社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1064503518.html
<転載開始>
【地球環境を破壊した原子力発電装置・機械の原罪】

【チェルノブイリは社会主義を崩壊させ,フクシマは経済老大国:日本をさらに瀬戸際まで押しやっている】



 ①「2017年2月19日NHKBS1スペシャル,ノーベル文学賞作家アレクシエービッチの旅路」

 1)チェルノブイリからフクシマへ
 みずからが「小さき人びと」と呼ぶ民の声なき声を,徹底的インタビューにより発掘する独自の記録文学で2015年,ノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ。

 今冬,念願の「フクシマ」被災地訪問が,2016年11月末に実現した。アレクシエービッチが記録作家としてテーマとしてきた「核と人間」「国家と個人」の視点から,彼女がみた「フクシマ」と,その旅に至る思索の過程を,前編と後編の連続放送によって描く。
アレクシェービッチの旅路ポスター2017年2月19日放送

 ※-1 前編「チェルノブイリの祈り」2017年2月19日(日) 午後7:00~7:50

 スベトラーナ・アレクシエービッチの核心的テーマ,それは「核と人間」「国家と個人」の問題だ。代表作『チェルノブイリの祈り』において,彼女は被曝して苦しむ現場の人々を訪ね,巨大なソビエト国家の国策の下で隠され,闇に埋もれていた証言を記録し続けた。

 自身もチェルノブイリに近いベラルーシとウクライナの国境地帯出身。女医だった妹を原発事故後に癌で失い,その娘を養女として引きとり,生活してきた。前編では,アレクシエービッチのライフ・ストーリーと重ね合わせて,チェルノブイリ取材の過程を詳細に描き,彼女の記録文学の手法と真髄を紹介してゆく。

 ※-2 後編「フクシマ 未来の物語」2017年2月19日(日) 午後8:00~8:50

 チェルノブイリから25年後,福島で起きた原発事故にアレクシエービッチは衝撃を受ける。直後に日本に向けてメッセージを発し,チェルノブイリの悪夢が繰り返されたことへの深い懸念を綴った。以来,彼女はみずから福島の被災地に赴き,「フクシマの小さき人々」の声に耳を澄ましたいと強く念願してきた。2016年11月末,5年越しの思いが実現。

 アレクシエービッチは福島への旅で,避難指示解除後に住民が戻り始めた南相馬市小高区や,今〔2017〕年3月に避難指示解除される予定の飯舘村,被災者が暮らす仮設住宅を訪ね,さまざまな「フクシマの小さき人びと」に出会った。アレクシエービッチはそこで,国策に翻弄される人びとの現実など,福島が置かれた状況に数多くのチェルノブイリとの共通点を見出す。人びとの声から彼女はその「未来」をどう考えたのか。後編では,アレクシエービッチの「フクシマ」への旅のドキュメントを軸に,福島で彼女ならではの視点がとらえた思索から紡ぎ出されるメッセージの数々を伝えてゆく。

 --以上のごとき粗筋であった,この昨日〔2017年2月〕19日夜のテレビ番組(NHK「BS1」)による放送内容は,早稲田大学法学部水島朝穂教授から,この特別番組放送日の午後になって急遽,届いたメールマガジンの情報提供にもとづいて紹介した。

 この特別番組を実際に視聴して痛感するのは,国家はこれだけの大事故を起こして〔起こさせて〕いながら,アレクシエービッチがいうとおりなのであって,被災者たちに対しては「最低限の援助」をしただけで,あとは放置したも同然に「自分たちで勝手しなさい」という,非常に酷薄な政治姿勢だけが残ったという事実である。

 日本では,東電福島第1原発事故のことを「第2の敗戦」と呼んでもいるが,「第1の敗戦」のとき,旧大日本帝国臣民たちはあの戦争に敗戦し,焦土化したこの国土のなかで衣食住のすべてをうしない,野良犬みたいな(人間だから浮浪児のような)生活を強いられていた。

 国家が遂行する戦争のために戦時国債の購入に大いに協力した臣民たちは,戦争中から顕著になっていき,敗戦後には一気に進行したハイーパー・インフレーションのためにそれは紙きれと化し,それこそ一文なしのスッカラカンの生活状況に追いこまれた。それこそ踏んだり蹴ったりされる目に遭ってきた。

