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2016年7月25日 (月)

英米支配層と昔から関係の深いポーランド、その外相がロシアはダーイッシュより危険だと公言

2016.04.18      

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     スロバキアを訪問しているポーランドのビトルド・バシチコフスキ外相は4月15日、記者団に対し、ロシアはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)より危険な存在だと語ったという。イスラエルの駐米大使だったマイケル・オーレンと同じような主張だが、口先だけでなく、ポーランドはダーイッシュへの武器供給ルートになっているとする情報もある。

 オーレンは2013年9月、大使を辞める直前にシリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語った。2014年6月にはアスペン研究所での対談で、スンニ派、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュがシリアで勝利することを望むと口にしている。

 ポーランドの隣国、ウクライナでは2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領がクーデターで排除された。その主力になったのがネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)で、その勢力を操っていたのがアメリカのネオコン/シオニストだ。

 ネオコンのひとりとして現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補は2013年12月13日、米国ウクライナ基金の大会で自分たちは1991年からウクライナへ50億ドルを投資したと発言している。1991年12月にソ連が消滅しているが、その頃からウクライナ乗っ取りを目論んでいたということだ。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコン/シオニストの大物、ロバート・ケーガンである。

 この演説が行われる前、11月21日にキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でヤヌコビッチの排除を目指す一団が抗議活動を始めている。当初はEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的な雰囲気の集まりで、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。

 年明け後に抗議活動は暴力化、ネオ・ナチのグループが前面に出てきて、2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。その際、ネオ・ナチは2500丁以上の銃を持ち込み、狙撃も始めている。

 こうした混乱を話し合いで解決しようとしたEUにヌランドは不満を抱き、電話でジェオフリー・パイアット米大使と話した際、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にしている。この表現が下品か上品かということが問題なのではない。合法的に成立した政府を暴力的に排除すべきだと主張していることが問題なのである。勿論、これは憲法の規定に違反している。

 このクーデターにポーランドも深く関与、同国のニエ誌によると、2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換留学生としてポーランド外務省が招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたという。この訓練が終わった直後にユーロマイダンで抗議活動が始まったことになる。

 ヤヌコビッチ大統領を排除したアメリカの傀儡政権はウクライナの東部や南部でロシア語系の住民を殺戮、追い出しにかかる。「民族浄化」だが、その作戦には、1995年から2005年までポーランド大統領を務めたアレクサンデル・クファシニェフスキの治安担当顧問イエルジ・ドボルスキが参加したと伝えられている。ポーランドの軍事会社ASBSオタゴの戦闘員も東部の制圧作戦に参加したようだ。

 ポーランドは18世紀の末からロシア、ドイツ、オーストリア・ハンガリーの3帝国に支配されていたが、第1次世界大戦でこの3帝国が崩壊し、独立した。この大戦の最中、ロシアのロマノフ朝は1917年3月(ロシア歴では2月)の「2月革命(3月革命とも)」で崩壊し、臨時政府の中枢には資本家が座る。

 ロマノフ朝を支えていた2本柱は大地主と資本家。大地主は農民を確保する必要があるため戦争に反対していたが、資本家はカネ儲けのチャンスだと考えて戦争に賛成していた。この対立が王制を揺るがす一因になっている。

 7月には社会革命党(エス・エル)のアレクサンドル・ケレンスキーが首相に就任したが、この政党はメンシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)と同じように資本主義体制の樹立を目指していた。資本主義から社会主義という「予定」を守ろうとしたわけだ。

 そのため、ケレンスキーが首相になっても資本家が主導権を握る実態に変化はなく、戦争は継続されることになった。この人物を通じてイギリス政府とシオニストは新政権に影響力を及ぼしていたと見られている。(Alan Hart, “Zionism,” World Focus Publishing, 2005)

 東のロシアと西のフランスを相手にしなければならないドイツはボルシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)に目をつけた。戦争に反対していたからだ。そこでドイツはウラジミール・レーニンなど亡命していたボルシェビキの指導者をロシアへ帰国させ、11月の「10月革命」につながった。ロシア革命をひとつの革命だと考えてはならないということである。混同すると歴史の流れを見誤る。

 ドイツの思惑通り、10月革命で成立したボルシェビキ政権は即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出した。この革命後、ポーランドは独立するが、その時からボルシェビキ政権(ソ連)と戦い始めたのがウラジスラフ・シコルスキーだ。

 この大戦で敗れたドイツは領土を削られ、その時にドイツ本国と東プロイセンの間にポーランド領(ポーランド回廊)ができ、東プロイセンは飛び地になる。この問題を解決したかったドイツはポーランドと話し合おうとするが、イギリスを後ろ盾とするポーランドは交渉で強硬な姿勢を崩さない。この間、ポーランドに支配された地域に住むドイツ系住民が虐殺されるという出来事もあったと言われている。

