ユダヤ人を救った樋口李一郎元陸軍中将の孫で明治学院大学の樋口隆一名誉教授が、祖父の思い出を語る
ユダヤ人を救った樋口季一郎元陸軍中将の孫で明治学院大学の樋口隆一名誉教授が、祖父の思い出を語る
◆「ユダヤ人を救った日本人『樋口季一郎』」-公益社団法人「日本イスラエル親善協会」(秋山哲会長)が6月4日、日本ユダヤ教団(JCC、東京都渋谷区広尾3-8-8)で、
樋口季一郎元陸軍中将(1888年8月20日~1970年10月11日)の孫で、明治学院大学の樋口隆一名誉教授(国際音楽学会副会長、DAAD友の会会長として学術と芸術による国際交流に携わる)が、祖父から学んだことや秘話、思い出を語った。
これは、ヒトラーに追われてシベリア鉄道でソ満国境に達した大量のユダヤ人を、日独両政府に抗命して特別列車で上海租界に脱出させた、人道主義者「樋口季一郎陸軍中将」の物語である。樋口隆一名誉教授は、24歳まで同居していた祖父から多くのことを学んだという。
◆樋口季一郎元陸軍中将は、兵庫県三原郡本庄村上本庄(現在の南あわじ市阿万上町字戈の鼻)で廻船問屋で代々続く地主であった父・奥濱久八、母・まつの5人兄弟(諸説あり9人とも言われている)の長男として生まれた。明治以降、蒸気船の普及に伴い時代の流れに取り残された父・久八の代で没落。11歳の時、両親が離婚し、母・まつの阿萬家に引き取られる。18歳で岐阜県大垣市歩行町の樋口家の養子となる。父・久八の弟・勇次が樋口家の婿養子となった折、季一郎を勇次夫妻の養子として迎え入れたのだ。大阪陸軍地方幼年学校、陸軍士官学校(21期、同期に石原莞爾=最終階級、陸軍中将。「世界最終戦論」など軍事思想家、「帝国陸軍の異端児」と言われた)に進み優秀な成績で卒業、歩兵第41連隊長、第3師団参謀長を経て、1919年、陸軍大学校(30機)を卒業後、ウラジオストック特務機関員(シベリア出兵)、キャデラックを扱う貿易商であるロシア系ユダヤ人ゴリドシュテイン家の1室に住む。夕食後は、娘マーニャ(当時14・5歳、後に聖心女学校に入学)を目当てに集まるユダヤ人青年たちと交際。さらに、ユダヤ人への関心と共感からユダヤ避難民の富豪ジュダーノフ家とも付き合い、ジュダーノフ老人を日本に亡命させた。
1920年、ハバロフスク特務機関長として孤立、無責任な陸軍上層部への義憤を抱く。
1923年、朝鮮軍参謀、1925年、ポーランド公使館付武官(少佐)となり、ウクライナほかを視察、グルジアのチフリス郊外の貧しい集落に立ち寄った際、貧しいユダヤ人の玩具店の老人から相手が日本人だと知って家に招き入れた。話を聞くと、ユダヤ人が世界中で迫害されていることや日本人はユダヤ人を救ってくれる救世主に違いないと涙ながらに訴え祈りを捧げているといい、「日本の天皇こそメシア」と言われる。
その後、1928年、山東省青島に駐留、1929年、陸軍省新聞班員、1931年、東京警備参謀、1933年、福山歩兵第41連隊長(大佐)を経て、1935年、ハルビ
ン第3師団参謀長(このころ相沢事件起こる)、1937年、参謀本部付としてベルリン出張、大島浩氏とドイツ各地視察、8月、ハルビン特務機関長(少将)。
1937年12月26日、27日、第1回極東ユダヤ人大会(ハルビン)が、関東軍の認可の下、3日間の予定で開催された。
この大会に、陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口季一郎(当時陸軍少将)らを派遣した。大日本帝国は1936年に「日独防共協定」を締結していたが、ナチス・ドイツの反ユダヤ政策に対して「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と激しく批判する祝辞を行い、ユダヤ人らから喝采を浴びた。
1938年3月、ナチスの迫害下から逃れるため、ソ連~満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅(現在のザバイカリスク駅)まで避難してきていた。しかし、このときの記憶が蘇ってきたが、満州国外交部が入国の許可を渋ったため、難渋している惨状に見かねていた。その際、当時、関東軍参謀長だった東條英機中将から呼び出しを受けて、どうすればよいかを訊ねられて、所信を思存分述べたところ、「人道的配慮」から賛同してくれたので、直属の部下・河村愛三少佐らとともにユダヤ人に対し、即日給食と衣類・燃料の配給、要救護者への加療を実施、さらに出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋などを行って助けた。その後も増え続けたドイツ系ユダヤ人にビザを発給して逃がした。