 ただ,戦争で命を落とさないだけマシだったという惨酷さであった。日本人だけでも310万人もの生命が失われた戦争であった。アジア全体での犠牲者は2千万人の単位になる。日本は戦争中,ベトナムから食糧を奪い(米作の作付けをさせず大麻を植えさせた),200万名ものベトナム人を飢え死にさせた。

 それでもなお,そういったような1945年「敗戦の顛末」をもたらした「戦前・戦中の大日本帝国」が恋しいなどといいつのる,いまどき考えられないような妄想,「戦後レジームからの脱却」を本気で唱えてきた,それもひどく愚昧・固陋な《日本国の現首相》がいる。

 この政治家の母方の祖父は,戦争中は途中から東條英機に反旗をひるがえしたり,敗戦後はA級戦犯の指定されてから釈放されてアメリカの手先になるなどしたりしてうまく立ちまわったあげく,結局は,現在の対米従属国であるこの日本のかたちを造りあげる作業に大きく貢献してきた。
A級戦犯時の岸 信介写真
出所)岸 信介がA級戦犯に指定されて拘留時に撮られた写真,
https://twitter.com/kininaru2014111/status/577212521670537216

 悪いことにおまけにはその外孫までも,安保関連法を2016年3月に施行させては,日本のアメリカへの従属度をより強化する役目をはたしていた。父も孫もそろって売国的な首相だという評価は,確実に後世に伝えられていくほかあるまい。
 補注)後段でも参照されるが,広瀬 隆『東京が壊滅する日-フクシマと日本の運命-』(ダイヤモンド社,2015年7月)は,こういうふうに表現していた。「祖父の戦争犯罪をアメリカに握られた安倍晋三が “駐日アメリカ大使” の役をになって,ホワイトハウスにシッポを振って強行する属国メカニズムを受けついできたのである」(284頁)。

 その後,日本は世界で一番だといわれるほどに経済大国になれたつもりであったが,1990年前後からのバブル経済崩壊によって,その後四半世紀が経っていくなかでは確実に,庶民の生活水準は低下してきている。その間に新自由主義の政治経済思想がはやり,規制緩和政策が推進されるにしたがい,貧富の差にも起因する生活水準の格差が日本の社会のなかには広がっていった。

 そこへ2011年3月11日東日本大震災が発生し,連鎖的に東電福島第1原発事故現場も惹起させられた。そのとき,この日本はへたをすると東日本全体が放射能汚染によって機能停止状態になる危険性もあった。日本の半分が沈没しそうになっていた。小松左京『日本沈没』1973年は小説であったが,2011年「3・11」のなにかを予見するような内容でもあった。
小松左京日本沈没表紙
出所)http://dark.asablo.jp/blog/2011/04/17/5812075

 福島第1原発事故の被災地に暮らしていた住民たちのうち,放射線量の値が低下してきたという理由で「避難指示区域」を解除された自宅に戻ろうとする人びとは,実際には少数派である。本ブログが先日〔2017年2月18日〕記述した文章のなかにかかげておいたのは,2017年2月3日現在における楢葉町の「帰還率」(正式名は『町内帰還者集計表』と呼称する文書であるが)であった。その時点での帰還者は15.7%である。チェルノブイリ原発事故と東電福島第1原発事故に共通する事後の問題が如実に表現されているその数値(比率)である。
若松と内橋2著表紙
 若松丈太郎『福島核災害棄民-町がメルトダウンしてしまった-』(コールサック,2012年12月)は,つぎのようにいっていた。

   〈原発災害〉は,単なる事故として当事者だけにとどまらないで,空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核による構造的な人災〉であるとの認識から〈核災〉といっている。チェルノブイリ核災から26年だが,まだ〈終熄〉してはいない。福島核災は始まったばかりで,26年後に〈終熄〉していることはないだろう。おそらく,67年後になっても〈終熄〉していることはないだろう。まったく先がみえない災害なのである(79頁)。

 内橋克人『日本の原発,どこでまちがえたのか』(朝日新聞出版,2011年4月)から引用する。内橋は,電力会社の総括原価方式をめぐっても批判していた。

    福島第1原子力発電所に発生した原発事故は,過去,私たちの国と社会が特定の意図をもつ「政治意思」によってつねに “焼結” されてきた歴史を示す象徴である。人びとの魂に根づく平衡感覚,鋭敏な危険察知能力,生あるものに必須の畏怖心,それらのすべてを焼き固め,鋳型のなかにねじ伏せて突進しようとした剥き出しの権力の姿に違いない。

