核と物理学者(3)
核と物理学者(3)
物理学者の間で時々耳にする言葉に、
Shut Up and Calculate !
というのがあります。「黙って計算しなさい!」「ぶつぶつ言わずに計算に身を入れろ!」などと訳せましょうか。もともとは量子論の(哲学的)解釈に関して発せられた言葉です。例の天才理論物理学者リチャード・ファインマンが言ったと伝えられたこともありましたが、出処はN. David Mermin というアメリカの理論物理学者でこの人もなかなかの実力者です。マーミンという人については、私のもう一つのブログ『トーマス・クーン解体新書』で触れるつもりですが、今日は物理学者を特徴付ける行為の一つとして‘計算’を取り上げます。
現代最高の物理学者の一人であるSteven Weinberg の著書『THE DISCOVERY OF SUBATOMIC PARTICLES』の序文に“We physicists are an odd lot, taking great pleasure in the calculations we learn to do in the standard sequence of physics courses (われわれ物理屋というのは風変わりな連中で、標準的な物理学課程でやり方を学ぶ計算をすることに大きな満足感を味合うものだ)”と書いてあります。
先の2015年7月1日付のブログ『核と物理学者(1)』の中で紹介したジョン・スタントンの記事に、現在の米国国防長官アシュトン・カーターにについて、「確かなのは、カーターはレオ・シラードではなく、エドワード・テラーのタイプにより類似の人物である」とあります。シラードについては、日本語ウィキペディアに極めて有用な記事がありますので読んで頂きたいのですが、シラードが飛び抜けて回転の早い頭脳の持ち主であったこと、世界初の原子炉(シカゴ・パイル)の創設にエンリコ・フェルミと並んで最初から参画しながら、物理学者として地道に必要な計算をすることが出来ず、脇役に回されてしまうことなどが書いてあります。ハンガリー同郷の大物理学者ユージン・ウィグナーは原子炉の計算がとても面白くて熱心にやっていて、シラードにも計算を勧めたのですが駄目でした。これも大物理学者のハンス・ベーテはシラードを「私が知ってい人々の中で最も頭のいい人間の一人だった」と評しています。強烈な自我を持ち、レオ・シラード風に凄く頭が切れるにしても、物理学者にしては地道な物理学の計算を楽しめず、政治に強い関心と野心を抱き、思想傾向はエドワード・テラー並みにネオコン的保守、・・・ これが米国国防長官カーターの実像であれば、実に困ったことです。北朝鮮の核軍備計画を壊滅させるために先制攻撃を行うべしと、かつて、カーターが唱えたことは、前回で報告しました。核戦力の保持については核抑止論者でありましょうし、先制核攻撃論者である恐れすらあります。核と物理学者の問題を考える場合の中心的課題は「核抑止論」です。これについては、2010年4月28日のブログ『核抑止と核廃絶(2)』で論じましたのでその後半を以下に再録します。レオ・シラード流に頭の良い物理学者たちは、核による抑止をprudent な政策と考え、核戦争には勝者も敗者もないと言いながら、本心では、“勝敗はある”と考えています。核兵器を絶対悪と認識して、核抑止論を排して、核廃絶を唱え続けた湯川秀樹、朝永振一郎、豊田利幸、小川岩雄などの我が先達は、物理学の計算が好きな、しかし、シラードとかテラーとかカーター風には、頭のよくない物理学者たちであったと言えるかもしれまん。:
**********
MAD(マッド) というアルファベット略語をご存知ですか。 Mutual Assured Destruction の略語で、日本語の標準訳は「相互確証破壊」、形容詞の mad に引っ掛けた略語であることは確かですが、ふざけた文字遊びが許されるような事項ではありません。MADは、レーガン大統領の一つ前のカーター大統領の時代に使われた核抑止政策のキーワードでした。敵対する二つの国が確実に相手を破壊することが出来るだけの核爆弾と、相手が核攻撃を仕掛けてきたことを知った後から反撃しても敵国を破壊し尽くす態勢を保持していれば、その二国間で恐怖の均衡が成立して、戦争が抑止される、という考え方を表しています。必要とあれば、人間集団を核爆弾で破壊し抹殺するという考え、これは、馬鹿馬鹿しい、狂った考えというよりも、悪魔の考え、悪(the evil)そのものです。私はこれを「皆殺しの思想」と呼ぶことにします。この呼び名が必ずしも「核」に限定されていないことに注意して下さい。
