ガンは癌にあらず、第一章・癌と診断された人の疾患経過(13)
(26) 卵巣癌(1) 運動部後輩の仲間の親(女性, 78歳, 体重47kg, 1931年生)
2009年3月頃から, Y氏は食欲不振などの体調不良を訴えていた. 胃につかえた感じがあり, B医大でCT,MRI,内視鏡による検査を受けた. 理由は不明であるが検査直後から担当医師が不在であったため, 約2ヵ月後の5月上旬まで待たされた後, 胃腸を含め全て問題なし, 診療は終了との診断結果を言い渡され, 薬も処方されなかった. 5月下旬, 症状がさらに悪化したため自宅である埼玉県のF病院にかかったところ, 検査もせずに胃潰瘍と診断され薬の処方を受けた.
ところが, 6月に入り腹が膨れてきたので, 6月8日に同病院の別の医師に症状を伝え検査を依頼した. エコー(超音波診断)により, 腹水が溜まっていることが判明して即日入院となった. その後CT, MRI検査で左側卵巣に5~6cmの腫瘍があることが判明した. しかし, 同病院に婦人科が無かったため, 今後の対応は不可能ということで, 6月19日に都内S会中央病院に転院した. 内科でCT, MRI検査を受け, さらに6月24日にPET検査を受けた.
この結果を6月30日に担当内科医チームから「ⓐPET,CT,MRIなどの検査より, 左側卵巣に5~6cmの癌がある. ⓑPET検査により, 卵巣と腹膜が真っ黒であり, 腹水にも癌細胞がある. 肝臓, リンパ節にも黒いところがあり, 転移が疑われる所見である. ⓒ癌の進行度はStageⅣである. ⓓ点滴のみに栄養補給を頼っていたので体力もなく, 年齢を考えると直ちに手術はできない. ⓔ抗癌剤治療を始めたい」との説明を受けた.
第1回の制癌剤投与(タキソール+カルボプラチン:通称TJ法と略称)を7月2日に実施した. 副作用による激しい発作(アレルギー反応)が2回あり, 応急処置で発作を抑えた. 発作が治まってからは通常の食事が可能となったが, 味覚異常がひどく食事は余り進まず, 第2回制癌剤投与まで続いた. 副作用による指先の痺れは続き, 投与から3週間で頭髪はほぼ抜け落ちた. 7月25日に担当内科医に数値的な変化(腫瘍マーカーなど)はないかを質問したが, まだそのような段階ではないとの答だった.
筆者Aに友人を通して電話連絡があり, 7月29日から春ウコン粒摂取開始した. 1日6回3時間毎に摂取, 毎回6粒(3.6g/日)とした.
第2回の制癌剤投与(TJ法)を7月30日に実施した. 抗癌剤投与当日のみ, 春ウコンを中止した. 投与前に医師から, 「今回の副作用はひどくないでしょう」と言われたので, アレルギーの軽減措置があった可能性があるが, 詳細不明である. 数日食欲が衰える程度で, 1回目に比べて副作用は軽かった. 味覚異常は前回と同様にあり, 副作用による指先のしびれは続いていた. 8月6日に筆者Aは患者長男に経験を伝えた. 8月7日より春ウコンの量を1日6回摂取毎回8粒(0.8g)に増量した(4.8g/日). 8月8日より一時帰宅となり, 総合ビタミン剤(ポポンS)を朝2錠,夜1錠の摂取を開始した. 食欲は旺盛となり, 味覚異常はほとんど感じないようになった. 日常生活, 外出も問題がなくなったが, 副作用による指先の痺れは継続していた. 8月24日まで家で過ごし, その間, 14日に日帰りで血液検査, 担当医診察を受け, 20日にT大学付属病院婦人科A医師のところにセカンド-オピニオンを受けに行くと「ⓐ年齢, 癌の進行状況から見て現在行われている抗癌剤による治療は妥当である. ⓑ体力, 腫瘍の縮小状況によっては手術の可能性もあるが, 全て取り去るような大きな手術は体力的に無理であろう」との意見を言われた.
