送ることを約束した. F氏は「敵に塩を送ることになりますよ」と弱々しく笑っていたが, 到着後に提案した用法用量で即日飲み始めたという.
その結果, 翌年には100mを立派な記録で泳ぎ切るまでに回復し, さらに2006年3月の試合では200mを立派な記録で泳ぐほどに完全復調した. 1年で普通の体力となり, 3年後には完全復調を果たしたことになる. しかし, 時々, 息苦しくなると言うので「息苦しいというメルクマールを大切にして, 息苦しくなった時には春ウコン粉末を3ヶ月間は1日5~7gに増量して飲むこと」を勧めた. 春ウコンの摂取次第で回復も悪化もすることが, 肺癌(1)で明確となった. F氏はほぼ完全に回復したようなので, 無念な思いをした肺癌(1)(2)の経験を伝えた. 2009年5月の試合でも活躍している.
(6) 肺癌(4) 企業OB(1930年生, 男性, 体重45kg)
長崎市に住んでいた15歳のG氏は, 昭和20年8月9日(1945年), 轟音が聞こえたので飛んできた飛行機を確認しようと, パンツ一枚の裸で庭に出て空を見上げたその時に原爆による閃光を浴びた. 爆心地から僅か3.5 Kmの所にあった自宅での, まともな被爆であった. 以来, 癌の発症が常に頭にあったので, いつも注意はしていたという.
2008年5月頃から, 夜, 咳き込むことが多くなり痰も出るようになり, 喘息がひどくなったと感じた. 血痰も出るようになったので心配になり, 近所のクリニックに行ったところ, 大病院での検査を勧められた. Y医療センターで6月3日にCT検査を受けた. 小さな写真であったが, 肺の左下にグレーの中に白いハッキリした丸があり, 医師から「悪性を否定はできない. 肺癌を覚悟してもらいたい. 1ヵ月経過をみた後に精度の良い機器があるYR病院で再検査をする」と言われた.
6月18日の昼, A社のパーティーで会った時に, G氏から5月以後の経過を聞いた. 「肺癌を覚悟した.春ウコンは摂っていたんだが」との説明と再検査までは治療はしないと聞いたので, Mは その場で春ウコンを10錠(1g)摂ってもらい, その日から50錠/日(5分割/日)を飲んで再検査を受けるように勧めた. 同時に, 春ウコンの効果をサポートするものとして「総合ビタミン剤2錠/日とヨーグルト(オリゴ糖をたくさん加えて腸内免疫を向上させ, 食事を高蛋白質化する)」を勧めた. G氏は, 以前にMから春ウコンの良さの説明をうけていたので多少は摂っていた. しかし, 癌を抑えるには量が少なかったので, この日から上記の用法用量を実行した.
7月2日にYR病院で精度の良いCTの再検査を受けた. 医者は「薄い影のような微かな跡はあるが, ハッキリした白いものはなくなっている. 癌ではなかったのか?単なる炎症だったのか?」と言いながら6月3日の写真とを見比べて, 「でも, 癌だったなあ」とも言われた. しかし, 結果は無罪放免となった.
「僅か2週間の摂取の間に, 股関節の痛みが軽減し始め, 喘息(喘息のような咳の意味か?)が治まった. 身体の全体的な調子が良くなり, 元気が出てきた」と電話してきた. こちらからは, 「医師から良くなったと診断されたことは大変嬉しいが, 寛解と言われる状態のように思う. また, 肺以外にも癌がある可能性があり, 今までの摂取条件でしばらく続けた方が良いと思う. また, 時々検査を受けてチェックしていった方が良い」と伝えた.
7月12日に電話があり, 「まだ血痰が出ているが, 肺癌は治っていないのか」と聞かれた. こちらからは「癌は抑えることはできるが, 癌を短期間に完全には取り除けないと思ったほうが良い. 寛解と言われる状態のようだが, [薄い影]は, たくさんある小さい癌だと思ったほうが良いと思う. CT検査で見えない癌もあるだろう. 医師から良いと言われて安心せずに, 癌を一掃するために少なくとも3ヶ月, できれば3年はしっかり春ウコンを摂取してもらいたい」と, 他の癌の再発例などにも触れながら, この20年間の経験を伝えた.
その後に連絡がなかったが, 一ヶ月した頃に長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典のTV中継を見ていてG氏のことが気になった. 翌日(8月10日)に電話で症状をたずねたところ, 「体調は極めて良くなり, 血痰も完全に治まった. 春ウコンはしっかり摂っている」とのことであり, 安心できる状況になってきたようだった. しかし, 時々検査を受けるように勧めた.
いつも被爆体験が念頭にあり, 体調管理には神経を使っていたので, 運よく早期発見ができた. その上, すぐに春ウコンを適正量摂取して免疫賦活をすることができたので, 15日間ので寛解となったようだ. 末期の肺癌(1)のD氏が, 寛解までに40日, 消失までに100日であったのと比較して, 約半分の期間で癌が消失したのは, 早期発見ができたためであろう. 以上の概略を図示とすると以下となる(白紙で表現しにくいので黒白を反転させた図とした).