広島の碑文論争というものがあります。原爆死没者慰霊碑の石の前面の上部に「安らかに眠って下さい」と彫ってあり、下部に「 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。この文章は、1952年、当時、広島大学教授で被爆者でもあった雑賀忠義氏が考え出して、揮毫も行ない、その年の8月6日に碑の除幕式が行われました。それ以来、誰がどのような過ちについて語っているのかはっきりしない碑文であるために、さまざまな論争が行なわれて来ました。米山リサ著『広島 記憶のポリティクス』のp22以降にも「碑文論争」が取り上げられています。私はその論争に加わる気持ちはありませんが、1952年に、雑賀忠義氏ご当人が碑文の公式の英語訳として「Let all the souls rest in peace; For we shall not repeat the evil」を提案し、広島で行なわれた「悪( the evil)」を繰り返さないと誓っているのは「we」で、われわれ人間すべてだという意味の説明を行ないました。とすれば、この「we」は、前回のブログに引いたアドルノの言葉「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」で、「詩を書くことは野蛮である」と感じる「we」と同一の筈でなければなりません。ところが、現前の政治的現実は、この二つの「われわれ」の間に同一性など殆ど認められていないことを示しています。現在、イスラエルが数百個の核爆弾を保有していることは、イスラエルを含めて誰も否定しない事実ですが、イスラエルは、イランも加入している核非拡散条約に加盟していません。このイスラエルを容認する人々がアドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉を金科玉条として高く掲げる「われわれ」に他なりません。この「we」が雑賀さんのいう「われわれ人間すべて」と等しくないことは明らかです。
核抑止という考えは、上記の通り、必要とあれば、核爆弾を使用するという考えです。核兵器の使用を絶対的な悪と“考えない”イデオロギーです。そして、ヒロシマ以後の「われわれ」人類はこの核抑止のイデオロギーとそれが醸成する世界の中で生きることを強いられているのです。オバマ大統領の、最近の世界非核化のジェスチャーの裏に、その演出者であるキッシンジャーの核抑止政策が貼り付いていることは、これまた、何人も否定できない事実です。2010年2月17日のブログ、『[号外] オバマ大統領は反核でない』、ではっきりと説明した通りです。核抑止という言葉に飼いならされてしまった我々は、この言葉との共生を強いられているという状況の不条理さに対する感受能力を失ってしまっています。これは重大な状況です。
半世紀以上の間、原子爆弾との共生を我々に強いる状況がどのように発生したかを、豊田利幸著『新・核戦略批判』(岩波新書、1983年)から学ぶことにします。:
■ 1955年には「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、そのよびかけに応じてカナダのノヴァスコシア州パグウォッシュ村で第一回のパグウォッシュ会議が1957年に開かれていた。この会議の意義は東西両陣営の科学者たちに高く評価され、翌1958年にはカナダのラック・ビューポートで第二回の会議が開かれた。第一回の会議では、核戦争の危機を避けるためのいわば総論的な議論が行なわれたのに対し第二回の会議は声明などは出さないで、各論に一歩踏み込んだ討論が活発になされた。その会議の事務局長をつとめたロートブラットによると、「核兵器は絶対悪であり、これはどうしても廃絶しなければならない」という意見と、「巨額の国費を投入して開発した核兵器をその国が廃棄するはずがない。それゆえ核兵器を保有したままで戦争がおこらないような方策を探求すべきである」、端的に当時の言葉を使えば、「原子爆弾と共に生きよう(Live with atom bomb )」という意見が鋭く対立して白熱した論戦が行なわれたという。残念ながら、この第二回パグウォッシュ会議に日本からの出席者はなかった。注目すべきは「ラッセル・アインシュタイン宣言」を出すことを考え、かつその文章を起草したラッセルが前者の意見を強く主張したにもかかわらず、シラードに代表される後者の意見が会議の大勢をきめたことである。
