逝きし世の面影さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/ca991f2400b0ac1beaca217b7f9856ef
<転載開始>
2018年10月20日 | 経済
田中康夫‏ @loveyassy 18:45 - 2018年10月19日

資金規模10兆円≒920億$「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」💰
🇸🇦ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が5兆円≒450億$を拠出🕌
リヤドで10月23日~25日☪
「ビジョン2030」未来投資イニシアチヴ会議を皇太子が主催👑
欧米企業は軒並み欠席🚀
孫正義@masason出席で話題騒然📲


英仏独など他の同盟国首脳を出し抜いて日本の安倍晋三首相だけが2016年12月の大統領選に勝利したドナルド・トランプに会いに行ったことが、現職のオバマ大統領と二人で史上初めてのハワイ真珠湾の戦艦アリゾナ記念館訪問になったと言われている。
(安倍首相と会った直後には)トランプ次期米大統領は実業家の孫正義社長とトランプ・タワーで会談しソフトバンクが米国企業に500億ドル(5兆円)を投資し5万人の新規雇用を創出することで合意した企業家としての面目躍如



『サウジ疑惑が波及も 孫氏10兆円ファンド、岐路に 』 2018/10/19 22:51日本経済新聞 

サウジアラビア政府に批判的な著名記者の殺害疑惑が、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長が進める投資戦略に影を落とす可能性が出てきた。
世界中でサウジと距離を取る経営者も出始める中、ムハンマド皇太子と孫氏の10兆円ファンドは、親サウジの米トランプ政権もからんだ「投資トライアングル」だが根幹を揺るがす困難に直面した。
ソフトバンクグループのマルセロ・クラウレ最高執行責任者(COO)はサウジが出資を検討している2つ目のファンドについて「(立ち上げる)確証はない」。
23日からサウジで開催される経済フォーラムはムニューシン米財務長官やJPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモン最高経営責任者(CEO)らが出席を見合わせている。
2017年5月ソフトバンクが新しい企業グループを目指していた10兆円ファンドに450億ドル(約5兆円)を出資するのがサウジアラビアのムハンマド皇太子だ。
当時副皇太子として来日していた16年9月3日。ここから2人の蜜月関係が始まった。
孫氏はトランプ氏が16年の大統領選に勝利すると米財界人とのツテをたどって会談。米国への巨額投資と雇用創出を約束した。象徴的なのがファンド設立時。サウジの首都リヤドの王宮でトランプ、サルマン国王のトップ2人の前で、孫氏ファンド立ち上げの調印をする。
米連邦準備理事会(FRB)が利上げに踏み切ってもカネ余りの「売り手市場」で、何処から資金調達したかがステータスとなる米国内で「サウジマネー」を嫌う動きが広まれば孫氏にとっては打撃となる。
最大リスクのムハンマド氏が失脚すれば、サウジ国内では同氏の肝煎りで進めてきた孫氏との投資戦略を覆す動きが出かねない。孫氏が築いた米・サウジとの投資トライアングルに激震が走っている。
(抜粋)
10/19 日経新聞

『アメリカに「ババ抜きのババ」を掴まされた日本』

東京都の地価総額だけでアメリカ全土が幾つも買えたバブル絶頂期には日本を代表する有名大企業の三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンター を、アメリカ文化を象徴するハリウッドではソニーがコロンビアを、松下電器産業(現・パナソニック)がユニバーサルを買収したのでアメリカ一般市民の怒りをかったという。
ニューヨークのビルとかハリウッドの買収はバブルの真っ最中の出来事だったが、東芝がアメリカの原発最大手のウエスチングハウス(WH)を買収したのは2006年で日本のバブル経済の後遺症で苦しんでいた時である。もちろん原発産業自体が1979年のスリーマイル島の原発事故以来30年間も一基の原発も新設されていない斜陽産業だった。そもそもアメリカの基幹産業には外国資本に買収されないようにする法体系があり、特に原発の様な安全保障問題に直結する部門での外国企業の買収など問題外。ところがWHの買収で米議会での特別立法を行うなどやりたい放題。アメリカは法律を曲げてまで挙国一致で何としても日本を騙して不良債権(ババ抜きのババ)を掴ませたのである。