 並々ならぬ強権力を背にした政治意思に異議をさしはさむ者は,異端者か,さもなくば「科学の国のドン・キホーテ」と貶めて排除してきた。「原発安全神話」が高みの祭壇に飾られ,世界にも数少ない「原発大国」への道が引き清められた(1頁)。

 巨大投資の原発⇒総括原価〔方式〕の押し上げ⇒料金アップ⇒収益好転の図式」が成立するには,そもそも電力の販売量が大きく伸びつづけていることが,前提なのだ。いま,その条件が枯渇し,電力会社にとっての「よきサイクル」は途絶した。電力会社の目の前に,どんな現実が迫っているのか。

 高度経済成長時代はとっくに過去のものになっており,いまでは明らかなように電力需要は伸びていない。料金を上げねば収益構造は悪化の一途をたどるほかないけれども,「うかつに料金を上げると,需要はさらに停滞する」。電力会社にとって泥沼のジレンマはこれからいよいよ深刻化するはずだ(269頁)。

 たしかに電力需給関係は2007年・2008年あたりが頂点になっており,2011年「3・11」を迎える前からすでに減少傾向になっていた。原発をどんどん増設し,電力総供給量の5割以上にまでするというもくろみがあって,家庭に対してはオール電化生活を盛んに売りこもうとしてきた。けれども,日本の社会経済全体におけるエネルギー需要の伸び悩み(?)は,「3・11」以後における再生可能エネルギーの開発・利用の比率が高まるとともに,原発の不要をいっそう根拠づける確実な基盤を形成している。

 さて,ここで話題を戻す。原水爆〔の兵器としての行使やその実験〕だけが地球環境を破壊したのではなく,原発もまったく同じ効果をもたらしてきている。これからも,地球上にある434基もの(2016年統計)原発がけっして大事故を起こさないという保証は,全然ない。原発の大事故が発生する確率計算もなされているが,たびたび断わっているように,常時「原発に大事故が起きる可能性・蓋然性」を考慮・心配していなければならない「原子力を利用したエネルギー(電気)生産の方式」じたいに,もとより看過しがたい重大・深刻な技術的問題(簡潔にいえば決定的な欠陥)が内包されていた。

 本ブログ筆者は以前から,「3・11」後における福島第1原発事故をめぐる議論のなかで「『失敗学』という奇異な学問形態」をかかげてマスコミに登場し,それも当時の舞台においてにぎやかに活躍してもいた畑村洋太郎という人物(元東京大学教授・工学院大学教授)の立場(その発想と具体的な方法や概念)に対しては,「事故の発生を確率論的に当然視するほかないこの〈失敗学〉」の「本源的な失敗性」を指摘せざるをえなかった。

 つまり,原発事故の発生を結果論的には防止できないというか,事故はどうしても起こりうるものだという前提条件を置く考え方を,つまり,安全率計算のなかに折りこむ思考方法を明示した畑村洋太郎流の〈失敗学〉の構想は,原発問題には通用しえないときびしく批判してきた。換言すれば,その失敗学は「原発問題の解決のために役には立たない」と論断したのである。
 補注) 本ブログ内では,2014年11月05日の,主題「畑村洋太郎『失敗学』の構想失敗と原発推進論」,副題1「原発安全神話は批判せず,原発推進に役だつ信頼性工学『論』」,副題2「打ちだした東大名誉教授の技術思想」,副題3「失敗を約束された失敗学者の原発安全工学論」が関連する記述をおこなっている。

 その失敗学がとりくめるはずもない,それこそただ,事故が発生してからの〈事後の問題〉となっていた東電福島第1原発事故現場の後始末については,昨日〔2017年2月19日〕に,『朝日新聞』朝刊2面全体を充てた,つぎの ② でとりあげるような記事が出ていた。その前日〔2月18日〕には『日本経済新聞』が見開きの2面全部を使用して同じ問題を特集する解説記事を提供していた。こちらについても同日中に本ブログは,この日経記事をとりあげ議論していた。

 ②「実測210シーベルト,廃炉阻む 福島第一・2号機の格納容器」(『朝日新聞』2017年2月19日朝刊)

  炉心溶融(メルトダウン)した東京電力福島第1原発の2号機格納容器に,遠隔カメラやロボットが相次いで入った。溶けた核燃料のような塊,崩れ落ちた足場,毎時数百シーベルトに達する強烈な放射線量……。原発事故から6年で,ようやくみえはじめた惨状が,廃炉の多難さを浮き彫りにしている。

