福岡の三流会社が業界トップになれた理由(2/5)
福岡の三流会社が業界トップになれた理由
キャニコム・包行均会長に聞く(1)
コネもツテもなく、一流企業に出向依頼
ご紹介が遅れてしまったが、包行氏は1949年、福岡市田主丸町(現・久留米市)の生まれ。大学を卒業後、鉄工会社勤務を経て、1973年、父親が創業した筑水農機に入社した。
キャニコムは今でこそ、マスコミの注目を集める九州の“超元気企業”の1つに数えられている。従業員約250名と小規模ながらも、年商は約50億円。世界42ヵ国と取引もある“グローカル”な企業として知られている。しかし、入社当時はカネもなければヒトもいない、結果、まともに製品を作ることもできない「なんでも三流な会社だった」と包行氏は振り返る。

――どんな感じだったのでしょうか。
「なにしろ、パーツリストがなかったもんで。部品の注文を受けても型番がわからないから、即納できない。生産計画通りにモノを作れた試しがなかったんです。
営業でお客さんのところへ行くでしょ、そしたら、どこへ行ってもクレームだらけ。『部品が来ない』『注文してから、どうして1ヵ月以上もかかるんだ』と朝から晩まで叱られ、頭を下げっぱなし。そんな調子だから、お金も満足に払ってもらえない。集金の回収率なんて、30%にも満たない状況でした。
パーツリストが書けて生産管理のできる人間が欲しいなと思いましたが、どうやって見つけたらいいのかも、わからない。で、思い浮かんだのが三菱重工」
――三菱重工?
「大企業から出向者を出してもらうっていうのはどうだろう、とひらめいたわけです」
――なんのツテもなく?
「そう。なんで三菱重工だったかっちゅうんは、今でも不思議やて(笑)。丸の内にあって、なんかかっこいい会社はないかって思ったんでしょうね。
受付に行ったら、綺麗なお姉さんが3人いた。大きな声で、『九州の会社です。御社から出向者を出していただきたくて来ました!』と、用件を告げました。アポイントがどうしたとか聞かれたけど、意味がぜんぜんわからんかった。『何を言ってんのかな』と(笑)。今はほら、アポなしなんとかってよく言うけど、当時は『アポイント』なんていう言葉、使ってなかったもんで。
『約束のことです』と言われて、<ああそうか、約束せんといかんかったのか>って思ったくらいで。そん時、初めて知ったもんね。約束のことをアポイントちゅうのかって」
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