 そのドイツでは1932年11月に行われた議会選挙でナチスが第1党になり、33年1月にはアドルフ・ヒトラーが首相に就任した。そして2月に起こったのが国会議事堂の放火。ナチスは共産党が実行したと宣伝、同党を非合法化し、3月に実施した選挙でナチスは44%を獲得、全権委任法を成立させて独裁体制へ入った。この放火はナチスの自作自演で、そのナチスをドイツだけでなくアメリカの巨大資本も支援していたことがわかっている。

 ナチスを危険視したソ連は1938年にイギリスやフランスに同盟を呼びかけるが拒否され、次善の策として39年8月にドイツと不可侵条約を結んだ。条約の秘密条項で両国はポーランドを分割することを取り決めたと宣伝されているが、流れから考えて独ソ開戦のレッドラインを決めたと解釈すべきだろう。

 1939年9月1日にドイツ軍はポーランドへ軍事侵攻するが、目的は「ポーランド回廊」問題の軍事的な解決。9月3日にイギリスとフランスはドイツに宣戦布告するが、しばらくは目立った戦闘はなく、戦局が動き始めるのは1940年になってから。その期間は「奇妙な戦争」と呼ばれている。

 1939年11月にソ連軍がフィンランド侵攻するとイギリスはソ連の石油施設破壊を計画するが、40年3月にソ連とフィンランドが停戦したのでイギリスもこの計画を中止した。この間、1939年9月にシコルスキーはパリへ脱出、そこからロンドンへ移動して亡命政府を名乗った。ソ連のNKVD(人民内務委員会)がポーランド軍将校を大量処刑したのは1940年の4月から5月にかけてとされている。

 ドイツは1941年4月までにヨーロッパ大陸を制圧、5月にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスがスコットランドへ単独飛行、6月にドイツはソ連へ向かって進軍を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。ドイツ軍がソ連を攻めている間、イギリスはドイツを攻撃しないという約束を取り付けるためにヘスはイギリスへ向かったという噂がある。実際、イギリスやアメリカはその間、ドイツを攻撃していない。アメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領の攻撃すべきという意見は通らなかった。

 7月にドイツ軍はレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲し、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、1942年8月にスターリングラード(現在のボルゴグラード)の攻防戦が始まる。当初はドイツ軍が優勢だったが、11月からソ連軍が反撃して約25万人のドイツ将兵は包囲され、43年1月にドイツ軍はソ連軍に降伏した。

 ソ連軍が西へ向かって進撃するのを見て慌てたのが米英の支配層。それまでは傍観していたが、1943年7月にアメリカ軍を中心とする部隊がシチリア島へ上陸、9月にはイタリア本土に進軍してイタリアは無条件降伏、44年6月にはノルマンディーに上陸してパリを制圧した。そして1945年2月にウクライナ南部の都市ヤルタで会談が開かれている。

 大戦後、ポーランドはソ連圏に含まれるが、CIAの対東欧工作の拠点になる。カトリックのネットワークも利用され、1970年代にはバチカン銀行を経由して相当額の資金や西側の最新機器、たとえばファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トンという単位で秘密裏に「連帯」へ送られている。連帯はCIAとの関係を隠していなかったため、西ヨーロッパでの評判はあまり良くなかった。

 連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。(レフ・ワレサ著、筑紫哲也、水谷驍訳『ワレサ自伝』社会思想社、1988年)

 この工作の過程でバチカン銀行と関係の深いアンブロシアーノ銀行による不正融資が発覚し、財務警察隊はイタリアの政界、軍部、情報機関などにネットワークが張り巡らされている非公然結社P2の存在が発覚するが、この結社は「NATOの秘密部隊」で1960年代から80年代にかけて爆弾攻撃を繰り返したグラディオと深く結びついている。つまり、黒幕はアメリカ支配層の好戦派だ。

 1980年代、つまりロナルド・レーガンがアメリカ大統領に就任すると、「民主化」というタグが多用され始める。「プロジェクト・デモクラシー」の始動だ。軍事侵攻や秘密工作で民主的に選ばれた政権を倒してきたアメリカが「民主化」という看板に掲げ、巨大資本のカネ儲けにとって邪魔な体制を破壊し始めたのだ。これはCOGとも深く関係している。

 2010年代になってアメリカの好戦派は自立した体制を倒すため、カルト色の濃い武装集団やネオ・ナチを使っていることは本ブログで何度も指摘してきた。ポーランドの外相がロシアはダーイッシュより危険な存在だと語るのは必然だ。彼らは以前から西側の巨大資本に楯突く体制を倒すためにダーイッシュのような集団を使ってきたのである。    

以上は「櫻井ジャーナル」より
米国の属国のやることです。行動を見ればどちら側であるかはすぐに分かります。以上

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