 1)扉ごし調査,デブリ散乱,サソリ停止
 今〔2017年2〕月上旬,廃炉に向けた作業が進む福島第1原発に記者が入った。海沿いに原子炉建屋が並ぶ。水素爆発を起こした1号機は,吹き飛んだ建屋上部の鉄骨がむき出しだ。3号機は建屋を覆うカバーの設置工事が進むが,その隙間から水素爆発で崩れた建屋がのぞく。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2017年2月19日朝刊2面福島第1原発事故廃炉問題
 それらに比べ,間に立つ2号機の外観は事故前とほとんど変わらない。だが,この2号機こそ,原発事故で最大の「危機」だった。2011年3月15日未明。2号機の格納容器の圧力が設計上の上限の倍近くに達した。その後,圧力は急激に低下したが,なぜ爆発を免れたのか,いまだにはっきりしていない。

 もし,爆発して核燃料がまき散らされていれば……。そんなことを思いながら2号機建屋の前に立った。二重扉のすぐ向こうに,格納容器がある。「10メートル先は毎時8シーベルトの放射線量があります」。東電担当者が警告した。廃炉で最大のハードルが,溶け落ちた核燃料の取り出しだ。原子炉のどこに,どれほどの燃料が溶け落ちているのか。まず,その把握が必要だ。

 2号機では先月末から,カメラやロボットによる格納容器内の調査が進む。建屋の外に貨物列車のコンテナのような建物があった。カメラなどを遠隔操作する「仮設本部」だ。狭い空間に折りたたみ式の机が置かれ,パソコンのモニターが並ぶ。壁は放射線を遮る鋼鉄製だ。

 一連の調査で,格納容器内の状況が分かってきた。圧力容器の下にある作業用の足場には,溶け落ちた核燃料(デブリ)とみられる黒い塊が多数こびりついている。高温の核燃料の影響か,鉄製の足場はカメラでみえる範囲ほぼすべてが崩落していた。

 〔2017年2月〕9日に投入されたロボットのカメラは,約2時間で視野の半分ほどが映らなくなった。放射線が強いと,電子部品はどんどん劣化して壊れていく。それに伴って現われる画像のノイズの量から,線量が推定できる。東電は最大で毎時650シーベルトの線量と推定。1分弱で致死量に達する値だ。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
ロボットさそり河北新報2017年2月17日画像
出所)画像は『河北新報』2017年1月4日,
http://photo.kahoku.co.jp/graph/2017/02/17/01_20170217_63028/001.html

 16日には前後に2台のカメラを搭載した調査ロボットが投入された。後部カメラをもち上げる姿から通称「サソリ」。2014年から開発が進められてきた調査の切り札だ。線量計も搭載しており実測できる。サソリは格納容器の中心部まで進み,線量を計測したり,高温の核燃料によって溶かされて穴が開いた圧力容器の下部を撮影したりする計画だった。

 だが,圧力容器に近づく前に,駆動部に堆積物が入りこむなどして動けなくなった。進めたのはわずか2メートルほど。そこで計測した線量は毎時210シーベルト。事故処理で実測された最大値だ。東電の担当者は会見で「成果はあった。失敗ではない」と繰り返したが,関係者は落胆を隠せなかった。「サソリにはかなり期待していた。それだけにこの結果はショックだ」。

 2)核燃料,残量も状態も謎
 ようやくみえてきた2号機内部の状況。だが,一方で,謎も出てきた。圧力容器から溶け落ちた核燃料は,そのまま落下したと考えられている。だが,毎時210シーベルトの線量が計測された作業用レールは,圧力容器の直下から離れている。ロボット投入口付近も推定毎時30シーベルト。格納容器内の広い範囲に高い線量の場所があるのはなぜなのか。

 「溶けた核燃料が直接レールに積もったのではなく,格納容器の底で水分の多いコンクリートと激しく反応し,溶岩が海に流れこんだときのように遠くまで飛び散った可能性がある」。東京大学の阿部弘亨(ひろあき)教授(原子力材料学)は,東電が公開した調査の映像をみて,こう推測する。ただ,圧力容器に近づくと線量は推定毎時20シーベルトに下がった。阿部さんは「飛び散ったのなら,中心近くこそ高線量でないとおかしい。レール上の堆積物も,飛んできた核燃料なら小さい粒のはず。不可解だ」。

