国家の最高指導者の私的な「感情」や「きまぐれ」によって原爆投下が行われることがあるのではないか?
国家の最高指導者の私的な「感情」や「きまぐれ」によって原爆投下が行われることがあるのではないか?
◆米国ハリー・S・トルーマン大統領(1884年5月8日~1972年12月26日)が、人類史上最悪の最終兵器「原子爆弾」を世界指導者として初めて広島・長崎に投下を命じたのは、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(1882年1月30日~1945年4月12日)の死を受けて副大統領から大統領に昇格したため、ソ連の最高指導者ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(1878年12月18日~1953年3月5日)に負けたくないという劣等感からだったという説がある。
ルーズベルト大統領が富豪の子弟であり、1904年にハーバード大学、1908年にはコロンビア大学ロースクールを卒業し、輝かしい名門エリートであったのに対して、トルーマン大統領は、農家の出で、高校を卒業し、その後銀行の事務職に就き、1906年に父親を手伝うために就農したことから、大学卒業以上の学歴を持たない最後の大統領だった。つまり、ルーズベルト大統領だったら、原爆投下を命じなかったのではないかということである。
◆しかし、一般に流布して、米国で伝えられてきたのは、「原爆を広島、長崎に落としたのは、日本に戦争を早く止めさせるためだった」という原爆投下正当論が、米国で戦後一貫して維持されてきた。「大日本帝国が、戦争を止めないで本土決戦に臨んでいれば、日米双方に甚大な犠牲者が生じたであろう」という「原爆投下正当論」である。
トルーマン、チャーチル、スターリンは1945年7月17日~8月2日、ポツダム会談開催、7月26日、日本に無条件降伏を要求するポツダム宣言を発表。これに対して、鈴木貫太郎首相が、ポツダム宣言を黙殺、戦争継続を表明したからといって、大日本帝国の陸海軍の敗色が濃厚な状況下、8月6日にB29によって広島に原爆投下、8月9日にB29によって長崎に原爆投下するほどの差し迫った必要があったのか。大日本帝国は8月14日、御前会議で、ポツダム宣言受諾を決定した。
だが、トルーマン大統領の広島、長崎への原爆投下について、米国内での世代交代で変化が生まれてきている。
それは、埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」が6月13日から8月16日までの日程により、米首都ワシントンのアメリカン大学美術館で初めて開催を始めた「原爆の図」6作品の展覧会が、大きなきっかけとなった。
◆しかし、原爆投下が、「原爆を広島、長崎に落としたのは、日本に戦争を早く止めさせるためだった」という原爆投下正当論によって後付される以前に、トルーマン大統領の「劣等感」によって決断されて、実行されたという点に注目すると、これからも、国家の最高指導者の私的な「感情」や「きまぐれ」によって原爆投下が行われることがあるのではないかという大きな課題を抱えることになった。
【参考引用】
埼玉新聞は6月16日午前10時30分、「『原爆投下、必要なかった』米首都で初の『原爆の図』展が開幕」という見出しをつけて、以下のように配信した。
「米首都ワシントンのアメリカン大学美術館で13日、東松山市「原爆の図丸木美術館」の「原爆の図」6作品の展覧会が始まった。ワシントンで『原爆の図』が展示されるのは初めて。現地で同作品を紹介している丸木美術館の学芸員岡村幸宣さんは「芸術は世界を動かし、人の心を変えることができる」と語った。
岡村さんは、来館者が「原爆の図」に心を打たれている様子に手応えを感じているという。「作品の前で涙を流す人たちの姿を見て、人間の命を描いているということが伝わっていると思った。芸術は、少しずつかもしれないけれども世界を動かし、人の心を変えることができるとあらためて感じる体験になった」
岡村さんは来館者に感想を聞いた。現地在住レバノン人画家は「原爆の図に非常に大きな感銘を受けた。政治ではなく、人間性の問題だ。なぜワシントンにホロコースト博物館があって、原爆博物館がないのか」と衝撃を受けていた。別の米国人女性も「私たちと同じ普通の暮らしをしている人たちの上に、原爆を落とす必要は全くなかったと思う。自然に涙が流れてきた」と語ったという。
ワシントンのスミソニアン博物館では1995年に「原爆の図」展が企画されたが、退役軍人らの反対により実質的に中止に追い込まれた経緯がある。今回の展覧会は、原爆投下の有効性を容認する米国内の世論を批判するアメリカン大学の歴史学部教授ピーター・カズニックさんが尽力し実現。原爆を投下した米国の反応に関心が集まった。岡村さんによると、元米軍兵も訪れ、コメントを残しているという。
元沿岸警備兵(85)は「原爆の図」展を評価。「素晴らしい試みだ。人間の想像力には限界があるから、このような絵を描くのはとてもよい考えだと思う」。一方で、原爆投下に賛成の立場だという元通信兵(94)は「なぜ日本を哀れまなければならないのか。私たちがこの絵のようになるかもしれなかった。日本は中国に何をしたのだ」と述べたという。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
橋下徹市長は米「ジャパン・ハンドラーズ」に弱みを握られ、安倍晋三首相に「何とかして欲しい」と頼んだ
◆〔特別情報①〕
安倍晋三首相が6月14日夜、東京都内で約3時間会談した際に、維新の党の橋下徹最高顧問(大阪市長)に提案した「維新の党との連立」について、橋下徹市長が大乗り気のうえで示した「連立の条件」の中身が、政界奥ノ院からの情報でやや詳しく判明してきた。橋下徹市長は、どうも米国のいわゆる「ジャパン・ハンドラーズ」(日本操縦者)に弱みを握られて、脅され続けてきたというのである。「連立の条件」とは、安倍晋三首相に「何とかして欲しい」と頼んだというのだ。
