サラリーマンは会社に仕えて、給料という報酬をもらう身分だ。江戸時代の武士が藩に奉公して俸禄をもらうのと基本的には同じ構造にある。会社では上司に仕え、経営者が指し示す方針には逆らわず、忠誠心を持って空気を読み、忖度していれば基本的な生活は保証される。

 それでも企業社会の中では、かつては激しい競争があった。日本が著しい経済発展を遂げた時期、ライバルは無数にいて、企業戦士であるサラリーマンは身を粉にして会社のために戦った。今でいうところのパワハラなどは日常茶飯事。それでもその世界を勝ち抜いていくことにサラリーマンとしての価値があったのだ。

13行あった大手銀行はわずか4社に

 それに引き換え現代の日本の状況はどうであろうか。もちろん今でも苛烈な競争が一部では残っている。しかし、国内市場の成長余力がなくなり、企業としての成長に陰りが見えてくる中で、新たな収益機会は減り、多くの業界では企業同士のM&Aが繰り返されるようになっている。

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 たとえば銀行業界では、私が大学を卒業した1983年頃は都市銀行というカテゴリーの大手銀行が13行もしのぎを削っていた。銀行志望の学生にとっての選択肢は広かったのである。それが現在では繰り返し行われたM&Aの結果、わずか4行に収斂している。同じ現象は鉄鋼、電機、機械、化学、製薬などあらゆる業界で生じている。世の中は少数の大企業だけが生き残る社会になっている。

 こうした業界ごとの合従連衡はマーケットにおいて互いが切磋琢磨して競争する環境を変え、互いの会社が相手の領域に侵食せずに、マーケットの利益を分け合うような「忖度社会」を作り上げている。

金融機関の対応の遅さにやきもき

 競争がなくなるということは、そこで働くサラリーマンが「物事を考えなくなる」ことにつながる。ぼんやりしていても、いきなりライバル会社に仕事を奪われるような危険がないからだ。

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 最近でもある不動産開発の案件で金融機関に融資のアレンジメントを依頼した時にも、その対応の遅さにはやきもきさせられた。応対する行員に不動産開発に対する基本的知識がないのは仕方がないにしても、本部での審査はこちらが驚くほどに遅く、同じような質問を繰り返し受ける事態に辟易とさせられた。こちらから対応の遅さを指摘しても、組織内部の問題を評論家風に語るだけで、いっこうに事態を改善しようとする気構えを感じることはできなかった。