また, 8月21日に血液検査, 骨盤部MRIを実施する. 8月25日に制癌剤投与のための再入院時に担当医より, 8月21日の結果について「骨盤部分のMRI画像では腫瘍が小さくなっているようだ. また, 腫瘍マーカーの値も下がって来ているので, 制癌剤がよく効いているようだ手術できる可能性が出てきたため, 外科医と相談する」と説明があった.
制癌剤投与の予定を変更し, 8月27日に手術の可能性を検討するため婦人科の医師による初めての診察があった. 8月21日時点の骨盤部MRI画像を見て,
「ⓐ本当に卵巣癌があったのかは, MRI画像ではよく分からない. ⓑCTなどで転移の状況も見たほうがよい. ⓒ婦人科ではへそから上の手術は対応できない. ⓓ制癌剤は大変良く効いているようなので続行したほうが良いと内科から言われた」, との所見を言われた.
制癌剤については, 一部の癌を除いて[抗ガン剤治療によってガンが治癒する可能性は極めて小さい(p60)」1)「抗ガン剤治療によってガンの根治を目指すことはできない,奏効率p)ですら十分に達成することは困難(p86)」1)とあり, 「卵巣ガンの進行ガンは, 化学療法にで延命はできるものの, 完治は困難です(p249)」1) , とも制癌剤治療の専門家が言っている. 癌が消えてきているので, [婦人科医師のⓐの見解]が出されても不思議なことではない.
第3回の制癌剤投与 (TJ法)を8月28日に実施した. 制癌剤投与当日も, 春ウコンとポポンSを摂取した. 8月29日の朝から食事, 水分とも摂れており, 意識もしっかりして, 歩行や会話も問題はなかった. 顔がややむくみ気味だった程度で, 副作用の兆候もなかったことを, 医師が不思議がっていた. なお, 腹水は入院当初に一度抜いただけで, その後, 再び溜まらなかった.
この間の腫瘍マーカー値の変化は次表のようになり, 春ウコン摂取開始後57日で, 癌マーカー値が正常範囲となった. 癌化した部分の細胞は完全に修復したことが, 癌マーカー値の変化から言える. なお, この表をグラフ化して図21(参照:4.5.6)とした.
担当医は[制癌剤2回投与で腫瘍が縮小し, 3回投与で癌マーカー値が正常値となったので, かなり例外的な状況]と考えたようだ. 医師からは, 「治まっている癌の再発リスクを除去できる数少ないチャンスなので, 疑わしきは取ってしまおう. 癌の摘出より簡単な, 盲腸や子宮筋腫の程度の手術である. 目的は, 癌の根絶ではないのでリンパ節は取らず, 子宮と卵巣を摘出して腹水が再度溜まらないようにして, QOL(生活の質)を向上させることである」との説明があった. 一方, 「リンパ節への転移が疑われているため, すでに免疫系が癌に負けている状況だ」,「今の制癌剤は, ずいぶん副作用が軽減されているので, 10回ぐらい投与しても大丈夫である」などの説明もあった.
医師の説明にあるように, 癌が治まってしまった. このチャンスに, 癌があった臓器周辺を全部とってしまおうと考えるのは常識的なことなのかも知れない. しかし, [リンパ節への転移],[すでに免疫系が癌に負けている状況]であれば, 癌は治まっていないことになるが, 腹水が2ヶ月間溜まっていないので, 癌は治まっていることを側面から証明していることになる. 「腹水もなく, QOLは十分に確保できたので, 手術の必要はなさそうだ. また,一般的にも,開腹手術をすると癌が急速に拡がり, アッという間に患者が亡くなると言われている」と考えたY氏の長男は, 若干矛盾するこれらの説明に, 手術の返事を保留した.
春ウコン摂取89日でCA125値はさらに下がり, 標準値に入った. この状況で制癌剤が必要かと感じたが, 第4回の抗癌剤投与(TJ法)が9月24日に実施された. 制癌剤の副作用と思われる[足の引きつり]イ)がひどく, 造影剤による湿疹もひどくなった. 患者側は「癌の状況を見て, 手術や制癌剤治療を決めてほしい」と依頼した. CT検査,MRI検査,超音波診断が10月22~23日に実施された. その結果, 「すべての検査で癌の所見はない. 画像上は, 転移部分を含めて癌は認識できない. 通常の癌検診では, 問題なしと判断される状態である. 腹水もない. 」, との診断結果となった.