『1979年2月のイスラム革命直前にも改革派のイランのパーレビー国王に入れ込んで大失敗した日本』

日本では大きな勘違いをしている人が大勢だが、ニクソンショックで金本位制が崩壊した1971年後の資本主義社会では一番簡単な方法である輪転機をグルグル回す金融インフレなので基本的に『カネ余り』が延々と続いていた。
日本のバブル(投機)も同じで、儲けが見込める『有力な投資先が無い』状態が続いていたので(ゼロサムゲームの)株とか土地となどに金融市場に溢れる『あまった金』が流れ込んで投機バブルが発生した。日本に売ったWHとかロックフェラーセンターは、儲かるどころか『ババ抜きのババ』だったのでアメリカが日本を騙して押し付けた。(少しでも儲かる見込みがあれば、アメリカ企業が真っ先にに買っている)基本的に国家ぐるみの詐欺である。
★注、
39年前のイランのパーレビー国王は 今のサウジアラビアのムハンマド皇太子と同じで、アメリカの援助による軍備の近代化、さらには法制度も近代化して、女性の権利拡大や 国民の政治参加にも積極的だった改革派の代表だと目されていたので日本政府や企業が積極的に支援していた。政権崩壊の直前にも日本政府は目の前の現実が見えなかったのである。
アメリカとの関係では39年前のイラン(パーレビー国王)は 今のサウジアラビア(ムハンマド皇太子)と瓜二つだが、当時のイランは中東一の近代化した先進社会だったが、今のサウジは逆に奴隷制が残る世界一遅れた化石の様なカルト社会である。



(資料)

21世紀のイスラム国(ISIS)建国は20世紀のサウジアラビア建国と同一 2014年09月15日 政治

『破壊的カルト宗教の教祖、イスラムの詐欺師、残虐非道なテロリスト、砂漠を彷徨う集団強盗団の首領』

第一次世界大戦でオスマントルコと戦争をしていたイギリスの諜報機関(映画アラビアのロレンスの神話でよく知られている)の支援でアラビア半島を武力制圧した初代サウジアラビア国王のイブン・サウード(在位:1932年 - 1953年)はイスラム教の聖地メッカとメジナの守護者としてアブドゥルアズィーズ1世とも呼ばれる。
サウジアラビアの国名は『サウード家によるアラビアの王国』の意味であるが、アラビア半島中央高原地帯のナジュド地方の新興の弱小豪族だったサウード家はイスラム原理主義運動のワッハーブ派に共鳴して周辺部族を次々と征服して恐怖と暴力で支配する。(日本の400年以上前の戦国乱世の英雄譚)
1931年にはナジュド及びヒジャーズ王国の建国を宣言して、自らマリク(王)となり、翌1932年には現在のサウジアラビア王国と国名を変えている。
イブン・サウードは1953年に狭心症により74歳で死去したがサウジアラビアの500リヤル紙幣に肖像が使用されている。
イブン・サウードは征服した部族との政略結婚を100回以上繰り返して89人の子供が生まれている。男子だけで52人。王位継承権を持つ王子は36人。
初代イブン・サウード王の王子たちの異母兄弟同士で王位を順送りで継承している。絶対王政の政府要職も同じ構造であるがサウジアラビア建国から82年が経過して極限まで超高齢化した弊害は目も当てられない有様。サウジアラビアが最早『限界に来ている』のは明らかな事実である。
★注、
現在の第7代サルマン国王82歳はサウジアラビア初代国王のアブドルアジズ・イブン・サウードの息子(第二世代)、その息子のムハンマド皇太子は孫(第三世代)である。

『アメリカ(オバマ大統領)の右往左往』『イスラム国(ISIS)とは何か』

2013年にシリア政府を打倒しようとNATOや米軍による空爆を主張していたアメリカですが、何と2013年には逆にISIS(イスラム国)を打倒するために、空爆する。もう無茶苦茶。
サウジアラビアや湾岸諸国とNATOコネクションが一生懸命に育てた正体不明のISIS(イスラム国)ですが、これは1世紀遅れて21世紀の現在に彷徨い出て来た『サウジアラビア』の事だったのである。
理不尽なパレスチナの不幸の原因が欧米の白人ユダヤ教徒(ユダヤ原理主義のシオニスト)によるイスラエルの建国であったように、イスラム教の全ての疑問の出発点はイギリスの支援したイスラム原理主義のワッハーブ派によるサウジアラビアの建国だったのである。

『イスラム原理主義(サウジアラビア)とキリスト教根本主義(アメリカの福音派)の悪夢』

21世紀のイスラム国(ISIS)建国は20世紀のサウジアラビア建国と同一であった。
逆らうものを皆殺しにして見せしめに首を切断するISISが『イスラム国』の建国宣言をしたが、同じことが実は1世紀前のアラビア半島で起きており、今のサウジアラビアが出来上がっていた。
大観衆をあっと言わせるイリュージョンでは、どれ程奇怪に見えても摩訶不思議に思われても、所詮は『手品のネタ』は単純な子供騙しであり、分かってしまえば余りの阿呆臭さに呆れ返るばかりである。
『自由と民主主義』の看板を掲げるアメリカの中東世界の最大の同盟国であるイスラムの盟主サウジアラビアのワッハーブ派とは、丸々ISIS(イスラム国)そのものだったのである。
アメリカが9・11事件の犯人と断定した大部分がサウジアラビア人だったことからも明らかなように、アルカイダの正体とはサウジアラビアの国教であるワッハーブ派のことだった。
オサマ・ビン・ラディンを9・11の犯人だとして引渡しを要求したアメリカに対してアフガニスタンのタリバン政権は『具体的な証拠の提示』との当然の正当な要求をしている。
ところがブッシュ政権は即座に『問答無用』と泥沼のアフガン空爆を開始して、永久に終わらない『対テロ戦争』を始めている。
(抜粋)