 映像には,圧力容器の下部の機器が比較的原形を保っている様子も映っていた。圧力容器の穴はそれほど大きくない可能性があるという。「どれだけの核燃料が溶け落ち,どれだけ圧力容器に残っているのか。それが今後の取り出しを左右する」と指摘する。

 東京工業大学の小原 徹教授(原子核工学)は,ロボットの底などに付着した物質を回収して分析する必要性を訴える。「核燃料がなにと混ざっているのかが分かれば,事故の進展や,溶け落ちた核燃料がいまどんな状態なのか推定できる」。だが,格納容器内の環境は,想像されていた以上に悪く,今後の調査の見通しはたっていない。

 東電と国は,取り出し方法を2018年度に決め,2121年に1~3号機のいずれかで取り出し始める計画だ。強い放射線を遮るため,格納容器を水で満たす工法が有力視されている。だが,格納容器は損傷し,水漏れが激しい。損傷の位置や数も特定できていない。楢葉遠隔技術開発センター(福島県楢葉町)には格納容器の一部が実物大で再現され,国際廃炉研究開発機構が止水技術などを開発中だ。

 阿部さんは「ようやく内部の状況がみえはじめたばかり。廃炉はリスクを考えながら,一歩一歩進めるしかない。いまある計画や方法に縛られず,臨機応変に変えることも大切だ」と話す。

 3)〈視点〉「事故忘れるな」私たちへの警告-科学医療部・竹内敬二
 溶けた核燃料が飛び散った格納容器の惨状には,多くの人が肝を冷やしただろう。2011年3月15日の早朝の緊張感を忘れられない。福島第1原発2号機の格納容器の圧力が上昇し,「爆発が近い」といわれた。政府や東電,メディアを含め,事態を注視していた関係者を震撼させた。
広瀬東京に原発を表紙
 ちょうどそのころ,原子力委員長らは格納容器の破壊から始まる「最悪シナリオ」の検討を始めた。高濃度の汚染物質が原発周辺を汚し,複数の原発が冷却不能になってつぎつぎに壊れる。その結果,「汚染による移転区域は東京都を含む半径250キロ以上……」。そんなシナリオだ。福島第1原発の事故は広大な地域を汚染したが,東京をも広く汚染する破滅的事態とも紙一重だった。この現実を忘れてはならない。
 補注)「原発安全神話」が大手を振り,大きな顔をしてのさばり歩いて時代があったが,それほど安全だというのであれば,ぜひとも『東京に原発を!』という本を執筆し公刊したのが広瀬 隆であった。
広瀬2著表紙
 広瀬は「3・11」の前年8月に『原子炉時限爆弾-大地震におぼえる日本列島-』(ダイヤモンド社,2010年)を公表していた。その後,2015年7月には『東京が壊滅する日-フクシマと日本の運命-』(ダイヤモンド社)も公刊していた。後著は「原爆と原発が,双子の悪魔だったこと」(304頁)にあらためて言及していた。
 
 これから,溶けた核燃料との長い闘いが始まる。同様の例は,1986年に爆発事故を起こした旧ソ連チェルノブイリ原発しかない。原子炉底部に核燃料が丸くかたまった「ゾウの足」がある。昨〔2016〕年,その原子炉全体を包む新シェルターができた。事故後30年でようやく完全な封じこめが完成した。核燃料の処理は「50年くらいたってから考える。放射能も下がるし」という。百年作業なのだ。
 補注)東電福島第1原発事故現場の後始末の場合では,石棺方式による封じこめには被災地の住民が猛反対しており,この方式が採用される予定は現在のところない。

 しかし,東電は,2021年に「燃料取り出し」を始めるという。実際には核燃料をどう管理して,どこに運ぶかさえも決まっていない。無理だといわざるをえない。事故処理や費用では,しばしば楽観的な数字,スケジュールが示される。早く終えたいのだろうが,廃炉の難しさについての誤ったメッセージになりかねない。

 日本の原子力政策の最大の問題は「なにがあっても変わらないこと」といわれる。それは,事故後も続いている。日本はいま,ほとんど原発なしで社会が動き,再稼働への反対も強い。なのに,原発に多くを依存する計画を維持している。高速増殖原型炉もんじゅを廃炉にしてもなお,核燃料サイクル実現をめざすという無理な目標をかかげ続ける。