これによって核抑止論はパグウォッシュ会議の中に根をおろし、以後の核戦略の理論的支柱となってしまった。その頃もしアインシュタインが生きていたら、恐らくラッセルを全面的に支持し、シラードたちを圧倒したであろう。とにかくこれを契機に相互核抑止の数量的研究が精力的に行なわれることになった。■(pp74~75)
豊田利幸氏は高潔な方でしたから、レオ・シラードという人物に対する反感をあらわに言葉にしておられませんが、私は、この人物の醜悪な一面を許し、その長所だけを受け入れる度量に欠けていましたので、以前、ロバート・オッペンハイマーの伝記を書いた折に、レオ・シラードを手厳しく批判したことがあります。その時には、私は、シラードを本質的には“無害”な人物と思って次のように書きました。:
■ 私にはシラードに対するウィグナーの永続した奇妙な愛情がわかるような気がする。シラードもまた愚かなひとりの科学者、ひとりの人間であった。ウィグナーが言ったように本質的に無害な人間であった。■(『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』、p237)
しかし、今は違います。核爆弾を、「ヒロシマ」、を絶対悪として直ちに退けるかわりに、核抑止という政治的イデオロギーのもとで、核爆弾と共に生きることを我々に強いてきた責任をレオ・シラードは背負わなければなりません。「ヒロシマ」と「アウシュヴィッツ」の区別を導き入れた責任と言ってもいいでしょう。
去る4月6日にオバマ政権は2010年度の核戦略報告書「核態勢の見直し」(Nuclear Posture Review, NPR)を発表しました。その内容の要約が国防省から出されていて、その中に次の文章があります。:
■ 核兵器保有国及び核不拡散義務を遵守しない国家に対応
アメリカは、アメリカ、その同盟国及びパートナーの決定的な利益を防衛する究極情況においてのみ核兵器を使用しうる。これらの諸国にとっては、アメリカの核兵器が通常兵器あるいは生物化学兵器による攻撃を抑止するという役割を依然として演ずるかもしれないという緊急事態の狭い幅が残っている。■
現在の具体的な世界状況に投射してハッキリ分かりやすく言えば、これは、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に“ヒロシマ”の苦しみを与えてやる」という脅しをかけることに等しいのです。イスラエルがイランの核関係施設に先制空爆を行い、イランがイスラエルに全面的反撃(もちろん通常兵器で)をする事態の発生可能性はますます高まって来ていると判断されますから、オバマ政権のこの核戦略見直しは、圧倒的な核兵器の脅威を振りかざしてイランを脅そうという、実に恐るべきものなのです。そして、これが核抑止というイデオロギーの直裁な表現の一つであることをはっきり認識しなければなりません。
しかし、アドルノの有名な言葉を「頂門の一針」と認識する知識人たちは(前回のブログ参照)、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に“アウシュヴィッツ”の苦しみを与えてやる」と誰かが言い換えたとすると、この発言を、ナチ・ホロコーストの記憶にたいする、決して許すことの出来ない冒涜と考えることでしょう。この非可換性は何処から来ているのでしょうか?一つの「皆殺しの思想」の記憶は、人間が詩を書くことすら難詰するまでの力を持ち続けるのに、もう一つの「皆殺しの思想」は核抑止論という形で、グローバルな外交政策として容認されて今日に至っているということです。ヒロシマ・ナガサキをめぐる「ラディカルな知」を求める知識人にとって、この現在の知的状況は決してこのまま容認さるべきものではない筈です。
上述のように、1958年の第二回パグウォッシュ会議で、アインシュタイン・ラッセルの核廃絶論を押さえて核抑止論を打ち立てたレオ・シラードたちは「これを契機に相互核抑止の数量的研究を精力的に」行なうことになりましたが、レオ・シラードが、何かにつけて、目の敵にしたロバート・オッペンハイマーは、1959年に行なった講演の中で、核抑止論の旗の下に水爆と長距離ミサイルの開発に狂奔するアメリカを次のように批判しています。:
■ 殆どすべての人間を殺戮し尽くす可能性を論ずる時、計算高いゲーム理論の言葉でしか語れない我々の文明を、我々は一体何と考えたらよいのか。悪業を行なった敵に対してならば、原水爆の使用に問題なしとする見解を西側が、特に我が国が表明した度ごとに、我々は誤りを犯してきた。第二次世界大戦における戦略爆撃作戦-これこそがこの大戦の全面的特徴であった-の歴史的結果としてもたらされた良心の痛みの喪失こそ、世界の自由、人間の自由の促進の重大な障害になっているのである。■