1945年8月15日の終戦後も、樋口季一郎は、日ソ不可侵条約を破った進攻してきたソ連軍を相手に占守島、樺太での戦闘を指揮し、占守島の戦いではソ連軍千島侵攻部隊に痛撃を与えた。このため、スターリンが、札幌に在住していた樋口季一郎を「戦犯」に指名して処刑しようとした。これに対して、世界ユダヤ協会が、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、欧米に住むユダヤ人金融家らがロビー活動を行い、「樋口季一郎救出運動」を繰り広げた。この結果、連合国軍最高司令部のダグラス・マッカーサー最高司令官(元帥)が、ソ連からの引き渡し要求を拒否して、樋口季一郎の身柄を保護した。戦後イスラエル建国功労者として安江仙弘とともに「黄金の碑(ゴールデン・ブック)」に「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、その功績が永く顕彰されることになった。
◆なお、樋口季一郎中将は、安江仙弘陸軍大佐、犬塚惟重海軍大佐らとともに「河豚計画」(ユダヤ難民の移住計画。河豚は毒を持っているが、毒を取り除けば美味を味わえる。ユダヤ人も毒を含んでいるが、付き合い次第では、仲良くできるという意味)を進めた。
「河豚計画」は1934年に日産コンツェルン創始者の鮎川義介が提唱した計画に始まり、1938年の五相会議で政府の方針として定まった。ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に招き入れ、自治区を建設する計画であった。だが、ユダヤ人迫害を推進するドイツのナチス党との友好を深めるにつれて形骸化し、日独伊三国軍事同盟の締結や日独両国ともに対外戦争を開始したため頓挫した。
戦後70年を経て、「中国4分割、東北部(旧満州)にユダヤ国家=ネオ・マンチュリア建国計画」が持ち上がり、「河豚計画」が息を吹き出してきている。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三首相を痛烈批判する「週刊文春の連載企画」は、「愛のムチ」か、それとも米国の「杞憂」なのか?
◆〔特別情報①〕
安倍晋三首相が、「1強多弱」政権下でわが世の春を楽しみ、ますます傲慢になっていることに「危うさ」を痛感しているのか、週刊文春(6月11日号)が、ようやく「安倍晋三批判」を開始した。「1強政権の死角①」というから、「連載企画」だ。「“上から目線”の『安保法制』 安倍晋三首相よ国民をバカにするな!」(▼「国民不在の議論のツケは政権に返ってくる」佐瀬昌盛▼現役自衛官「今こそ戦死のリスクを逃げずに語ってほしい」▼「なんで謝らなきゃならないの」天敵辻元清美に逆切れ、本誌アンケートでも6割が「説明不足」)と痛烈批判の見出しが躍っている。この連載企画は、安倍晋三首相に対する「愛のムチ」なのか、それとも米国の「杞憂」からなのか?
以上は「板垣英顕氏」ブログより
樋口季一郎元陸軍中将(1888年8月20日~1970年10月11日)の孫で、明治学院大学の樋口隆一名誉教授(国際音楽学会副会長、DAAD友の会会長として学術と芸術による国際交流に携わる)が、祖父から学んだことや秘話、思い出を語った。
これは、ヒトラーに追われてシベリア鉄道でソ満国境に達した大量のユダヤ人を、日独両政府に抗命して特別列車で上海租界に脱出させた、人道主義者「樋口季一郎陸軍中将」の物語である。樋口隆一名誉教授は、24歳まで同居していた祖父から多くのことを学んだという。
◆樋口季一郎元陸軍中将は、兵庫県三原郡本庄村上本庄(現在の南あわじ市阿万上町字戈の鼻)で廻船問屋で代々続く地主であった父・奥濱久八、母・まつの5人兄弟(諸説あり9人とも言われている)の長男として生まれた。明治以降、蒸気船の普及に伴い時代の流れに取り残された父・久八の代で没落。11歳の時、両親が離婚し、母・まつの阿萬家に引き取られる。18歳で岐阜県大垣市歩行町の樋口家の養子となる。父・久八の弟・勇次が樋口家の婿養子となった折、季一郎を勇次夫妻の養子として迎え入れたのだ。大阪陸軍地方幼年学校、陸軍士官学校(21期、同期に石原莞爾=最終階級、陸軍中将。「世界最終戦論」など軍事思想家、「帝国陸軍の異端児」と言われた)に進み優秀な成績で卒業、歩兵第41連隊長、第3師団参謀長を経て、1919年、陸軍大学校(30機)を卒業後、ウラジオストック特務機関員(シベリア出兵)、キャデラックを扱う貿易商であるロシア系ユダヤ人ゴリドシュテイン家の1室に住む。夕食後は、娘マーニャ(当時14・5歳、後に聖心女学校に入学)を目当てに集まるユダヤ人青年たちと交際。さらに、ユダヤ人への関心と共感からユダヤ避難民の富豪ジュダーノフ家とも付き合い、ジュダーノフ老人を日本に亡命させた。
1920年、ハバロフスク特務機関長として孤立、無責任な陸軍上層部への義憤を抱く。
1923年、朝鮮軍参謀、1925年、ポーランド公使館付武官(少佐)となり、ウクライナほかを視察、グルジアのチフリス郊外の貧しい集落に立ち寄った際、貧しいユダヤ人の玩具店の老人から相手が日本人だと知って家に招き入れた。話を聞くと、ユダヤ人が世界中で迫害されていることや日本人はユダヤ人を救ってくれる救世主に違いないと涙ながらに訴え祈りを捧げているといい、「日本の天皇こそメシア」と言われる。
その後、1928年、山東省青島に駐留、1929年、陸軍省新聞班員、1931年、東京警備参謀、1933年、福山歩兵第41連隊長(大佐)を経て、1935年、ハルビ
ン第3師団参謀長(このころ相沢事件起こる)、1937年、参謀本部付としてベルリン出張、大島浩氏とドイツ各地視察、8月、ハルビン特務機関長(少将)。