この結果を受けて, 医師から「手術をせず, 制癌剤治療8回を実施したい」との提案があった. 患者側から「治療をいったん中断したい. 体力に期待して, 様子を見たい」と申し入れた. 再び医師から, 「細胞免疫療法(瀬田クリニック)を受けているのか?」と聞かれたが否定したところ, 「きわめてうまく行っているケースなので, 制癌剤治療6回の標準プロトコールを完了したい」と言われた. しかし, 足の引きつりなどもひどいので, 第5回の抗癌剤投与(TJ法)を辞退し, 様子を見るための追跡評価を依頼して, 10月30日に退院した.
その後の12月3日の検査でも, 癌マーカー値や一般的な血液検査値は正常範囲であり, 腹水が溜まることなく, 毎日を元気に生活していたが, 12月末に腹部に違和感が出始めた. 2010年2月3日のMRI,エコー,血液検査は, 癌再発と判断され, 3月2日に子宮,卵巣,リンパ,盲腸の摘出手術を受けた.
12月末に春ウコンの免疫賦活が止まったとすると, 最終制癌剤投与3ヶ月で骨髄抑制が出た可能性がある. 制癌剤の効果は蓄積すると言われているが, 第3回,4回の制癌剤投与を避けていれば, 骨髄抑制を避けることができたように思う. また, 7月末から春ウコンを摂取開始したときに, 春ウコンが他の癌と同様に効果を発揮して癌マーカー値を3ヶ月で正常値まで低下させることができたのは, 骨髄抑制が起こらない[制癌剤の蓄積が少ない時期]だったからであろう.
なお, この間に変形性膝関節症が良くなった. (6)肺癌(4)の変形した股関節痛と同様の感染症によるもので, 春ウコンによる免疫賦活化で感染体が抑えられたための回復であろう.
イ)一般的な副作用ではないようである. 制癌剤を投与するとアキレス腱の周りが痛み, 投与との因果関係がはっきりしている症状である.
(27) 脳下垂体腫瘍(1) 筆者Aの運動部仲間(男性, 体重70kg, 1941年生)
Z氏は脳下垂体(下垂体)腫瘍と診断され, 1991年(平成3年)に第1回の手術を受けた. 第2回目の手術を1993年に受けて以後は腫瘍の悪化が遅くなり, MRI検査を1回/年受けながら経過観察してきた. ここ1~2年, 視力はしっかりしているが, 平衡感覚に異常が出始めて, 身体がふらつくことが多くなってきた. 2009年8月のMRI検査では, 「通常, エンドウ豆大の下垂体が, 腫瘍のために約2㎝立方まで大きくなり, 視神経近くまで来ている」と言われ, これからの重要方針を考えなくてはいけない局面となっていた. 筆者Aの癌談義を聞いたZ氏は, 春ウコンの効果に半信半疑であった. しかし, 下垂体腫瘍に対する処置は特別なことを何もしていなかったので, [春ウコンは免疫賦活力が強く, 副作用はほとんどない], との昔仲間の勧めに従って試すことにした.
9月17日より春ウコン錠剤35錠(3.5g)/日の摂取を始めた. 3日後(9月20日)の朝, 目覚めるとすがすがしい気分になっていることに驚き, Ⓐに連絡してきた. 「一喜一憂せず, 3ヶ月間しっかり摂取してMRI検査で変化をみてはどうか」と継続摂取を勧めた. 慎重に少量から始めたZ氏は, 特段の副作用もなさそうなので, 9月21日より70錠/日(5~6分割/日)に増量して経過を見ることにした. 体調の変化を見極めながら, 脳下垂体の状況を適当な時期にMRI検査で確認することにした.
