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2018年1月16日 (火)

トランプ米大統領の演説はイスラム世界で封印されていた米国のイスラエル政策に対する怒りを噴出

 

 

      
        カテゴリ:カテゴリ未分類    
            
    エルサレムをイスラエルの首都だとし、1999年5月31日までにそこへ大使館を建設するべきだとする法律をアメリカ議会が作り上げたのは1995年のことだった。歴代大統領の判断もあってその日程は守られていないが、上院は今年(2017年)6月5日、その法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。その流れの中でドナルド・トランプ大統領は12月6日、エルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をしたのである。民主党も共和党も関係なくアメリカの議員は遅くとも22年前からエルサレムをイスラエルの首都だ認め、それをトランプ大統領は尊重したという形だ。

しかし、トランプの演説がイスラム世界の怒りに火をつけたことも事実。アメリカ政府の妨害もあり、これまで各国政府はイスラエルによるパレスチナ人弾圧に有効な対策を打ち出せずにきた。民間レベルではイスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動がヨーロッパを中心に展開されているものの、国レベルではせいぜい口先で批判するだけだ。イスラエルはガザを繰り返し軍事侵攻、ヨルダン川西岸は入植で浸食されて収容所化が進んでいる。

そうした状況を苦々しく見て生きたイスラム教徒の怒りが今回の演説で爆発しつつあり、イスラエルと緊密な関係にあるサウジアラビアにも怒りの矛先が向けられている。そのサウジアラビアから資金を得ているパレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領もトランプ大統領を批判せざるをえない。

アッバースは2004年11月に死亡したヤシル・アラファトの後継者とされ、PLO(パレスチナ解放機構)の議長でもあるが、PLOにかつての面影はない。アラファトの死は中東情勢の大きな転換点になった。そうしたこともあり、その死は人為的なものだったのではないかという疑いが消えていない。

その疑惑が正しいのか間違っているのか、それをカタールの​メディア、アル・ジャジーラが9カ月にわたって調査​、死の直前までアラファトが健康だったことを確認している。しかも彼の衣類や歯ブラシなどもの回りの品から放射性物質、ポロニウム210を検出、遺体の調査を求める声が出た。

イスラム世界でアラファトの存在が大きかった理由のひとつは、イスラム諸国の支配層がヨーロッパやイスラエルに立ち向かわず、自分たちの地位と富を優先してきたことに対する反発がある。

シオニストがイスラエルの建国を宣言したのは1948年5月14日のことだが、アラブ諸国の軍隊が参戦するのはその翌日から。それまでにシオニストが行っていた破壊と虐殺を何もせず傍観していたのだ。その年の4月4日にシオニストは「ダーレット作戦」を発動し、8日にデイル・ヤーシーン村でアラブ系住民を虐殺しても動きは鈍かった。この虐殺は単に住民を殺すというだけでなく、パレスチナ人全体に恐怖を与え、逃げ出すよう仕向けることが目的だった。一種のテロ作戦だ。

アラファトが人々から英雄視されるようになるのは1967年から。この年の6月にイスラエル軍がエジプトを奇襲攻撃(第3次中東戦争)、アラブ軍を蹴散らしてエルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領している。このとき、イスラエル軍に立ち向かったのはアラブ諸国の軍隊ではなく、ファタハだった。このファタハでスポークス・パーソンを務めていたのがアブー・アンマール、つまりヤセル・アラファトである。1969年2月、アラファトはPLOの執行委員会議長に選ばれた。

イスラエルから見ると、このPLOが最も警戒すべき敵になる。そこでイスラエルが目をつけたのがアーマド・ヤシンだった。当時ムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物だ。

ガザにおける同胞団の責任者にヤシンは選ばれ、シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はイスラム・センターを創設する。1976年にはイスラム協会を設立、このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマス(イスラム抵抗運動)だ。アラファトの死後、パレスチナで主導権を握った。

ところで、アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はアメリカのワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名している。この時のアメリカ大統領はビル・クリントン。政権がヒラリー人脈に乗っ取られる前だ。ビル・クリントンのホワイトハウスにおける影響力を低下させた大きな要因は彼に対するスキャンダル攻勢だった。1993年頃から激しくなっている。

そのヒラリー人脈を含む好戦派、あるいはイスラエルの軍事強硬派にとってその宣言は許し難いこと。彼らの怒りは当然、クリントン大統領にも向けられた。1996年にリチャード・パールやダグラス・フェイスなどネオコンは「決別」という文書を作成、この中でイスラエルのオスロ合意を守る義務はないと明言している。

1995年11月にはラビンが暗殺されたが、この暗殺も公式見解に疑問を持つ人が少なくない。例えば、イスラエル人の調査ジャーナリスト、バリー・シャミシュによると、アミールが撃ったのは空砲で、ラビンは病院へ向かう車の中で射殺された可能性が高いという。

この暗殺から5年後、イスラエルの軍事強硬派、リクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、和平の雰囲気は吹き飛んでしまい、2004年にアラファトが死亡するわけだ。その間、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されている。ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をする前に「アル・カイダ」が実行したと断定、アメリカをはじめ西側世界では反イスラム感情が広がっていった。そうしたプロパガンダの上で西側の有力メディアが果たした役割は大きい。    
       
以上は「櫻井ジャーナル」より
この件でますます米国は世界から孤立する方向に行くことになりそうです。  以上
   

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