1937年12月26日、27日、第1回極東ユダヤ人大会(ハルビン)が、関東軍の認可の下、3日間の予定で開催された。
この大会に、陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口季一郎(当時陸軍少将)らを派遣した。大日本帝国は1936年に「日独防共協定」を締結していたが、ナチス・ドイツの反ユダヤ政策に対して「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と激しく批判する祝辞を行い、ユダヤ人らから喝采を浴びた。
1938年3月、ナチスの迫害下から逃れるため、ソ連~満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅(現在のザバイカリスク駅)まで避難してきていた。しかし、このときの記憶が蘇ってきたが、満州国外交部が入国の許可を渋ったため、難渋している惨状に見かねていた。その際、当時、関東軍参謀長だった東條英機中将から呼び出しを受けて、どうすればよいかを訊ねられて、所信を思存分述べたところ、「人道的配慮」から賛同してくれたので、直属の部下・河村愛三少佐らとともにユダヤ人に対し、即日給食と衣類・燃料の配給、要救護者への加療を実施、さらに出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋などを行って助けた。その後も増え続けたドイツ系ユダヤ人にビザを発給して逃がした。
1945年8月15日の終戦後も、樋口季一郎は、日ソ不可侵条約を破った進攻してきたソ連軍を相手に占守島、樺太での戦闘を指揮し、占守島の戦いではソ連軍千島侵攻部隊に痛撃を与えた。このため、スターリンが、札幌に在住していた樋口季一郎を「戦犯」に指名して処刑しようとした。これに対して、世界ユダヤ協会が、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、欧米に住むユダヤ人金融家らがロビー活動を行い、「樋口季一郎救出運動」を繰り広げた。この結果、連合国軍最高司令部のダグラス・マッカーサー最高司令官(元帥)が、ソ連からの引き渡し要求を拒否して、樋口季一郎の身柄を保護した。戦後イスラエル建国功労者として安江仙弘とともに「黄金の碑(ゴールデン・ブック)」に「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、その功績が永く顕彰されることになった。
◆なお、樋口季一郎中将は、安江仙弘陸軍大佐、犬塚惟重海軍大佐らとともに「河豚計画」(ユダヤ難民の移住計画。河豚は毒を持っているが、毒を取り除けば美味を味わえる。ユダヤ人も毒を含んでいるが、付き合い次第では、仲良くできるという意味)を進めた。
「河豚計画」は1934年に日産コンツェルン創始者の鮎川義介が提唱した計画に始まり、1938年の五相会議で政府の方針として定まった。ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に招き入れ、自治区を建設する計画であった。だが、ユダヤ人迫害を推進するドイツのナチス党との友好を深めるにつれて形骸化し、日独伊三国軍事同盟の締結や日独両国ともに対外戦争を開始したため頓挫した。
戦後70年を経て、「中国4分割、東北部(旧満州)にユダヤ国家=ネオ・マンチュリア建国計画」が持ち上がり、「河豚計画」が息を吹き出してきている。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三首相を痛烈批判する「週刊文春の連載企画」は、「愛のムチ」か、それとも米国の「杞憂」なのか?
◆〔特別情報①〕
安倍晋三首相が、「1強多弱」政権下でわが世の春を楽しみ、ますます傲慢になっていることに「危うさ」を痛感しているのか、週刊文春(6月11日号)が、ようやく「安倍晋三批判」を開始した。「1強政権の死角①」というから、「連載企画」だ。「“上から目線”の『安保法制』 安倍晋三首相よ国民をバカにするな!」(▼「国民不在の議論のツケは政権に返ってくる」佐瀬昌盛▼現役自衛官「今こそ戦死のリスクを逃げずに語ってほしい」▼「なんで謝らなきゃならないの」天敵辻元清美に逆切れ、本誌アンケートでも6割が「説明不足」)と痛烈批判の見出しが躍っている。この連載企画は、安倍晋三首相に対する「愛のムチ」なのか、それとも米国の「杞憂」からなのか?
以上は「板垣英顕氏」ブログより
避難民を救うことは人道上からも大変良いことです。このような良いことをした日本を「3.11テロ」でイスラエルのネタニヤフ氏はどうして攻撃したのか理解に苦しみます。たまたま日本は奇跡的に「3.11テロ」では滅亡していませんが今後事故の放射能汚染はジワジワ日本民族を死滅させる方向になります。日本の善意に仇で返されたことになります。ネタニヤフ氏のご見解を見たいところです。 以上
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