3ヵ月後, Z氏は「①気分が明るくなった, ②視力に変化はない, ③バランスを崩して大きくグラッとすることがなくなり, 夜中のトイレも独りで行けるようになった, ④頭が重かったのが軽くなってきた, ⑤首と肩から背中にかけてあった痛さが退いてきた, ⑥空を見て歩けるようになった, ⑦目蓋を自力で開けることができるようになった, ⑧外耳道の湿疹が治まった]などの変化が起こったことを伝えてくれた. 「マイナス面の兆候は全くない. しばらく続ける」とのことで, ひとまず安心することができた.
しかし, 肝心な12月7日のMRI検査では, 下垂体腫瘍に何ら変化がないことがわかった. [春ウコンの成分が免疫細胞の受容体と反応して活性化しているとすると, 多分, 免疫細胞は脳関門を通過できない. よって, 変化はなにも起こらないのか], と考えた. 一方, Z氏の改善経過を見ると, バランス感覚や脳の重圧感が軽減しているのは変化が起こっていることなので, [癌の状態を脱して抜け殻になっている可能性もある], とも考えた.
単純に結論は出せないが, [下垂体腫瘍が他の癌と異なり時間がかかるのか], [免疫賦活の影響が脳には届かないのか], [癌の状態を脱した抜け殻をMRI検査は見ているのか]は, さらに経過を追って判断していくことになる.
(28) 乳癌他4種の癌(1) 筆者Iの知人(女性, 体重41(~50)kg, 1967年生)
LT氏は, 2008年8月24日に左乳房脇のしこりを見つけ, 乳腺クリニックでマンモグラフィー, エコー, 触診により, 乳癌の疑いが高いと診断された. また, Hがんセンターで9月1日に同様の検査に細胞疹を追加して調べ, さらに, 9月5日にCTと針生研検査を行い, 細胞疹はⅢb, 針生検は浸潤なし, と診断された. 「早期発見なので, 癌を手術で切除し, 手術後に抗癌剤と放射線治療を併用することで, 約80%の確率で5年後再発はない」との説明があったので, 10月2日に左乳房部分切除手術を受けた. 同時に, センチネルリンパ節生検を受けた.
手術後1週間で, [経過良好にて退院]とされた. 手術結果について10月17日に, [浸潤性乳管癌(充実腺管癌), 浸潤径2.2cm, グレード3, リンパ節転移なし, 脈管浸襲なし, 断端陰性, ホルモン感受性なし, 腫瘍細胞は〈ER(-),PgR(-),HER2(陰性)〉]と伝えられ, 通常の治療に入った.
この2008年(A)10月2日以後, 2009年(B)11月12日までに受けた治療を以下の一覧表とした.
イ)シクロホスファミド(アルキル化剤/ナイトロジェンマスタード)
ロ)ドセタキセル(植物アルカロイド/セイヨウイチイ系)
ハ)カペシタビン(代謝拮抗剤/フルオロウラシルプレドラッグ系)
ニ)エピルビシン(抗癌性抗生物質/アントラサイクリン系)
ホ)メドロキシプロゲステロン(ホルモン剤/黄体ホルモン系)
ヘ)ビノレルビン(植物アルカロイド/日々草ビンアルカロイド系)
ト)ゾレドロン酸(ビスホスホネート製剤)
チ)TC療法,放射線療法に不応で, ホルモン療法,分子標的薬が効果なし
2009年1月から発疹が出始めて検査要請をしたが, 3月までは何ら指摘を受けなかった. 4月末にX線撮影で放射線肺炎の疑いがあると言われた. これ以後に状況は一変し, 6月2日の結果を見た担当医は, 「手術後に極めて早期に増悪したtriple negative breast cancerチ)である. 余命は6ヶ月程度である」と宣告し, 「こんなに急激に再発転移した例は, 見たことも聞いたこともない」とも伝えた. これらの発言と手術前後の説明があまりにも違ったので, この説明に疑問を感じた. そこで, Hがんセンターの用意した[診療情報提供書]を携えて, セカンドオピニオンを数ヶ所の病院で聞いたところ, 数ヶ所とも「Hがんセンターの処置に同意見」と言われた.