以上は「板垣英顕氏」ブログより
ルーズベルト大統領が富豪の子弟であり、1904年にハーバード大学、1908年にはコロンビア大学ロースクールを卒業し、輝かしい名門エリートであったのに対して、トルーマン大統領は、農家の出で、高校を卒業し、その後銀行の事務職に就き、1906年に父親を手伝うために就農したことから、大学卒業以上の学歴を持たない最後の大統領だった。つまり、ルーズベルト大統領だったら、原爆投下を命じなかったのではないかということである。
◆しかし、一般に流布して、米国で伝えられてきたのは、「原爆を広島、長崎に落としたのは、日本に戦争を早く止めさせるためだった」という原爆投下正当論が、米国で戦後一貫して維持されてきた。「大日本帝国が、戦争を止めないで本土決戦に臨んでいれば、日米双方に甚大な犠牲者が生じたであろう」という「原爆投下正当論」である。
トルーマン、チャーチル、スターリンは1945年7月17日~8月2日、ポツダム会談開催、7月26日、日本に無条件降伏を要求するポツダム宣言を発表。これに対して、鈴木貫太郎首相が、ポツダム宣言を黙殺、戦争継続を表明したからといって、大日本帝国の陸海軍の敗色が濃厚な状況下、8月6日にB29によって広島に原爆投下、8月9日にB29によって長崎に原爆投下するほどの差し迫った必要があったのか。大日本帝国は8月14日、御前会議で、ポツダム宣言受諾を決定した。
だが、トルーマン大統領の広島、長崎への原爆投下について、米国内での世代交代で変化が生まれてきている。
それは、埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」が6月13日から8月16日までの日程により、米首都ワシントンのアメリカン大学美術館で初めて開催を始めた「原爆の図」6作品の展覧会が、大きなきっかけとなった。
◆しかし、原爆投下が、「原爆を広島、長崎に落としたのは、日本に戦争を早く止めさせるためだった」という原爆投下正当論によって後付される以前に、トルーマン大統領の「劣等感」によって決断されて、実行されたという点に注目すると、これからも、国家の最高指導者の私的な「感情」や「きまぐれ」によって原爆投下が行われることがあるのではないかという大きな課題を抱えることになった。
【参考引用】
埼玉新聞は6月16日午前10時30分、「『原爆投下、必要なかった』米首都で初の『原爆の図』展が開幕」という見出しをつけて、以下のように配信した。
「米首都ワシントンのアメリカン大学美術館で13日、東松山市「原爆の図丸木美術館」の「原爆の図」6作品の展覧会が始まった。ワシントンで『原爆の図』が展示されるのは初めて。現地で同作品を紹介している丸木美術館の学芸員岡村幸宣さんは「芸術は世界を動かし、人の心を変えることができる」と語った。
岡村さんは、来館者が「原爆の図」に心を打たれている様子に手応えを感じているという。「作品の前で涙を流す人たちの姿を見て、人間の命を描いているということが伝わっていると思った。芸術は、少しずつかもしれないけれども世界を動かし、人の心を変えることができるとあらためて感じる体験になった」
岡村さんは来館者に感想を聞いた。現地在住レバノン人画家は「原爆の図に非常に大きな感銘を受けた。政治ではなく、人間性の問題だ。なぜワシントンにホロコースト博物館があって、原爆博物館がないのか」と衝撃を受けていた。別の米国人女性も「私たちと同じ普通の暮らしをしている人たちの上に、原爆を落とす必要は全くなかったと思う。自然に涙が流れてきた」と語ったという。
ワシントンのスミソニアン博物館では1995年に「原爆の図」展が企画されたが、退役軍人らの反対により実質的に中止に追い込まれた経緯がある。今回の展覧会は、原爆投下の有効性を容認する米国内の世論を批判するアメリカン大学の歴史学部教授ピーター・カズニックさんが尽力し実現。原爆を投下した米国の反応に関心が集まった。岡村さんによると、元米軍兵も訪れ、コメントを残しているという。
元沿岸警備兵(85)は「原爆の図」展を評価。「素晴らしい試みだ。人間の想像力には限界があるから、このような絵を描くのはとてもよい考えだと思う」。一方で、原爆投下に賛成の立場だという元通信兵(94)は「なぜ日本を哀れまなければならないのか。私たちがこの絵のようになるかもしれなかった。日本は中国に何をしたのだ」と述べたという。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
橋下徹市長は米「ジャパン・ハンドラーズ」に弱みを握られ、安倍晋三首相に「何とかして欲しい」と頼んだ
◆〔特別情報①〕
安倍晋三首相が6月14日夜、東京都内で約3時間会談した際に、維新の党の橋下徹最高顧問(大阪市長)に提案した「維新の党との連立」について、橋下徹市長が大乗り気のうえで示した「連立の条件」の中身が、政界奥ノ院からの情報でやや詳しく判明してきた。橋下徹市長は、どうも米国のいわゆる「ジャパン・ハンドラーズ」(日本操縦者)に弱みを握られて、脅され続けてきたというのである。「連立の条件」とは、安倍晋三首相に「何とかして欲しい」と頼んだというのだ。
以上は「板垣英顕氏」ブログより
橋下氏がジャパン・ハンドラーズに何の弱みを握られているの知りたいものです。不正選挙により維新議員が当選したことなのかどうか、これは自民党も同じ理由で安倍政権が脅されているのと同様です。 以上
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