この「悪業を行なった敵に対してならば、原水爆の使用に問題なしとする見解」は、オバマ政権の対イラン政策のエッセンスに他ならず、同じ考え方が60年間一貫して維持されたというのは真に信じがたい歴史的事実です。
オッペンハイマーが「良心の痛みの喪失」という、彼らしい、穏やかな言葉で嘆いている人間精神の荒廃あるいは欠陥の象徴として、核兵器だけでなく、第二次世界大戦における戦略爆撃作戦一般が挙げられていることに注目しましょう。
東京大空襲は良く知られていますが、大阪も1945年3月13日以降,数次にわたって大規模戦略爆撃に曝され、終戦の前日8月14日にも京橋地区に集中して広島原爆の約20分の1の爆発力の爆弾攻撃を浴びました。広島・長崎は東京・大阪あるいはハンブルグ・ドレスデンと区別して記憶されるべきものなのかどうか-この問題を次回には考えてみたいと思います。これは「ヒロシマ・ナガサキ」と「アウシュヴィッツ」の区別という極めて重要な問題を取り上げる前に、どうしても避けて通ることの出来ない関門です。
藤永 茂 (2010年4月28日)
**********
ヒロシマ・ナガサキの後70年間、平和が保たれたという事実は、核抑止論という世界政治理論が正しかったことを示している、といった主張がなされることがありますが、これは、とんでもない、許すべからざる暴言です。この70年間に、一千万の人々が、戦争に巻き込まれて殺され続けて来ました。いま現在も、その状態は続いています。アフリカのコンゴ東部地域はその代表例の一つです。1994年の「ルワンダ大虐殺」を憶えている方もおいででしょう。それを含み、それに続く戦乱で約6百万人が死に、紛争状態は今も続いています。これらの死者たちを人間にあらずと思わない限り、第二次世界大戦後の70年間、この地球が核兵器の抑止力によって平和に保たれたという戯言は口に出来ないはずであります。ごく最近になって、四半世紀にわたって続いてきたこの醜悪極まりない戦争の真相が決定的な形で明らかになってきました。
以上は「私の闇の奥」より
Shut Up and Calculate !
というのがあります。「黙って計算しなさい!」「ぶつぶつ言わずに計算に身を入れろ!」などと訳せましょうか。もともとは量子論の(哲学的)解釈に関して発せられた言葉です。例の天才理論物理学者リチャード・ファインマンが言ったと伝えられたこともありましたが、出処はN. David Mermin というアメリカの理論物理学者でこの人もなかなかの実力者です。マーミンという人については、私のもう一つのブログ『トーマス・クーン解体新書』で触れるつもりですが、今日は物理学者を特徴付ける行為の一つとして‘計算’を取り上げます。
現代最高の物理学者の一人であるSteven Weinberg の著書『THE DISCOVERY OF SUBATOMIC PARTICLES』の序文に“We physicists are an odd lot, taking great pleasure in the calculations we learn to do in the standard sequence of physics courses (われわれ物理屋というのは風変わりな連中で、標準的な物理学課程でやり方を学ぶ計算をすることに大きな満足感を味合うものだ)”と書いてあります。
先の2015年7月1日付のブログ『核と物理学者(1)』の中で紹介したジョン・スタントンの記事に、現在の米国国防長官アシュトン・カーターにについて、「確かなのは、カーターはレオ・シラードではなく、エドワード・テラーのタイプにより類似の人物である」とあります。シラードについては、日本語ウィキペディアに極めて有用な記事がありますので読んで頂きたいのですが、シラードが飛び抜けて回転の早い頭脳の持ち主であったこと、世界初の原子炉(シカゴ・パイル)の創設にエンリコ・フェルミと並んで最初から参画しながら、物理学者として地道に必要な計算をすることが出来ず、脇役に回されてしまうことなどが書いてあります。ハンガリー同郷の大物理学者ユージン・ウィグナーは原子炉の計算がとても面白くて熱心にやっていて、シラードにも計算を勧めたのですが駄目でした。これも大物理学者のハンス・ベーテはシラードを「私が知ってい人々の中で最も頭のいい人間の一人だった」と評しています。強烈な自我を持ち、レオ・シラード風に凄く頭が切れるにしても、物理学者にしては地道な物理学の計算を楽しめず、政治に強い関心と野心を抱き、思想傾向はエドワード・テラー並みにネオコン的保守、・・・ これが米国国防長官カーターの実像であれば、実に困ったことです。