『イスラム国を理解するには、サウジアラビアの過激主義「ワッハービズム」を知らなければならない』2014年09月12日ハフィントンポスト アラスター・クルーク(Alastair Crooke) 元イギリス秘密情報部(MI6)中東担当幹部

イスラム国の劇的な出現は多くの人が困惑して、恐怖を感じている――この出現にサウジアラビアの迷走を不可解に感じ、首をかしげている。
「サウジはイスラム国が自分たちをも脅かしていることに気付いていないのだろうか?」。
サウジアラビアの支配階級のエリートたちは分裂。イスラム国がイランのシーア派の"武力"にスンニ派の"武力"で対抗するのに拍手喝采だ。

『サウジの二重性』
サウジのアイデンティティーは、ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブ(ワッハーブ派の創始者)と、イブン・サウードにより示された急進的で排他的なピューリタニズムの採用に直接つながる(後者は当時、非常に乏しい灼熱のネジド砂漠でベドウィン部族たちを襲い続ける多数の指導者たちにまぎれた、目立たないリーダーの一人に過ぎなかった)。
二重性への2つ目は、1920年代ワッハーブ派の元来の衝動を制度化し、1970年代に押し寄せたオイルマネーの蛇口を捕らえイスラム世界全体に、暴力革命よりも文化革命を拡散させる。しかしこの"文化革命"は穏やかな改革主義ではなかった。それはアブドゥル・ワッハーブが自らの内に知覚した、腐敗と逸脱、憎悪に基づく革命であり、すべての異端と偶像崇拝を粛清するよう求めるものだった。

『イスラムの詐欺師たち』
アブドゥル・ワッハーブの思想によれば、"上品さ、芸術家気取り、喫煙、大麻吸引、太鼓を叩くエジプト人、そしてアラビアを縦断してメッカへ祈りに行くオスマン貴族"はイスラム教徒ではない。もちろん、地元のベドウィン・アラブ人もイスラム教徒の仮面をかぶった詐欺師だ。
聖人や神聖な場所をあがめ、墓石を建てる"迷信"すべてを、アブドゥル・ワッハーブは異端(神により禁止されている)として非難した。
アブドゥル・ワッハーブは預言者ムハンマドがいた1400年前こそ理想的なイスラム社会("最良の時代")だった(イスラム教の最も保守的なサラフィズム)。
アブドゥル・ワッハーブは言った。イスラム教信者に「なんであれ疑いや躊躇」があれば、「その者は財産や命を免除される権利を奪われる」べきだ。
アブドゥル・ワッハーブの主要な教義がタクフィール(不信仰者の宣告)。
タクフィールでは、何であれ絶対の権威(すなわち王)の主権を侵害するような活動に携わった仲間のイスラム教徒を異端者とみなすことができた。
ワッハーブ派のイスラム教義は、聖人や死んだ愛する人に祈ることや、墓や特別なモスクへの巡礼、聖人をたたえる宗教的祭り、イスラムの預言者ムハンマドの誕生日を祝うこと、そして死者を葬る際に墓石を使用することさえ禁じた。
イスラム教徒すべては1人のイスラム指導者(カリフ)に個人的に忠誠を誓う必要があると論じた。従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだ、と書いている。
死に処されるべき背教者のリストには、シーア派、スーフィー派、そして他のイスラム宗派、すなわちアブドゥル・ワッハーブが決してイスラム教徒であるとは考えなかった人々が含まれていた。
ワッハービズムとイスラム国を区別するものは何もない。
ワッハーブの"1人の支配者、1つの権威、1つのモスク"―― これら3つの柱のそれぞれがサウジ王、すなわち正統ワッハービズムにおける絶対的権威を現す、そして"言葉"を支配するモスクだ。