図2 肺癌(中期?)の回復経過の模式図
4ヶ月後に話を聞く機会があった. 肺の自覚症状は全くなくなり, この間に受けたレントゲン撮影では何の指摘も受けなかった.
また, 10年ほど前から痛み始めた左股関節は, 数歩毎に立ち止まるほど痛かった. この間, 外科では「関節の骨がギザギザになっている. 加齢現象なので直すのは難しい. 電気をかける以外の方法はない」と診断されて電気をかけていたが, 一進一退が続いていて, その効果は確認できなかった. しかし, 春ウコン摂取量増加(6月18日)以後, 肺癌の消失と同時に, この股関節痛がどんどん軽快した. 秋に入って外科医の診察を受けたときに状況報告をすると, 「もう, 病院に来なくて良い」と言われて治療は終了した. 半年が過ぎ, 筋肉痛が多少残っているだけでほぼ正常に戻った. 免疫が関与した関節の骨の異常とも考えられ, この病原体もウイロイドライクと考えている.
また, B型肝炎(他人に感染しないEまたはCタイプ)にも罹っているとのことで, この経過にも注目したい.
さらに, G氏が原爆の被爆者だったことから, 関連した話題として原爆実験, チェルノブイリ原子力発電所事故, 劣化ウラン弾などの放射能被曝者などの癌が, 思い浮かぶ. 発癌特性(白血症・肺癌・甲状腺癌など)と原因(放射線・放射性粉塵など)を調べ, 治療法として春ウコンを検討することも課題となろう.
(7) 肺癌(5) H氏(1929年生, 女性, 体重50kg)
背中と首筋が痛み始めたHさんは, 2008年10月16日に近所のSH病院で検査を受けた. 私立KR大学教授が担当医の日で, 訴えを聞いた医師は一般的な血液検査, CT検査, 腫瘍マーカー検査(CYFRA,ProGRP,CEA(EIA)など)g)を行った. 10月21日にこの検査結果を医師から聞いたところ, 「CT検査で白いはっきりした影があり, CEAマーカー値が15と高い. 肺癌の疑いが強いので, 勤務先のKR大学付属病院で11月13日に再検査して治療方針を決めたい. 」と言われた.
10年ほど前に妹が肺癌となり, 手術をした後に転移が始まり, 制癌剤治療や放射線治療など, 手を尽くした後に自宅に戻され, 苦しんだ末に亡くなった. この時のことをよく覚えているH氏は, 「癌と確定診断されても, 手術などの治療はしたくない」と子息のWD氏に伝えた.
一方, 春ウコンで子息の糖尿病(1.3(5))が良くなり, 多くの癌が良くなっているとの情報を知っていH氏は, [春ウコン60錠(6g)/日(3時間毎に10錠), 総合ビタミン剤ポポンS2錠/日, オリゴ糖入りヨーグルト(腸内細菌の善玉化)]の摂取を10月21日より始めた. 背中の痛みは10月25日には消え, 同時に, 顔の張りや血色が良くなり, 体調が全般的に良くなってきた.
予定通り11月13日に検査を受け, 結果を11月20日に聞いた. 医師から「CEAマーカー値は正常値となり, CT検査,血液検査は問題なく, 肺癌の心配はない. しかし, 10月21日の検査結果にあった癌が, 肺の裏に隠れているかも知れないので, 3ヶ月毎に再検査する」と言われた. 経験豊富な医師から見れば10月21日の検査結果は肺癌と確信できたので, 11月13日の結果は再確認が必要と判断したと思う.
心配もあったためか, 次回の検査は少し早めて2ヶ月後の2009年1月8日となった. CT検査による再確認をしたが, 肺癌の指摘は全く無くなった. 3月と5月のCT検査も無事にパスし, 一段と健康になってきた. ただ, CT検査で1月以後に全く動かない薄い影があると言われた. 1年を経過した2009年11月時点で, 聴診器診断で肺のノイズもなく, 何事もなかったように元気である.
肺癌(1)と(4)のD氏とG氏の場合には, H氏のように[影が残っている]との指摘を受けていない. [D氏とG氏の場合は上皮細胞部分に癌ができたが治まり, 新陳代謝で細胞に跡形が残らなかった. 一方, H氏の癌は新陳代謝の少ない間質細胞u)部分にでき, 癌状態を脱した間質細胞が代謝されないので, その細胞が影のように見える], とも推測できる. 2010年2月末のCT検査ではこの影が全く消え, 担当医から「どこが癌だった?」と言われる状態になった. 肺の間質細胞の新陳代謝に1年2ヶ月要した, と言えるだろう.