北朝鮮の核軍備計画を壊滅させるために先制攻撃を行うべしと、かつて、カーターが唱えたことは、前回で報告しました。核戦力の保持については核抑止論者でありましょうし、先制核攻撃論者である恐れすらあります。核と物理学者の問題を考える場合の中心的課題は「核抑止論」です。これについては、2010年4月28日のブログ『核抑止と核廃絶(2)』で論じましたのでその後半を以下に再録します。レオ・シラード流に頭の良い物理学者たちは、核による抑止をprudent な政策と考え、核戦争には勝者も敗者もないと言いながら、本心では、“勝敗はある”と考えています。核兵器を絶対悪と認識して、核抑止論を排して、核廃絶を唱え続けた湯川秀樹、朝永振一郎、豊田利幸、小川岩雄などの我が先達は、物理学の計算が好きな、しかし、シラードとかテラーとかカーター風には、頭のよくない物理学者たちであったと言えるかもしれまん。:
**********
MAD(マッド) というアルファベット略語をご存知ですか。 Mutual Assured Destruction の略語で、日本語の標準訳は「相互確証破壊」、形容詞の mad に引っ掛けた略語であることは確かですが、ふざけた文字遊びが許されるような事項ではありません。MADは、レーガン大統領の一つ前のカーター大統領の時代に使われた核抑止政策のキーワードでした。敵対する二つの国が確実に相手を破壊することが出来るだけの核爆弾と、相手が核攻撃を仕掛けてきたことを知った後から反撃しても敵国を破壊し尽くす態勢を保持していれば、その二国間で恐怖の均衡が成立して、戦争が抑止される、という考え方を表しています。必要とあれば、人間集団を核爆弾で破壊し抹殺するという考え、これは、馬鹿馬鹿しい、狂った考えというよりも、悪魔の考え、悪(the evil)そのものです。私はこれを「皆殺しの思想」と呼ぶことにします。この呼び名が必ずしも「核」に限定されていないことに注意して下さい。
広島の碑文論争というものがあります。原爆死没者慰霊碑の石の前面の上部に「安らかに眠って下さい」と彫ってあり、下部に「 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。この文章は、1952年、当時、広島大学教授で被爆者でもあった雑賀忠義氏が考え出して、揮毫も行ない、その年の8月6日に碑の除幕式が行われました。それ以来、誰がどのような過ちについて語っているのかはっきりしない碑文であるために、さまざまな論争が行なわれて来ました。米山リサ著『広島 記憶のポリティクス』のp22以降にも「碑文論争」が取り上げられています。私はその論争に加わる気持ちはありませんが、1952年に、雑賀忠義氏ご当人が碑文の公式の英語訳として「Let all the souls rest in peace; For we shall not repeat the evil」を提案し、広島で行なわれた「悪( the evil)」を繰り返さないと誓っているのは「we」で、われわれ人間すべてだという意味の説明を行ないました。とすれば、この「we」は、前回のブログに引いたアドルノの言葉「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」で、「詩を書くことは野蛮である」と感じる「we」と同一の筈でなければなりません。ところが、現前の政治的現実は、この二つの「われわれ」の間に同一性など殆ど認められていないことを示しています。現在、イスラエルが数百個の核爆弾を保有していることは、イスラエルを含めて誰も否定しない事実ですが、イスラエルは、イランも加入している核非拡散条約に加盟していません。このイスラエルを容認する人々がアドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉を金科玉条として高く掲げる「われわれ」に他なりません。この「we」が雑賀さんのいう「われわれ人間すべて」と等しくないことは明らかです。
核抑止という考えは、上記の通り、必要とあれば、核爆弾を使用するという考えです。核兵器の使用を絶対的な悪と“考えない”イデオロギーです。そして、ヒロシマ以後の「われわれ」人類はこの核抑止のイデオロギーとそれが醸成する世界の中で生きることを強いられているのです。オバマ大統領の、最近の世界非核化のジェスチャーの裏に、その演出者であるキッシンジャーの核抑止政策が貼り付いていることは、これまた、何人も否定できない事実です。2010年2月17日のブログ、『[号外] オバマ大統領は反核でない』、ではっきりと説明した通りです。核抑止という言葉に飼いならされてしまった我々は、この言葉との共生を強いられているという状況の不条理さに対する感受能力を失ってしまっています。これは重大な状況です。