 世界をみれば,原発は建設数が低迷し,建設費や安全対策費も高騰している。フランスのアレバ社や東芝のような原発関連の企業の苦境があらわになっている。しかし,日本政府は「いまも近い将来も原発の発電コストは安い」といいつづける。こうした無理な原発政策を続ければ,結局,ツケは未来の世代に回る。
 補注)どうして原発コスト「論」(?)については,このように馬鹿げた主張ができるのか不思議である。正確にいいたいのであれば「いまも近い将来も原発の発電コストは高くなっていく」と表現すべきだからである。

 日本をひっくり返した事故からほぼ6年。「のど元すぎれば」と関心も薄らぎつつある。そんななかで推定とはいえ毎時650シーベルトという衝撃の数字が現れた。私たちののど元に「忘れるな」と突きつけられた警告だ。原発政策の虚構をとりのぞき,コストと民意を重視する政策に変える。事故を起こした世代の責任だ。(引用おわり)

 政府当局・電力産業,それに最近は影が薄いというか,まるで隠れているような連中(原子力工学者の推進派の人びとや,そのほか原子力村に群がっている数多くの組織や人間たち)についていえば,とくに「3・11」以降は原発事業の推進結果(その経緯となかでも被災・損害)に対する重大な社会的・倫理的な責任が残されたままである。

 ともかくも,現段階に至っては「日本はいま,ほとんど原発なしで社会が動き,再稼働への反対も強い。なのに,原発に多くを依存する計画を維持している」のは,まったっく解せない国家側の基本方針である。なにが彼らにそういわせ・させるのか,注意を怠ってはいけないし,批判も放ちつづける必要がある。いまや人類・人間にとって原発事業はやっかいなお荷物であり,重い負担でしかなくなっている。つぎの ③ は最新の報道である。

 ③「東芝,米テキサスの原発計画撤退 巨額損失で継続困難」(『日本経済新聞』2017年2月20日朝刊) 

 東芝が米テキサス州の原子力発電所新設計画から事実上,撤退する見通しとなった。米原子力事業で巨額損失を計上するみこみになって以降,受注済みの海外の原発新設を見直す初の事例となる。東芝本体で手がける改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)の海外輸出第1号として2008年に計画に参画したが,進捗の大幅遅れもあり,現在の経営状況では継続は難しいとの判断に傾いた。

 今回,見直しの対象としたのは米電力大手NRGエナジーが主体の「サウス・テキサス・プロジェクト(STP)」と呼ぶ計画。3・4号機の原子炉建設を,米原子力子会社のウエスチングハウス(WH)ではなく東芝本体が受注していた。同計画の開発会社には東芝も出資しており,持ち分のとりあつかいについて今後詰める。建設予定だったのは,東芝本体で手がけるABWRという種類の原子炉。2基建設し,当初予定では2016年にも稼働する予定だった。

 東芝は,同計画の進行遅れに伴う減損損失を2013,2014年度に計720億円計上済み。3・4号機は現時点で着工しておらず,WHの巨額損失で問題となった土木を含む建設工事も手がけていない。関係者によると「新たな損失発生の可能性は少ない」という。東芝はWHが受注した米国などの原発新設の案件は,リスクを軽減しながら継続するとしている。

 原発の安全規制強化を受けて,同計画ではすでにNRGが建設に向けた大半の作業を中断。追加投資の打ち切りを発表している。東京電力も参画予定だったが,出資を見送った経緯がある。東芝は,NRGが手を引いたあとも計画の実現を模索し,2016年2月に米原子力規制委員会(NRC)から2基の建設運転の一括許可を受けた。

 しかし,同年5月に事業パートナーとしていた米エンジニアリング大手のシカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン(CB&I)との協力関係の解消を発表。その後,NRCに申請していた原子炉建設に必要な設計認証の更新をとりさげた。CB&IとはWHが買収した会社の手続をめぐって米裁判所で係争中だ。東芝は同原発計画の近隣地のフリーポートでは,液化天然ガス(LNG)ビジネスを手がける予定だ。〔こちらには〕「原発計画の凍結の影響はない」(関係者)という。(記事引用終わり)

 東芝は大儲けできる目算があって原発事業に手を出した。ところが,いまではその事業部門がこの会社の生死を左右する,死命を制するかのような問題児になってしまった。この事実について本ブログ内は,2017年02月16日の記述「原発事業の将来性をみぬけなかった東芝幹部の意思決定」がくわしく議論していた。この記述の副題は以下の3点であった。

  【名門であろうとなんであろうと,原発事業進出で失敗した東芝】

  【会社は永遠ではないし,多分,東芝もそうでありうる】

  【原発は要らないし,実際にもう要らなくなっている】



<転載終了>