立派なイスラム、豪快な日本(1)イスラム教とは?
2015年02月16日
立派なイスラム・豪快な日本(1) イスラム教とは?
イスラム教には「僧侶」や「寺院」がない。そういうと「僧侶はいないかも知れないが、寺院はあるじゃないか」と反論があるが、あれは仏教の仏閣やキリスト教の教会とは全く違う。ただ建物が有るだけだ。
宗教というのはなかなか難しいもので、キリスト教、仏教は「教祖」がいて、それに弟子が習い、その弟子たちが教祖の教えを世間に広めていくというスタイルだった。イエス・キリストにも十二使徒やパウロがいたし、お釈迦様も弟子が多かった。
ところがイスラム教というのは、「神と一個人」しかいない。その中間に「教祖」も「教団」も、「坊さん、ローマ法王、神父さん、牧師さん」もいない。マホメット(最近はムハンマドと呼ばれることが多い)もイスラム教の「教祖」ではない。単なる「預言者」である。
教祖と預言者とは全く違う。教祖というのは、イエスキリストとかお釈迦様のように、「人間ではあるが神様のような人」であり「人に教えを授ける」ことや「宗教的な資格を与えたりする」ことができるという特徴がある。
たとえばイエスは人でもあり、神でもあり、イエスの言葉が聖書に示されている。イエス自身が「天の父」に変わって自分自身の言葉で教えを説く。その後、十二使徒やパウロが中心となって教団を作り、法王、神父、牧師などの「資格」を作り、一般人とは格段に違う生活をする。つまり日常生活と違い、妻を持たない、出家をする、仕事をしないなどの特徴がある。
お釈迦様もそうで、厳しい修行の後、お釈迦様自体が悟りを開かれ、この場合は「神様」ははっきりしない。一般的には仏教が一神教なのか多神教なのかも明確ではない。もちろん、出家(妻をめとらず、仕事をしない)、お寺、お墓の管理、戒名(死んだ時に出家するための名前)を出すことなどの利権も生じる。
ところが、イスラム教ではムハンマドは単なる神の預言者(神がムハンマドを選んで、神の意思をアラビア語にする)であって、ムハンマドは神性も持っていなければ、修行もしていない。神はアッラーだけであって、ムハンマドはその意思を伝えた「偉い人」に過ぎない。
だから、イスラム教のコーランというのは神の言葉そのものであり、キリスト教のイエスの人格と同じである。ちなみにイスラム教では、ユダヤ教のモーゼもキリスト教のイエスも「預言者」であって神性は与えられていない。
だから、イスラム教では、すべてが在家(出家した僧侶、神父などはいない)であり、ムハンマドさえ僧侶でも神父でもない。イスラム教のモスクという寺院にはお坊さんがいない。ただ「場所」があるだけで、そこで人間が神にお祈りをする。
私のような科学者には、キリスト教や仏教より、ややイスラム教のほうが納得性がある。ローマ法王が大きな顔をしているのを見ると、「イエス様は聖書でこんなことを認めていただろうか?」と疑ってしまう。
神と一個人が直結しているので、ムハンマドは「イスラム教の創始者」であり、「神が選んだ信頼できる人」として尊敬されているが、神格を持たず、修行もいらない。それは神は人間がちょっと修行したからと言ってほぼ同じようなレベルに到達するというにはあまりに距離があるからだ。これも私には納得性がある。
日本人は古くから神道(神様ははっきりせず、教祖、経典はないが、神社と神官がある)や仏教(神様ははっきりせず、教祖、教典があって、宗門があり、神社僧侶がいる)に馴染んでいるので、それらが何もなく一神教で僧侶もいないイスラム教を理解するのが難しい面がある。
イスラムは合理的だ。
(平成27年2月15日)
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