半世紀以上の間、原子爆弾との共生を我々に強いる状況がどのように発生したかを、豊田利幸著『新・核戦略批判』(岩波新書、1983年)から学ぶことにします。:
■ 1955年には「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、そのよびかけに応じてカナダのノヴァスコシア州パグウォッシュ村で第一回のパグウォッシュ会議が1957年に開かれていた。この会議の意義は東西両陣営の科学者たちに高く評価され、翌1958年にはカナダのラック・ビューポートで第二回の会議が開かれた。第一回の会議では、核戦争の危機を避けるためのいわば総論的な議論が行なわれたのに対し第二回の会議は声明などは出さないで、各論に一歩踏み込んだ討論が活発になされた。その会議の事務局長をつとめたロートブラットによると、「核兵器は絶対悪であり、これはどうしても廃絶しなければならない」という意見と、「巨額の国費を投入して開発した核兵器をその国が廃棄するはずがない。それゆえ核兵器を保有したままで戦争がおこらないような方策を探求すべきである」、端的に当時の言葉を使えば、「原子爆弾と共に生きよう(Live with atom bomb )」という意見が鋭く対立して白熱した論戦が行なわれたという。残念ながら、この第二回パグウォッシュ会議に日本からの出席者はなかった。注目すべきは「ラッセル・アインシュタイン宣言」を出すことを考え、かつその文章を起草したラッセルが前者の意見を強く主張したにもかかわらず、シラードに代表される後者の意見が会議の大勢をきめたことである。
これによって核抑止論はパグウォッシュ会議の中に根をおろし、以後の核戦略の理論的支柱となってしまった。その頃もしアインシュタインが生きていたら、恐らくラッセルを全面的に支持し、シラードたちを圧倒したであろう。とにかくこれを契機に相互核抑止の数量的研究が精力的に行なわれることになった。■(pp74~75)
豊田利幸氏は高潔な方でしたから、レオ・シラードという人物に対する反感をあらわに言葉にしておられませんが、私は、この人物の醜悪な一面を許し、その長所だけを受け入れる度量に欠けていましたので、以前、ロバート・オッペンハイマーの伝記を書いた折に、レオ・シラードを手厳しく批判したことがあります。その時には、私は、シラードを本質的には“無害”な人物と思って次のように書きました。:
■ 私にはシラードに対するウィグナーの永続した奇妙な愛情がわかるような気がする。シラードもまた愚かなひとりの科学者、ひとりの人間であった。ウィグナーが言ったように本質的に無害な人間であった。■(『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』、p237)
しかし、今は違います。核爆弾を、「ヒロシマ」、を絶対悪として直ちに退けるかわりに、核抑止という政治的イデオロギーのもとで、核爆弾と共に生きることを我々に強いてきた責任をレオ・シラードは背負わなければなりません。「ヒロシマ」と「アウシュヴィッツ」の区別を導き入れた責任と言ってもいいでしょう。
去る4月6日にオバマ政権は2010年度の核戦略報告書「核態勢の見直し」(Nuclear Posture Review, NPR)を発表しました。その内容の要約が国防省から出されていて、その中に次の文章があります。:
■ 核兵器保有国及び核不拡散義務を遵守しない国家に対応
アメリカは、アメリカ、その同盟国及びパートナーの決定的な利益を防衛する究極情況においてのみ核兵器を使用しうる。これらの諸国にとっては、アメリカの核兵器が通常兵器あるいは生物化学兵器による攻撃を抑止するという役割を依然として演ずるかもしれないという緊急事態の狭い幅が残っている。■
現在の具体的な世界状況に投射してハッキリ分かりやすく言えば、これは、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に“ヒロシマ”の苦しみを与えてやる」という脅しをかけることに等しいのです。イスラエルがイランの核関係施設に先制空爆を行い、イランがイスラエルに全面的反撃(もちろん通常兵器で)をする事態の発生可能性はますます高まって来ていると判断されますから、オバマ政権のこの核戦略見直しは、圧倒的な核兵器の脅威を振りかざしてイランを脅そうという、実に恐るべきものなのです。そして、これが核抑止というイデオロギーの直裁な表現の一つであることをはっきり認識しなければなりません。