6月22日以後も, Hがんセンターでは, さらに制癌剤治療が続いた. 白血球値も下がって治療が中断されたのを機に, 指示に疑問を感じ始めたHがんセンターから, 新設のIクリニックに転院した. ここでも制癌剤治療が続き, 11月12日まで[カペシタビン(5-FUプロドラッグ)/ビノレルビン(ビンカアルカロイド)治療]を受けた. 筆者Iの元の勤務先の同僚から「LT氏の癌が, かなり悪い状況だ」との情報が11月中旬に伝えられ, 筆者間で相談した結果, 「かなり厳しい状況ではあるが, 可能性はあるので春ウコンを勧めてみよう」ということになった.
11月18日から春ウコンを摂取し始めた. 多くの例では, 春ウコンを摂取するとすぐに大きな効果が出始める. しかし, LT氏の場合は簡単に効果が出てこなかった. 直前まで続いていた多種類の制癌剤治療や放射線治療による骨髄抑制の影響で, 骨髄から供給されるはずの免疫賦活対象の細胞が, 極端に少ないためではないかと考えた. 12月に入り, 食事も十分にとれず意欲も減退し, 極めて危険な状況となった. 頭蓋骨の骨髄ぐらいは残っているはずなので, この窮地を脱するには, このわずかな骨髄を活用し, 骨髄抑制が軽減するのを待ち, 少しでも回復した骨髄をうまく加算できるかが分岐点と考え, そのチャンスを逃さないために, 春ウコンをやっとの思いで摂り続けてもらった.
特に春ウコン摂取3週間目(12月初旬)は, 発熱に悩まされた. 担当医はこれを「腫瘍熱が出ている」と説明した. しかし, ⓐ春ウコンの摂取前に発熱はなかったこと, ⓑ3ヶ月前の検査では5種類の癌が確認されているので身体のダメージは限界に近いこと, などから, この発熱は[ある種の瞑眩]ではないかと考えた. 免疫細胞が少ないがために, 一気に出てくるはずの瞑眩が, 少しずつ発熱の形で出てきている, と考えてみた.
短期間に多種類の制癌剤を使用しており, これらの副作用の複雑さと残存期間はいろいろなので, 極めて複雑な骨髄抑制が予想された. どのような種類の骨髄抑制がいつ頃まで続くのか予測も難しいが, [骨髄抑制が解除された部分の免疫系を活用し, 徐々に快方に向かい, ある時点から幾何級数的に回復に向かうはずである]と考えた. 肺癌や肝臓癌で言われる自覚症状が, 12月中旬になってもはっきりした形となってこないので, 癌は抑えられ始めているように見えた. また, 食事も3食摂れるようになり, 体重も少し増加してきた(41kg→43kg). 12月の2~3週も厳しい状況が続いていたが, 病状に若干の変化が出た.
少し元気になり始めた12月23日, 1ヶ月ぶりで担当医が自宅を訪ねた. 持ち直しつつある状況を見て, 「予想していたより良い状況だ」と言って, すぐに放射線治療を勧めた. 今まで制癌剤,放射線治療などで効果がなく, 治療法がないtriple negativeと診断されたから厳しい状況になったLT氏に, 再び放射線治療が有効とは全く考えられないことであった. 12月30日に放射線治療を再び勧められた. 厳しい状況が多少良くなってきたが, 放射線治療の後遺症と思われる胸の症状の悪化, 身体への負担増, 骨髄抑制が追加される懸念, などを考えて返事を保留した.
2010年の正月になり, 子供を叱るくらいの元気が出てきた. 最悪は脱した様に見受けられた. しかし, 今まで受けてきた制癌剤や放射線治療の後遺症との格闘は容易なことではない, と考えていた1月下旬に, 再発癌と転移癌が急速に悪化し始めた. 最終制癌剤から2ヶ月後のことであり, 骨髄抑制が強くなって来たように思えた. そして, 1月30日に亡くなった. 大腸癌のC氏(参照:1.1.2(2))の無念な結果に近い状況であった.
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