(8) 肺癌(6) 知人のLA氏(1958年生, 男性, 体重65kg)
自宅から近いKT病院で2008年2月4日に, 血尿と右脇腹痛のために受診したときには特別な指摘事項はなかった. 2008年7月22日の夜, 突然の血尿と背中の激痛があったので, 翌日, KT病院に検査を受けにいった. レントゲン検査で右腎癌と診断され, 7月30日に手術となった.
手術時間5時間20分の開腹手術で, 右腎臓全部(14×13×4cm,330g)と尿管を摘出した. 癌は,[腎に限局した10×5×3cm大の黄色調,小出血を伴う上極の結節性腫瘍(pT2)]と判断された. また, 組織学的には, [腫瘍は淡明な胞体を有する異型細胞が胞巣状~一部で腺管状に増殖するRCC(腎臓癌:renal cell carcinoma)であり, 異型度はgrade 1‹2, 腫瘍は膨張性に発育, 非癌部との境界明瞭(INFα), 切除断端(-), 腫瘍内静脈侵襲:Ⅴ(±), Malignancy(悪性)!]とカルテに記載されていた. 手術後の制癌剤,放射線治療は無効なので, これらは実施されなかった.
癌は破裂していたので, 肺への転移の可能性を示唆された. 8月5日に退院し, 2009年1月までは, 毎月[全身CT検査, 胸部レントゲン検査]を受け, その後5月20日までは2ヶ月ごとに同じ検査を受けて, [異常なし]とされた.
親友の腎臓癌摘出について, WD氏(参照:1.3(5))から筆者A(Ⓐと略記)に相談があった. 他の臓器の癌も心配なので, WD氏を通して春ウコン粉末の摂取6g/日を勧め, 2008年8月5日から2009年5月20日まで続けた. 5月20日の検査で「異常なし」と言われて安心し, 春ウコン摂取を中断した.
2009年9月9日に3ヶ月の経過観察があり, 肺に6ヶ所の癌が見つかった. 「最大1.8cm. 癌が5ヶ所までなら手術はできるが, 6ヶ所なので手術は不可能. 家族に今日の事実は伝えるように」と担当医から伝えられた. LA氏は, 余命については怖くて担当医に聞くことができなかった.
9月9日からネクサバール錠200mg(バイエル薬品) 4錠/日の服用が始まった. LA氏の上司からWD氏へ, LA氏のきわどい状況が伝えられ, WD氏からⒶへ再び相談があった. 急ぐ必要があるので, 3ヶ月前までLA氏に効果があった春ウコン6g/日の摂取を9月11日より再開した. 9月23日にはネクサバールの副作用(剥脱性皮膚炎, stage2)で歩行困難となり,重い副作用のために 服用が中止されたが、春ウコンは継続した.
LA氏が歩行できるようになった10月1日にⒶと会い, 春ウコン粉末の摂取量を8g/日(6~7分割, 秋ウコン分を除外)が経験上は適量であると伝えた. 春ウコンの摂取以後, 癌は縮小傾向をたどり, 下の表の通りとなった. この表をグラフ化したのが図21(参照:4.5.6)である.
春ウコンを中止した5月20日から9月9日までのわずか110日の間に, 一気にCT検査で末期癌まで悪化した. このことから, (イ)春ウコンの抑止効果の大きいこと, (ロ)早期発見の難しいこと, の2つのことが言える. LA氏は, 手術ができなかったこと,身体に合う制癌剤がなかったこと, 春ウコンの使用経験があったこと, などが幸いして, 手術と制癌剤なしで快復に向かった.
春ウコン粉末摂取量:イ)6g/日(9月11日~10月1日) ロ)8g/日(10月2日~)
ハ)大きさは前月と変わらないが, 影が薄くなる.
12月18日の検査で, 小さな癌は消え始めたが最大径が縮小しないので, 制癌剤投与後2ヶ月で骨髄抑制が出始めた疑いがある. 仕事と酒の量を減らさない点も気に掛かる. 担当医から「癌が5ヶ所になったので摘出手術ができる」と勧められたが, 様子見とした.
春ウコンを摂り続けていても, 2010年初めの検査では癌が多少大きくなったので心配したが, 2月末の検査では癌が4ヶ所となり, 大きな癌の影が薄くなり始めた. 2009年9月11日に春ウコンをすぐに再開し、癌を約30%まで小さくできていたので12月末以後のきわどい局面を乗り切ることができたのだろう(参照:4.5.6の図21)。この経過を見た担当医は,「癌が消えそうだ. この抗がん剤で癌が消えている例もある」とLA氏に伝えた. 医師との関係を保つためにネクサバールを購入し続けていたので,継続使用していると誤解したようである.一週間だけ摂取したネクサバールの骨髄抑制が3ヶ月で消え始めたとも考えられる. 影が薄くなり始めたのはH氏(前項(7))の経過に近いので, 癌が消えた後, 1年ほど影が残る可能性がある. 骨髄抑制が再開することも考え, 再び様子見となった.
以上は「春ウコン研究会」より
最近のコメント