パワーシフト~欧州が米国を捨て、中国についた日(2/6)
パワーシフト~欧州が米国を捨て、中国についた日
AIIB参加に動いた欧州諸国の思惑
イラク戦争を巡って米欧が対立
その後、米国の標的はプーチン・ロシアに
そして実際、欧州は着々と計画を実行していった。1999年1月1日、「ドル基軸通貨体制」を崩壊させる可能性のある通貨「ユーロ」が誕生した。
衝撃は、さらに続く。2000年9月24日、イラクのフセイン大統領(当時)は、「石油代金として今後一切ドルは受け取らない」「今後は、ユーロで取引する」と宣言。そして、同年11月、実際に決済通貨をかえてしまった。
フセインをそそのかしたのは、欧州覇権を目指したフランスのシラク大統領(当時)だったといわれている。米国は激怒し、「フセインはアルカイダを支援している」「大量破壊兵器を保有している」などとイチャモンをつけ、イラクを攻撃しようとした(米上院情報特別委員会は06年9月8日、イラク戦争に関する報告書を発表。上記2つの理由は根拠がなかったことを公式に認めた)。
フランスは、志を同じくするドイツ、そしてロシア、中国を巻き込み、国連安保理でイラク戦争に反対する。しかし、米国は、安保理を無視してイラク戦争を開始、フセイン政権を打倒した。
毎日新聞06年4月17日付は、この一連の出来事についてこう報じている(太線筆者)。
<イラクの旧フセイン政権は〇〇年一一月に石油取引をドルからユーロに転換した。
国連の人道支援「石油と食料の交換」計画もユーロで実施された。
米国は〇三年のイラク戦争後、石油取引をドルに戻した経過がある>
イラク戦争を巡る「欧州の乱」をなんとか力技で平定した米国は、次にプーチン・ロシアを標的に選んだ。米ロは03年、「イラク問題」「ユコス問題」「グルジア・バラ革命」、04年「ウクライナ・オレンジ革命」、05年「キルギス・チューリップ革命」などで、ことごとく対立。原油高がつづきイケイケのプーチンは07年6月、「ドル体制をぶち壊して、ルーブルを世界通貨にする!」と宣言した。
<米露“破顔一笑” 「ルーブルを世界通貨に」プーチン大統領ますます強気
[サンクトペテルブルク=内藤泰朗]ロシアのプーチン大統領は10日、出身地サンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラムで、同国の通貨ルーブルを世界的な基軸通貨とすることなどを提唱した。>(2007年6月12日産経新聞)
結局、米ロ対立は、「実際の戦争」に発展する。 それが、08年8月に起こった「ロシア―グルジア戦争」である(03年の革命で政権についたサアカシビリ・グルジア大統領(当時)は、親米反ロ政治家として知られている。現在は、反ロ国ウクライナの大統領顧問を務める)。
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以上は「diamond online」より
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