しかし、アドルノの有名な言葉を「頂門の一針」と認識する知識人たちは(前回のブログ参照)、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に“アウシュヴィッツ”の苦しみを与えてやる」と誰かが言い換えたとすると、この発言を、ナチ・ホロコーストの記憶にたいする、決して許すことの出来ない冒涜と考えることでしょう。この非可換性は何処から来ているのでしょうか?一つの「皆殺しの思想」の記憶は、人間が詩を書くことすら難詰するまでの力を持ち続けるのに、もう一つの「皆殺しの思想」は核抑止論という形で、グローバルな外交政策として容認されて今日に至っているということです。ヒロシマ・ナガサキをめぐる「ラディカルな知」を求める知識人にとって、この現在の知的状況は決してこのまま容認さるべきものではない筈です。
上述のように、1958年の第二回パグウォッシュ会議で、アインシュタイン・ラッセルの核廃絶論を押さえて核抑止論を打ち立てたレオ・シラードたちは「これを契機に相互核抑止の数量的研究を精力的に」行なうことになりましたが、レオ・シラードが、何かにつけて、目の敵にしたロバート・オッペンハイマーは、1959年に行なった講演の中で、核抑止論の旗の下に水爆と長距離ミサイルの開発に狂奔するアメリカを次のように批判しています。:
■ 殆どすべての人間を殺戮し尽くす可能性を論ずる時、計算高いゲーム理論の言葉でしか語れない我々の文明を、我々は一体何と考えたらよいのか。悪業を行なった敵に対してならば、原水爆の使用に問題なしとする見解を西側が、特に我が国が表明した度ごとに、我々は誤りを犯してきた。第二次世界大戦における戦略爆撃作戦-これこそがこの大戦の全面的特徴であった-の歴史的結果としてもたらされた良心の痛みの喪失こそ、世界の自由、人間の自由の促進の重大な障害になっているのである。■
この「悪業を行なった敵に対してならば、原水爆の使用に問題なしとする見解」は、オバマ政権の対イラン政策のエッセンスに他ならず、同じ考え方が60年間一貫して維持されたというのは真に信じがたい歴史的事実です。
オッペンハイマーが「良心の痛みの喪失」という、彼らしい、穏やかな言葉で嘆いている人間精神の荒廃あるいは欠陥の象徴として、核兵器だけでなく、第二次世界大戦における戦略爆撃作戦一般が挙げられていることに注目しましょう。
東京大空襲は良く知られていますが、大阪も1945年3月13日以降,数次にわたって大規模戦略爆撃に曝され、終戦の前日8月14日にも京橋地区に集中して広島原爆の約20分の1の爆発力の爆弾攻撃を浴びました。広島・長崎は東京・大阪あるいはハンブルグ・ドレスデンと区別して記憶されるべきものなのかどうか-この問題を次回には考えてみたいと思います。これは「ヒロシマ・ナガサキ」と「アウシュヴィッツ」の区別という極めて重要な問題を取り上げる前に、どうしても避けて通ることの出来ない関門です。
藤永 茂 (2010年4月28日)
**********
ヒロシマ・ナガサキの後70年間、平和が保たれたという事実は、核抑止論という世界政治理論が正しかったことを示している、といった主張がなされることがありますが、これは、とんでもない、許すべからざる暴言です。この70年間に、一千万の人々が、戦争に巻き込まれて殺され続けて来ました。いま現在も、その状態は続いています。アフリカのコンゴ東部地域はその代表例の一つです。1994年の「ルワンダ大虐殺」を憶えている方もおいででしょう。それを含み、それに続く戦乱で約6百万人が死に、紛争状態は今も続いています。これらの死者たちを人間にあらずと思わない限り、第二次世界大戦後の70年間、この地球が核兵器の抑止力によって平和に保たれたという戯言は口に出来ないはずであります。ごく最近になって、四半世紀にわたって続いてきたこの醜悪極まりない戦争の真相が決定的な形で明らかになってきました。
以上は「私の闇の奥」より
核兵器の廃絶は、その被害をまともに受けた日本が先導しなければ世界は動きません。にも拘わらず日本は動きません。安倍政権は逆に核武装を企てて「3.11テロ」を受けています。再度原爆が落ちることになります。 救いようもない民族です。 以上
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