『ワッハービズム小史』1741年―1818年
超急進的思想のワッハーブは必然的に町から追放され放浪を繰り返したあげくイブン・サウードの部族に避難。イブン・サウードはワッハーブの高潔な教えがアラブの伝統と慣習を覆す手段になると考えた。それは権力掌握への道だった。
彼らの戦略は、現代のイスラム国と同様、征服した人々を服従させることだ。恐怖を植え込むことがねらいだった
アブドゥル・ワッハーブの教義を手中に収めたイブン・サウードの一族は近隣の村を襲って財産を奪う。アラブの慣習の範囲で行うのではなく、ジハードとして。
イブン・サウードはさらに、ジハードの名の下に殉教という考えを持ち込んだ。それら殉教者たちはそのまま楽園へ行くことが保証されるというのだ。
当初、彼らはいくつかの小さな地元コミュニティを征服して自分たちのルールを課した(征服された人々には限られた選択肢しかなかった。ワッハービズムへの改宗、もしくは死である)。1790年までに、この連合はアラビア半島の大半の地域を支配しており、メディナ、シリア、イラクを繰り返し攻撃した。
彼らの戦略は、現代のイスラム国と同様、征服した人々を恐怖を植えつけ服従させることだ。1801年イラクの聖都カルバラを攻撃。女性や子供を含む5000人以上のシーア派を虐殺すべてを略奪し寺院の多くが破壊された。
1803年、アブドゥル・アジズは恐怖により降伏した聖都メッカに入って、メッカにある歴史的建造物やすべての墓、寺院を破壊した。1803年末までに、彼らはグランド・モスク近くの何世紀もの歴史を持つイスラム建築物を破壊した。
しかしオスマン帝国が1812年この連合をメディナ、ジェッダ、そしてメッカから追い出す。
1815年、ワッハーブの軍は決定的な戦いでエジプトのオスマン軍と衝突。1818年、オスマンはワッハーブの首都ディルイーヤを制圧し破壊した。ここに第一次サウード王国は消滅。少数の生き残りが再起のため砂漠に逃げ、19世紀の間のほとんど、そこで沈黙を貫いた。

『イスラム国により歴史は繰り返す』
18世紀のワッハービズムはネジド(サウジアラビア中央部の高原地域。ワッハーブ派の発祥地)で消滅せず、第一次世界大戦の混乱のさなかにオスマン帝国が崩壊した時、気難しいベドウィン部族たちを統一し、20世紀のルネッサンスとして唸り声を上げて舞い戻ってきた。
再び1914年から1926年の間にメッカ、メディナ、そしてジェッダの制圧に成功する。
始まった内戦は1930年代まで続いたがアブドゥル・アジズがマシンガンで射殺し終結させた。アラビア半島で石油が見つかりイギリスとアメリカは、アブドゥル・アジズに言い寄りつつも、なおアラビアの唯一の正当な支配者としてメッカの太守シャリフ・フセインを支持することに傾いていた。サウード家は、もっと洗練された外交的姿勢を示す必要があったので革命的ジハードのワッハービズムはサウード家と王の絶対的権力への忠誠を掲げる制度を正当化する運動へ強制的に変換させられた。

『オイルマネーがワッハービズムに広がる』
石油資源が掘り当てられサウジの目標は、ワッハービズムを、イスラム世界全体に広め、この宗教内部での異なる思想を退けて"単一の信条"にする。このソフトパワー(その社会の価値観、文化的な存在感、政治体制などが他国に好感を持って迎えられ、外交に有利に働くこと)の表明に対して何十億ドルもの富が投資されてた。
魅力的な何十億ドルのソフトパワーでサウード家がイスラム教スンニ派を管理しアメリカの利益を促進しようとするが、イスラム世界全体へワッハービズムが付随的に埋め込まれた。
サウジアラビアに依存する西側世界
1945年2月、アブドゥル・アジズがアメリカの戦艦クインシー号で(ヤルタ会議後の)ルーズベルト大統領と会談したときから今日までずっと続いてきた。
西側は王国の富、見かけだけの近代化、公言されたイスラム世界のリーダーシップで、この王国が西側やスンニ派イスラムの指導部に屈服すると予測していた。
しかしサウジ・イフワーンのイスラム教原始主義は1930年代に断絶していなかった。イフワーンは衰退したが、システムのさまざまな場所に影響力を残していた二重性がある。
オサマ・ビン・ラディンは、まさにこのイフワーンが遅まきながら花開いた象徴でサウード家―ワッハービズムへの原点回帰だと言える。
サウード家と西側諸国が社会主義、ナセリズムに対抗してこの地域の共同管理を行って、西側の政治家たちはワッハーブ派の動きは無視することにした。
結局のところ西側諜報機関はイスラム原理主義がアフガニスタンからソ連を追い出すために――また好まれない中東の指導者たちや国家との戦いに、より効果的だと認識。サウジ情報機関や西側コネクションがシリアのアサド大統領に対抗して、イスラム国を出現させた
"1人の指導者、1つの権威、1つのモスク:服従させよ、さもなくば殺せ"との急進的なワッハービズムが、アメリカや西側諸国の『"穏やかな"抵抗勢力』を生み出すとのシリアの穏健派神話は、ユニコーンよりも珍しい存在だということに驚くこともないだろう。
(抜粋)
2014年9月12日ハフポスト


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